二十一話 決意の場
――午後四時五十分。
廊下から見える空き教室のチクタクと音の鳴る円盤を見つめる。
ついさっき、時間が来るその直前まで図書室で過ごしていた。
テーブルで読書をする者やカチカチとシャーペンの音を立てながら勉強に勤しむ者たちに混ざって、自分も本棚から適当に選んだ雑誌を読んだ。
とあるタレントのエッセイは、一大事が差し迫った今の状況とは真逆な内容でちょうどいい気晴らしになった。
図書室を出ると急に、外で野球部らの張り合う声が耳元に届いてきた。棟内でも吹奏楽部が楽器を吹く音が、乱雑に聴こえてくる。
その中には当然、『演奏部』が楽器を鳴らしている音も鼓膜に響いてきていた。
この音だけが、不思議なくらい異質なものに思えた。聞くと、心臓をえぐられる。吐き気に襲われる。
ハクは一番下の階へ向けて階段を下り始めた。段々と音が近づいてくる。
鼓動が鳴る。胸が痛くてしょうがない。頭もなぜか痛い。鼓動とリンクして、ちょうど耳の横で爆弾が毎秒毎秒と爆発していくようだ。
(あぁもう、帰りたい……)
階段を下りる途中、病人のように壁に手をついてそのまま縺れかかる。
さっきまでのモチベーションがもう尽きたみたいだ。これでは先輩たちの前で堂々と顔を見せられそうにない。
(……いいことなんだ、これから起こるのは。怖がる必要なんてない)
再び階段を下りだす。
そしてようやく一階へと辿り着く。後は、廊下を進むだけ。
運動部の声も吹奏楽部の楽器の音も遠ざかって、今では演奏部が奏でる音が一番大きく耳へ届く。
智也の歌声が聴こえる。本当に上手い――ハクはこころからそう思った。そこには侮辱もプライドもなく、ただただ彼はすばらしいと。
演奏もすごいと思った。
まだ演奏の乱れは多少残っている感じは否めないが、少なくとももう七、八割は仕上がってきているんじゃないか。ギターもエレキに変わっていて、公園で聞いたときよりも何十倍も迫力があってかっこいい。
もうさすがと言ったところか――すみれのキーボードの音は非の打ち所がない、まさに完璧な演奏だった。繊細で美して……ずっと聴いていられる。
「やっぱり自分は……」
この状況下で思わずにはいられない。なぜここに自分が存在しているのか。居ていいのか。まるで頑張っている彼らを、ただただ邪魔しているみたいだ。
ハクは想像した。これからのこの『演奏部』の輝かしい未来を。
そこに、自分の姿はない。
見えるのはあの三人だけ。
それが自然。それが当然であるかのように映る。
努力していない者は、自然に淘汰されていくのだ。
そう、あたかも何もなかったかのように。
△△ △
演奏は、引き戸が開いた音とともに鳴りやんだ。
智也たち部員の顔には驚きの表情はなかった。ただ一人の女子を除いては。
「ハク……!」
すみれは、動揺をあらわにしながら自分の元へ駆け寄ってくる。
「久しぶりだな」
旧友のような口調で話しかけてくる智也。そんな親しい間柄でもないのにとハクは思った。
「………」
すみれは顔をしかめたまま、何か言いたげな様子だった。けれど、それを口にするまでには至らなかったようで。
きっと、何か思うことがあるのだろう。
やはりすみれはやさしい。
「ところでなんだけどよ」ギターを肩にかけている智也が、口を開いた。「一回、みんなで合わせてみねぇか」
それを聞いたすみれは、まるで本望だったのか目をぱっと見開いてすぐさま智也の方へ体を向けて口を開いた。
「うん」
彼女は首を振ると、再びキーボードへと移動していった。
自分はそれを、ただただ静観していた。
皆がそれぞれの持ち場で、それぞれの楽器を扱いだす。
すみれはキーボード。智也はギター。陸はドラム。
以前までギターを手にしていた陸が、今はドラムをやっていることにハクは少し驚いたが、自己紹介の時、たしかドラムもできると口にしていたことを今思い出した。
「どうしたんだ。おまえも歌うんだぞ」
ぼおっとしていた自分に向けて、智也が声をかけてきた。
「……はい」
「練習してきたんだよな、ちゃんと」
言うまでもなく、これは自分もこのために準備してきたということを皆に言い聞かせるための智也なりのやさしさなのだと悟った。
ちゃんと皆に聞こえるように、「はい」と落ち着きを保った返事を返してみせる。すみれが思わず安堵したような表情を浮かべていたのを見て、少しこころが痛んだ。
楽器を持つ皆に囲まれながら、自分は中央に立つ。
目先にあるのは質素なマイクと、それを支えるスタンド。
バンドのボーカルというのはこんな感じなのかと、ハクは少しばかり感心する。
観ている観客は誰一人としていないはずなのに、なぜか緊張してしまう。
その原因が、後ろにいる人たちのささやかな期待にあることはわかっている。
今さらその期待に応えないといけないなんて思わない。
自分はただ歌って、皆に上手いと思われたらメンバーで居続けられそのままいい方向に進んでいくだろう。逆に下手だと思われたら、自分はここから消えるだけ。
始めからこうなることがまるで当然のことのようだ。
皆が準備をしている間、自分は何となくマイクの高さを調整したり、緊張を紛らわすためにわざと「あーあー」と口で言ってみたりした。
すると後ろから、「いいかー」と智也が確認するような声が聞こえる。振り向かず自分は「はい」と答えた。
――カッカッカッ




