第29話:至高のとろけるプリンと、魅惑の【甘やかしお姉さんイリス】
第28話では、町中を巻き込んだステーキ大宴会が盛大に開かれ、飢餓に苦しんでいたベルンの人々が心からの笑顔を取り戻しました。
そして迎える第29話はシオンを抱きしめて膝枕でよしよしする変身したイリスと、それを見たフィオナの嫉妬大爆発をお届けいたします!
大宴会の狂騒が嘘のように、宿場町ベルンの朝は、清々しく澄み切った秋の光と共に明けた。
東の地平線から差し込む黄金色の朝焼けが、赤瓦の屋根と、掃除の行き届いた石畳の広場を柔らかく照らし出している。
町民たちは昨夜のステーキと焼きたてパンで腹を満たし、何週間ぶりかの深い安眠から目覚め、街中には穏やかな生活の足音が戻りつつあった。
そんな静かな早朝。自警団詰め所の厨房には、ひとり静かにエプロンを締め、調理台の前に立つシオンの姿があった。
「よし……昨夜、イリスと約束したからね」
シオンは穏やかに微笑み、目の前の調理台に並べられた極上の素材たちを見つめた。
町の牧場主から「恩返しに、一番搾りの最高のやつを使ってくれ!」と届けられた、朝一番の濃厚な搾りたて生乳。
養鶏場の店主が「うちで一番元気な赤鶏が夜明けに産んだ卵だよ」と持参してくれた、殻が分厚く黄身が真紅に盛り上がった新鮮卵。
そして――。
シオンが背負い袋から大切そうに取り出したのは、透明な硝子瓶の中で朝日に透けて琥珀色に輝く、あの古代地下迷宮の地底聖樹林で採取した奇跡の古代甘味料――『幻樹の糖蜜』だった。
「これだけの素材が揃えば、絶対に世界一のお菓子ができる」
シオンの左眼――『神授の聖眼』がスッと淡く発光する。
卵の濃厚なアミノ酸の比率、生乳の乳脂肪分の微細な球体、そしてアムリタ・シロップに凝縮された天界の清らかな神聖魔力の波動。それらすべてが、シオンの頭脳の中で完璧な調和の方程式として組み上がっていく。
まず取り掛かったのは、プリンの命とも呼ぶべきカラメルソースの仕込みだった。
手鍋に『幻樹の糖蜜』を惜しみなく注ぎ入れ、極めて微小な熱を加える。
通常、砂糖を焦がして作るカラメルは苦味と甘味のせめぎ合いだが、この神代のシロップは熱が入るにつれ、焦げ付くどころか、花々の蜜を何千層も濃縮したような、狂おしいほど甘美で芳醇な香気を放ち始めた。
フツフツと琥珀色の泡が立ち上り、適度なとろみがついた絶妙の瞬間に、数滴の清涼な水を加えて色止めをする。
ジュッ、と微かな音を立てて完成した琥珀色の液体を、陶器の小鉢の底へと手早く流し込んでいく。
ガラスのように艶めくカラメルの鏡が、冷めるにつれて底面に美しく張り付いた。
「次は、プリン液だ」
銅のボウルに、新鮮な赤卵の卵黄をたっぷりと割り落とす。白身は極力減らし、卵黄のコクを限界まで際立たせるのがシオンの流儀だ。
そこに、手鍋で沸騰直前まで温めた濃厚な生乳を、糸を引くように細く注ぎ入れながら、泡立て器で静かに、空気を巻き込まないよう滑らかに混ぜ合わせていく。
卵の濃厚な黄色と生乳の純白が溶け合い、淡いクリーム色の絹のような液体へと変わっていく。
シオンはここで、キメの細かい篩を取り出し、できたプリン液を三度も丁寧に裏ごしした。
微小な卵白の筋やダマを完全に除去することで、舌の上に乗せた瞬間に摩擦ゼロで溶け落ちる、至高の滑らかさが約束されるのだ。
「シオン……? あんた、こんな朝早くから何をしてるのよ」
厨房の扉が開き、少し眠たそうな目を擦りながらフィオナが入ってきた。
昨夜の宴の余韻か、少し乱れた金髪を手で整えながら、すんすんと鼻を鳴らす。
「な、何この匂い……! ものすっごく甘くて、お花畑みたいな香りがするじゃない……!」
「あ、フィオナさん、おはようございます。昨夜イリスに頼まれていた、デザートを作っていたんです。……ちょうど、これから焼き上げるところなんですよ」
「デザート……? あの子狐にそんな約束してたの?」
フィオナは呆れたように肩を竦めたが、調理台に並ぶ美しいクリーム色の器を見た途端、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせた。
「フィオナさん、少し手伝ってもらえませんか? このプリンは、直火で焼くと『す』が入って硬くなってしまいます。深めの鉄板にお湯を張り、微細な熱風で均一に蒸し焼きにしたいんです」
「ふ、ふん……! 首席の私に朝から下働きをさせる気? ……ま、美味しいものができるなら手伝ってあげなくもないけど!」
フィオナが黒壇の魔導杖を構え、天板に張られたお湯へ向けて精密な温風魔導『微風の熱渦』を注ぎ込む。
石窯の内部を一定の低温蒸気で満たし、じっくりと、静かに火を通していく。
シオンの丁寧な下ごしらえと、フィオナの天才的な魔力制御。
二人の阿吽の呼吸により、小鉢の中のプリン液は、気泡ひとつ生じることなく、奇跡のような柔らかさを保ったまま、ぷるんと固まっていった。
◇
焼き上がったプリンを、地下迷宮の霊水でキリリと氷温冷却すること一時間。
厨房の丸テーブルの上に、銀のスプーンと共に運ばれてきたのは――。
神々しいまでに黄金色に輝く、『至高のとろけるカスタードプリン』だった。
「わぁ……っ……!」
フィオナの口から、感嘆の息が零れ落ちた。
小鉢を軽く揺らすだけで、表面がフルフルと波打ち、今にも崩れそうなほどの柔らかさを主張している。
底から滲み出してきた琥珀色の糖蜜カラメルが、黄金色のプリンの周囲を縁取り、まるで宝石箱のような美しさを放っていた。
『きゅぅぅ〜〜ん♡』
甘い香りに飛び起きてきた子狐イリスが、テーブルの上へ身を乗り出し、前足を揃えて目をまん丸に輝かせている。
「お待たせ、イリス。フィオナさんも、召し上がってください」
シオンが二人にスプーンを差し出した。
「い、いただきます……」
フィオナは唾を飲み込み、銀のスプーンの先を、そっとプリンの表面へと当てた。
スッ――。
手応えが、ない。
まるで絹のカーテンを撫でたかのように、何の抵抗もなくスプーンがプリンの深部へと沈み込んでいく。
すくい上げた一切れは、銀の上でフルフルと愛らしく震え、たっぷりの琥珀色カラメルが艶やかに滴り落ちている。
フィオナは胸を高鳴らせながら、それを口の中へと運んだ。
ちゅるんっ。
「…………ッッ!?」
入れた瞬間、フィオナの思考が真っ白に弾け飛んだ。
「んんんんっっっ……!!??」
両手で両頬をぎゅっと押さえ、琥珀色の瞳からポロリと涙が零れ落ちる。
噛む必要など、最初から存在しなかった。
舌の温度に触れたコンマ一秒の後、プリンは固形であることをやめ、濃厚でクリーミーな極上の液体となって、口内全体へと雪崩のように広がったのだ。
新鮮な卵黄の、どこまでも深く濃密なコク。
生乳の滑らかな甘みと、鼻腔を優しく撫でる清らかな香り。
そして――それらすべてを包み込む、『幻樹の糖蜜』の圧倒的な力!
くどい甘さは微塵もない。舌の上でフッと爽やかに抜ける蜜の芳香と、カラメルの微かなほろ苦さが、卵の旨味を何倍にも増幅させている。
「な……何これぇぇぇっ……!!」
フィオナは顔を真っ赤にして、悶絶するようにテーブルに突っ伏した。
「プリンじゃない……! こんなの、飲む極楽よ……! 口に入れた瞬間に、全部とろけて消えちゃうのに……すっごく濃厚な余韻がずっと残って……あぁもう、ほっぺたが本当に落っこちちゃいそう……!!」
『きゅうぅぅっ! きゅぅぅぅーーんっ♪』
一方、小さな器からプリンをペロペロと頬張っていたイリスも、全身の毛を逆立てて大歓喜していた。
一口食べるごとに、ふさふさの白い尻尾がブオオオンッと竜巻のように回転する。
あまりの美味しさに瞳をトロンと蕩けさせ、器の底に残ったカラメルの最後の一滴まで、綺麗に平らげてしまった。
「ふふ、二人とも、そんなに喜んでくれて嬉しいよ」
シオンが満足そうに目を細め、自分の分のプリンを口に運ぼうとした――まさにその時だった。
ピカァァァァァァァァッッ!!
「きゃっ……!?」「うわっ!?」
突然、空になった器の前で、イリスの小さな身体が眩い純白と黄金の極光に包み込まれた。
第20話の迷宮の門前で見せた、あの神聖魔力のスパーク。
だが、今回の光は、あの時よりも遥かに温かく、巨大で、どこまでも包容力に満ちたオーラを放っていた。
(シオンは、いつも誰かのために傷ついてばかりだもん……)
(昨夜も、あんなに血を吐いて、怪我をして……なのに、誰にも甘えないで、ずっと笑ってみんなにご飯を作って……)
(シオンが甘えられないなら――わたしがお姉さんになって、全部包み込んで甘やかしてあげるっ!!)
光の繭の中で、シルエットがぐんぐんと美しく再構築されていく。
今度は、あの小さな妹の姿ではない。
すらりと伸びるしなやかな手足。
キュッと引き締まった華奢なウエストと、まあるく豊かなヒップライン。
そして何より――薄手のローブを押し上げるようにして豊かに実った、圧倒的な質量を誇る胸元!
シュバァァァァンッ……!と光の粒子が霧散した。
現れたのは――。
腰まで届く波打つような黄金色の長い髪。
頭の上でピコピコと優雅に揺れる、ふわふわの白い狐耳。
お尻からは、極上の毛並みを誇る大きなふさふさの純白尻尾。
肩を大胆に露出した、柔らかなオフショルダーの純白ニット風ローブに身を包んだ――信じられないほどの美貌とスタイルを誇る【絶世の包容力お姉さん】だった!
「……え?」
シオンはスプーンを持ったまま、呆然と固まった。
「ふふっ……♡ やっと、この姿になれたぁ♪」
お姉さんイリスは、とろけるような甘く優しい美声で微笑んだ。
その瞳は、慈愛と母性に満ち満ちた紫水晶。
イリスはしなやかな足取りでトコトコと歩み寄ると、椅子に座ったままフリーズしているシオンの正面へと立ち、躊躇うことなく両手を広げた。
ぎゅうぅぅぅぅぅぅぅぅ……っ♡
「――っっっ!?!?!?」
シオンの顔面が、柔らかく、温かく、信じられないほど甘い香りのする豊満な胸元へと、すっぽりと包み込まれた。
「シオンくん、よしよし……♡ ずぅっと、頑張ってきたもんねぇ。痛かったよね、辛かったよね……。もう我慢しなくていいんだよぉ?」
「ふ、ふがっ……!? イ、イリス……!? な、何を――っ!?」
シオンは全身の血が頭頂部へと逆流し、耳から湯気が噴き出すほど顔面を大沸騰させた。
顔を離そうともがくが、イリスの腕は驚くほど優しく、そして神獣の確かな力でシオンの頭をしっかりと抱きしめている。
しかも、イリスはそのままシオンの隣の椅子へと腰を下ろすと、シオンの身体をふわりと抱き上げ――。
トン……と、自分の柔らかな太ももの上へと、シオンの頭を優しく乗せた。
――ひ、膝枕ッッ!?!?
「よしよし、いい子、いい子……♡」
イリスは聖母のような満面の笑みを浮かべ、シオンの柔らかな黒髪を、指先で優しく、何度も何度も撫で回した。
太ももから伝わってくる、人肌よりも少し高めの温もりと、言葉にできない極上の柔らかさ。
見上げれば、自分を見下ろす眩しい美貌と、たゆんと零れ落ちそうな豊満な胸元。
「あ、あのっ! イリス、肩が出てますから上着を……! それに僕、十四歳ですから、こんなことされる筋合いは――っ!」
シオンは直立不動のように身体をガチガチに硬直させ、目を固く瞑って敬語で叫んだ。
どこまでも誠実でウブな少年の、必死の理性だった。
「だーめ♡ シオンくんは、いつも頑張りすぎなんだから。今日はいっぱい、イリスお姉ちゃんに甘えるの♡ ほら、力抜いてぇ〜?」
イリスはさらにシオンの頬をむにむにと撫で回し、極上のバブみで包み込んでいく。
厨房の空気が、完全にピンク色の桃源郷と化した――その刹那。
ガタァァァァァァァァァァァンッッッ!!!!
テーブルがひっくり返らんばかりの勢いで立ち上がった人影があった。
フィオナだった。
その手から銀のスプーンがカラリと落ち、少女の顔は、怒りと羞恥と驚愕で、髪の毛まで逆立ちそうなほど真っ赤に発火していた。
「な……ななな……ッッ!! なァァァにやってんのよ、あんたたちわぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
キィィィィィィィンッ!と、フィオナの魔導杖から青白いプラズマ放電がバチバチと火花を散らした。
フィオナは震える指先で、シオンを膝枕するイリスを指差す。
「な、何よその姿はぁぁぁっ! 誰よその豊満な身体はぁぁぁっ! 妹の次は、お姉さんになってシオンをたぶらかす気ぃぃぃっ!?」
しかも、フィオナの視線は、イリスの豊満すぎる胸元へと釘付けになっていた。
思わず自分の胸元へと視線を落とし、その絶望的な差に気づいた瞬間、フィオナの瞳に屈辱の涙がじわりと滲む。
「うぐっ……! な、何よそれ……! 反則よ、あんなの完全に反則じゃないのよバカぁぁぁっ!!」
「あらぁ? フィオナちゃん、そんなに怒っちゃダメだよぉ?」
イリスはおっとりと首を傾げ、悪気など微塵もない天使のような笑顔で言った。
「シオンくん、すっごく疲れてたんだよ? フィオナちゃんも、一緒に甘える? イリスお姉ちゃん、お膝もう片方空いてるよぉ♡」
「誰がお前の膝になんか乗るかぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
フィオナの絶叫が、朝の詰め所を粉々に震わせた。
「離れなさいバカ狐ーーッ! シオンも、いつまでデレデレと頭乗っけてんのよバカシオン! 私の……私のシオンから離れなさぁぁぁぁぁいッッ!!」
「えっ、わ、僕のせい!? フィオナさん、痛い、引っ張らないでくださいぃぃっ!」
シオンの腕を引っ張って引き剥がそうとするフィオナと、「シオンくんはイリスが癒やすの〜♡」とぎゅっと抱きしめ返すイリス。
二人の美少女に挟まれ、シオンの悲鳴とフィオナの怒号が響き渡る。
「……おーいシオン、朝飯のパンの匂いが――って、うおっ!?」
朝の見回りを終えて厨房のドアを開けたカルロスが、シオンを巡る修羅場と、謎の絶世の美女を目撃し、目玉を飛び出させて硬直した。
「……す、すまねぇ、邪魔したな!」
バタンッ!と音を立ててドアが閉められる。
「カルロスさん待って! 誤解です、助けてくださぁぁぁいッ!!」
シオンの悲痛な叫び声が、ベルンの青空へと高く木霊していった。
悪夢を乗り越えた宿場町に、最高に騒がしく、最高に温かな朝の光が満ちていた。
第29話を最後までお読みいただきありがとうございました!
次回、第30話で、いよいよ宿場町ベルン編(第2章)が堂々完結を迎えます!
新天地・第3章(追放聖女ルミアが待つ巡礼の古都)への希望の旅立ちをどうぞお楽しみに!




