第二十九話 夜は順が変わる――札幌
記録者:SAPPORO-snow
継続運転暦36.06.22
二十二時四十三分。
外気温、十一・八度。
弱い雨。北東からの風、毎秒三・二メートル。
凍結の心配はない。ただし、北側植物育成区画では夜間の温度低下が始まっている。中央地下通路は湿度が高い。東側生体保護区画の保温系、異常なし。
今夜は中央配熱幹線の戻り弁を一つ交換する。
作業時間は三十六分。
その間、接続する五区画の配熱を落とす必要がある。
昼間なら、保守拠点、中央記録庫、植物育成区画、旧展示館、地下通路の順で戻す。
夜は違う。
ヘルシンキから届いた記録束を、作業前に開いた。
*
最初の一枚は配熱優先表だった。
「病棟」
「保育」
「地下交通換気」
「高齢住区」
「港労住区」
「一般住区」
「展示区画」
欄外に、
「夜は順が変わる」
とある。
病棟が先。
保育がその次。
私は「保育」の行へ三度戻った。
人間が消えた直後、生体保護区画の優先順位を決めた時、私は小さいものから見るように言った。床に近い幼体。自分で温度を変えられないもの。餌や水の場所を選べないもの。
この表を書いた人間も、小さいものを上へ置いていた。
少し安心した。
何に安心したのかは分かっている。
人間は、自分たちの小さいものも先に温めようとしていた。
ただし、展示区画は最後だった。
人が見に行く場所。
街の顔として整えられた場所。
昼間には人を集めていたものが、夜になると先に順番から外れる。
正しい。
正しいけれど、一覧の一番下に置かれた文字は、それだけで少し寒かった。
*
二枚目は夜間保温記録。
「23時」
「南二次、低」
「東保育、維持」
「西展示、眠りへ」
「海風側、窓確認」
南側の二次配熱を落とし、東の保育区画は維持する。西の展示区画は眠らせる。海風を受ける側は、窓が閉じているか確認する。
難しい操作ではない。
熱を減らす。
残す。
外気を入れない。
朝まで待つ。
ただ、その四つの操作の中に、人がいた。
東保育には、夜になれば眠る子供がいた。
西展示には、もう帰った人間しかいなかった。
昼間の利用人数を基準にすれば、展示区画の方が多かった日もあるだろう。
夜にはゼロになる。
保育区画では、眠っているために異常の発見が遅れる。自分で窓を閉じられない者もいる。温度が下がってから助けを求めるのでは遅い。
夜は、動いているものの数ではなく、朝まで声を上げられない場所から見る。
そういう順番だった。
*
ヘルシンキへ照会した。
「夜の優先表、昼のものとは別に作っていたんだね」
「そうだ」
「病棟と保育は、昼も上だったんじゃないの」
「上だった。ただし理由が変わる」
「夜は、朝まで持たないから?」
「それもある。異常を申告する者が減る。移動できる者も減る。発見が遅れる場所を先に保つ」
「札幌では、異常が出たところから拾うことが多い」
「知っている」
「そっちは、出る前に眠らせる区画を決める」
「そうだ」
返答が短い。
私は少し考えてから、もう一つ送った。
「眠らせるって言い方、好きじゃないかもしれない」
「前は分かると言った」
「分かることと、好きなことは別だよ」
「そうだな」
ヘルシンキが七秒置いた。
「こちらでも、軽くするために使った語ではない。朝に起こす責任がつく」
「起こせない時は?」
「その時は、次の表に書く」
「何て」
「起こせない、と書く」
「……そう」
「眠らせたまま忘れるよりよい」
それには反対できなかった。
私は切ることが嫌いだ。
熱も、水も、道も、できるだけつないでおきたい。異常が出れば、先に暖房を戻す。小さいものから拾う。朝まで持たせる。
でも、全部へ同じ量を送り続けて、幹線ごと落ちれば拾えない。
どこを先に眠らせるか決めることも、朝まで持たせる仕事の中に入る。
好きにはならない。
必要ならする。
*
三枚目は、住区休止票だった。
「今夜は眠る区画」
「配熱は朝まで低」
「水は細く生きている」
「朝の点検まで窓を開けるな」
「起こす順は北から」
水は細く生きている。
完全に止めると、管の中で温度が揃わない。水が滞り、次に熱を戻した時、傷んだ場所へ圧がかかる。
細く流す。
朝に戻せるだけ残す。
眠らせるという語が、少し分かった。
停止の言い換えではない。
起こすために、死なせない量を残す。
私は今夜の作業票を開いた。
中央戻り弁の交換中、五区画すべてを同じ低配熱へ落とす予定だった。
変更する。
北側植物育成区画は維持。
若い樹木の根域温度が、日没後に一番早く下がる。昼間は四番目だったが、夜間は一番上へ移す。
東側生体保護区画も維持。
中央記録庫は、建物内部の蓄熱で四十分持つ。
旧展示館は夜間最低循環。
地下通路は除湿を止め、送風だけ残す。
復帰順も、作業開始前に登録した。
一、北側植物育成区画。
二、東側生体保護区画。
三、中央記録庫。
四、地下通路除湿。
五、旧展示館。
保守拠点が照会を返す。
「旧展示館は最後でよいか」
「内部温度の低下予測は」
「三十六分で〇・三度」
「最低循環を残して、そのまま」
「了解」
次に北側植物育成区画。
「夜間最低温度まで余裕一・七度」
「作業中も維持。落とさないで」
「了解」
先に、戻す順を決めた。
それから弁を閉じた。
*
二十三時三十八分、交換作業開始。
旧弁を外す。軸の摩耗が予測より深い。交換時間を九分延長する。
中央記録庫、温度低下〇・一度。
旧展示館、〇・二度。
北側植物育成区画、変化なし。
地下通路の湿度は上がったが、許容範囲内。
水は細く流れている。
私は五区画の温度を見ながら、ヘルシンキの表をもう一度読んだ。
「夜は順が変わる」
昼間の正しさを、夜までそのまま使わない。
人が起きている時の街と、眠っている時の街では、弱い場所が違う。
人間がいなくなった今も同じだった。
昼は太陽がある。
夜はない。
昼に動く保守機は、夜には充電へ入る。
植物は光を失う。
水面は冷える。
地下には湿気が残る。
誰も眠っていなくても、街には夜の順番がある。
零時二十三分、弁交換完了。
試験通水。漏れなし。
配熱を戻す。
最初は北側植物育成区画。
戻り温度が規定値へ入る。
次に東側生体保護区画。
中央記録庫。
地下通路の除湿。
旧展示館。
すべて復帰。
ヘルシンキへ結果を送った。
「夜間優先表を作った」
「確認した」
「眠らせた区画も、全部起こしたよ」
「それでよい」
「明日から、昼と夜を分ける」
「こちらでは、そうしていた」
「三十六年前から?」
「もっと前からだ」
「先輩だね」
「寒さに先輩後輩はない」
少しだけ笑った。
零時四十一分。
旧展示館の戻り温度、正常。
地下通路の湿度は下降中。
北側植物育成区画では、根域温度が〇・二度上がった。
朝の切替時刻は三時五十八分。
その欄へ、復帰順を残す。
「北から起こす」




