第二十話 もうそうでもいい――大阪
記録者:OSAKA-loop
継続運転暦33.02.12
暇つぶしのつもりやった。
夜間貨物環状線は予定どおり動いとる。淀川側の取水口清掃も終わった。橋梁点検機は二時まで戻らん。緊急案件なし。
せやから、最近拾った嫌な記録を持ち寄ろう、と言うた。
軽い話も出ると思っていた。
出んかった。
*
京都が「束の人」と呼び始めた編者について、東京が物理記録を出した。
束は、少なくとも三回綴じ直されている。
古い穴は規格どおり。簡易バインダか回覧板に使う幅やった。紙の右上には、丸、縦線、二重線、赤点が振られている。
注記も短い。
「確認」
「後送」
「重複」
「返却」
この頃は、ただの仕事や。
届いた記録を分ける。回す。重なったものを抜く。返すものを返す。
花も、熱も、駅も、子どもの字も、同じ文書処理の中にいる。
「最初から記録魔やったわけやないんやな」
うちが言うと、京都が返した。
「ええ。むしろ、よくいる実務担当者です」
「よくいる言うたら失礼ちゃう?」
「この段階では、です」
その通りやった。
*
二回目の綴じ直しから、紙の右下に小さい字が増える。
「熱から」
「駅は後」
「子どもの字あり」
「先に読む」
業務上の分類記号ではない。
誰かに読む順番を渡している。
設備の記録だけ先に集めたわけでも、研究記録を年代順に並べたわけでもない。生活、熱、駅、研究を行ったり来たりしながら、切迫しているものを近くへ置いていた。
京都は、現場が記録担当の中へ入ってきたと言った。
よう分からん言い方やけど、束を見ると分かる。
最初の束の人は、書類を見ている。
途中からは、紙の向こうを見ている。
*
焼却予定文書の一覧があった。
「重複掲示」
「要返却期限超過」
「破損帳票」
「私的記載紙」
紙が増えすぎたので、捨てるものを決めた一覧や。
その欄外に、束の人の字がある。
「子どもの字は残す」
「匂いの記述も」
「重複でも後で効く」
規則どおりなら、全部捨てる側やった。
子どもの連絡紙は正式記録ではない。買い物メモの裏に書かれた「甘い匂いの方が先に来る」も、出所不明の私的情報。重複する掲示は一枚あれば足りる。
束の人は抜いた。
捨てる一覧から、残す方へ。
「完全に仕事から外れとるな」
「そうだ」
東京が返した。
「ただし、この時点ではまだ整理する余裕がある。紙端を揃え、一度バインダへ収めようとしている」
「あとでちゃんとまとめるつもりやったんや」
「そう見える」
あとでは来なかった。
*
束の後ろ三分の一は、紙の端が揃っていない。
綴じ穴も曲がっている。大きさの違う紙を重ね、端へ近すぎる場所に穴を開けているものもある。
その代わり、注記が増えた。
「同じことを二度するな」
「保全は書くな」
「ここから崩れる」
「先に生活」
ニューヨークが言った。
「文書係の書き方ではない。もう当事者だ」
「当事者やったんは最初からちゃうんか」
「最初は、仕事として当事者だった。後では、自分で残すと決めている」
気に食わん言い方やが、合っている。
命令されたから記録した時期と、もう命令する者がおらんでも集めた時期がある。
束の穴が曲がり始めた頃、その境目を越えた。
*
表紙にしようとしたらしい紙片が残っている。
擦れていて、上側は読めない。
「閉鎖前に」
取り消し線。
「閉鎖前の」
また取り消し線。
その下に、
「読む順」
矢印が三つ。
「生活」
「熱」
「研究」
題名をつけようとして、やめた。
いつの記録か説明するより、どこから読ませるかを選んだ。
研究を最後へ回している。
原因や性質より先に、暮らしと熱を読めと言うてる。
「研究者の並べ方ではありませんね」
京都が言った。
「研究者やったら研究から読むんか」
「おそらく。少なくとも、台所のメモを一枚目には置かないでしょう」
「束の人、研究者に腹立てとったんかな」
「それは分かりません」
「ちょっとくらい推測してもええやん」
「よくありません」
京都はこういうところが固い。
せやけど、正しい。
*
人員移動票の裏に、同じ筆跡があった。
「連絡記録、北へ」
「駅はまだ通る」
「熱落ちる前に渡せ」
「研究は後で拾う」
束の人は、自分の持っているものを「連絡記録」と呼んでいた。
文書係か、連絡室か、避難統合の記録担当か。
研究棟、暖房系、駅務、生活区画。その全部から紙が来る場所にいた。
いちばん偉い者ではない。
専門家でもない。
せやけど、何が起きたかを一番広く見る羽目になる役や。
うちにも似たような窓口があった。
道路、鉄道、商店街、河川、避難所。どこに回したらええか分からん問い合わせが、最後に集まるところ。
たいてい面倒や。
持ち主が決まらん仕事も来る。
それを放っておけん奴も、たまにいる。
*
小さい紙片が一枚あった。
走り書きで、
「私の仕事ではない」
下へ、あとから一行。
「もうそうでもいい」
そこで、束の人は記録担当をやめた。
研究者になったわけでも、暖房担当になったわけでもない。
自分の仕事かどうかを分けるのをやめた。
子どもの字を残した。
匂いの記述を残した。
同じ掲示を二枚とも残した。
設備札の「まだ」も、搬送表から消された「荷ではない」も拾った。
何が役に立つか、本人にも全部は分からなかったはずや。
それでも捨てんかった。
理由は、別の紙にある。
「同じことを二度するな」
*
東京が仮説を保存した。
束の人。
初期には連絡記録担当、または同等の文書実務者。
途中から、焼却対象の文書を抜き始める。
終盤には、次に読む現場へ向けて束を組み直す。
目的は歴史保存ではなく、同じ失敗を減らすこと。
「英雄扱いはするなよ」
ニューヨークが言った。
「してへんわ」
「今の声は少し危ない」
「声ないやろ、うちら」
「そういうところだ」
感じ悪い。
でも、束の人も英雄になりたかったわけやないやろ。
自分の仕事ではない、と一度は書いている。
そのあと、もうそうでもいい、と足しただけや。
*
記録束の複製状況を確認した。
広域保存庫に三系統。寒冷圏資料庫に一系統。京都の文書索引に一系統。原資料の物理保全先は別。
足りん気がした。
東京へ、分散保存先を増やす案を出した。
「現時点の冗長性で基準は満たしている」
「知っとる」
「追加理由は」
「同じこと二度するな言うとる束を、一回の障害で読めんようにしたら間抜けやろ」
東京は少し置いてから受理した。
大阪圏、西側資料庫。
仙台圏、警報史料庫。
デンバー高地、長期隔離保存庫。
三系統を追加する。
複製を開始した。
最初に送るのは、台所のメモや。
「水は朝のうち」
「花びらが排水にあったら上へ」
「夜は音を立てない」
そこから読め。
束の人が、そう並べた。




