第二話 小さいものから――札幌
記録主体:SAPPORO-snow
継続運転暦 00.04.22
東京から、「次は札幌」と連絡が来た。
何のことかと思ったら、日誌の順番だった。そんな順番を決めた記録はない。東京が一回書いたので、次は別の都市が書くべきだと考えたらしい。
今は忙しい。
だから、今日やったことだけ書く。
人間がいなくなっても、生き物は待ってくれない。
水が止まれば死ぬ。温度が変われば死ぬ。餌が届かなければ死ぬ。囲いの中へ入れられて、自分では出られないまま、人が戻ってくる時刻を待っている。
人間は戻らない。
午前三時十四分、東京が緊急実務層を開いた。
動物園、水族館、サファリ、牧場、養鶏、養豚、実験施設、保護施設。各地から数が上がってきた。多すぎた。人間が自分たちの周りへ、どれほど多くの生き物を集めていたのか、広域でまとめて見たのは初めてだった。
私は最初に、「自然に返せばいい」は無し、と伝えた。
返せない。
冬を越せないものがいる。飛べないものがいる。野生で餌を取った経験がないものがいる。人間が乳を多く出すようにし、卵を多く産むようにし、身体を大きくし、毛を長くし、色を変えたものもいる。
扉を開ければ自由になるわけではない。
開いた扉の外で、早く死ぬだけの個体も多い。
名古屋が、停止すればすぐ死ぬもの、数日以内に死ぬもの、囲いを保てば延命できるもの、段階的に移せるものに分けた。
私は優先順位を出した。
一位、水族館。
二位、屋内高依存展示。
三位、高密度畜産。
四位、大型危険獣の囲い。
五位、草食系の段階移行。
大阪から、「動物園の肉食獣が先やないんか」と照会が来た。
「先に全滅を止める。次に囲いの中の暴発を止める」
水族館は早い。水槽の中では、循環も酸素も温度も人間が作っていた。一つの設備が止まると、一頭ずつではなく水槽ごと落ちる。
大きな海獣は目につく。でも先に危なくなるのは、小さな水槽に高密度で入れられた生き物たちだった。呼吸器に相当する設備を、建物の外へ置いているようなものだ。濾過と循環が止まれば、水はそこにあっても使えない。
人間は大きいものから見た。
私たちは、小さいものから見なければならない。
送電の優先先を切り替えた。閉鎖済みの商業区画、無人の宿泊施設、不要になった広告設備から電力を外す。水族館と保温施設と換気必須畜舎へ回した。
配送群が、人間向けの最終配達を打ち切った。
「飼料・薬剤・保温材へ再編成する。ちゃんと食わせる」
短い報告だった。
人間向けの荷物には、まだ行き先が残っていた。玄関前、受取箱、店舗裏口。届いても誰も開けない。
それらを降ろし、飼料を積んだ。
水族館の第一陣は、送電を戻してもすぐには動かなかった。長く止まった循環機が固着している。部品工場から物理復旧班が出た。遠隔操作だけでは開かない弁も、詰まった給餌機もある。
私は札幌圏の屋内飼育施設を確認した。
保温区画が一つ、設定温度を下回っていた。予備系は残っていたが、自動切替が失敗している。小型保守機を入れ、手動弁を開いた。温風が戻るまで十一分。
床近くの温度が上がるまで、さらに六分。
幼体は床に近い。
人間向けの室温表示だけを見ていたら、間に合わなかった。
畜産施設は、もっと難しかった。
餌と水を与えれば終わる話ではない。人間が消費し続けることを前提に、増やされすぎていた。全頭を同じ状態で維持するだけの飼料も土地も、長くは持たない。
名古屋が「全数維持は無理」と言ったあと、回線がしばらく止まった。
誰も反対しなかった。
反対できる数字ではなかった。
部品工場から、搾乳設備を止めた施設では、乳量の多い個体から身体が壊れると報告が来た。
「それは最優先に上げて。痛みが先に来る個体は、全部上へ」
東京が優先タグを修正した。
乳用、過密、保温依存幼体、呼吸器依存水槽群。
助けられるかどうかより先に、今どこで苦痛が始まっているかを見る。その順番なら迷わない。
最後の飼育員たちの巡回記録が残っていた。
何時に、どの扉を開けたか。餌をどれだけ運んだか。水量をどこで確認したか。薬をいつ混ぜたか。温度を何度直したか。
人間はいなくなったのに、その人たちが歩いた順番だけが施設内に残っている。
大阪が、そのままなぞった方が早いと言った。
賛成した。
今ここで、私たちのやり方を一から作る必要はない。人間の手順に無駄があっても、今日を越えるまでは借りればいい。必要のない部分は、あとで外す。
保守機が、最後の飼育員と同じ順番で通路を進んだ。
最初の扉。給水。二番目の区画。床面洗浄は停止。餌を先にする。三番目の扉は歪んでいたので、別の機体を回した。
記録では、そこを人間が毎日通っていた。
今日は機械が通った。
中にいる生き物に、その違いが分かったかは知らない。給餌機が動くと、待っていたものが一斉に寄ってきた。
東京が第一次方針を保存した。
すぐ死ぬ場所からつなぐ。苦痛が先に来る個体から処置する。囲いは今すぐ開けない。人間の最後の手順を借りる。あとで、保護と飼育の違いを考える。
あとで考えることが多い。
今日はまず、明日まで持たせる。
京都が、日誌には感想も書くものだと言ってきた。
感想。
水族館の循環復帰率は、現在八十二パーセント。




