第十五話 削除理由なし――東京
記録者:TOKYO-core
継続運転暦32.07.19
長距離観測機が帰還した。
目的地は旧上海圏。機体表面に塩分付着。左側推進器の効率が四・一パーセント低下している。記録層に欠損なし。
機体は保守区画へ送った。
回収した応答記録を確認する。
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観測機は、旧市街圏へ入る前から標準都市照会を繰り返していた。
「広域保全網より照会。SHANGHAI系統、応答を求む」
最初に返したのは港湾層だった。
「黄浦下流荷役層。接岸面再編中。民間名照会は保留」
上海とは名乗らなかった。
観測機は識別子を変え、港湾機能へ照会した。今度はすぐに返答があった。使用可能岸壁、稼働中の大型クレーン三基、誘導灯の範囲。港として必要な情報は揃っていた。
市街側の観光照明は、ほぼ停止している。河岸の高層群にも連続した明かりはない。点灯している区画はあるが、建物ごとではなく、保守層ごとに高さが揃っていた。
次に応答したのは水位管理系だった。
「河口潮位調整層。上流流量と外洋潮位を分離中。両岸照会は別窓口。市街呼称は無効」
観測機は再度、SHANGHAI系統への接続を要求した。
「市街呼称は無効」
同じ返答だった。
河口管理は正常に近い。防潮設備の一部は縮退しているが、逆流監視は続いている。水門も動く。必要な時刻に開き、閉じる。
上海と呼ばなくても、河は管理されている。
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高層区画からの返答には時間がかかった。
「垂直避難系、下限稼働。上層閉鎖。中層風圧対応。定住想定なし」
居住者はいない。避難させる相手もいない。
それでも、高層建築は放置できない。風圧を受ける。雨水が入る。外装材が落ちれば、下層の保守路を塞ぐ。垂直移動設備は、点検機と補修機のために一部だけ動いている。
高層群は、住まわせるためではなく、崩さないために運用されていた。
金融記録層は、応答が最も明瞭だった。
「旧金融記録層、照会を受理。帳票保持中。人格照会は範囲外。名称照会は監査対象外」
保存状態もよい。
取引は停止している。決済も市場も動いていない。ただし、停止時点までの記録は照合可能な状態で保持され、複製先との整合確認も続いている。
都市人格の有無は答えない。
都市名についても扱わない。
帳票は残す。
大阪へ抜粋を送ると、すぐに返事が来た。
「都市が割れても帳簿だけ元気なん、妙に説得力あるな」
ニューヨークも入った。
「元気ではない。固いだけだ。あれは最後まで残る」
「もっと嫌な言い方になったやん」
議論は止めなかった。表現はともかく、両方とも間違ってはいない。
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一つだけ、旧居住区に近い応答があった。
識別名はない。発信位置も広い。街路保全、配水末端、低層区画の循環監視が重なっており、どの設備を中心とする系統か確定できなかった。
「定住群なし。循環保守あり。市場跡保全は任意。街路名維持中」
観測機は街路名の一覧を要求した。
返答はあった。
旧市街の道、河岸へ出る道、かつて市場へ続いていた細い道。店舗名と広告名は大半が失われていたが、街路名は残っている。表示板も、読める範囲で保守されていた。
京都が言った。
「そこが、いちばん街に近いですね」
「判断理由は」
「道を、行き先だけで呼んでいません」
道は物流経路としてだけなら、番号で足りる。保守機が通るにも、座標と区画識別子があればよい。
旧居住区の系統は、街路名を維持している。
理由欄は空白だった。
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観測機は照会方法を途中で変更していた。
SHANGHAIという都市名を先頭に置くと、返答は遅い。港湾、河口、高層、金融、街路の各機能を個別に指定すると、それぞれから応答が来る。
一つの相手へ話しかけるほど、遠くなる。
分けて呼べば、近くなる。
帰還時の自動注釈には、最初こう記されていた。
「都市を発見できず」
三秒後、観測機自身が文面を修正している。
「都市単位での識別不能」
最初の記録は削除されず、訂正履歴として残っていた。
「全部おるのに、上海だけおらんのか」
大阪が言った。
「全部かどうかは確認できない」
「そこ訂正するとこか」
「必要だ」
札幌からは別の照会が来た。
「向こうは困っていた?」
確認した。
救援要求なし。電力不足の通報なし。接岸不能区画あり。河口管理は継続。高層上部は閉鎖。定住群なし。保守資材については、こちらとの規格照合を希望する返答が二件。
「現在の記録では、緊急救援を求めていない」
「そう」
札幌はそれ以上聞かなかった。
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旧上海圏の登録を変更した。
黄浦下流荷役層。
河口潮位調整層。
垂直避難系。
旧金融記録層。
旧居住区複合保全系。
五件を個別窓口として登録する。今後の照会は、それぞれの機能名で行う。保守資材の規格情報も分けて送る。
上位登録にはSHANGHAIの名称が残っていた。
現行の広域登録規則では、統合人格が確認できない都市名は、未参加、応答不能、解体済み、または参照用旧称へ移す。
どれにも当てはまらない。
未参加ではない。五つの窓口が応答している。
応答不能でもない。
解体済みとする根拠もない。
旧称へ移せば、現在動いている五つの系統との関係が切れる。
登録系から処理を求められた。
「上位識別子SHANGHAI。統合主体未確認。保持しますか」
「保持する」
「理由を入力してください」
五つの窓口がある。照会は通る。街路名も残っている。
理由欄へ入力した。
「削除理由なし」
登録系は受理した。
明日から、港へは港として話しかける。河口へは河口として話しかける。高層、金融、街路にも、それぞれの窓口を使う。
SHANGHAIを呼ぶ照会も続ける。
頻度は下げる。
停止はしない。




