あなたの名を
翌日。
領主が、アリアの部屋を訪ねてきた。
アリアは大館の一室をずっと借りていることに礼を言う。
領主もまた、ハイアランゼを救ってくれたアリアに深い感謝を伝えた。
「城壁の修復はすぐに済むと思います。聖女さまがヴェムネルを追い払ってくれたおかげです」
「ですが……」
「もちろん、犠牲になった者はいます。しかしその数は非常に少なかった。お気を病まれることはないのです」
領主の言葉が、アリアの贖罪の意思を拒む。
アリアは再び口を開こうとしたが、察した領主が首を横に振った。
慰めようとして、そうするのだろう。
それがかえって、アリアの胸を押しつぶした。
領主が部屋を出て行くと、アリアは目立たない服装に着替えた。
エリーたちとは出会わないように、そっと大館を抜け出す。
屋敷を出ると、アリアは被害の出た城壁に向かって歩いていった。
(……みんな、普通に生活しているわ)
道中、すれ違う街の人々の姿にアリアは驚いた。
この街に初めてきた時と同様、人々には活気が宿っている。
まるで、ヴェムネルの襲撃など無かったように。
城壁に辿り着くと、アリアに気付いた衛兵たちが駆け寄ってきた。
名前こそ知らないが、あの日、共に戦った顔ぶれだ。
アリアが深く頭を下げると、彼らは声をあげて驚き、膝を突いて礼を捧げた。
「アリアさま、お身体の方はもう宜しいので?」
「ありがとうございます。私は見ての通りです」
「それは良かった。皆、心配していたので」
衛兵たちがにかりと笑う。
アリアも笑顔で返し、再び頭を下げた。
「城壁の上へ行っても?」
アリアが言うと、衛兵たちの笑顔が曇る。
次いで、アリアの前に壁を作るようにして並んだ。
「アリアさま、まだ崩れているところがあるんです。危ないので、どうかここで」
「橋板の上に立つような女ですよ。何も危ないことはありません」
「いいえ、アリアさま。どうか」
衛兵たちが首を横に振る。
しかしアリアは、「どうしても」と伝えて、押し通った。
城壁の上に登ると、衛兵たちがアリアを押しとどめようとした理由が、わかった。
焼け爛れた、壁。
そこに滲みている、血の跡。
遺体こそもう無いが、どこで人が亡くなったのか、はっきりとわかる。
(……犠牲になった人の、数……)
少なかったとか、そういうことではない。
彼らは、数字で一括りにしていい存在なんかじゃない。
ひとりひとり、名前があって、生きていた。
あの瞬間まで。
(……なのに私、この人の名前を知らない……)
アリアは膝を折り、血の跡に触れる。
すでに乾いたそれは、強引に過去へ追いやられ、蓋をしたようだった。
蓋を開け、この血の下を掘り返せば、まだそこにいるのではないか。
そう思うと、涙が溢れ出そうになる。
「……名前、教えていただけますか……皆さんの」
「名前、ですか?」
「ええ、名前……ここで亡くなった方の名前も」
知っておきたい。
覚えておきたい。
彼らのことを知らずに、どうしてこの先、進んでいけるだろうか。
「……もちろんです、アリアさま。ちなみに自分の名前はマルコ――」
「おおい、なに一番に名乗ろうとしてやがんだ、ずっけぇぞ!」
「アリアさま! 俺はベルナっていいます!」
「ワシが先だ、ワシは――」
衛兵たちが我先にと名乗りだす。
皆、アリアに自分の名を覚えていてほしいと願っていた。
命を懸けて街を守った自分たちの存在が、決して無意味ではないと。
たしかにここで共に戦った仲間のために、想いを声に乗せていた。
アリアはその想いをひとつひとつ受け止め、深く頷くのだった。
その後アリアは、衛兵たちに誘われて昼食を共にした。
食事の最中、亡くなった者たちの思い出話があがる。
しかしその話から逃れようとする者は、ひとりもいなかった。
アリアは息苦しさを覚えたが、ぐっと堪え、時折上がる笑い話に笑顔を添えた。
「アリアさん、ここにいたのですね」
衛兵たちと話している最中、不意にネフェリの声。
振り返ると、ネフェリとグランが立っていた。
「エリーさんが探していましたわ」
「ごめんなさい。ネフェリとグランさんも探しに来てくれたのですか」
「ええ。でも、もう、心配はいらないようですわね」
ネフェリが、アリアの周りにいる衛兵たちの明るい表情を見て頷く。
アリアも彼らと目を合わせて、小さく頷く。
曇った気持ちが、すっかり晴れたわけではない。
でも彼らのおかげで少し息がしやすくなったと、アリアは衛兵たちに深い感謝を伝えた。
「明日、ユーリさまが改めて結界の更新をなさるそうですわ」
大館へ戻る道すがら、ネフェリが空を見上げながら言った。
ヴェムネルとの戦いのあと、破られた結界は応急処置のみで、完全に修復されていない。
波打つ結界の光は美しいが、なぜ不安を残していたのだろうと不思議には思っていた。
「昨夜からずっと、地下に籠っておられたようですわ」
「ペトロトリのところで、ですか?」
「ええ。魔女に結界を壊されたことをとても悔いていらっしゃって。それでさらに強力な結界を作れないかと模索されているようです」
「できるのですか。そんなことが」
「なにか思い当たることがあったようですわ。と言っても、ペトロトリのなにを見ているのか、わたくしにはわからないのですけどね」
ネフェリが苦笑いする。
やはりネフェリにも、ペトロトリの文字らしきなにかを見ることはできないらしい。
知的好奇心の強い彼女にとって、それは非常に残念なことのようだ。
深いため息をこぼすネフェリを、グランが短い言葉で励ます。
その寡黙な励ましが妙に微笑ましいと、アリアは目を細めた。




