燦珠、青い眼差しに会う①
第二部で挟む余裕がなかったのですが、「霜烈の側仕えは、西域から献上された銀髪青眼の少年宦官。なぜなら、外国出身だと栄和国の歴史を知らず、身バレしづらそうだから&西域に嫁いだ桂霄を偲んだから」という設定がずっと頭の中にあったので今出しました。
第二部開始前、霜烈が鐘鼓司太監を拝命したころのエピソードです。全2話。
霜烈が鐘鼓司太監を拝命したのを受けて、燦珠は主の香雪に祝いの品を託された。
といっても、絹や茶といった品々を実際に運ぶのは宦官で、燦珠が預かるのは目録だけだ。別に彼女でなくても良いのだろうけれど、知った顔から渡すほうが嬉しいだろう、と香雪は考えたらしい。
燦珠としても、お祝いを述べる機会は何度あっても良いと思ったし、霜烈の新しい住まいを訪ねておきたくもあったので願ってもない配慮だった。
(だって、何かの時に行かなきゃいけないこともあるかもだし)
うっかり目を離したらどこかへ行ってしまうんじゃないか、という心配はもうしないけれど、秘華園の戯子としては、責任者の常の居場所は知っておきたい。あと、純粋に後宮の色々な場所を見てみたかったのだ。
(太監ともなると、後宮の殿舎に住んで良いんだって……!)
皇帝に特に重用された宦官は、皇宮の外に壮麗な邸宅を賜ることもあるのだとか。今上の皇帝の、霜烈への配慮のほどを見ていると、彼もいずれ同じ名誉に浴することも十分あり得るかもしれない。
でも、さしあたっての彼の住まいは後宮の奥まった殿舎の一角だった。妃嬪がいない殿舎を、あるていど地位のある宦官とその側仕えが分け合う形になっているらしい。
後宮に寝起きするようになって数か月、秘華園のほかに知る場所はまだ多くないし、戯子以外の者たちがどんな暮らしをしているかもよく分からない。
知らない人たちの生活の場を訪ねるのは、よその戯班の舞台裏を覗かせてもらうようなものであって。きっと楽しいことだろうと思ったのだ。
そうして燦珠が訪ねたその殿舎は、確かに見ごたえのある装飾がほどこされていた。歴代の主人の趣味を反映したのか、喜雨殿や渾天宮とは異なる意匠に目を凝らして故事や古詩を紐解くのはきっと楽しく眼福であったはず。
けれど、何よりも彼女を出迎えた年若い宦官に、燦珠の目は釘付けになった。
「謝貴妃様からの贈り物、デスか。ありがとうございマす」
「……はい。我が主は、楊太監のご栄達を心からお慶びです」
殿舎の外門を入ったところの中庭、倒座院にて、型どおりのやり取りを交わしながら。燦珠は目と耳に全神経を集中させて相手の情報を探った。
纏う黒衣は、最初に会った時の霜烈の出で立ちと似ている。動きやすく汚れが目立たぬように、という意図なのだと後から知った。後宮にいれば、黒衣の宦官が立ち働くのをあちこちで目にするものだ。
でも、目の前の少年──青年ですらない、燦珠とそう変わらない年ごろと見えた──を見たことはないはずだ。一度でも視界に入っていれば、忘れられるはずがない。
結って冠に纏めた髪は、新雪のような銀色。とはいえ老いて色褪せたのではなく、艶やかさといいしなやかさといい、生まれつきの色だということが見て取れる。
そして、燦珠を見つめる目の色は、青。よく晴れた空のような、澄んだ水のような。たまに茶や褐色を帯びた濃淡があるとはいえ、ほとんどすべての民が一様に黒い髪と目を持つ栄和の国においてはあり得ない組み合わせだ。
(異国の人も宦官になるんだ……!)
朝貢の使節が皇宮を目指すのは、燦珠も見たことがある。けれど、遠目では彼らの目の色まで区別はつかなかった。宝玉を眼窩に嵌めたような人たちがこの地上にいるというのが、ただの伝説ではなかったなんて初めて知った。
「師父も喜ばれることでショウ。必ズ申し伝えマす」
「師父? 楊太監のことですか? 今は、いないんですね? 会いたかったので、残念です」
銀髪の少年宦官の発音は、ところどころ耳慣れない抑揚がある。とはいえ意思疎通が難しいというほどではない。
(こちらの言葉に慣れていないのかな? ゆっくりのほうが良いかな?)
客席の端の端にまで唱や念を正確に明瞭に届けるのが戯子というもの、その本領を発揮すべく、燦珠は一語ずつをこの上なく丁寧に紡いだ。
その甲斐はあったのかどうか、銀髪の少年の白い頬が苦笑を浮かべた。
「どなたも師父と会いタイと言われます。が、キリがないノデ」
「ああ……」
鐘鼓司太監に抜擢された上に、皇帝から蟒服を賜った霜烈は、後宮ではにわかに有名になってしまった。
地上に似つかわしくない、月や星を思わせる美貌の主というのは本当なのか、と。主に問われた戯子も多いと聞くし、答えるほうも華劇の詞や台詞の引用を駆使して褒め称えたりしたらしい。
だから──少年ははっきりとは言わなかったけれど、霜烈は居留守を決め込んでいるのかもしれない。いちいち対応するのが面倒なくらい、祝いの品を届けるのを口実に、噂の美貌を確かめようという者が多いのだろう。
「ひとりだけ特別扱い、はできないってことですね?」
燦珠の推理は間違っていなかったようで、少年はほっとしたように頷いた。
「ハい。ご理解アリがとうございマす」
「いいえ! じゃあ、楊太監によろしくお伝えくださいね」
もしかしたら、食い下がって会おうとする者も多いのかもしれない。それで、言葉に慣れていないこの少年にとっては断るのが重荷なのかも。そうだとしたら気の毒だと思ったから、燦珠はあっさりと踵を返した。
(別に今日会えなくても良いしね)
燦珠の務めは果たしたわけだし。霜烈には、どのみち近いうちに秘華園なりで会うだろう、と。
けれど、襖衣と裙の裾を翻した燦珠の背を、涼やかな声が呼び止めた。
「──夏銀。喜雨殿からの遣いであろう? ならば入れて構わない」
いつ聞いても場の空気を清めるような美しい声に振り向くと、果たして、霜烈が殿舎の奥に繋がる垂花門に姿を現していた。
(居留守だったんじゃないの?)
昼の明るさをいっそう眩しくする、綺麗な姿を見ることができたのは嬉しいけれど。そして、燦珠は言いふらしたりはしないけれど。
いないということになった人があっさり顔を覗かせるのは大丈夫なのだろうか。
「師父! ハい。喜雨殿の方ですガ……?」
燦珠の目に宿ったであろう懸念と、少年宦官の不思議そうな声に、霜烈は端的に答えた。
「燦珠の声はよく通るから分かった。少し話すから──茶の淹れ方の復習をしなさい」
「ハい! 梨大姐、こちらへどうぞ」
銀髪の少年宦官は、さっさと門の中に戻っていった霜烈へ恭しく拱手してから、燦珠に微笑みかけた。
どうやら彼の名は夏銀というらしい、ということしか分からないまま、燦珠は殿舎の奥へと招き入れられた。