あの子の名前は〈サイ〉
「ひどい‥‥‥私は‥‥‥あの日からずっとサイのことを‥‥‥。1ミリでも私のこと思い出すことはなかったね。私のことなんて‥‥‥」
───あの日? 思い出す? 俺はミキと会ったことあるってこと?
俺が聞く間もなく、ミキは立ち上がり叫んだ。
「もういい!! 私のことは放っておいてサイは一人で逃げればいいッ!!」
ミキは激昂して何も持たずに駆け出す。
「俺、ミキを責めてるわけじゃ‥‥‥おいッ! 待てよ、ミキッ!! どこ行くんだ!! 危ない、戻れッ!!」
俺は荷物をここに置き去りにしてミキを追うことは出来ない。これは最低必需品だから万が一盗まれたら詰む。それに、見られたら俺たちがここに戻るって印になってしまう。
慌てて背中から下ろしていた荷物を背負い直し、ミキの置き去りの荷物も持たなきゃならなくて、身軽なミキのようには行かず、追うのに出遅れた。
大丈夫。走って行った方向はわかってるから見つけられるはずだ。
ミキだってどうするにせよ、この荷物は要るはずで。
ミキの悔しげな涙をこらえた顔が、目に焼きついてる。
《‥‥‥‥サイは‥‥私が‥‥‥少佐殺し前提で話すのね》
ミキが俺を見限って去って行くのも当然だ。
あんな顔するミキは、少佐を殺してるはずない‥‥‥
俺は別にミキを責めようだなんて全く思ってなかったんだ!
言わなくていいことを言ってしまった。大人なら黙っていればいいようなことを。
『香水』というキーワードを中心に、知ってる情報が頭ん中で組み立てられた。
俺の、勝手な不確実な構築だった。
それを事実かのようにミキに突きつけた─────
もしかしたらミキは、ウェイ少佐をハニートラップで落として情報を得ていたんじゃないかって。それを今まで俺に流してくれてたんじゃないかって思った。
ミキは美人だし、スタイルも良いし、ふっと見せる仕草も色っぽくて男の目を引く。俺たち奴隷の間でも噂になってたから、手のケガした時は、手当てして貰ってる俺は周りからは羨ましがられたくらいだ。
そんなミキなら、少佐を落とすのは不自然でもなく思えた。
ミディカン人の少佐なら、高価な香水を用意することは容易だ。
ミキは、奴隷の俺には到底用意出来ないような、女が喜ぶプレゼントを少佐からいくつも受け取っていたんだろうって想像した。
俺が知らないミキの顔があるって思うとどうにもむしゃくしゃした。
でもって今夜、奴隷宿舎から脱出するに当たって少佐に計画が漏れて邪魔されたがために不幸な事件が起こったんじゃないかって。
『ミキ、ウェイ少佐の事情を知ってんだろ?』
そんなことは黙っておくべきだった?
たとえどうだったとしても、今の俺たちは何もかわらないんだから。
ミキがウェイ少佐を利用して殺した悪女だったとしても、そうじゃなかったとしても、俺にとってのミキの存在価値は不変だ。
ミキが世間で咎められる存在だとしても、俺だけはそうじゃないって言える。このミキという人を全力で庇うし、守ろうとしてる俺がいる。
知り合ってから半年かけて特別な存在となった、共同脱出同盟を誓った俺のパートナーはミキだ。
俺はなぜ、イラついて、問い詰めて、ミキをここまで怒らせてしまったんだろう‥‥‥
思い当たることは一つ。
ミキとウェイ少佐がデキてたかも知れないことに嫉妬して‥‥‥?
───俺はサイテーだな。
今まで自分の気持ちに気がついていなかったなんて。
ミキが一人でゲートに向かう直前、葛の蔦の藪の中でしたキス。あの時の彼女の濡れた瞳の放つ光の揺らぎ。
きっとあれを見てしまった瞬間から、始まっていたんだ。
頼もしく、美しく、優しい、ただ一人の俺のパートナー。
───俺、ミキを愛してる。一人の女性として。
今は俺の足音しか聞こえない。
ミキはどこだ?
周りを手にしたライトで照らし見渡す。
立ち止まる、薄暗い地下道。
世界で一人きり取り残された、みたいな空間。
孤独が胸をキュッと締め付ける。
今までミキがいてくれたから、こんな感覚は無かったんだ‥‥‥
ミキがこの辺りまで来たのは間違いない。左右には崩れた上り階段。隙間から地上へ出たとは思えない。
この奥は他のビルの地下街へと続いてるようだ。
散らばるドアガラスの破片。
そしてここには改札ゲートがある。このゲートを抜けて、その先には下り階段がある。
にゃーん‥‥‥
ネコの鳴き声がこっちから聞こえたような? なら、一択だ!
改札の内側の物陰に、荷物は隠して置いた。これを持っていたら身軽な彼女にはいつまでも追いつけない。この下にいなかったらここに戻る。ひとまず手にするのは背負ったレミントンとこのライトだけでいい。
階段と並列してるエスカレーターは入口が外れて傾いてる。深い暗闇の空間が口を開けてる隙間。気づかず踏んだら危険だ。
階段の崩れが少ない場所を選びながら、駅のホームへと階段を下る。
一定に流れる音が反響してる。これは水の音? たぶん地下水だと思う。
降り立ったホームにて、思わず目を奪われ足が止まる。
──ええっ!
ライトを照らした先を見て驚く。線路が水没してたから。
そこは立派な地下水路に変わっていた。
地下水がたまっていることは予測していたけど、まさかここまでとは!
───そして、そのホームの先にはミキがいた!!
照らすと、ホーム白線の向こうに立ってこちらを見てる。
大丈夫。もうここなら行き止まりでどこにも逃げられない。それなのに、もっと奥に駆け出す素振りを見せた。
「ミキ! 待って! 俺はこんなつもりじゃ!!」
「こっちに来ないで!!」
俺を見て、足元がジリジリ下がってる。
「ミキ、ごめんなさい。俺が悪かった。動かないで。水に落ちる!」
「サイは、一人でどこにでもいけばいいよ! 私もそうするから」
──それは、嫌だ。だって、俺はミキと一緒にいたいから。それに、俺は最初からミキを守ると決めている。
「いざという時は一緒に逃げようって約束したよな? ミキから言い出したくせに。まだ、道途中じゃん」
「‥‥‥‥‥」
ミキの頑なな態度は変わらない。俺が無用で無意味な追及をしたばかりに。
今、気づいたミキへの想いを伝えるべき?
もう少し気持ちを整理してから、しかるべきシチュエーションにて伝えたかったんだけど。
「‥‥‥ミキ、聞いてくれ! 俺───」
バーーーンッ!!
───銃声だ!!
聞き慣れたこの音!
「ミキッ! 伏せろ!!」
自分も咄嗟に身を屈めた。
今まで幾度として来た条件反射。欠けたコンクリートの破片が耳をかすめる。
これは明らかに俺らを狙ってる。
誰だ? やっぱミディカン兵?
レジスタントが俺らを狙う意味は無いし、物盗りにしては物騒過ぎる。なら、ミディカン兵の可能性が高い。
ミキは無事?
ミキも同じようにその場で頭を抱えて屈んでた。
一体どこから狙ってる?
俺が目を凝らしライトを照して周りをスキャンすると、向かい側のホームの階段の陰から、俺たちに向けた誰かの銃口が出てるのが見えた。
1人しか位置は知れないけど、すぐ近くにもう1人は必ずいるはずだ。
改札辺りで他の仲間が待ち伏せしてる可能性もある。
図らずも出来上がった線路の水路を挟んだ、向こう岸のホーム。
ここでは身を隠す場所は皆無だ。とにかく階段まで戻らないと。
「ミキ、上に逃げろッ! だが待ち伏せに注意しろよ!」
俺は言いながら、慌てて援護の銃を敵に向けて構える。
「サイッ!!」
俺に駆け寄ろうとするミキ。
バーーーン!!
俺がターゲットに標準を合わせる間に、2発目の銃声。
───あ?
「ミキッ!!!!!」
彼女の右肩から飛び散る鮮血‥‥‥
───クッ‥‥俺の援護ショットの間が空き過ぎたせいだ!
俺は向かい側ホームに適当に一発ぶっ放す
即座に銃を投げ捨て、彼女に手を伸ばす
───ヤバい、ミキがホームから落ちてしまう!
すべてがコマ送りのように見える
俺に差し出されてるミキの左腕
仰向けに傾く彼女
俺が伸ばした手がやっとで掴んだ彼女の指は、スルリと抜けた。
何かがまぶたの裏を一瞬フラッシュバックする。
───このシチュエーション俺、知ってる。
「逃げて、サイ!!」
水面とほぼ水平に倒れながら、叫ぶミキ
「今行く!!」
「今度は助けなくていいから、逃げてッ!!」
ミキは水に落ちる直前そう言った。確かに。
今度‥‥‥?
───眼帯をした、スラリとした黒髪の女子高生が浮かび上がる。
風で散らばる長い黒髪。目の前には、空を切る伸びた細く長い腕。
あの子の名前は覚えてる。あれから長いことネッ友してたから‥‥‥
そう、あの子の名前は─────
「ミキーーーッ!」
盛大な水しぶきが上がった。
バーーーン!!
3発目。
俺の左の腿が燃えるように熱い。
───ミキ、今、俺が助けに行くからな。どこにも行くなよ。
いつでも俺の側にいろ。
ミキの姿は水面には見えない。
俺は左脚を引きずりながら線路の川に飛び込む。
ミキを求めて────
なんて冷たい水だ。
見かけと違って流れも早い。
ミキはどこだ???
体が冷えて上手く動かせない。
水の流れよ。どうか俺をミキの元へ運んでくれ!
俺たち、死ぬにしても抱き合って死のうぜ? なーんて言った‥ら‥‥また‥‥ミキ‥‥に‥怒ら‥‥れる‥‥‥か‥‥‥‥‥な──────
────暗転。




