さちときゃらめる
「そろそろ戻らないと怒られる」
しばらくキャラメルの豊かな味わいを楽しんでいたさちだったが、時間が過ぎていたことに気付き、慌てて使用人たちのところに戻っていく。
「さち! 蓉子様に呼ばれたとはいえ、遅すぎだろ」
「申し訳ありません!」
「さっさとおよこしよ」
「えっ?」
「蓉子様に菓子をもらったんだろ? 普段あたしらに世話になってるんだ。黙って差し出すのが礼儀ってものだろ?」
「でもこれは、私がお姉様にいただいたもので……」
「何が、『お姉様』だよ。旦那様に娘と認められてないくせに。旦那様が認めてない以上、あんたはただの身寄りのない娘でしかないんだ。ほら、さっさとおよこし!」
「あっ!」
使用人たちは、さちの手から紙袋をさっと取り上げてしまった。
「お願いです、返してください」
さちはなんとか取り返そうとしたが、瘦せっぽちな少女一人では、数人の使用人に太刀打ちできるはずもなかった。
「卑しい子だね。蓉子様の菓子を独り占めする気かい?」
「そ、そんなつもりは……。後でおすそ分けしようと」
「じゃあ、いいだろ。この菓子はあたしたちでいただくから、おまえはさっさと仕事をおし。床が汚れてるよ。それとも何かい? あたしらに逆らうつもりかい?」
「逆らうだなんて……」
「立場がわかったようだね。ほら、ちゃっちゃと床掃除をしなっ!」
「はい……」
悲しくても従うことしかできないさちは、涙で目がにじむのを堪えながら床掃除をする。
(お姉様、ごめんなさい。きゃらめるを、とられてしまいました)
蓉子から菓子をもらっては、それを使用人たちに奪われる。いつもの光景であったが、逆らうことを知らぬさちにとって、どうにもできないことであった。
蓉子は使用人に優しく声をかけることはあっても、何か与えたことは一度もない。菓子を贈るのは、妹のさちだけだった。
時折さちを呼び出しては、おまえだけよと菓子を与える。それが他の使用人たちに妬まれる原因になっていることに、さちは気付いていなかった。
「ほら、返してやるよ。蓉子様に、よーくお礼をいっておきな」
床掃除をするさちの目の前に、紙袋を投げつけられる。慌てて紙袋を開けると、キャラメルがひとつだけ残っていた。他の者に気付かれぬよう、そっと口に入れる。
「おいし……」
小さく呟くと、さちの目から涙が溢れ、雑巾にこぼれ落ちていく。
(だめよ、さち。笑うのよ。母様との約束でしょ。最後にひとつだけでも、きゃらめるを口にできて良かったと思わなくてはいけないわ)
さちは手で涙を拭うと、にっこりと笑い、雑巾がけを続けた。さちの涙を吸った雑巾は、さちの心もきれいにしていった。
(きゃらめるをいただくことができたのですもの。今日は良い日だったわ。明日もきっと良い日)
今日の喜びに感謝しながら、明日への希望を抱くさちだった。