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ぬらりひょんのぼんくら嫁~虐げられし少女はハイカラ料理で福をよぶ~  作者: 蒼真まこ
第一章 はじまりとほくほくコロッケ

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さちと姉の蓉子

「明日はお姉様にお会いできる。きっといい日だわ」


 遅くまで仕事をして、くたくたになりながらも、さちは明日への希望を忘れない娘だった。使用人部屋の片隅で静かに眠りについた。

 

 翌朝、朝の仕事をどうにか終えると、さちは姉の部屋へ向かった。乱れた髪をさっと整え、部屋の戸を軽く叩く。


「蓉子様、さちでございます」

「入ってちょうだい」

「失礼致します」


 戸を開けると、鏡台の前に座る姉の蓉子がこちらを振り返った。


「さち、二人だけの時は、『お姉様』と呼ぶ約束でしょう?」


 蓉子は艶(あで)やかに微笑んだ。まさに大輪の花が咲くがこどく美しい微笑みに、さちの心は感動で震える。


「お姉様、とってもきれい……」

「まぁ、嬉しいことをいってくれるわね。こちらへおいで、さち」


 蓉子に手招きをされ、さちは主(あるじ)に呼ばれた召使いののように喜んで駆け寄る。

 さちが隣に来ると、蓉子はさちのあかぎれた手をそっと持ち上げた。


「なんて痛々しい手なのかしら。お父様や使用人がまた辛くあたっているのね。ごめんなさい、わたくしからまた言っておくわね」

「お姉様、どうかお気になさらないで。私は平気です」

「さちは本当に良い子ね。こんなに素直で可愛い妹をもてて、蓉子は幸せだわ」

「私のような卑(いや)しい者に、もったいない御言葉です」


 蓉子は微笑みながら、さちの頬に手を伸ばす。そのままゆっくりとかさついた頬を撫でる。


「さち、わたくしの可愛い妹。お父様がお怒りになるから、共に過ごすことはできないけれど、いつもおまえのことを想っているわ」

「お姉様……」


 陶磁器のようになめらかな手で頬を撫でられ、さちの心はよろこびで蕩(とろ)けていく。 


「だから、さち。わかっているわね? あなたのなすべきことを」


 蓉子が怪しく微笑む。さちの心はよろこびに浸ったままだ。とろんとした目つきで、蓉子の問いに答える。姉の蓉子からは、いつも香水の良い香りがする。その香りだけで、さちはだんだんと頭が蕩(とろ)けていく気がした。


「はい、わかっております。さちは尊敬するお姉様の代わりにぬらりひょん様の嫁となり、この身をあやかしたちに与えます。お姉様には指一本触らせません」


 それはくり返し何度も、姉の蓉子から教えられた言葉。疑うことなく、呪文のように唱えるさちだった。


「ありがとう、さち。かわいいわたくしの妹」


 痩せこけたさちの体を、蓉子はそっと抱いた。


「さちは本当に良い子ね。わたくしだけの、かわいい妹だわ……」

「お姉様、うれしいです……」


 さちはかつて母に抱かれた温もりを思い出しながら、姉の抱擁(ほうよう)を受け止める。

 惚(ほう)けた顔のさちの背中を撫でながら、蓉子はにたりと笑っていた。


「さち、良いものをあげるわ。手を出して」


 鏡台の引き出しから、蓉子は小さな紙袋を取り出した。


「受け取ってちょうだい。ささやかだけど、わたくしから可愛い妹への贈り物よ」


 手を伸ばして紙袋を受け取ったさちは、思わぬ贈り物に顔が綻(ほころ)ぶ。


「これは……何ですか?」

「キャラメルよ。聞いたことあるでしょ?」


 さちの顔が、ぱっと輝く。菓子など滅多に口にできないらさちにとって、これ以上の贈り物はなかった。


「きゃらめる! ありがとうございます、大事にいただきます」


 小さな幼子のように菓子をもらって喜ぶさちだった。蓉子は優しく微笑む。


「隣の部屋で少し食べていくといいわ。体を休めなさい」

「でもお姉様……」

「良いのよ。使用人には話しておくから」

「ありがとうございます」


 蓉子に頭を下げ、隣の部屋に移ったさちは、小さな椅子に座った。呼吸を整えてから、紙袋をそっと開ける。


「わぁ……」


  紙袋の中に入っていたのは、小さな紙の箱におさめられたキャラメルと、いくつかの飴玉だった。

 紙包みを開けると、こげ茶色の四角いミルクキャラメルが姿を現す。


「これが、きゃらめる。なんてふしぎな色……」


 市販にも販売されるようになっていたキャラメルであったが、庶民にはまだ値が高く、気軽に口にできるものではなかった。まして、下働きのさちが口にできることはほとんどない。

 四角いミルクキャラメルをそっと口にいれ、舌でゆっくりと転がしていく。硬いキャラメルが口の中で少しずつ柔らかくなり、なめらかに溶けていく。


「甘い……。なんて優しい甘さなの……」


 ベッコウ飴とはまた違う、まろやかな甘みに、さちの顔は蕩けていく。


「お姉様は本当にお優しい。こんなに素敵な贈り物をくれるんですもの」


 蓉子がさちに与えるのは菓子だけで、他の贈り物をしたことはないのだが、さちにとってはそれだけで十分だった。

 甘い菓子のにおいと、芳しい香水の香り。姉の蓉子の周りはいつも華やかな香りに囲まれていた。さちにとっては、憧れの人。それが蓉子であった。




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