さちと姉の蓉子
「明日はお姉様にお会いできる。きっといい日だわ」
遅くまで仕事をして、くたくたになりながらも、さちは明日への希望を忘れない娘だった。使用人部屋の片隅で静かに眠りについた。
翌朝、朝の仕事をどうにか終えると、さちは姉の部屋へ向かった。乱れた髪をさっと整え、部屋の戸を軽く叩く。
「蓉子様、さちでございます」
「入ってちょうだい」
「失礼致します」
戸を開けると、鏡台の前に座る姉の蓉子がこちらを振り返った。
「さち、二人だけの時は、『お姉様』と呼ぶ約束でしょう?」
蓉子は艶やかに微笑んだ。まさに大輪の花が咲くがこどく美しい微笑みに、さちの心は感動で震える。
「お姉様、とってもきれい……」
「まぁ、嬉しいことをいってくれるわね。こちらへおいで、さち」
蓉子に手招きをされ、さちは主に呼ばれた召使いののように喜んで駆け寄る。
さちが隣に来ると、蓉子はさちのあかぎれた手をそっと持ち上げた。
「なんて痛々しい手なのかしら。お父様や使用人がまた辛くあたっているのね。ごめんなさい、わたくしからまた言っておくわね」
「お姉様、どうかお気になさらないで。私は平気です」
「さちは本当に良い子ね。こんなに素直で可愛い妹をもてて、蓉子は幸せだわ」
「私のような卑しい者に、もったいない御言葉です」
蓉子は微笑みながら、さちの頬に手を伸ばす。そのままゆっくりとかさついた頬を撫でる。
「さち、わたくしの可愛い妹。お父様がお怒りになるから、共に過ごすことはできないけれど、いつもおまえのことを想っているわ」
「お姉様……」
陶磁器のようになめらかな手で頬を撫でられ、さちの心はよろこびで蕩けていく。
「だから、さち。わかっているわね? あなたのなすべきことを」
蓉子が怪しく微笑む。さちの心はよろこびに浸ったままだ。とろんとした目つきで、蓉子の問いに答える。姉の蓉子からは、いつも香水の良い香りがする。その香りだけで、さちはだんだんと頭が蕩けていく気がした。
「はい、わかっております。さちは尊敬するお姉様の代わりにぬらりひょん様の嫁となり、この身をあやかしたちに与えます。お姉様には指一本触らせません」
それはくり返し何度も、姉の蓉子から教えられた言葉。疑うことなく、呪文のように唱えるさちだった。
「ありがとう、さち。かわいいわたくしの妹」
痩せこけたさちの体を、蓉子はそっと抱いた。
「さちは本当に良い子ね。わたくしだけの、かわいい妹だわ……」
「お姉様、うれしいです……」
さちはかつて母に抱かれた温もりを思い出しながら、姉の抱擁を受け止める。
惚けた顔のさちの背中を撫でながら、蓉子はにたりと笑っていた。
「さち、良いものをあげるわ。手を出して」
鏡台の引き出しから、蓉子は小さな紙袋を取り出した。
「受け取ってちょうだい。ささやかだけど、わたくしから可愛い妹への贈り物よ」
手を伸ばして紙袋を受け取ったさちは、思わぬ贈り物に顔が綻ぶ。
「これは……何ですか?」
「キャラメルよ。聞いたことあるでしょ?」
さちの顔が、ぱっと輝く。菓子など滅多に口にできないらさちにとって、これ以上の贈り物はなかった。
「きゃらめる! ありがとうございます、大事にいただきます」
小さな幼子のように菓子をもらって喜ぶさちだった。蓉子は優しく微笑む。
「隣の部屋で少し食べていくといいわ。体を休めなさい」
「でもお姉様……」
「良いのよ。使用人には話しておくから」
「ありがとうございます」
蓉子に頭を下げ、隣の部屋に移ったさちは、小さな椅子に座った。呼吸を整えてから、紙袋をそっと開ける。
「わぁ……」
紙袋の中に入っていたのは、小さな紙の箱におさめられたキャラメルと、いくつかの飴玉だった。
紙包みを開けると、こげ茶色の四角いミルクキャラメルが姿を現す。
「これが、きゃらめる。なんてふしぎな色……」
市販にも販売されるようになっていたキャラメルであったが、庶民にはまだ値が高く、気軽に口にできるものではなかった。まして、下働きのさちが口にできることはほとんどない。
四角いミルクキャラメルをそっと口にいれ、舌でゆっくりと転がしていく。硬いキャラメルが口の中で少しずつ柔らかくなり、なめらかに溶けていく。
「甘い……。なんて優しい甘さなの……」
ベッコウ飴とはまた違う、まろやかな甘みに、さちの顔は蕩けていく。
「お姉様は本当にお優しい。こんなに素敵な贈り物をくれるんですもの」
蓉子がさちに与えるのは菓子だけで、他の贈り物をしたことはないのだが、さちにとってはそれだけで十分だった。
甘い菓子のにおいと、芳しい香水の香り。姉の蓉子の周りはいつも華やかな香りに囲まれていた。さちにとっては、憧れの人。それが蓉子であった。




