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『さち』という少女

 あやかしは古来より人と共に生きてきた。人と共存していくことは、あやかしにとって自然な生き方だったのだ。


 しかし時は大正時代。

 江戸から明治、そして大正へと移り変わっていく中で、時代に取り残される者が存在した。

 それはあやかしたちとて同じである。変化を嫌うあやかしたちは、急速に西洋化が進む日本社会についていけなかったのだ。長らく人と共に生きてきたあやかしたちであったが、共存することをあきらめ、幽世(かくりよ)へと移り住んでいった。

 しかしそんな時代にも、人々と共に生きていこうとする、あやかしも存在した。

 人間を好む者、訳あって人間のそばから離れられない者、人間を利用しようとする者、幽世(かくりよ)に居場所がない者。理由は様々であった。彼らが人間と共に生きていくには、人々と契約を交わすのが最も手っ取り早い方法であった。

 あやかしは長らく生きてきた知恵や妖力を人々に貸し与え、人もまたあやかしに生きていく場所を提供する。両者に喜ばれた関係は婚姻関係である。

 あやかしを一族の一員としていくことで家業は繁栄し、子々孫々まで栄えていくのだから、喜んで婚姻関係を結ぶ者もいた。


 しかし近代化が進む社会で、あやかしとの婚姻は世の中の(そし)りを受けかねない。よって人々は秘められた関係として、その婚姻をひた隠しにしたのである。

 かくしてあやかしと人の婚姻は、ひそやかに受け継がれていったのである。




           ♢♢♢



「さち、さち! どこにいる!」

「はい、旦那様!」


 父と知りながら、お父様と呼ぶことのできぬ九桜院(くおういん)家当主の壱郎(いちろう)に呼ばれたさちは、慌てて手を拭きながら走る。


「さちはここでございます。旦那様、何か御用でしょうか?」

「さち、蓉子(ようこ)が明日出かけるから、その支度を手伝いなさい。愚鈍(ぐどん)なおまえなどに頼みたくないが、蓉子の希望だからな」

「お姉様、いえ、蓉子様が私を? 嬉しゅうございます」

「さち、わかっているな?」

「はい、お供するのは屋敷内だけ。屋敷の外には一歩も出ません」

「わかっておれば良い。仕事に戻れ」

「はい、旦那様」


 明日になれば大好きな姉に会える。その喜びに震えながら、さちは洗い場の仕事へ戻る。


「さち! おまえ、まだ野菜の下洗いをやってるのかい。 さっさとおしっ! それが終わったら野菜を刻んでおきな。それも済んだら次は床掃除だ。早くしないと(めし)を食べてる時間がないよ」

「はいっ!」


 笑顔で返事をしながら、素早く動く。


「さち! 食器の洗い物もやっておいてくれ。ひとつでも割ったら仕置きだからね」

「はいっ!」

「にたにた笑ってばかりいて。このこは本当に、ぼんくら娘だね」

「はいっ!」

「ぼんくらって呼ばれてるのに、笑ってるよ、この子。阿呆(あほう)だねぇ」


 使用人たちに笑われているのを聞きながら、さちはなおも笑顔を絶やさない。笑顔を忘れないことは亡き母との約束だからだ。


(どんなに辛くても、笑っていよう。それが母様の望み。笑っていれば、怒鳴り声も止むもの)


 笑顔でいることは、さちにとって生きていくための手段でもあった。





 とある地方にて絶大な力をもつ九桜院(くおういん)家は、あやかしとの婚姻関係で繁栄した一族である。


 契約したあやかしの名は、ぬらりひょん。

 あやかしの総大将と呼ばれているが、その正体は定かではない。巨大な頭をもつ老人と言うものもいれば、美しい男の姿をしたあやかしと言う者もいる。

 わかっていることは、いつの間にか屋敷の中に入り込み、何食わぬ顔で茶をすする、不気味な存在ということだけだった。


 ぬらりひょんに気に入られた九桜院家は、娘を嫁入りさせることで繁栄してきたのである。

 現在の九桜院家当主の娘は、華族出身の母をもつ蓉子(ようこ)という名の美しい少女であった。微笑むだけで、数多(あたま)の人を魅了し、誰をも(とりこ)にすると言われるほどの美少女である蓉子。

 当主の壱郎(いちろう)にとって自慢の娘であり、娘もまた父を慕った。

 早くに妻を亡くしたことで壱郎は娘を溺愛(できあい)し、あやかしである、ぬらりひょんに絶対に嫁にやりたくないと考えるようになる。しかし嫁にやらねば一族の繁栄は途絶(とだ)えてしまうかもしれない。


「そうだ。身代わりの娘を用意すれば良いのだ。当主である、わたしの血をひいた娘なら、何の問題もないはずだ」


 健康な体と従順な心をもち、身寄りがない女として目をつけられたのが、九桜院家の女中として働く八重(やえ)という娘だった。

 愛嬌が良く、素直な少女であった八重は、疑うことなく壱郎の誘いを受け入れ、後妻(ごさい)となった。

 それは形だけであり、実際は(めかけ)でしかなかったことを、八重は後になって知る。

 八重が娘を産んだ途端、壱郎は八重に辛くあたるようになっていく。壱郎が娘の名付けをしてくれないため、八重は娘を『さち』と呼び、自らの愛娘の(さち)多き人生を願ったのである。



 八重やえが亡くなったのは、さちがまだ四歳の時であった。

 夫であり、九桜院(くおういん)家当主である壱郎(いちろう)から暴力を受けていたことが原因であったが、表向きの理由は病気である。


「いいかい、さち。笑うことを忘れてはいけないよ。『笑う門には(ふく)来る』だからね。笑っていれば、おまえのことを見てくれる人が必ずいるから。……わたしの可愛いさち。おまえを遺していく、力なき母を許しておくれ。天からおまえの幸ある人生を願っているからね……」


 母がいなくなったさちは、九桜院家の次女であるにもかかわらず、あくまで使用人として育てられた。壱郎から八重に向けられていた(いじ)めは、その娘である、さちが受け継ぐこととなる。


 ゆくゆくはあやかしの総大将である、ぬらりひょんの嫁にするため、女学校にも通わせてもらえなかった。

 幼き頃から九桜院家のために身を捧げることを教え込まれ、決して疑わぬよう育てられた。全ては九桜院家の長女蓉子(ようこ)の身代わりとするため。

 ぬらりひょんは無類の女好きで、気に入った女をもてあそび、用なしになれば喰うとも聞いていた壱郎は、蓉子(ようこ)を守るためだけに、八重との間にさちをもうけたのだ。


 そうとは知らぬさちは、父の願いを叶えることは親孝行になると信じていた。

 さちは物事を知らぬ純朴な少女として成長していった。







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