挿話2 フィアナの修行時代 ~はじめてのおつかい編~
異民族で構成される〈祟りの森〉の集落には、人攫いに狙われやすいような変わった色彩を持つ者は少なくない。
さらには事実無根とはいえ不法入国の犯罪者にされた者たちも多く、いざというときのために自分で自分の身を守る術が必要だった。
そのため集落では幼い頃から相応の戦闘訓練を積むことが習慣化しており、勿論飛び抜けて珍しい容姿をしていたフィアナも例に漏れない。
フィアナの師匠が彼女を拾った時には既に、五歳児とは思えないほどの技術を身につけていた。
しかし、相手はあの伝説の男。
フィアナも小鼠も師匠の前では大差なく、日々コケにされては小間使のようにこき使われていた。
「そこらに転がってる野良犬よりぁマシだが、お前の片手で砕けるような骨じゃ俺の鍛錬にゃついて来れねぇからな」
七歳になった辺りの頃のこと。
師匠は酔った口調でなにやら語り出した。
昼間から酒を煽る師匠を見るフィアナの目は、現在のそれと大差ないほどに冷めきっている。
「だが何もせずに時間を浪費するのも阿呆らしい。そうだなぁ……」
「一番時間のろうひをうながしているのは師匠です。そうやって必要以上に食いちらかしてわたしの仕事をふやさないでください」
フィアナは眦を吊り上げた。
散乱した皿と肉の骨、果物の皮、零れた酒。
こうするのは簡単だろうが片付けるには倍以上の労力がいるのだ。傍迷惑だと師匠を睨みつける。
「よし、明日出掛けるぞ」
勿論、それを聞き入れるような師匠ではない。
唐突にそれだけ告げたかと思うと大いびきをかいて眠り出した。
ガチャン、と音を立てて傍にあったやや中身の入っていた酒瓶が倒れる。ああ、また仕事が増えた。
隙だらけに見える寝顔だが、ここで攻撃を仕掛けようものならたちまち反撃される。師匠はものの数秒で眠るが、数瞬で覚醒するのだ。獣のような特技である。
「わたしは、こんな大人にはならない……」
食べ物の残骸を片付けながら、フィアナはぽつりと呟いた。
◇◆◇◆
これは一体、なんだと言うのだろうか。
フィアナは目の前の状況の分析に必死だった。
そしてどれだけ全力を出して考察しようとも、何の結論も出てこない。
(……きのう、師匠は『お前の片手で砕けるような骨じゃ俺の鍛錬にゃついて来れねぇからな』と言った)
つまりこれはフィアナの鍛錬に関することでなければ筋が通らないのだ。
けれど、目の前の光景は、どう見ても。
「ガハハハ!! そいつぁいいや!!」
「奴の間抜け面が目に浮かぶぜぇ!!」
「だろう!? 年寄りをなめんじゃねぇぞってね! おい! もっと酒もってこい!!」
師匠とその愉快な仲間たちによる酒盛りだ。
フィアナにとっては不愉快でしかない。
「ここは……お酒を飲む店、だし」
鍛錬と関連はなさそうだ。
それを確信すると、あっさりと結論が出た。
(気が変わったんだな)
前日に予告しようが何だろうが関係ない。
師匠はしたいときにしたいことをする。気分が乗らないことは意地でもしない。
(結局この人から学んだことって何なんだろう)
反面教師、という言葉をまだ知らなかったフィアナは考え込んだ。
師匠の唯一の取り柄はズバ抜けた戦闘能力だが、今のフィアナの肉体では厳しい訓練を受けるのにも限界がある。
下手にやりすぎると体を壊し、せっかく生まれ持った素質ごと消し去ることになるのだ。
因みに、言葉遣いや公共施設でのマナー諸々は師匠からは教わっていない。
フィアナを拾って一年ほど経ったとき、師匠はフェロニア王国の南に赴いた。そこの辺境伯に貸しがあるらしく、数ヶ月間城に滞在させてもらったのだ。
教育はそこで受けた。
フィアナが歳に似つかわしくない堅い敬語を使って話すのは性格が大人びているからとかではなく、教わったそれしか話せないからである。
元の口調は師匠の影響を受けた男のような話し方で、端的にいうと口汚かった。
女の子なのにそれは……と城の夫人が教育係を買って出てくれたのだ。
子供ができ辛い体質だとかで、可愛げの欠片もないフィアナでも夫人は実に嬉しそうに世話していた。
(……あの人がいなかったら)
フィアナは常識も何も知らずに生きていくことになっていた。そう思うと少し恐ろしい。考え方が師匠に染まっていっていたかもしれない。
それは恐ろしいというか吐き気がする。
「おーい、フィアナ!!」
大声で師匠が呼ぶ。
仕方なさそうな顔を隠しもせずにフィアナは近付く。何を言われるのかは分かっていた。
「酒の追加だ」
「……はい」
先程から人が行ったり来たりしているので、厨房の場所は分かる。奥の部屋へ歩いていくと、後ろから笑い声が聞こえた。
「奴隷みてぇじゃねえか!! かっわいそうになあ」
「あんなちいせえ子供を……こりゃひでえや!」
「ガハハハ!! まだまだ使えねえガキだけどな」
何がそんなにおかしいのか。
フィアナは唇を噛んだ。
何もかも不快だった。けれど、あれらの言葉を否定できる材料を自分は持たないと理解出来てしまっている。
(……今はまだ、そのじきじゃない。もう少し大きくなったら、ぜったいに……)
あの男どもを軒並み殴り飛ばせるような力をつける。
フィアナはぎりりと歯を噛み締めて決意した。
「んん? おい、どこ行くんだ?」
自分で酒を持ってこいと言ったくせに、師匠が呼び止める。
振り返れば、こともなさげに言われた。
「この店自体の酒が切れたんだ。外で買ってこい、外で」
◇◆◇◆
黒いフードの影から、そっと辺りを伺う。
この辺りの治安は良くない。
浮浪者があちこちにうろつき、薬に侵された者たちが徘徊しているようなところだ。
彼らの視線をなるべく避けて、フィアナは道を進む。
今は無事に酒を手に入れ酒場へ戻る途中だ。
幼児の落書きのほうがよっぽどマシというような、信じられないほど雑に書かれた地図で店に辿りついた自分を褒めたい。
(次は確か……ここを左)
緊張から、鼓動は普段より大分早かった。一人でこのような道を歩くのは初めてのことだ。
フィアナは恐らく、人身売買される人々の中でも最高クラスの高値がつく。
それほどの希少価値のある容姿だからこそ、師匠も一人で出歩かせることをしなかったのだ。
いつも通りの光景なのに、今は周りの視線を集めているような気がしてならない。
というか、子供が一人でうろつくような場所ではないから事実目立っているのだろう。
(だいじょうぶ、髪はかくれているし、子供だから、お金をもっているようには見えない)
みすぼらしく見えるような外套を選んでいるし、物盗り目的では寄ってこないだろう。
それ以外では可能性はあるが。
(……早くあそこに帰ろう)
先程までは不快な場所だったが、今では最も安心できる場所だ。酒場に着けば命は保証される。
あそこには、大陸最強の男がいるのだ。
フィアナに対して情が湧いていることはないだろうが、あの子供じみた性質は自分のものを横取りされることを何より嫌う。結果的に自分は守られる。
足早に薄暗い道を歩いた。
自分の息遣いと足音、衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
(……ん?)
そのとき、曲がり角から二人の男が飛び出してきた。
ひったくりでもして逃げてきたのかと思いきや、何故か二人は真っ直ぐにフィアナの元へ向かってくる。
「うっ……わぁ!?」
瞬く間に外套を剥ぎ取られ、手にしていた酒と地図を奪われた。このまま身ぐるみ剥がされるのかと目を瞑る。
けれど、それ以上何かされることは無かった。
外套と酒と地図。
特に価値のないそれらを持っていき、男たちは消えた。
ぽかんとその場に立ち尽くす。
(なん……だったんだ?)
ともかく、自分は特に被害はない。
酒を奪われたことは師匠にしつこくどやされるだろうが、もうそれは覚悟するしかないだろう。
気を取り直して酒場へ帰ろうと思ったが、踏み出した足はそれ以上進まなかった。
「おんん……ナぁ……だ」
耳元で聞こえた低い声。
はっとして振り返ると、焦点の合っていない男に肩を掴まれていた。
白目は黄色く濁り、半開きの口から粘つく唾液と数本しかない歯が見える。
風呂に入っていない体からは酷い臭いがし、元の肌の色が分からないほどに黒ずんでいた。
ぞわり、と首筋の毛が逆立つ。
フィアナを見て、この男は『女』といった。
まだ十にもならない自分をそういう目で見ているのだと気づいたとき、吐き気にも近い嫌悪感を抱いた。
「はなせ……!」
力一杯振り切ったつもりだったのに、上手く力が入らなかったかそもそも男を振り払うほどの力がなかったのか、肩を掴む手はびくともしない。
力加減すら忘れた指は、既に肌に食い込んできていた。
「いっ……」
鈍い痛みと共に、男が迫ってくる。
目の形は笑うように細められていた。だらだらと涎を垂らしながら、フィアナに抱きつこうとしてくる。
恐怖で膝から力が抜け、へたりこんだ。
その動きは予想外だったのか、男の手が外れる。
けれどすぐに、地面に伏したフィアナに覆いかぶさってきた。
「……っ!!」
咄嗟にその顎を蹴り上げた。
そして土を掴んで眼前にぶちまけ、男の下から這い出る。
なんとか動くようになった足を懸命に動かし、とにかく走った。方向は考えられなかった。
(おちつけ……おちつけ……おちつけ!!)
大人が入れないような細い道に体を滑り込ませて、殆ど暗闇のような場所へ身を隠す。
ここなら誰かに襲われることはないと分かっているのに、いつまでも震えは収まらない。
思い切り手の甲を抓った。
痛みは残ったが、恐怖を上回るほどでは無い。
男の声が、顔が、指の感覚が、消えない。
ガタガタと震え続ける体を抱き締めて、しゃがみこんだ。
────阿鼻叫喚。
自分は、集落でこの世の地獄を見たはずだったのに。
どうしようもないほどに怖かった。
あのときに比べたら、という言葉は意味を成さない。
自分はこんなにも簡単に恐怖に飲み込まれるのだということを、思い知らされた。
(……帰ろう。帰らないと。早く、ここから)
心の中で己に言い聞かせ、黒い土だか泥だか分からないものを頭からかぶった。
銀の頭髪を誤魔化すためだ。
それから、そばに落ちていた布を拾う。
汗でできたような染みに加え、血痕が付着している。
普通の人なら触りたくもないそれを体に巻き付けた。生臭い臭いがする。
「これで、だいじょうぶ……」
もう何の心配もないのだと、嘘でもいいから口に出して呟いた。
現在地が分からないので、もう勘を頼って走るしかなかった。一度足を止めればまた恐怖で動けなくなる気がして、フィアナは走り続けた。
幸い、勘は良いほうだったらしい。
なんとか体力が尽きる前に酒場を見つける。
布を捨てふらふらと扉に手をかけると、先ほどの男たちがいた。
「……ん? おお!? さっきのガキか!?」
髪も顔も黒くなっているフィアナは一瞬誰だか分からなかったらしい。
どうしてそうなったと驚いている。
「お前の師匠なら、これだけ置いて帰ったぞ」
ぽん、と投げ渡されたのは空になった瓶。
見覚えがあった。
「これ、さっき盗られた……!?」
「ああ、あと伝言を頼まれたけど」
ごほん、と一人が咳払いをする。
「なんでも、『あんな薬狂相手にビビってるなんて、まだまだガキだな』だとよ」
フィアナは呆然と立ち尽くした。
師匠の手に渡っていた酒。
何故か知られている動向。
つまり、これは最初から────。
「~~っ!!」
ガシャン!
と大きな音が酒場に響き渡った。
フィアナが瓶を床へ叩きつけたのである。
「お、おい、どうし……」
戸惑ったような声も、最早耳に入らない。
「あんんのクソジジイ、帰ったら殺す!!」
折角綺麗な言葉を教えてくれた夫人が聞いたら泣き出しそうな言葉を叫び、フィアナは疲れも忘れて全力疾走を始めるのだった。




