44話 葬られた過去
「……バケモノだな」
傷の具合を見ながら、医師は呆れたように言った。
「なんで傷が塞がりかけてるんだ。糊でも食べてるのか?」
「食べたら塞がるんですか」
「そんなわけないだろ馬鹿か」
理不尽な会話だと思った。
フィアナはただ黙ってこの世の不条理を受け入れる。
意識を取り戻してから、さらに二日。
怪我の痛みは大分マシになった。そう告げるとまた人外を見るような視線を頂いた。
医師の施術と処方してくれた薬はこの国の最高峰なのだが、それにしても治り方が異常だという。
「普通ならこの状態まであと一週間はかかるぞ」
「慣れてるので」
あの忌まわしき師匠との記憶が蘇り、思わず眉を寄せた。
そう多くは跡には残っていないが、昔は随分手酷くやられたものだ。
怪我の治癒に慣れが存在するのかどうかはフィアナも知らない。
「何か食べられそうか?」
「はい」
寧ろ非常に空腹である。
医師は立ち上がり、隣の部屋から器を持ってくる。食べやすい大きさに切った果物のようなものが乗っていた。
「これからもう少しまともな食事を頼んでくる。それまで食っていろ」
「ありがとうございます」
瑞々しいそれは恐らく枇杷だ。
古来より、枇杷の葉は薬としても非常に有能であると知られている。だから医務室にあったのだろう。
自分で体を起こしもそもそと食べ始めたのを見て、医師は独りごちる。
「その様子なら、あと数日でベッドから出られそうだな」
これは冗談だったのか本気だったのかは分からないが、三日後、本当にフィアナは歩き回れる程度に回復していた。
医務室に来客があったのはそれからすぐのことだ。
◇◆◇◆
見舞い人の姿を認めると、フィアナはあからさまに嫌そうな顔をする。
「オルフェ様……」
「やっほー、フィアナちゃん!」
気づきはするが、気にはしない。
そんなスタイルを貫くオルフェはひらひらと陽気に手を振った。
「バケモノみたいに回復してるんだって? もう話とかできるかなと思ってお見舞いに来ちゃった」
「……今の時期は、忙しいのではないですか?」
マンデル祭りが終わればすぐに『復活祭』がやってくる。
自分などにかまけていて良いのかとフィアナが聞くと、オルフェはあっさりと頷く。
「僕の仕事は終わらせてきたから」
無駄に有能なところがタチが悪い。
フィアナは追い払う口実を無くし、仕方なく体を起こした。勝手にベットの端に腰掛けたオルフェが軽い調子で聞く。
「もうあんまり痛まないの?」
「はい。傷は塞がりかけてるので」
「……打ち身が数箇所で、肩抉られてて、腕にナイフ刺さって、毒が回ったって聞いたんだけど」
「そうですね」
「じゃあなんで塞がりそうなの。おやつに糊でも食べた?」
「それはよくあるフェロニアジョークなんですか」
医師と同じことを言っている。
しかしその件については掘り下げられることなく、別の質問が来る。
割と真面目なものだったので、フィアナも姿勢を正した。
「フィアナちゃんは敵四人と戦ってるんだよね?」
「はい」
「何か気づくことあった? 何語使ってたとか……」
暗殺者たちが言葉を発したのは一度だけだ。
最後に対峙した、フリードに腹を貫かれた青年が今際の際に呟いた言葉だけ。
「……あれは、流暢なフェロニア語でした。とても綺麗で、全く訛りのようなものがない」
明らかに習ったものと分かるほどだ。
戦闘術の練度といい、かなり時間と金をかけて育てられたと見える。
(まあ、この国を相手取ろうとするくらいだからな……)
国家によって育てられた者が来る方が寧ろ自然だ。
オルフェも同じ考えらしく、引っかかる様子はなかった。
「……そういえば」
次に質問を投げかけたのはフィアナだ。
今回の事件ではまだ分からないことがいくつもある。
「ディルクさんから、暗殺者は五人いたと聞きました。私は一人知らないのですが……どのように死んでいたか分かりますか?」
正確には、死を確認したのは三人で昏倒させたのが一人だ。
しかし昏倒させた者は爆発の瓦礫の下敷きになったのだろうと予測できる。
(だがあと一人は……姿も見ていない)
勝手にどこかで潰れて死んだのかと思っていたが、フィアナの予想は外れていた。
「ああそいつね、吹き矢で攻撃してきた奴だよ。あの後、王立騎士団をいなしてフリードのとこに行ったみたい。で、返り討ちにして、外套を奪ったって言ってたけど」
なんでもないことのようにオルフェは言った。
だがフィアナには理解が追いつかない。
「返り討ち……って、誰がですか?」
「いや、だからフリードが」
「殿下が? それは、一体」
「運が良かったんだって。爆発で飛ばされた鉄の棒が落ちてて、しかも土煙を利用して上手い具合に後ろをとれたとかなんとか」
簡単に言っているが、相手は暗殺者だ。
そして土煙は姿を隠しても気配を消してはくれない。あとは個人の力量次第だろう。
(……そんなことが、できる人、なのか……?)
恐る恐る、フィアナは尋ねる。
「フリードリヒ殿下は……剣術に長けているわけでは無いんですよね?」
「…………え?」
沈黙の後、戸惑ったような声が上がった。
オルフェはぱかっと口を開けてこちらを見ている。
「剣術ができないって……誰が?」
「いや、ですからフリードリヒ殿下が」
先ほどと逆の対話になる。
オルフェもフィアナも混乱していた。
「えっ、だって、それは……え? もしかして……でもそんなまさか……」
オルフェは俯いて何やらぶつぶつ言っている。
そしてようやく顔を上げたかと思えば、一般常識を念のため確認する口調で尋ねた。
「えっと……フリードが本当は第二王子だってことまでは、知ってる?」
薄青の目は、これ以上なく見開かれた。
掠れた声が喉から漏れる。
「どういう、ことですか……?」
フリードは第一王妃の長子で、第一王子。
それを疑ったことなどなかった。疑う理由もない。
なのに、それは間違っているというのか。フィアナは呆然とした。
「えっ、本当に? 本当に知らないの?」
「はい」
オルフェは未だに半信半疑といった様子だ。
だが、暫く考えて何かに思い至ったらしい。
「あっ、そうだ! この頃ってまさか……」
そしてバツの悪そうに頭を掻いた。
「うーんとね、実はこれに関して色々あったのって……〈祟りの森〉のさ……だからそれどころじゃ無かったのかも」
言わんとしていることを察する。
あの大量殺戮が行われた年の出来事らしい。なら、フィアナは意識が回らなかった以前にその頃の記憶を失っている。
「……でもこれさ、騎士学校に入って最初の方にそれとなーく教えてもらえるはずなんだけど……」
「あ……私は飛び級で三回生からだったので」
見事に知るタイミングを逃していたらしい。
「そっか……じゃあ仕方ないね」
この先知らなければ大変だから、とオルフェが教えてくれることになった。
静かに、口を開く。
「────前の第一王子の名は、バルタザール。フリードより十歳年上の兄だよ」
細められた目にどんな感情が込められているのかは、分からない。
「彼は今のフリードくらい優秀な人物だった。特に内政に関しては本物の天才。歴代随一とまで囁かれていたくらいね」
明るく朗らかで人身掌握術に長け、天性の才能を磨く努力を怠らない人だった。
まさに王の器と言うに相応しい。これで国は安泰だと誰もが思っていた。
彼の弟であるフリードは、『軍事』を担う王子として育てられた。
「あいつは幼い頃からずっと、戦略や実戦的な剣術を学んでいたんだ」
フリードはフリードでそちらの方面に才能を見せ、いずれ非常に優れた剣士になると言われていた。
頭も良く、戦略家としても活躍できるだろうと。
「フリードはバルタザール殿下を尊敬してた。『自分は第一王子を支えていく。王になるつもりは無い』って公言もしたから、兄弟仲は良かったよ」
内政を司る兄と軍事を担う弟。
二人の天才によって、この国は守られていくはずだった。
「……でも、ある日バルタザール殿下は暗殺された」
遺体は元の姿と似ても似つかぬほどにぐちゃぐちゃの、酷い状態だったらしい。
「犯人も、殺害理由も未だに謎のまま……」
寧ろ謎しか残らないような死だった。
本当は、こういうことを言うのは良くないんだけど。
そう前置きしてからオルフェは呟いた。
「殺したのは……陛下じゃないかって、言われてるんだ」
フィアナは目を瞬かせる。
犯人として浮かび上がるには不可解な人物であった。
「何故、陛下が? その方は優秀で、王権争いも起こらない状況だったんですよね?」
王が将来有望な後継者を消す必要がどこにあるのか。
素朴な疑問に、オルフェはゆっくりと首を振った。
「仲が良いのは兄弟間だけ。バルタザール殿下と陛下の仲は、本当に険悪だったんだ」
王宮でも度々噂されていたそうだ。
この二人の軋轢は、バルタザールの母……当時の第一王妃に起因する。
「王妃は伝統と格式を大事にする人でね。様々な改革をしていった陛下とは、よく衝突してたんだ」
反対に、フリードの母は協力的だった。
自然と寵愛もそちらに傾いていったらしい。
「それで繊細な王妃は心を患われて……バルタザール殿下は、第一王妃から恨み言を言われて育ったんだと思う。あきらかに陛下を目の敵にしてたから」
母を想う優しい心の持ち主だったが故に、その原因となる王を恨んだ。
フリードにはその感情が向かなかったのは、やはりどこまでも平等で正しい考えの王子だったからだろう。
「バルタザール殿下の母君は、フリードが生まれてすぐに自害した……って聞いてる」
葬式は簡素なもので、王が悲しみに暮れる様子は無かった。
それがますます二人の溝を深めたという。
「極めつけは、何故か陛下がこの大事件をすぐに『無かったこと』みたいに振舞ったこと」
第二王妃を第一王妃へ、フリードを第一王子へ。
そして、以降この事件やバルタザールの名を出すことを禁じた。
何故そのような周囲に疑われるような対処をしたかはオルフェには分からないという。
「……と、まあそういうわけでフリードは剣術は元専門だったっていうか。今も普通の王子以上には鍛えてるよ。……みんな触れないようにしてるから、褒め称えられることはないけどね」
「……成程」
それにしても、結局内政方面にも才能を開花させたのだからフリードも大概である。
ふとオルフェを見ると、小難しい顔で思案していた。
「そっか……フィアナちゃん意外とフェロニアについて知らない感じ?」
「……否定できませんね」
仮の住まいではなく家を構えて滞在したのは、集落にいた期間を除いてしまうと騎士学校に入学してから今までの三年。
あとは南の辺境伯の城へ暫く滞在したことがあるが、あそこでは国の中央の話は入ってこなかった。
「うーん……念のため一度勉強してもらわないとかなあ。でももう『復活祭』始まっちゃうし……」
うんうん唸っていたオルフェだが、不意にぽんと手を叩く。
「あっ、そうだ」
口角がやけに上に上がった。
比例するようにフィアナの眉が中央に寄る。
「ふふふっ、い~いこと思いついちゃった」
なにやら非常に、嫌な予感がした。




