32話 覚悟
男は突然登場したヨハネに向かって吠える。
「大衆紙会社の代表如きがここに何の用だ!」
「はあ……私は貴方とお話しているのでは無いのですがね……」
心底面倒臭そうにヨハネはため息をつく。
「……誰の許しがあって、と仰いましたか?」
「そうだ! 我々は正当な理由があって、法の下にこの女を尋問している!」
「私も、法の下に認められた権利の上でここにいるのですよ。第一王子フリードリヒ殿下の許可が下りましたので」
ヨハネの言葉に、フィアナは目を見開いた。
「……何故」
その呟きにヨハネが答える前に、男が喚く。
「それがどうした! これは法に許された行為だ! いくら第一王子殿下であろうと────」
「……うるさいですねぇ」
ヨハネはくるりとあたりを見回し、最後にフィアナで目を止めた。
「人目は無いですね。まあ大丈夫だと思いますが、万が一の責任は私が取りますので」
「……?」
「そこにいる煩い野良犬、落としてくれませんか?」
「はっ!?」
フィアナは、煩い野良犬……尋問官を見る。
手足の動作を確認した。
「……分かりました。では、この男がその水で足を滑らせて転んだということで」
「そうですね。お願いします」
「ち、ちょ、ちょっと待て、き、貴様、こんなことをしてただで済むと……う、うわあああああ!!!」
顎の先に回し蹴りを食らい、男は地面に沈む。
「お見事!」
ヨハネは嬉しそうに手を叩いた。
「それで、貴方は何故ここに?」
「フリードリヒ殿下の許可が下りたので貴女の取材に」
「取材?」
フィアナは怪訝そうな顔をする。
「はい。有り難いことに我々《アイオロス》は様々な特権を賜っていますから。そのうちの一つが……」
ぴん、とヨハネは人差し指を立てた。
「国王、または次期国王からの許しが下りた場合のみ、取り調べ中の容疑者、そして裁きを待つ囚人に優先的に関与できる」
逆に言えば、その二人のどちらかの許可さえ取っていれば出入り自由なのだ。
この取り決めを交わしたのは王家とだが、裁判所も承諾をしている。
「貴女をここから出すにはこれしかないとフリードリヒ殿下はお考えになったのでしょうね」
「ですが……何故、そのような」
何故フリードがそんなことをする必要があるのか。
寝覚めは悪いだろうが、フィアナに罪を押し付けてしまった方が事は楽に済む。
フリードに立てた騎士の誓いの所為で、フィアナが罪人になるのは不味いのかとも考えたが。
(いや、それは無いな。私を犯人にした場合、事を早急に済ませて風化させるはずだ)
少しでも早く終わらせるため、目立たせないために。
フリードに咎めがいくこともなく、この件は闇に葬られることとなる。
フィアナをここから救い出す利点は殆ど無い。
「フリードリヒ殿下には、何か私には及ばないお考えがあるのでしょうか」
「んー、まだ私の知らないあのお方がいるようですねえ……ますます面白いですね、フィアナ・シルヴィアさん」
「……は?」
フリードの話をしていたのに何故フィアナが面白いとなるのか。疑問を浮かべるフィアナを他所に、ヨハネはふむと唸る。
「ひとまず出ましょうか。ここは空気が悪い」
◇◆◇◆
フィアナはボロボロで、先程頭から水を被っている。
このまま王宮を歩き回るわけにもいかず、ヨハネにメイドを呼んでもらって着替えることにした。
こそこそと普段使われていない空き部屋に移動する。
殴る蹴るによる怪我は至るところにあるはずだが、フィアナは気に留めずに動いていた。
そんな様子に、メイドが眉を寄せる。
「怪我をなさっているのですから、やはり、まず医務室に……!」
「いえ、問題ありません」
フィアナは首を横に振った。
この程度の怪我は師匠の元にいた頃は毎日していた。
今更騒ぐほどでもない。
まずタオルで髪を拭おうとしたら、メイドが風のような動きでそれを代わった。流石王宮勤めのメイドである。
ぐしゃぐしゃとしてくれて良かったのだが、櫛などを使ってやたら丁寧に拭いてくれた。
その後、着替えの為に服を脱ぐと、隠れていた傷口が顕になる。
「っ……! 脇腹が鬱血して……」
尋問中に思い切り蹴られた箇所だ。
元が人より色白なフィアナの腹に浮かんだ赤黒い跡は、確かに痛々しい。
「申し訳ありません。見苦しいものを」
「包帯を持ってきますから、それを……!」
「いえ、だったら晒しを外すので……」
手間はかけさせないとフィアナが胸に巻いた晒しを外そうとしたその時。
「そろそろいいですか……と、おや」
ガチャリ、とヨハネが扉を開けた。
フィアナと目が合う。
「…………」
「おやおや、この歳でこんな得な役回りが来るとは……」
「グ、グーテルック様! 早く扉をお閉めくださいませ!!」
メイドが顔を真っ赤にして叫ぶ。
ヨハネの顔がひっこむと、メイドは今度はフィアナを振り返った。
「フィ、フィアナ様も、もう少し慌てられるとか!」
「いや……見られたのは腹と腕くらいなので、いいかなと」
晒しはまだ巻いていたし、下もズボンを履いていた。
そう言うとますますメイドに怒られる。
「とにかく! 包帯を持ってきます! 持ってきますから、ここにいてください!」
「は、はい」
鬼気迫る表情に思わず頷く。
彼女はいい嫁になりそうだなと、およそ同年代の娘の発想では無いことを思った。
メイドは包帯の他にも、塗り薬や水、軽い食事を持ってきてくれた。
ヨハネを待たせていることをフィアナが気にすると、
「いいですか? 淑女とは殿方を待たせる生き物です。それに、先ほどの覗き行為により、グーテルック様には如何なる文句を言う資格もございません」
「は、はあ……」
大変有り難い御指導を受ける。
サンドイッチを頬張りながら、フィアナは神妙な顔で頷いた。
「実は丁度、料理の上手い子が手が空いていたんですよ。お勧めです」
メイドの言葉通り、一見質素に見えるサンドイッチだが具ごとに刻んであるハーブが違ったり、パンにレモンバターが塗られていたりと手が込んでいる。
あの時間でここまで作れるとはなるほど腕がいいのだろう。
「本当に、あの子は優秀なんですけどね……」
メイドは言葉を濁す。
何か他に問題があるのか。
「実は、フェロニア語がうまく話せなくて。筆記と聞き取りは問題ないんですが」
「異国出身の者ですか」
ならば、もう少し勉強をすれば出世できるかも知れない。
「それは……そうみたいです。少し事情のある子で、長い間口がきけなかったので」
「口がきけなかった……?」
「あ、すみません。余計な話を。どうぞ、召し上がってください」
メイドはここで話を切り上げた。
傷の手当をして食事を取り、清潔な服に着替えれば、大分元気になる。
「ありがとうございました。突然仕事を増やしてしまい申し訳ありません」
「そんな! 騎士様が私などに頭を下げないでください」
メイドは慌てて手を振る。
「フィアナ様は、私たち城で働く女子の希望なのです」
「え?」
「現国王陛下に政権が変わってから女性の人権が見直されたとはいえ……未だ、私たちは心無い殿方には虐げられます」
そんな中、家の力も女の武器も使わず、平民出身の女騎士として身を立てるフィアナの存在は衝撃だったという。
「応援しています。頑張ってくださいませ!」
ぐっと拳を握り、メイドは他の仕事の為退室していった。
閉じられた扉をぼんやりと見つめる。
(希望……? 私が?)
そんな風に呼ばれる日が来ようとは。
フィアナは何度も目を瞬かせる。
守るためでなく、殺すために剣を磨いてきた騎士である自分が、希望。
「…………」
王立騎士団に籍を置き、フリードへ騎士の誓いを立ててしまった時点で、ダジボルグ帝国のあの男への復讐というのが自分だけの問題で無くなったことには、気がついてはいた。
実行するには、様々なものを裏切ることになる。
それは、自分を希望だと言ったあのメイドであり、世話になっているディルクやオルフェであり、気にかけてくれるボリスでもある。
そして何よりは、二度も助けられた、主であるフリードへの裏切り。
最低だと罵られても仕方がない。それでも構わない。
(……もう後戻りはできないんだ)
フィアナはその為に生きてきた。
「……覚悟はできている」
何も得ることはないこの復讐のために、再び全てを手放す覚悟が。




