154話 牢
「おや、おかえりなさい。どうでした、中は」
ひんやりとした空気から一転、明るく暖かな部屋へと景色が変わる。
「こっちは一向にスイッチが戻る気配もなくて暇でしたよ」
そんな声を聞く背後で、石がこすれるような音がした。
「どうやら、入った人間が出ると閉まるようだな」
レンガの位置が元に戻り、壁の靄が消えた。
「で、どうだったんです?」
問いかけられて、コテツは刹那の間を経て答えた。
「なにもなかった。牢屋があっただけだ」
コテツは、あの牢屋の中を、中にいた少女を暴き、つまびらかにして白日の下に曝すことを良しとしなかった。
自分にもよくわからないが、そうあるべき気がしたのだ。
(なんとなく、か。我ながら不条理だが……、どちらにせよ彼女を公表する得もない)
無理に暴き立てることはない。
証拠としては弱いし、出してもある意味扱いに困るだけだ。
「牢屋ですか」
「ああ」
コテツは、彼女から触れれば手折れてしまうような危うさを無意識に感じ取っていた。
「いつまで使われていたのかも、わからんな」
「そですか。大発見と思ったんですけどね」
さほど残念そうでもなく言うあざみを一瞥し、コテツは先ほど通路があった壁をなでた。
壁は、なにを当然の事をとばかりに堅い感触を返した。
「でも、何でこんなところにあるんでしょうねぇ」
「さてな。今回は多く客が来るから俺が偶然当たっただけだろう」
コテツは壁から手を離すと、踵を返し出口へと向かった。
「俺は出かける」
「え、ちょっと、着いたばかりですよ!?」
そんな声を背に、コテツは先ほど交わした言葉を思い出していた。
「私は、吸血鬼さ」
彼女は愛おしげに、忌々しげにそう告げた。
「吸血鬼――」
「血を媒介に魔力を得て、長き時を生きる。そう言う化け物だよ」
コテツは、前にその話を聞いたことがあった。
他人から魔力を得ることで高い身体能力を保つ、人ならざる者だ。
「いわゆる、見世物というやつだね。珍しいものを飼ってると、同じ穴の狢に自慢できるんだ。パフォーマンスに切ったり焼いたりは日常茶飯事だよ」
なるほど、随分と悪趣味だ、と心中でコテツは呟いた。
「そんなことのために私はこうして捕まっているのだけど。最近は、そうだな。領主が今代に代わってからはめっきり人が来なくなってしまってね。随分と暇を持て余していたよ」
「領主が変わってから、ということは、いつからここにいる?」
「忘れてしまったな。そんなこと。でも、今の領主の祖父が私を捕まえて、ここに放り込んだ。大体それくらい経ってると思ってくれればいい」
「三代に渡ってか」
「孫は一回見て忌々しそうな顔をしたきり一度も来なくなったのだがね。暇で仕方ないけれど、痛いよりはマシかも知れない」
「そうか」
ランプで照らせば、そこかしこに血痕が見える。
拷問器具もだ。
コテツは考える。これは拉致監禁の類ではないか。奴隷に対する法律にも抵触する可能性がある。
「これは違法行為ではないのか?」
「さて、どうだろう。合法ではないだろうけど。吸血鬼と区別されていても所詮亜人の種類の一つさ。それに、この国じゃ奴隷の売買は大っぴらにはできないようになっているけど、買った現場を押さえられなければ、大したことにはならない。それと同じで、私が捕まったのは数十年前、当人はすでに死んでいるよ」
この件から伯爵に対して何か行動を起こすのは難しいようだ。
結局、特にどうにもならないか、とコテツが思いかけた時。
そうして、あまりにもあっさりと彼女は決定的なことを口にした。
「よっぽど、彼等の麻薬売買の方が罪が重いだろう」
「――それは本当か」
思わぬところで、思わぬ話を聞いた。
「ん? ああ……、貴方は軍人か。気になるのも無理はないね。本当さ。この家と麻薬は切っても切れない関係にある。伯爵が健在なら、まだ続いてることだろう」
聞きながら、コテツは考える。
この吸血鬼を連れ、証言させてはどうだろう。
否、亜人の身では発言力がなさ過ぎる。
貴族ではなく亜人を信じたとなれば、多くの貴族の反感を買う。買いすぎる。
「そうか」
結局コテツはそれだけ返した。
「そういえば、聞いてもいいかな」
「なんだ」
「貴方はなぜここに」
コテツは一瞬逡巡し、正直に答えた。
「偶然だ」
「……偶然? 隠れた仕掛けに、認識阻害の魔術を偶然越えるのかな? 最近の人間は。だとしたら私が見世物にならないのも納得だ。現伯爵の祖父が楽しげに万全の防備を自慢してくれたものだが……」
それ以降コテツは黙る。
そもそも一部はコテツでも説明がつかないのだ。どうすることもできない。
「少なくとも、この件で伯爵とはつながっていない」
そして、話題をすり替えるように口にした。
「この格子の向こう側に行く手段も持っていない。銃を下した今、君に対してできることは声をかけることだけだ」
言いながら、コテツは鉄格子を掴んだ。
ひんやりとした感触。
「いいのかね? 私とそんなに会話を続けて。出られなくなっても私は知らないよ?」
「そうならないために対策はしたつもりだが、出られなくなる可能性はあるのか?」
「くく、冗談さ。向こうの扉は入った人数の退出が確認されるまで閉じないからね。それにただの壁だし、頑張れば崩せるのではないかな?」
聞く限り、閉じこめられる心配はないようだ。
あざみを呼ぶ意味もあまりなかったかも知れない。
「こうして人と言葉を交わすのも随分久しくてね。少し、楽しくなってしまった。さあ、早く戻った方がいい」
「ふむ、そうか。そうだな」
コテツは、あっさりと踵を返す。
「見つかってもお互い面倒だろう。二度と会うこともないだろうが、楽しかったよ」
「……さてな」
コテツは歩き始めた。
通路内に硬質な足音が響いていた。