152話 二日目 暗躍
夜。
「ほ、ほら金だ! 早く寄越せ、は、早く!!」
今ひとつ目の焦点が合わない男がまくし立てている。
「あいよ、待ちに待った品だ。楽しく使いな」
街灯に寄りかかった男は、掌サイズの白い袋を、焦点の合わない男に渡した。
焦点の合わない男は、それを見るなり喜んで走り去っていく。
(ぼろい商売だわなぁ。最初はちょっぴりのクスリを安く買ってたのに、今じゃ高純度を大量にか。ああなっちゃあ、何やらかしてでもクスリは買ってくれるんだろうなぁ)
心中でほくそ笑み、彼は背を街灯から離して歩き出す。
次の稼ぎ場へ移動しなければならない。
(簡単に足がつくような犯罪でこっちが巻き込まれちゃ敵わんがね)
サボっている暇はないのだ。哀れな子羊にクスリを与える立場ではあるが、彼も上納金というものがある。
そのせいで手元に多くの金は残らない。こんな仕事をやる得など、クスリの融通が利きやすい立場ということと、クスリを少し中抜きしてちょろまかして使えるくらいだ。
(中抜きはバレたら殺されんだろうな……)
ベニー・マクファーレン。金髪を後ろに撫で付けた青年だ。
不良少年上がりで、売人に目を付けられた。
以来、買う側から売る側に、だ。
彼は、上手くやっている自信があった。
彼は若い。それに、不良上がりであるため、路地裏の悪ぶった少年少女たちは彼に親近感を持つ。
もし厳つい年の離れた売人だったらビビッて買わない所でも、クスリはまだ怖がるような不良ごっこでも、馴れ馴れしく話しかけてセールストークをすればコロッといく。
年上だって、年下らしく媚を売ってやれば喜んで買っていく。
上手くやれている、そんな自信があった。
今日は、そんなある日の事。
「む、人がいたか。すまない、今日中に行かなければいけない場所があるのだが、いかんせんこの辺りの地理に疎くてな」
次の稼ぎ場に向かう途中、鳥打帽を深く被った男に話しかけられた。
彼は焦った様子で走っており、その手の中には地図がある。
冒険者のようだ。旅を終えた後と思える、草臥れた軽装がそう物語っている。
「すこし、道を教えてもらえないだろうか」
そう言って彼は地図を渡してきた。
「道? ふーん、この辺りにゃ詳しいぜ。見してみ」
軽い調子でベニーは言う。
ベニーの武器は親近感だ。他に自信があるのは、逃げ足くらいのものだ。
面倒ごとを避けるならば、相手に不信感を与えない事。
誰にでもいい顔をして、機嫌よく去ってもらうのが一番面倒がない。
それに、もし上手く行けばこの冒険者にも買ってもらえるかもしれない。
そういう打算があって、彼は地図を受け取った。
「どこよ」
「丸く印が付いている」
街灯の下に立ち、少ない光量で地図を見る。
「随分字が小せぇなぁ……」
読み難さに眉間に皺を寄せ、ベニーは近くで地図を覗き込んだ。
その瞬間だった。
「それはすまない、な……っ」
地図の中心が俄かに盛り上がった。
「がっ!?」
否、盛り上がるどころか、それはベニーの下顎に直撃したではないか。
地図の下から突き上げるように殴られたのだ、と気がついたときには意識は手放されていた。
「さて。君の雇い主について聞きたい」
気がついたときには、椅子に縛り上げられ、冷たい目で見下されている。
「……言えない」
ここはどこだろうか。薄暗くて判然としない。
壁が視界に入らない。床は、石造り。室内だ。もしかするとこの辺りだと海辺の倉庫かもしれない。
「先程からその一点張りだな。どうにか話す気にはならないか」
「言えない」
別に組織に忠義がある訳ではない。
話せば最後、半殺しではすまないだろうからだ。
例え無事にこの男から逃れられても、きっとそうなる。
「ふむ、そうか。君は強情だな。少し疲れた」
進まない問答を続けた時間はどれほどだろう。
ベニーには、永遠のように感じられた。
いつ、この男が暴力に訴え、爪は剥がされ背は焼かれるか、気が気でないのだ。
だから、この男が次の瞬間口にした言葉には、少し、いや、かなり気が抜けた。
「少し、世間話をしよう」
「は?」
「名前くらいは聞かせてもらえるか?」
「……ベニーだ」
例え数秒の延命でも、相手の機嫌はいいに越したことはない。
名前くらいはくれてやってもいいか、と考えた。
「そうか、ベニー。俺は、ラルフ・フランケルだ」
偽名だろうか。今となってはどちらでもいい。
「君は何が得意だ?」
「……得意?」
「ああ、そうだ。俺の自慢は、そうだな、君も味わったと思うが腕っ節だ。これ一つで身を立てている。君はどうだ」
「お、俺は……、そうだな。自慢は口だ。同年代から年下ならすぐに仲良くなれる。そうやって稼いできたのさ」
「回る舌か。それは少し困るな」
「困る?」
「いや、こちらの話だ。他にはないのか?」
「ほ、他? 他なら、ああ、そうだ、足だね」
「ふむ、足か」
男が、縛り付けた足を見つめる。
「あ、ああ、そうさ。足で稼ぐのもそうだが、さっきみたいに問答無用じゃなけりゃ……、逃げ足でどうにかなる」
「なるほど、そこまで言うなら武勇伝の一つでもないか?」
「そ、そうだな。一度、他の奴縄張りに入っちまって、でかいガードマンに追っかけまわされた事が、まぁ、あってな……」
好調に口が滑っていく。こんな相手にお喋りなのは、なんとなく悟っているからだ。
この男の気まぐれの休憩、それが終われば再開するのはなにか。
尋問なら、まだいい。
「足ってのは速けりゃいいってもんじゃない。撒くには身軽さがいる。俺の脚は三歩くらいなら壁を登れる。追われた時も壁を駆け上がって手を引っ掛けて塀の向こうへ、だ。じゃなきゃ今頃豚のエサだ」
尋問が再開するなら、それはなんて幸せな事だろうか。
だが、きっとそうはならない。だから、この休憩を終わらせないように、彼の口は回る。
「俺に見下ろした奴らの顔ったらない。あの時のあいつら、養鶏場の鶏……」
「ああ、もういい」
声が遮られ、尻切れになって止まる。
「そうか。自慢の足か。それなりに鍛えているだろうことは服の上からでも分かる」
「あ、ああ、そう、そうなんだ! なんだったらアンタにも見せて――」
「ではその自慢の足から折っていこうか」
まるで夕食を決めるような手軽さで、男は言った。
「ちょ、よせ……、まて、やめろ……! やめろ……」
感情を見せない無表情。
鋭く、黒い瞳が恐怖を煽った。
「ご主人様ー、ろくな情報持ってないですねぇ。さすが下っ端」
「だろうな。所詮末端に渡す情報など限られる」
呟きながら、男は帽子を取った。
黒い髪と、黒い瞳が露になる。
「この手法では、どこまで行っても無駄か」
コテツ・モチヅキは倉庫の外に出ながら言う。
「やり方を変えるべきか」
「リレーが激しすぎるんですよねぇ。人から人へクスリが回りすぎて、どう頑張ってもスタートに辿り着けません」
街は、街灯で照らされ、夜でも明るい。
こうして見れば、栄えた街のように見えるが、その実裏では麻薬の密売が行なわれているわけだ。
「王都とは根本的に違うようだな」
「そりゃ王都は王女……、っとと、女王様のお膝元ですからね。あの人、そういうのだけは譲りませんから」
ディストダルド領、領主直轄のディストダルドの街でコテツとあざみの二人が麻薬売買を追うハメになったのには理由がある。
それは、王城に届いた一枚の招待状に、起因していた。