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 妹のリナに異変があったのは七日前のことだった。その前日、一緒に森へ出かけた時には特に変わった様子はなかった。

 

 「お兄ちゃん、ちょっと待ってて。」

 その日はいつものようにリナと二人で森へ食材と薪を集めに出かけていた。魔女の住むという西の森とは川を挟んで向かい側――村の者が北の森と呼ぶ場所だ。

 森を歩く帰り道、リナは道から逸れて茂みの前でしゃがみ込む。戻ってきたその手には一輪の黄色い花が握られていた。いつもの場所に供えるためだろう。

「ほら、お兄ちゃんもお祈りして!」

「わかったよ。」

 

 大きな楠の木の下に簡素な石積みがある。昔ここで死んでいたウサギを埋葬してあげたものだ。リナはその簡素なお墓に手を合わせている。自分もそれに倣う。

「今日もたくさん木の実がとれました。ありがとうございます。うさちゃんも食べてね。」

 目を閉じて小さな声で呟くリナについ頬が緩む。しかしまあ、何年も飽きもせず続けるものだ。何度か、「もういいんじゃないか?」と言ってみたこともあるが、そのたびに「だめだよ!ここへ来たら必ずお祈りするって決めたんだから!」と言って聞かない。いつもそうだ。リナの頑固さにはこちらが折れるしかない。



 翌朝、いつもは自分よりも早起きで、「お兄ちゃん、早く起きて!もう朝だよ!」と起こしにくるはずのリナが珍しく起きてこない。しかたなく部屋へ起こしに行く。

「リナ、起きろー。」

 扉をノックしながら声をかけるが返事はない。こちらの部屋には遠慮なく入ってくるくせに、勝手に入られると怒るのだ。微妙なお年頃というやつだろうか。

「リナ、入るぞ。」

 返事がないので扉を開ける。そこにはベッドに横たわり寝息を立てるリナの姿があった。昨日の森歩きで疲れたのだろうか。軽く揺さぶりながら声をかける。

「リナ、いつまで寝てるんだ?ほら起きろ。」

 

 反応がない。狸寝入りでもして脅かすつもりか?まったく、こういうところはいつまでたっても子供だな。溜息をついて、先程よりも強めに揺すってみる。

 それでも反応はなかった。……本当に寝ているのか?――言いようのない不安が背筋を走る。

「おい!リナ!ふざけてないで早く起きろ!」


 結局、それ以来リナは目を覚ましていない。医者に見せても原因は分からなかった。まるで良い夢を見ているかのように穏やかな表情のまま、ただ静かに眠り続けている。


 

「ルカ、今戻ったのか?町まで出ていたらしいね。」

 往復して半日ほどの距離にある町から帰ってきたところで、自宅の前に幼馴染のテオの姿を見つけた。左手に持つ空の籠からは、微かに甘い果物の香りがした。どうやら何か差し入れを持ってきてくれていたらしい。

「テオか。どうした?リナの見舞いか?」

「うん、状況が悪化しているわけではなくて安心したよ。そっちはどう?」

 テオは笑顔で答えるが、その表情には不安の色が滲んでいる。

「収穫なしだ。エリアス先生にも会ってきたが、やはり同じような症例は見つからなかったそうだ。」

 

 町まで出かけていたのは、リナの症状について、何か情報が得られないかと考えてのことだった。この小さな村とは違って、町には多くの人が集まる。遠くにはもっと大きな町があって、そういう所からやってくる人もいるそうだ。もしかしたら、同じような症状を知っている人が見つかるかもしれない。

 とはいえ、医者であるエリアス先生にもわからないことが、素人の自分にわかるはずもなかった。じっとしていることができず、自分なりに聞き込みなどもしてみたが、やはりそれらしい症例についての情報は得られなかった。

 

「やっぱり、呪い……なのかな。」

 テオがぽつりとつぶやく。その視線の先にあるのは村の西に広がる黒い森だった。

「西の森の魔女……」

 小さな頃から何度も聞かされてきた。――西の森に足を踏み入れた者は魔女に呪われる――と。

 

「リナも俺も西の森になんて近づいていない。あの日だって、行ってきたのは北の森だ。」

「わかってるよ。でも、眠ったまま目を覚まさないなんて普通の病気じゃないだろ?まるで呪いじゃないか。」

 呪いの噂について、考えたことがないわけじゃない。実際、幼い子供の間では、度胸試しといって西の森に入ることはよくあることだ。自分やリナだって例外ではない。だけどそんな理由で、今になってリナだけが呪われるなんて理不尽な話があるだろうか。自分の中の焦りが苛立ちに変わっていくのを感じる。

「……そんなの、ただの迷信だろ。本気で魔女なんかいると信じてるのか?」

「そういうわけじゃないけどさ。……でもほら、銀極星が強く輝く年は不幸が起こるってやつ。なんとなく気になってさ。」

 

 今年は銀極星がやけに明るい――そんな話を村の年寄りたちがよく口にしている。そして、その話の元にもなっている「銀極星の魔女」の伝説が脳裏によぎる。

「まさか、西の森に本当に魔女がいて、しかもそれがあの銀極星の魔女だって言うのか?」

「だから、そんなこと言ってないって。ただ……誰も聞いたことないんでしょ?ずっと眠り続ける病気なんて。だから……呪いっていう方がしっくりくる気がして。」 

 確かに、今はどんな可能性にでもすがりたいというのが本音だ。もし本当に魔女の呪いだとしたら……。もう一度、西の森の方を見やる。

 

「もし本当に魔女がいて、リナの病気がその呪いだというのなら……直接会って呪いを解いてもらう。」

 リナが魔女に呪われる理由なんてないはずだ。もし本当に魔女の仕業だとしたら、その本人ならば呪いを解く方法も知っているだろう。

「いやいや、どうしてそうなるの?呪いならまず神父さんに相談を……」

「そんなことはとっくにやっている!あの母さんが黙っているわけがないだろ!オルマン司祭にも相談しているんだ!」

「怒らないでよ。それで、司祭様はなんだって?」

「……祈りが通じれば必ず助かるとさ。」

 吐き捨てるように答える。リナが病に伏せてから、母は食事もろくに取らずに一日中祈りを捧げている。神の教えを否定するつもりはないが、本当に苦しい時に与えてくれるのが気休めのような言葉だけでは、悪態の一つもつきたくなるというものだ。

 

「それで……本気で魔女に会いにいくつもり?」

「ああ、少しでも可能性があるなら試してみるさ。」

「やめときなよ。魔女に捕まった人は悪魔の生贄にされるって話だよ?」

「それでリナが助かるなら構わない。」

「ルカ。」

 テオの表情が真剣みを帯びる。

「君が後先考えない奴だってことは知ってるけど、簡単に自分を犠牲にするようなことは言うもんじゃない。そんなのは自分に酔っているだけだよ。君に何かあったらリナちゃんがどんな思いをするか、わかるでしょ。」

 テオにしては珍しく怒気をはらんだ強い語調にたじろぐ。血が上っていた頭が冷えてくるのを感じる。

「……わかったよ。」


「君の両親もずいぶん参っているんだろう?これ以上心配をかけちゃだめだよ。それにセシリアだって……」

「わかったわかった。もういいって。変なことを言って悪かったな。」

 さえぎるように会話を打ち切り、片手を上げてテオに背を向けて家の中へと逃げ込む。すれ違いざま、友の顔を見ることはできなかった。閉じた扉の向こうからテオが何か言うのが聞こえたが、構わずに自室へ向かう。


 彼の忠告にもかかわらず、心はすでに西の森に向かっていた。

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