といれ
「うん。・・・トイレにしよう」
と言っても、用を足そうというのではない。
先日、クルールの迷宮で手に入れた大理石のパネルとシートを張ろうというのだ。
最初はキッチンに使うつもりだったが、気が変わった。
いま手元にあるのは白いパネルとマロンのシート。
たぶんだが、大理石の種類はまだまだあるはずだ。
キッチンに貼るのはもう少し違った色合いがいい。
それに、初めてのことだ。失敗するかもしれない。
トイレであれば、多少失敗しても「ま、いっか。これも味だ」ですむ。
オレにはトイレにこもって雑誌を読むような習慣はないから、トイレにいる時間なんて一日に一時間もない。
というか、我が家には女の子が六人もいる。
メティスとリリムは治療院側のを使うとしても、独占するわけにはいかないから自然とそうなる。
だいいち、トイレの壁なんか見ていてもつまらん。早く出て、ミーレスのお尻でも眺めている方がいい。
オレのトイレが早い所以だ。
トイレは洗い場と流しのある部屋、その一角にある。
結構広い。
元世界で言えば、車椅子で使用することを想定していないタイプの身障者用トイレより少し小さい、とでもいえばいいか。
数値的には150×150の広さの部屋で、奥に便座がある。
面白いことに、便座は元世界のものと全く同じ。
しかも、手作業ながらも水洗だ。というか排便したあと、そばにある木製のバケツの水で流すと、下に生活排水の流れがあってどこかに流されて行くという仕組み。
トイレがやたら広くなっているのは、このバケツを置く場所が必要だからだ。バケツは3つ用意されているので、地味に場所をとってしまう。
バケツを置くためのスペースの一メートル上、空いている空間は戸棚になっていて掃除用具入れになっている。
ちなみに、バケツを置くのは入り口から見て左側だ。
なぜかと言うと、排便した使用者が立ち上がり、便座に向きなおった状態で水を流す、という一連の動きをするとき、人はバケツをどう持つか?
右手で柄を掴み、左手を底に当てはしないだろうか?
右側にバケツがあると、確かに柄はつかみやすいが、水を流すときにバケツを便器の上で左に大きく振らなくてはならなくなる。
左側にあれば、上体を捻って右手で柄を掴む、バケツを持ち上げる、左手を添えてバケツを傾ける、水を流す。
一連の動きをスムーズに行える、というわけ。
こちらの世界でも利き腕は右という人が多いということだ。
その証拠にうちにはオレ含め八人いるが、全員右利きだ。
この仕組みだと、排便したあとは各自、そのバケツに洗い場兼浴槽の水を汲んでおかなくてはならない。浴槽に水が残っていなければ井戸から汲む必要がある。
結構大変だ。
アルターリアなんかはウンディーネで出すらしいし、オレも魔力と時間に余裕があるときは設定値変更による局所的な結露で補充している。
それなら、バケツはひとつでいいんじゃないか? と思うだろうが、日常として汲んでいる時間がないこともある。たとえば、家庭的なマンガでよくあるシーン。朝の行列ができている状態では、バケツが一個だと回れないのだ。最低でも二つ必要だ。
一人が済ませて、空のバケツを持って出る。二人目が入る間に一人目が水を汲む。二人目が空のバケツを持って出る。三人目が一人目の汲んできたバケツを受け取って入る。
これがうまくいけば二個でいい。
しかし、さっきも言ったように井戸まで汲みに行く必要がある場合もある。
そうなると、三人目がトイレに入るまでに戻れないことも起こりえる。
だから、三つ必要なのだ。
なんにしても、水が流れなくなれば途端に大変なことになるだろうことが予想されるのだが、メティスに聞いたところでは流れが止まったことはないとのことだ。
逆に溢れそうになったことはあるそうな。
祖母の昔の家が、近くの川の氾濫で度々床上どころか二階まで沈む家だったということで、大雨のたびに水上がりのあとの悲惨な思い出話を聞かされてきたオレは、メティスのサラッとした言葉に血の気が引いたものだ。
なので、その話を聞いて以来。トイレに入るたびに便器の穴を覗き込んでしまう癖がついている。どうせ見えやしないのに、だ。・・・断固として言っておくが、ミーレスたちの排便の跡を探して興奮するような性癖があるわけではないぞ!
まさかとは思うが、勘ぐる人がいると嫌なので念のため。
ともかく、腐食を避けるために火であぶった黒い木壁で囲われているだけの、かなり暗い雰囲気――照明もないからなおのこと暗い――を少しでも明るくしたい。
『トイレを見ればその家(会社・店)がわかる』ともいうし、トイレを綺麗に掃除するとその女の子は綺麗になるとか、妊婦がトイレ掃除をすると綺麗な子が生まれるとかいう話もある。
厠神は疎かにするべきではない。
一説によると、厠は七福神の一柱、弁財天が守るともいわれている。
七福神が集まって、家のどこの守護をするか決めようというときに弁財天は化粧に時間をかけすぎて大幅に遅刻してしまい、残っていたのがトイレだけだったのでしかなくそうなったとかいう話がある。
そのため、怒り心頭の弁財天は、守ってやるけど、そのかわりトイレを汚したら神罰をくれてやる、と気炎を吐いたそうな。
他にも、「トイレにもそれを司る神が必要だ」と神様たちが話し合ったとき、誰もが敬遠する中で名乗りを上げた神様がいた。誰もが避けたあとだけに、他のすべての神々がその神様の決断と優しさをほめたたえたというのもある。
トイレを掃除するのは、なにも神の機嫌を取るためというだけではない。
人が嫌がるような仕事にも全力で向かう精神と、使う人が気持ちよく過ごせるようにと綺麗にする心遣いが現れる。掃除した人がどんな躾と教育を受けてきたかがわかる。これらのことから先の、『トイレを見ればその家がわかる』となる。
なので、トイレは明るく綺麗にしておきましょう、という話になるわけだ。
「さて、と」
トイレに入ったオレは持ってきたランプを、バケツが置いてあるのとは逆側の壁にある灯りを吊るす金具に下げて、空間保管庫から大理石の板とシートを取り出した。
トイレをどうするかだが考えるまでもなく答えは出ている。
扉を開けて真正面の壁、便座の後ろの壁に『スノーホワイト300角』を貼り付ける。
防腐処理として表面を焼いた木の板が張られているだけの暗い壁を、スノーホワイトの大理石で埋めるわけだ。
貼り方は簡単。
壁と大理石パネルの裏面とを設定値変更で、完全に真っ平ににする。
もちろんゴミなんてミクロ単位でも付けない。
そうして重ねると・・・あら不思議。
ぴったりくっついて離れない。
伝説の大工(建築だけでなく欄間とか床柱などの彫刻もする。鴬張りなんかを発明したのも彼らだ。お城の仕掛けとかもそう。つまり建築家兼彫刻家兼発明家というオールマイティーな職種)の左甚五郎(日光東照宮の眠り猫で有名なあの人)の逸話として有名な「二枚の板がくっついて離れない」という現象が起きる。
この方法なら、気に入らなくなれば設定値を元に戻すだけで壁もパネルも元の状態のまま外せる。接着剤から有害物質が出ることとか気にしないでもいいし、実にエコである。
そっと壁に当てるだけなので手間もかからない。どんどん貼れる。
30センチ×30センチのパネルを天井から縦に8枚横に5枚、40枚貼る。
縦方向は下側に15センチほどの隙間ができたが、これはこれでよしとする。
横はぴったり収まった。
次に、入って右側の壁に305角のマロンシートを同じ要領で貼る。
305の5ミリ分はシートで貼るときの余白なので、重ね貼りでなくなるから実質は300角だ。貼り方がわずかにズレても、下の黒い壁が顔を出すことがなくて便利てある。
ただ・・・。
横に5、縦に2?
って、10枚しかない!
2列貼ったらなくなるじゃんか。
「・・・白のパネルと組み合わせて、市松模様にすればいいか」
幸い、白のパネルはまだある。
白、マロン、白、マロン、白。
マロン、白、マロン、白、マロン。
白、マロン、白、マロン、白。
マロン、白、マロン、白、マロン。
貼れた・・・けど。
下に1メートルほどの隙間があるし、右側しか貼れていない。
左をどうする気か?!
両方貼るなら白も足りないぞ?
すでに数枚しか残っていない。
とか思いつつも、
「ま、いっか」
軽く流した。
とりあえず、半分は明るくなったことで満足しておこう。
左側と下半分は別の色を貼ればいい。
そもそも、左側の壁は上1.5メートルが戸棚になっていて壁じゃない。戸棚の扉に大理石の板を貼るのは重くなるしマズかろう。
「とっても明るくなりましたねっ!」
ほら、ミーレスも喜んでるし。
って、あれ?
おお。
振り返ると、ミーレスとシャラーラ、アルターリアがニコニコして立っていた。
リリムがいないのは、きっと治療院の掃除をしているのだろう。
カーテンを外したあとのカーテンレールとかを。
誰が決めたということもないのだがなんとなく、治療院はメティスとリリム担当という図式になっているからな。
「洗濯は終わったのか?」
「はい。アルターリアのおかげでどんどん綺麗になるので楽しかったです!」
ミーレスが弾むように言って。
「私ではなく、おかげというならウンディーネですけれど」
照れ臭そうにアルターリアが肩をすくめている。
「メティスも喜んでいたっすよ」
それはそうだろう。
一人であれだけの量を一気に洗濯なんて無理だ。
晴れる日を見越して一枚か二枚が限度だったろうから、一年に一回か二回の頻度でしか洗えなかったのではないだろうか。
それはまぁいい。
「じゃあ、あとは玄関に置きっぱなしの本を書斎の書架に並べてしまおうか」
ずっと置きっぱなしになっていて気になっていたのだ。
「わかりました」
「やるっす」
ミーレスとシャラーラが即座に返事をする。
一人、アルターリアだけが首を傾げた。
「順番などは決めなくてよろしいのですか?」
おお。
さすが元は良家のお嬢様。本の並べ方にまで気が付くか。
「一度も読んだことのない本だからなぁ」
オレとしても無造作にただ並べるというのは気に入らないのだが、読んだことのない本が相手では気に入ってる順に並べるのは無理だし、ちらっと見た感じではジャンルもタイトルを見ただけではわからなかった。
著者名順というのも、全部見たわけではないが一冊一冊違う著者のようだったから無意味だと思う。
そうなると、タイトル名順ということになるが・・・。
ジャンルがバラバラなのに、タイトル名順に並べてもどうなんだ? って話だ。
「とりあえず、本の大きさでまとめてくれればいいよ。あとは、オレが少しずつ読んでみたうえで並べ直すから」
とりあえず見た目をそろえる方向で、並べてもらおう。
「わかりました。そういたします」
オレの意を受けて、アルターリアが動く。ちょっぴり遅れてミーレスとシャラーラも動いた。ミーレスが何やら残念そうなのは、本の扱い方ではアルターリアに一日の長があることを認めないわけにはいかなかったからだろうか。
だとすると、書斎担当はアルターリアと決まったようだ。
もともと買ってきたのもアルターリアだしな。
さて、そうなると書斎に四人は多すぎるから、またしてもオレは暇になったことになる。
仕方がないので、ランプを回収してトイレを・・・出なかった。
トイレの扉を前にしばし考える。
トイレと言えば、よく公衆トイレなんかに貼り紙があるのを思い出したのだ。
白のパネルを設定値変更で薄くすると同時に、その分だけ広げる。
扉とほぼ同じ幅の60センチ角の紙状にしたところで、設定値変更【指でたどった個所の表面だけ色を変える】で、文字を書き込んだ。
フォントの色は緑だ。
『やおらかに、心静かに手を添えて、外に漏らすな、マツタケの露』
んで、扉に貼ってみる。
扉の上半分が白くなって、明るさが増した。
でも、そうなると下が暗い。
白のパネルをもう一枚取り出して、同じことをする。
同じように文字を書き込んだ。
『急ぐとも、心静かに殻を開け、そっと潮噴く、磯のハマグリ』
あいだを空けて。
『ほとばしる、磯のアワビに潮香る、決して漏らすな、羽衣の露』
上のとの間に隙間を空けて、貼ってみる。
扉の黒がいい具合に額縁のようになって、いい感じになった。
すばらしい!
そうなると、同じ手が使えるのではないか?
同じようにして、白のパネルを戸棚の扉の大きさと形に合わせて引き延ばした。引き延ばしたものを数枚使って、両開きの扉二枚に張り付ける。
戸棚の扉も白くなった。
調子に乗って壁もこれで行こうかと思ったが、引き伸ばした分だけ艶とか石の質感が見た目でわかるほど落ちるようなのでやめた。
せっかくの大理石が、百均の壁紙シールになったのでは面白くない。
これであとは床から一メートル分の左右の壁、そして床を貼れればトイレの雰囲気が一新されることになる。
見違えるように明るくなったトイレをさっそく使って、外に出た。
トイレから出たものの・・・何をしようか?
なにをしていてもいい身分というのは、これはこれで、こういうときに困るよな。
贅沢な悩みだ。
「昼食の支度でもするか」
マティさんが何やら期待しまくっていたみたいだし、ここはひとつ手間のかかる昼食でも作ってあげよう。
ということでオレは、書斎に足を運んだ。
「ミーレス、買い物に付き合ってくれ」
開けっ放しのドアから首を入れて声をかけた。
「はい!」
うおっ!
打てば響く速さでミーレスが顔を出したので、引きそうになってしまった。
というか、顔がぶつかりかけた。
オレの鼻にミーレスの息がかかったぐらい。
「あ、す、すみません」
恐縮したように身を縮めて、ミーレスがうなだれる。
あー、もう!
そんな顔されたら苛めたくなるじゃないか!
いじめちゃろ。
「・・・なってないな」
できるだけ低音で言ってみる。
「え・・・?」
驚いたというか呆然とした顔のミーレス。
「こういうときの作法は、謝る前にすることがあるだろ」
小さく首を振りながらダメ出し。
「ぇ、ぇ、え?」
うろたえるミーレス。
くっくっくっ・・・内心笑いながら教えてあげる。
オレも随分と大胆になってきたものだ。
「せっかく顔があんなに近づいたんだから、優しくキスしないとダメじゃないか!」
メっ!
叱りつけると、なぜかミーレスはパァァァァァっ!っと顔を輝かせて、つま先立ちになると唇を重ねてきた。
間違いなく要望通りのキスなのだが・・・ふと思いついて、そっと顔を離す。
「?」
不思議そうな顔をしながらも再び唇を合わせてきたので、またちょっと離す。
「?」
再び不思議そうな顔をしたので、今度は逆にミーレスの身体を押して、軽いキスをするたびに一度離すようにさせた。
んで、何度か繰り返すと意味が分かったのか、ミーレスは軽いキスを何度も繰り返してきた。
なにを教え込んだかと言えば、いわゆるバードキスだ。
小鳥のような軽いキスを何度も続けてするやつ。
「これ、謝るときのキスね」
ミーレスの頬にそっと触れて、キスを止めてからそう教えた。
「あと、嬉しいときも、これ」
元世界での一般的なキスの仕方としては、久しぶりの再会とかプレゼントをもらって嬉しいときのキスということなので、謝るときのキスというのはちょっと違うけど、これが我が家ルールである・・・としよう!
ミーレスに教えておけば、きっと他の子たちにも教えてくれるはずだ。
メティスには教えないかもしれないが、それならオレが一から教えるだけのことだ。
「覚えられた?」
瞳を見つめて聞いてみる。
「はい、あ、いえ。もう一度、ご指導をお願いします」
潤んだ瞳でそんなことを言う。
やれやれ。
一度では覚えられなかったらしいので、もう一度やらせて教えてあげた。
できの悪い生徒ほどかわいい、というのはこういうときの言葉かもしれない。
違うけど、我が家では正解だ。キリッ。
あ、でも・・・。
「こういうルールを作られるのって、いやかな? もし嫌なら遠慮しないで言ってくれ。別にどうしても必要なことってわけでもないんだから」
家族とか言っておきながら、明らかに奴隷として「いうことを聞け」もしくは犬に「おて」や「待て」を教えているようなことをしているのだと気が付いて、聞いてみる。
「いえ・・・嫌ではありません。むしろありがたいです。奴隷には色々な制約や指定の行動があるべきです。商館では、売られる先が決まっていた私ですら、多種多様な制約や行動指定を受けていました。シャラーラたちはもっとたくさんの、そして辛いものも含めて、あったと思います。生意気を承知で言わせていただきますと、ご主人様がお優しいのはわかっていますが、自由過ぎてときどき困ることがあります」
「困るのか?」
「奴隷という事実を忘れそうになるのです。ご主人様だけのときはそれでもいいのかもしれませんが、他人のいる時などにそうなると、私たちもご主人様も恥をかくことになります」
あー・・・。
ブレヒティーが家に来たときのシャラーラだ。
どうしたらいいかわからなくて、正解を探りながら行動していた。
きっちりとした行動規範があれば、悩むことはない。
基本、彼女たちはオレの指示に従ってさえいれば他は何をしてもいい立場なのだ。極端な話、お客がいるときは全裸で接待しろと命じれば、その通りにする。それを相手がどう思おうと、彼女たちには関係ない。
オレがルールブック。
オレが六法全書なのだ。
そして、それはこの世界の住人には常識だ。
「そういうものか」
「そういうものです」
我が家ルールは、オレの我儘とかではなく。必要なことであるらしい。
「じゃあ、これからは少し考えて、指定していくことにする。やりすぎてると思ったら、ちゃんと指摘すること!」
「はい。・・・それも、ご主人様ルールですね」
にっこりと微笑んで、ミーレスはさっそく「嬉しいときのキス」をしてくれた。




