<後編>
「う~ん、骨は折れてはいないみたいだね」
院長と呼ばれた男は、仔猫の体をそっと触診していく。
暗い夜道では真っ黒に見えたが、こうして灯りの下で改めて見ると仔猫の毛色は黒ではなくグレーだ。
それも、ビロードのようなグレー。
ひょっとして、ロシアンブルーではないだろうか。
「おそらく、どこかで左足を痛めたんだろうな。とりあえず当て木をしておくよ。明日の朝、北島さんのところに連れていくといい」
「北島さん・・・?」
「ああ、僕の知り合いの獣医師だよ。ここからすぐ近くにある」
「あ、ありがとうございます」
輝は、深々と頭を下げた。
この人がいなかったら、自分はあのまま仔猫を抱えた状態で夜通し彷徨うところだったかもしれない。
そう思うと、安堵からかまた涙が出てきた。
「ご・・・ごめっ・・・なさい、俺、安心しちゃって・・・」
「はは。いいんだよ。君は優しい子なんだね」
「そんな・・・」
「ああそうだ。まだ自己紹介してなかったね。僕は滝澤薫。このクリニックの院長をしているんだ」
「あ・・・お、僕は川越明です」
「学生さん?」
「いいえ、働いてます」
「そう。家はこの近く?」
「あ、はい。ここからだと10分もかかりません。あの、先生・・・」
「薫でいいよ」
「か、薫さん・・・明日なんですが・・・」
「ああ、明日は僕は午前中休みだから一緒に北島さんとこに行ってあげるよ。9時にここに来れるかな」
「はいっ。ありがとうございます」
「ところで、この猫なんだけど、怪我の手当てをしてどうするんだい?君が飼うの?」
「はい、そのつもりです」
「そうか、なら安心した。じゃあ、明日ね」
仔猫を胸元に入れて、マンションまで帰る。
寒さで震えていた仔猫も、暖かい部屋でタオルに包まれると安心したのかうとうととし始めた。
念のために人肌に温めたミルクをそばに置いたが、お腹は空いていないのか反応しない。
「この子、どこかで飼われてたのかなぁ。どう見ても野良っぽくないし・・・」
そっと耳元を撫でながら、先ほどの院長の顔を思い浮かべる。
滝澤薫という純日本的な名前だが、どう見ても外国の血が入っているように思えた。
ハーフかクォーターなのだろうか。
笑った顔がやさしそうだったな。
そこまで考えて、フルフルと頭を振る。
もう誰かを好きになるのは、しばらくは勘弁だ。
あんな苦しい思いをするのはごめんだから。
光をフッ切るのに、意外と時間がかかったのだ。
今は一人がいい。
「そうだ、名前。おまえの名前考えなくちゃね。イブに出会ったからイブとか。単純すぎるか。それにオスかメスかわかんないもんね。あ、男だったらクリスにしようかな、クリスマスのクリス」
すやすやと眠る仔猫の寝顔を、飽きることなく輝は見つめた。
翌朝、仔猫を連れて滝澤総合病院まで出かけた。
薫の車に乗って、北島ペットクリニックに向かう。
北島獣医師は薫の古い友人のようで、二人はいかにも親しげに話していた。
北島はアメフトでもやっていたのではないかというくらいに、体格がいい。
顎ひげを生やしていて、一見医者には見えない。
だが、気さくな人柄が体中から滲み出ており、信頼できる人物のように思えた。
仔猫の性別は雌だった。
その時点で、名前はイブに決定した。
イブの左足は何かに激しくぶつけたのか、ダメージを受けてはいたが骨折には至っていなかった。
昨夜の薫の応急処置がよかったというのもあって、すぐに治りそうだとのことで輝は胸を撫で下ろした。
「イブ、よかったな。すぐによくなるって」
「にゃあ~」
「わ、返事してくれた?おまえ、俺の言葉わかるの?」
「ふにゃあ・・・」
帰りの車の中、イブを愛おしそうに抱える輝を薫が微笑ましそうに見つめている。
その視線に気付き、輝は思わず頬を染める。
そんな風に見つめられたら、勘違いしてしまう。
俯いたまま顔を上げない輝の肩を、薫がそっと触れた。
「明君、よかったらこれからお昼でも食べにいかないか」
「え・・・」
「それからその仔猫のグッズもいるだろう。トイレとか餌入れとか、おもちゃとか」
「あ・・・それは・・・」
「ついでに買い出しに行こうよ」
「い、いいんですか。お忙しいんじゃ・・・」
「いいんだ。さっき電話して午後の診療を変わってもらった。少しくらい平気さ」
「でも・・・」
「このまま、君とお別れするのは嫌なんだ。君、僕のタイプど真ん中なんだよ」
「えっっ」
「明君は今、付き合ってる人とかいるの?」
「え・・・えと・・・あのっ・・・」
「クスクス。焦らなくてもいいよ、返事はいつでもかまわないから」
金魚のように口をパクパクする輝をよそに、楽しそうに鼻歌を歌う薫。
そのまま軽快にアクセルを踏み入れる。
「クリスマスイブに出会うなんてロマンチックだと思わないかい?」
「ロマンチック・・・」
「これはもう、サンタクロースからのプレゼントだと思うね、僕は」
「サンタのプレゼント、ですか・・・」
そうかもしれない。
仔猫が運んできてくれた、幸運の贈りもの。
ひょっとしたら、運命の出会い・・・?
クリスマスイブに起こった、奇跡・・・みたいな。
「さて、何が食べたい?明君」
輝が応えるかわりに、「にゃあ」とひと言、膝の上のイブが鳴き声を上げた。
輝にも、ようやく春が来そうです。
この二人の今後も、また機会があれば書いてみたいと思います。




