前編
『You are my destiny』の輝のその後です。
歌舞伎町ナンバーワンホストの輝は、失恋したばかり。
そんな彼に訪れた出逢いとは・・・?
「お疲れ!」
「お疲れっしたっ」
「お疲れさま~」
男達の声が、店内に響きわたる。
ここ、『ミルキーウェイ』は、新宿歌舞伎町で老舗のホストクラブだ。
今夜はクリスマスイブということで、ホスト達の気合いも十分だった。
その甲斐あってか、目標額を遥かに上回る売り上げとなった。
「ふぅ~、疲れた」
もうすでに時計の針は深夜を回っている。
日付が変わり、25日になったのだ。
クリスマス、そう、イエスキリストの誕生日。
この日本中のいったいどれだけの人間が、そんな基本的なことを認識しているだろう。
クリスマスイブと言えばこうしてドンチャン騒ぎする日、くらいにしか思っていないのではないか。
常連客や指名客から持ち帰れないほどのプレゼントをもらった輝は、このクラブでナンバーワンのホストである。
先週末で退職した光が長年ナンバーワンの座を保持していたが、ちょうどひと月前にその彼を追い抜いた。
もっとも、光は前々から店を辞めるつもりでいて、ヘルプだった輝に自分の上客を回していたというものあるのだが、それでもここまで上りつめたのは輝の実力だろう。
プレゼントのうち、とりあえずバッグに入りそうなものだけを入れる。
普段着に着替えると、トートバッグを肩にかけて店を出る。
きらびやかな夜の世界にいて、輝はどこか異質な雰囲気を持っていた。
それは、必要以上に華美な生活やファッションを好まないということも、影響しているのかもしれない。
多くのホスト達が派手なブランド物を身に付けたがるのに対し、輝はそういったものにはまったく興味がなかった。
彼の服装はというと、ノーブランドのセーターにジーンズ、その上にダッフルコートという極めて地味なものだ。
コートだけは保温性を重視すると高級な物にならざるを得ないので、それなりのものを着るようにしているが、高い時計やアクセサリーなどを付けることはない。
車に至っては、免許すら持っていなかった。
「さてと、帰るとするかぁ~。誰も待たないあの寒い部屋に・・・」
そんな自虐的な言葉を吐いた自分に、思わず笑ってしまう。
二ヶ月前に失恋したばかりの輝は、このクリスマスを一緒に過ごす相手はいない。
もっとも、水商売をしている身にはクリスマスなど休めるはずもないのだが。
それでもこうして仕事が終わって家路に向かう時、一抹の寂しさを感じてしまう。
深夜を過ぎても新宿の街は眠らない。
行き交うのはカップルばかりだ。
きっとこれから二人だけの熱い夜を過ごすのだろう。
そんなことを考えると、なんだか惨めになってくる。
「さ。とっととタクシー拾おうっと」
輝の住むマンションは、代々木にある。
つい先月、引っ越したばかりだ。
別に前のマンションでもなんの支障もなかったのだが、ナンバーワンになったからにはそれなりの生活をしたほうがいいと支配人の高須に勧められ、引っ越すことにしたのだった。
代々木の自宅までは、歩いてもそう遠くはない。
いつもなら夜風にさらされながら歩くのが楽しみな輝だったが、今夜はなぜかその夜風が目に沁みる。
早くこのきらびやかな街から逃れたかった。
だが、こんな時に限ってなかなかタクシーがつかまらない。
今日は、イブだもんな・・・
深くため息を吐くと、そのままてくてくと家路を急ぐ。
マフラーをグルグル巻きにしているが、冷たい風が肌を指すようで、白い頬も鼻も赤くなっていた。
「ふぅ~~~、冷えるぅ~~~」
少し早足になりながら歩く輝の視界に、黒い小さな塊が入って来た。
「なんだろう・・・」
足を止めて、その塊のほうをじっと見つめる。
よく見ると少し動いているようなのだ。
気になった輝は、そばに近づいてみることにした。
道路の端に蹲るようにして、それはいた。
「こ・・・仔猫?」
黒っぽい仔猫が、寒さに凍えながら道端で震えていたのだ。
輝がしゃがんで声をかけると、ミャアミャアと訴えかけるようにして鳴き出した。
「おまえも、一人なんだね」
思わずその仔猫を抱きかかえる。
ところが、輝が仔猫に触れた瞬間、その仔猫がヒステリックな声を上げたのだ。
どうやら足のどこかを怪我しているようで、輝の触ったところが痛かったようだ。
「どうしよう・・・び、病院。病院に連れてかなくちゃっ」
オロオロとあたりを見回すも、こんな夜中に開いている動物病院などあるはずがない。
「き・・・救急車・・・って無理か。猫の救急車なんてないよな」
こんな時どうすればいいのだろう。
胸に抱きかかえた仔猫は、苦しげな鳴き声を上げたままだ。
早く、早くなんとかしなければ。
焦る気持ちが輝をパニックにさせる。
大きな瞳からは涙がポロポロと零れ落ちた。
「どうしよう・・・どうしよう・・・」
涙で頬を濡らしながらあてもなくウロウロしていると、突然呼びとめられた。
「大丈夫?どうかしたのかい」
声をかけてきたのは、長身の男だ。
上等そうなレザーのコートを着ており、これまた高級そうなグレーのカシミアのマフラーを巻いている。
スッと通った鼻筋に彫りの深い顔立ちは、彼が純粋な日本人ではないことを物語っていた。
「あ・・・あの・・・ね、猫がっ・・・」
「猫?」
「この子、どっか悪いみたいなんです。ど・・・どうしよう、俺、どうしたら・・・」
「俺って、君、男の子?」
男は心底驚いたという顔をする。
長い黒髪が肩先で揺れる、古風な顔立ちの美少女だと思ったからだ。
だが、驚いた表情は一瞬ですぐに現実に立ちかえる。
そして、ヒックヒックと泣く輝の頭を優しく撫でた。
「とりあえず、僕のクリニックへ行こう」
「クリニック・・・?」
「ああ、僕は医者なんだ。応急手当てくらいならできるかもしれない」
「ほっ、ホントですかっ」
わらをも掴む思いで、輝は男の後を付いていった。
十分ほど歩くと、目の前に白い大きな建物が見えてきた。
クリニックと言っていたが、滝澤総合病院とある。
結構大きな病院のようだ。
「さあ、こっちから入って」
正面玄関ではなく、救急の搬入口から入る。
胸の仔猫はちょっとぐったりしているようで心配だ。
「おや、院長先生どうしたんですかこんな時間に」
「ああ、ちょっとね」
院長?
この若そうな、どう見ても三十代にしか見えない男が?
年配の看護師と話をしている男の横顔を、輝はまじまじと見た。
明るい蛍光灯の下で見る男は、薄茶色の髪に深い海のような緑の瞳を持つエキゾチックな風貌だった。
どこか、近寄りがたいような彫刻みたいな顔。
「さあ、仔猫を診てあげよう」
白い歯を見せて笑った顔が思いのほかやさしそうで、輝はホッとしたような懐かしいような、不思議な感覚に見舞われた。