3-3(悪役令嬢の策略).
エカテリーナが王妃ミランダから侍女エルサの話を聞いてから3ヶ月くらい経った頃、その話は帝国にもたらされた。
「エカテリーナ様、マルマイン王国に聖女様が顕現したらしいです。しかも、どうやら本物らしいって噂になっています」
「そう」
エカテリーナ付きの侍女の言葉にエカテリーナは頷いた。
もう侍女の間でも噂になっているなんて・・・。
エカテリーナはすでにその話を夫のダイカルトから聞いていた。マルマイン王国の密偵からの情報だ。その上、カイルベルトからも同じ報告が届いているらしい。
なんでもカイルベルトの妻のセリアがマルマイン王国の王都まで確かめに行ったらしい。それをセリアがカイルベルトに話したということは、二人は上手くいっているのだろう。
それは、とても良いことなのだが・・・。
エルサの言う通りになった。エルサは聖女と姫騎士によって帝国はマルマイン王国との戦争に負けて自分とダイカルトはその戦争で死んだと言っている。そこから時を遡って、エルサは二度目の人生を送っている、そう言っているのだ。その話にエカテリーナは登場しない。エルサの話の中ではダイカルトの妻はエカテリーナではなくエルサなのだから。荒唐無稽な話だ。でも、本当にマルマイン王国に聖女が現れた。
それにと、エカテリーナは考える。乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』ではエカテリーナは修道院送りになっている。当然ダイカルトと結婚などしていない。
ダイ様・・・。
エルサの話が本当だとすると、一度目の人生でエルサはダイカルトと結婚し、二人ともマルマイン王国との戦争で死んだということになる。
エカテリーナの考えはさらに進む。ダイ様が侍女と・・・そんなことが本当にあり得るのだろうか? そしてダイ様が死ぬなんて・・・。この先、よくラノベなどで描かれるゲームの強制力なんてものが発動したりすることがあるんだろうか? それは絶対に抵抗できないものなんだろうか? 疑問は尽きない。だが、エルサが偶然聖女なんて言葉を口にしたとは考えられない。
マルマイン王国に聖女が出現したことによってエルサの言葉の信憑性が増したのは事実だ。
やはりエルサは・・・。
★★★
私は、エルサ見つけると、いつかと同じように観察した。
エルサはほかの侍女と一緒に洗濯をしている。風でスカートがひるがえったときに、膝小僧に怪我でもしたのか絆創膏のようなものがチラっと見えた。私の指示した虐めによるものだろうか? だけど、マルマイン王国に聖女が現れた以上、ダイカルト様の近くにエルサを置いておくわけにはいかない。なんとしてもエルサを王宮から追い出さないと・・・。
エルサに対する虐めはかなりエスカレートしているはずなのに、それでもエルサはここを出て行かない。思った以上にエルサはしぶとい。このままではエルサが言っていることが本当になるかもしれない。
「ね、わたしの言った通りになったでしょう」
「そ、それはそうだけど」
あれはジリとか呼ばれていたエルサの同僚だ。ジリのエルサを見る目には少し怯えの色がある。エルサの言った通りマルマイン王国に聖女様が現れたことで、虐めとは別の意味でもエルサは避けられているようだ。エルサとジリの近くに他の侍女は寄ってこない。
「それに、これを見て!」
エルサが取り出したのはハンカチだ。
「ほら、ここに第三王子の紋章があるでしょう?」
「エルサ、こんなものをどこで、盗んだの?」
「違うわよ。ダイカルト様が下さったのよ。本当なんだから」
私は目を凝らしてエルサが手にしているハンカチを見た。チラリと紋章が見えた。ゲナウ帝国の王子であるアルベルト様、カイルベルト様、ダイカルト様にはそれぞれの紋章が与えられている。私は眩暈を感じてその場に倒れそうになった。いや、よく確認しなくては・・・。
私はそのハンカチを確認しようと目を凝らした。
間違いない。確かにエルサが手にしているハンカチの紋章はダイカルト様のものだ。私がそれを見間違うわけがない。
なぜ、ダイカルト様の紋章があるハンカチをエルサが持っているの?
ダメだ! なんとかしなくては、このままでは・・・。
今の私は以前とは違う。強くなったはずだ。
★★★
エルサの持っていたダイカルト様のハンカチのことが頭の中から離れない。最近の私は気がつくとエルサとダイカルト様のことばかり考えている。
私はそんなある日、歩いているエルサを見つけた。エルサは何か畳んだ服のようなものを持って忙しそうに歩いている。部屋の片付けでもしていたのだろうか? 私はエルサのことが気になってばかりで、王宮の中でもこうしてエルサを見つけては観察している。
そのとき 急にちょっと強い風が吹いてエルサが手に持っていたものが風に乗ってふわふわと空を飛んだ。どうやらショールのようなものだ。
エルサが、あわあわと言葉にならない声をあげながらショールを追いかける。ショールはまるでそれが意思でも持っているかのように空を飛んでいる。
エルサはスカートを翻してショールを追いかける。
そして、そのショールは反対側から歩いてきた男の手にあっさり収まった。
「おっと、これはきみのかい?」
そう言ってショールを手に、エルサに話しかけたのは、なんとダイカルト様だ。エルサの手を離れたショールはまるで生き物のように空を飛んでダイカルト様の手に収まったのだ。
これじゃあ、まるで・・・。
エルサが「ありがとうございます」と言ってショールを受け取ると、ダイカルト様とエルサはしばらく見つめ合っていたが、ダイカルト様は恥ずかし気に顔を逸らした。ダイカルト様の顔が赤い。
そんな・・・ダイカルト様があんな顔をするなんて・・・。もう間違いない。聖女の件と同じでエルサの言った通りのことが起こりつつある。まるで、何か見えない力が働いているかのようだ。
私は二人を見て胸の中に黒い雲のようなもやもやが広がっていくのを抑えることができなかった。
★★★
あれ以来、私の頭の中から見つめ合っているダイカルト様とエルサの記憶が消えることはなかった。王妃様はあれでエルサを案外気に入っているから、エルサのほうから出ていくと言わせなければ・・・。
知り合いの侍女を使っての虐めも効果がない。エルサは本当にしぶとい。
しかたがない・・・。私はちょっと強行な手段に出ることにした。
いつものように私はエルサを見つけると見つからないよう後を追った。そしてエルサが一人になるチャンスを待った。杖を持つ手に力が入る。この杖は侯爵家に伝わるもので、魔法の得意な私にお父様が持たせてくれたものだ。
しばらくすると、そのチャンスが来た。
休憩時間なのか、中庭のようになっている場所でベンチに座ったエルサは一人でポケットから取り出したお菓子を食べようとしている。王妃様からでも貰ったのだろうか? 虐めの効果なのかエルサの周りには誰もいない。
私は狙いをエルサに向けて杖を構えた。かなり距離はあるが、私なら外さない。使うのは氷の玉を打ち出す魔法だ。ちょっと怪我をするかもしれないけど、このくらいやらないとしぶといエルサは王宮を出て行かないだろう。このときの私は少しおかしくなっていたのかもしれない。でもこれまでのことを考えれば無理もない。
氷属性魔法で怪我をしたとしたら・・・きっと・・・。
私は杖に魔力を込める。杖に嵌め込まれている宝石のような魔石が青白く光る。準備は整った。
よし!
「そこまでよ! 確かオルランド侯爵家のリーゼロッテさんでしたわよね!」
私が後ろを振り返ると、そこにはダイカルト様の奥方であるエカテリーナ様が立っていた。そう私が結婚するはずだったダイカルト様・・・学院時代からずっとお慕いしていたダイカルト様を突然奪っていった悪役令嬢だ! 私は王妃様にも認められていたのに・・・。
「魔石が青白く光っているとこを見ると、使おうとしているのは氷属性の魔法ね。それなら私の仕業にできると思ったのかしら」
ああー。私は手に杖を持ったままその場に崩れ落ちた。
「私はすごく努力したのに。ずっと何年も。家柄だって問題なかった。王妃様だって私を気に入ってくれていたわ。それなのに・・・」
これまで言いたくても我慢していた本音が私の口から漏れだした。
「それでも、まだ、王国の侯爵令嬢との政略結婚ならまだ許せる。私はなんとか立ち直った。私は強くなったはずだったのに・・・。だけど、今度は侍女だなんて絶対に許せないわ!」
私の言葉は止まらない。
「それにエカテリーナ様は性格が悪いって、帝国までその名が聞こえてくるくらいの悪女だもの。きっといつかは、ダイカルト様もそれに気がついて、エカテリーナ様を追い出すかもしれない。だから私は、縁談をすべて断って努力を続けている。帝国初の女性宰相も夢ではないって言われてるのよ」
エカテリーナ様は、私の口から漏れ出した言葉を黙って聞いていた。
いつしか私は大声で泣いていた。そしてそれがすすり泣きに変わったころ、エカテリーナ様は口を開いた。
「リーゼロッテさん、心配しなくても、もし仮に私が離縁されたとしても、ダイ様がエルサと結婚するなんてありえないわ」
エカテリーナ様は落ちつた口調でそう言った。冷静なエカテリーナ様を見ていたら、私はまた腹が立ってきた。
「そんなことないわ! 私は、こないだ二人で見つめ合って赤くなっているところを見たのよ。エカテリーナ様も油断しないほうがいいわ。男なんてそんなものよ。それにエルサの予言した通りにマルマイン王国に聖女様が出現したんだもの。これが偶然なんかのはずがないわ。これからだってエルサの言う通りになるんだわ。エカテリーナ様だってそう思ってるんでしょう?」
エカテリーナ様は少し考える素振りをしていた。
「ダイ様とエルサが見つめ合って赤くなっていたって言うのは、ダイ様が飛んできたショールだかマフラーだかを取ってあげたときかしら?」
「そうよ。あのとき二人が赤い顔していたのを私は見たわ。まるで一瞬で恋に落ちたみたいだったわ」
私は少し挑発するように言った。
「あー、あれはね、慌ててショールかなんかを追いかけてきたエルサの服が乱れて、足はあり得ないほど上のほうまで露わになっているし、胸元も開いてたって、だからダイ様は目のやり場に困っていたのよ。私の愛するダイ様はね、その日にあったことをなんでも私に話してくれるのよ。どこで話してくれるのかは言わないけど・・・」
そう言ってエカテリーナ様は赤くなった。
「でも、ハンカチだって」
「ハンカチ?」
「ええ、第三王子の紋章が入ったハンカチをエルサは持っていたわ」
「リーゼロッテさん、勉強はできるのに、案外抜けているのね。そんなもの手に入れることなんて簡単よ。そうだ、ダイ様なら目の前で侍女が転んで血でも出せばハンカチくらいすぐ渡すでしょうね」
「・・・」
しばらく間をおいた後、エカテリーナ様は、さっきより少し真剣な口調で話し始めた。
「リーゼロッテさん、あなたは王妃様に気に入られるため、ダイ様と結婚するためだけに、そんなに努力をしていたのかしら。私にはそうは思えないわ。あなたはむしろ勉強が好きだった。そして、そんな他の令嬢とは違う、そう他の令嬢よりずっと優秀な自分を認めてもらいたかった。ダイ様が好きだったのは事実でしょうけど、ダイ様と結婚できれば、自分が認められたことになる」
「そ、それは・・・」
確かに私は勉強することが嫌いではなかった。努力だって嫌々していたわけじゃない。学院ではほかの女の子たちが馬鹿に見えて仕方がなかった。自分をどうやってより美しく見せるかとか、どの男が狙い目だとか全く興味が持てなかった。
だけど、王妃様に目をかけられダイカルト様の婚約者候補だと噂されたときには、自分でも不思議なほど嬉しかった。ダイカルト様は優秀な私にこれ以上ないくらいふさわしいと思えた。それから私はダイカルト様に夢中になった。
「はっきり言って、あなたはプライドが高い。だから自分には優秀なダイ様がふさわしいと思った。私とダイ様の結婚は、ダイ様が帝国のことを考えた結果の政略結婚だからまだ許せた。だけど・・・」
「わ、私は・・・」
そうだ。侍女なんて絶対に許せなかった・・・。
「だけど、侍女のエルサが自分を差し置いてダイ様に好かれるなんて、まして悪役令嬢が退場した後にダイ様が侍女と結婚するかもしれないなんて、あなたには許せることではなかった。でもそれはあり得ることだった。だってエルサが予言した聖女様が本当に現れたんだもの。だから、こんなことをした。リーゼロッテさん、私はそれが悪いとは思わないの。だって私って悪役令嬢でしょう。でも、リーゼロッテさん、あなた勉強は得意でも虐めは下手すぎるわ」
そ、そんな・・・。
「それでね、私って悪役令嬢だから、あなたのような方にもっと帝国やダイ様、ひいては私のために働いてほしいの。馬車馬のようにね。だから今日のことは見なかったことにするわ。初の女性宰相も夢でないっていう人材には、もっと私たちの役に立ってもらわないと困るわ。エルサも、何も聞いてない。いいでしょう?」
気がつくと、私たちのそばにはエルサが立っていた。私はずいぶん大声で泣いていたから気がつかれたんだろう。エカテリーナ様の言葉にエルサはコクコクと頷いている。
「リーゼロッテさん、さっきも言ったように、私、あなたには期待しているの。だから、今日のことは私たちだけの秘密。私はエルサと話があるから、もう行っていいわ」
私は、すごすごとその場を去ることしかできなかった。




