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肉の記憶

※描写…虐待、殺人、食人、屍姦

 昨晩、兄と口論をした。兄とは子どもの時分から折り合いが悪いが、兄弟共に実家暮らしなので、大人になった今も毎日顔を合わせる。そのたびに兄の苛立ちが募るのが分かる。兄と共に食事を摂り、車で一時間くらいほどの工場に勤務する生活は、判で押したように同じことの繰り返しだった。父は数年前に亡くなり、母はここ数ヶ月入院しているので、今は兄弟二人で一軒家に住んでいる状態だ。兄は、根が素直で気弱なので外では利用されることが多く、そのストレスを弟である俺にだけぶつけてくる。偏食のために痩せて、背も高くない兄を、殴ろうと思えばいつでも殴れた。でも、自分が食べれもしない食材をわざわざ俺のために用意し、毎日料理を作ってくれる兄を、力でねじ伏せようとは思わなかった。思えば、小さい頃から喧嘩してもお互いに手を上げたことは一度もない。兄弟はその一線を越えることの危険性を、暗黙のうちに理解している。



 母は兄が生まれてから癇癪がひどくなり、いつも赤ん坊である兄に当たっていたのだと、生前父は語っていた。それが、弟である俺が生まれた途端、収まったらしい。父は兄を、呪いの子だとふざけて言った。虐待を面白がって止めようとしない父の姿が、自分の親ではなく、得体の知れない醜悪な生き物のように思えた。とっくに成人した兄の腕には、幼少期に母が付けられた噛み跡がまだ残っていた。


 兄が焼いてくれた肉の、噛みきれない部分を口の中でぐちゃぐちゃやってる時、ふと、兄の二の腕の内側に歯を立ててみたいという欲求がむらむらと起こった。兄をじっと見つめていたら、無意識のうちに箸を噛んでいて、叱られた。俺は肉を食べるのが好きだ。一方、兄は肉を口にすると吐いてしまう。兄の吐き出した肉を、当時飼っていたネズミに与えようと思ったがやめたことがある。当時小学四年生だった兄は一人で自分の吐瀉物を片付けていて、後頭部には母に殴られたことによる(こぶ)があった。兄が母に分厚い本で頭を殴られる瞬間を、俺はたまたま目撃した。母は俺が生まれて癇癪が治まったのではなく、隠れてやるようになっただけなのだと気づき、すぐ父に報告したら、アイツはグズだからな。母さんは力が弱いから大丈夫だ。と言われた。俺は、吐瀉物を静かに拭いている兄の後ろ姿が頭から離れず、その夜、ネズミを逃した。兄弟の部屋は最初からずっと別々で、兄がどんな顔でベッドに横たわっているか確認することができない。


 そうだ、小さい頃はよく、家の中や家の周りで見つけた生き物を捕獲していた。しかし俺は数日で面倒を見るのに飽きてしまって、大抵は兄が世話をしていた。俺は、生きたハエをクモにピンセットで与えている兄を見て、クモを羨ましく思った。母と父の子どもでなく、兄に育てられる虫になりたかった。兄は料理が上達し、家庭の食卓の半分は父が買ってきた惣菜、もう半分は兄が作った料理になった。

 年齢が上がるにつれ、兄の自傷癖がひどくなっていくのに気づいているのは、この世で俺だけかも知れなかった。母は弱っていき、次第にあまり喋らず、動かなくなった。家庭に無関心な父の浮気癖に気づいたのはその頃だった、兄は母を刺さず、父も刺さず、自分の体を浅く刺して慰めていた。俺は、土に埋めたイタチの死骸を掘り起こして、全身にピンを刺し、思案した。母も父も兄も俺も、死んだらどうせ肉だ。もう生き物を飼うのはやめていた、生きた肉がいいんだか、死んだ肉がいいんだか分からなくなったからだ。うつ伏せに寝っ転がって床に性器を擦り付けてる時、鏡に映った自分が芋虫に見えた。射精を終え、いつのまにか眠っていて、夢の中で芋虫になった俺は、死んだみたいに眠る兄の体を這った。今度は夢精していた。自分で不安に思うほどに俺の性欲は強く、覚えてからの自慰行為の頻度は高かったが、不思議と生きている人間と体を重ねたいとは思わなかった。



「食欲ないのか?」

「え?」

「箸が止まってる」

「ああ、最近、暑くて」

「ちゃんと食べないと夏バテするぞ」


 兄と過ごす時間のほとんどは、沈黙が占めている。そして突発的に兄が俺を責め、軽い口論に発展する。兄の肉は噛み切れるのだろうかと、前髪が伸びて目にかかっている兄の顔を見て、口の中に唾液が沸く。俺は性欲も食欲も正しい行き場を持たずに、常に持て余していた。兄が肉を食べたり、オナニーしたりするところが上手く想像できない。サラダに入った冷えた豚肉を、これが兄の肉だったら、と思いながら口に運ぶ。人間を解体するのは大変そうだ、残したらもったいないし……

「お前さ、何考えてんの?」

「何って何」

「目つきが変なんだよ、昔から……」

 “兄貴を殺して、死体を犯して、その肉を食べたい” はっきり欲望を言えばそうだ。

 俺は気づいた、兄は数時間前に言葉を奪われていて、もうとっくに冷えていた。俺が兄の肉に自身の昂った性器を突っ込んだ時はまだ温かかったのに。いま口にしている肉は、普段料理をしない自分が焼いた、味付けのない、とてもおいしいとは言えないもので、意識した途端に、俺は嘔吐した。誰もいないので自分で片付けようと思って立ち上がると、後頭部が鈍く痛む。さっき、仕留めたと思った兄に一度、後ろから殴られたんだった。痛む部分を触ると、瘤ができていた。

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