61 ルコントのパンって美味しいだけじゃないのね
先日のタイラー侯爵との対談から数日後、そのタイラー家から手紙が届いたので、今度はルドウィン町のホテルで集まった。
メンバーは全く同じ顔ぶれである。
手紙には、マルルーナの『魅了』にかかった使用人にそれぞれ、パン、ルコント・ソーダ、水、ステーキ、薬草等など食べさせた結果が詳しく書いてあった。
そして、やはりルコントの領地の食べ物には、どれも『魅了』を解除する力があったのだ。
そして、食材によっても効果がまちまちで、パンを食べた者が他の者よりも、『魅了』から覚めるスピードが早く、その次にルコント・ソーダと続いたと報告を受けた。
「やはり、この領地の食べ物には特別な力があるようだ」
ハリーは、声を高くしてこの結果に満足している。
ドーバントン公爵も、タイラー侯爵もお互いが握手をし、喜んだ。
この二人は、第一王子派と第二王子派で別れていた為に、こんな時ではないと、握手をすること等なかっただろう。
この報告を聞いてレティシアは思い直した。
では、この地で穫れた小麦、水、を使い作ったパンには、何かしらのスキルがあったのねと。
兎に角、ルコントで作ったパンを陛下に食べて頂くことが先決だ。
だが、吉報の次に来るのは、決まって凶報だ。
この高位の貴族の皆が勢揃いしているところに、ケントがノックもなくドアが吹っ飛びそうな勢いで開けて、入ってきた。
「まあ、ケントさん。急ぎの用でも、せめてノックは・・・」
「大変だ!! 大勢の兵が!!」
レティシアの言葉を遮って、ケントが叫ぶ。
しかも、内容が内容だけに今度は、息を切らせて噎せているケントを急かした。
「ケホケホ」
「ケントさん、今の続きを早く教えて頂戴」
噎せるケントの肩を揺すって先を急がすレティシアをハリーが宥めた。
「落ち着いて、レティー」
珍しくハリーが、レティシアを愛称で呼んだがレティシアは、気がつかない。
「大勢の騎士達が、ルコントに向かって来ています。その数は100人ほどです」
このルコントには、自衛の騎士はいない。
それを見越して100人で来たのだろう。
折角、先が見えて皆が喜んでいるところに、この知らせだ。
「どうして、このルコントに?」
驚きを隠せないレティシアに、ハリーは予期していたのか、冷静だった。
「私が邪魔だと、マルルーナは気がついたのだろう」
マルルーナは、このままハリーがいると、国内から反発が起こり、自分は王太子妃に、そして行く行くは王妃になれないと気がついた。
すぐに、ドーバントン公爵が立ち上がり、自分達が連れてきた騎士20人を、ルコント領の入り口に待機させるように指示を出した。
ここで、エルエスト派のタイラー侯爵も15人の兵士と騎士を向かわせてくれた。
ドーバントン公爵ばかりか、エルエストの派閥のタイラーまで兵を出すと言う判断にハリーが驚く。
「どうしてだ?」
しかし、タイラー侯爵がここで意外な事を言う。
「私どもは実力を見極められない内に、どちらかに意見が片寄る事を恐れ、派閥が均衡に保つようにしていただけです。第一王子派の派閥の第一党が何せこちらですから・・」
と目の前のドーバントン公爵を目で示す。
「ですから、このような混乱に乗じて、小娘に決められるなんて事は、絶対に有ってはならないのです」
小娘とはマルルーナの事だ。
タイラー親子は、あんなにも熱を帯びた瞳でマルルーナを見ていたのに、汚物を思い出したかのように苦々しく吐き捨てた。
これを聞き、レティシアは立ち上がった。
「私も行きます」
「ダメだ。君に何かあったらエルに合わす顔がない」
必死で止めるハリーに、レティシアが凛と持論を展開する。
「エルエスト殿下は仰いました。自分がこのまま王子でいては、兄であるハリー第一王子殿下が王になれないと。エルエスト殿下と婚約をしたのは、ハリー殿下を何の蟠りなく、立派な国王にするためです。ですから、今私がすべき事はハリー殿下をお守りする事です」
高らかに宣言するレティシアに、ハリーは頭痛がした。
(弟の逃げ口上のプロポーズのせいで、レティシアに命を懸けさせてはならない)
こんな時ほど、恋愛へたれの弟を持ったことを、恨めしく思ったことはない。
(エルには悪いが、エルの本当の気持ちを打ち明けよう。それしか、今の彼女を止める方法を思い付かない)
「レティー、違うんだ。エルは・・本当は」
君にフラれるのが怖くて、回りくどい言い方をしたのだと・・・。
ハリーが真実を語る前に、レティシアが胸を叩く。
「お任せ下さい」
「へ?」
驚く一同を置いて、部屋を飛び出したレティシアは、ハリーが窓から見ると既に馬上の人になっていた。
勿論、その馬に一人で乗れたのではない。
いつでもレティシアの行動を先読みする護衛のトラビスが、準備していたのだ。
この出来すぎる護衛をレティシアにつけたのは、ハリー第一王子だ。
「「「へ?」」」
その行動の速さに、ハリー、タイラー親子、ドーバントン公爵も身動きする間なく間の抜けた声だけ発し、見送った。
気がついた男達は、わらわらと馬を用意させ、レティシアを追いかけるが、乗馬の技術も一級品のトラビスと一緒のレティシアは、本当に速かった。
レティシアがルコント領の入り口に着いた時、驚きの光景が広がっていた。
王宮からの騎士を通せんぼする人の群れ。
ルコントの領民だけではなく、他の多くの領地の平民や貴族達が押し寄せて、王宮騎士と押し問答をしている。
「お前達、これが見えぬか!! これは国王による令旨である。大人しくハリー第一王子とルコント伯爵を差し出せ!!」
だが、この声も多くの人の声に押されて掻き消された。
「ルコントの聖女を守れ!!」
「我らが庶民の女神を、王家に取られるな!!」
庶民に圧されてはプライドに傷がつくと思ったのか、騎士達は剣を抜いて迫った。
「皆さん、静かになさって下さい。それと、王宮の騎士隊の方々、私はここにいます。逃げも隠れもしません。なので、ここにいる皆さんには手出しをしないで下さい」
レティシアがその睨み合いの中央に飛び出した。
ここで、さらにルコンド側の人々が勢いをました。
一触即発の雰囲気で空気はピリピリしている。
「この領地にハリー第一王子殿下はいらっしゃいません。それに見た通り兵士もいません。取り敢えず私が王宮に行きますので、それで宜しいですか?」
レティシアが射るような目で、騎士を見つめる。
遅れて来たハリーとドーバントン公爵とタイラー侯爵親子は、呆けたように見ていた。
だが、すぐに我に返ったハリーが大声でその場を鎮めた。
「待て!! 私はここにいる。そこの者、陛下が出した令旨を読み上げろ」
庶民には拝むことさえない第一王子が、自分達の後ろに現れた事で、ルコント側の人々に動揺が走る。
だが、静かになったことで、漸く王宮から来た騎士が読み上げた。
「第一王子であるハリー・ラシュレーは、国王の暗殺を企てた。その計画が露見すると、次にレティシア・ルコントと挙兵準備をしているとの情報が入った。故にハリーを廃嫡し、投獄。そして、ルコント卿は王宮にて侍女として生涯の勤務を言い渡す」
この突っ込みどころ満載の令旨に、静かにしていた庶民が騒ぎ出す。
「ふざけるな!! お前達もここで見ただろう。どこにルコントに兵士がいるんだ!!」
「しかも、生涯、侍女として働けなんておかしいだろう?」
レティシアの病院で助かった人々や、その噂を聞いて女神を崇拝する人々が、さらに集まってくる。
包帯を巻いている患者までも、集まってくる始末。
もう収拾がつかない。
このおかしな命令は、陛下にお強請りしたマルルーナの案だろう。
小説通りに、何が何でもレティシアを侍女に陥れたいようだ。あまりにも幼稚な考えに、レティシアは呆れたが、この混乱は収めなくてはならない。
幼い子供が面白半分に、銃を打ちまくっている。それで怪我をするのは、罪のない人々である。
だが、レティシアよりハリーが動く。
ふうーと息を吐き、良く通る声で告げる。
「分かった。私は一度無実を訴えるために王宮に戻ろう。だが、そこに書かれているように、ルコントには挙兵どころか、兵士もいなかっただろう?これが証拠だ。ここに来たお前達に証人になってもらう。だから、レティシア・ルコント伯爵を連れて行くのは、許さない」
強い意思をもって発する王子の言葉に、流石に平伏した。
ここまで来た多くの騎士達も、この命令がおかしいと思っている。
謀反の挙兵と言われてここまで来たが、全くその気配はなく、領主を慕っている領民がいるだけだ。
もし、挙兵準備をしていたというのが本当ならば、その領主に生涯侍女をさせるなんて、この命令を出した者は頭のネジが緩んで・・いやネジすら存在しない頭で考えたのだろう。
しかし、殺気立ったルコントの領民の他にも、大勢の他の領地の庶民までもが憤慨している。
その数は膨れる一方。
100人の騎士で抑えられる状況でない事は確かだ。
それならば、ハリー王子の申し出を受けて、せめてハリー王子だけでも帰城していただこうと考えた。
「では、ルコント伯爵は、後日再調査をしてからということで、今回はハリー第一王子は、自らの潔白を陛下に申し開き下さい」
「そんな・・・今、この状況で王宮に帰るのは危険すぎます」
レティシアがハリーを止める。
だが、ハリーは首を振る。
「陛下はきっと分かって下さる。それに、私には君達がいるからね」
と、レティシアとドーバントン公爵、タイラー侯爵親子に微笑んだ。
荷が・・重すぎます。
レティシアは、エルエストとの約束を守れなかった自分に苛立った。




