52 ルコントの女神(1)
レティシアに国王陛下からの書状が届いた。
内容はコート山を一部無断で使用していた件だが、これは結界が機能していなかったために起こった事故であり、ルコント領に無断使用の罪はない。
しかも壊れた結界(壊したのはレティシアだが・・)から、魔獣の被害を出さないように、国を守っていたとして、今までの使用料金は免除された。
さらに、コート山は非常に結界が掛け難い場所なので、解かれた結界から魔獣が出ないように国を守ってくれるなら、コート山の一部使用料として年間使用料を50万レニーを支払えば、使っても良いとなった。
破格の金額。
(これは、きっとエルエスト殿下が婿に来てくれるから通った契約なのね)
この温情溢れる書状を抱いて、レティシアは王宮のある方角に頭を下げた。
「ラシュレー国王、エルエスト王子殿下、ありがとうございます。このご恩は絶対に忘れません。この国に一大事があれば、全力で駆け付け尽力いたします」
その言葉通りに、奔走する日が近付いている事はこの時は、まだ知らない。
そして、この後エルエストとの連絡は、手紙だけのやり取りに制限されたのだった。
◇□ ◇□
レティシアの領地は、いつも大勢の観光客がやってきて、王都からの定期馬車も増やした。
それに伴いホテルや旅館、商店も増えて益々ルコントの財政は潤うばかり。
そして、予てから計画していた総合病院も着手していた。
総合病院の建物は、幽霊のアンソニー君のお父上が、昔要塞だったところを別荘に作り替えた建物をそのまま使った。
ベッド数は30と少ないものの、形は整ってきた。
この世界は治癒魔法があるが、専門職で外科的魔法、内科的魔法、眼科、歯科、皮膚科に別れている。
しかもそれぞれに専門的な魔法を学ぶ必要があるために、病院の横に魔法学医療学校を作った。
資格は身分関係なく、一定の治癒魔法を備えた者は入学できる。
更に病院でも貴族、庶民関係なく受け付け時間と病気の程度によって診察の順番が決まる。
そして、この病院の横には広い薬草の畑も作ったので、薬師が治療に必要な薬を作れるのだ。
このルコント病院の理念に沿ったうってつけの人が院長に名乗りを挙げてくれた。
ディーネ・ジョイス。
あの王宮で魔法士として働いている、マット・ジョイスの母である。
ある日、ルコント領に来たマットが、以前から病院の事を聞いていたようで、『いい人がいるから、院長に推薦するよ』と連れて来てくれたのだ。
あのマットの母親だけあって、治癒魔法は専門以外にも多数使える。
そして、なにより豪傑。
きっと貴族の肩書きを笠に着る者が現れても、バシバシと跳ね返し突き進めてくれるだろう。
なんとも頼もしい人が院長になってくれたものだ。
そして、半年後。
開業にこぎ着けた。
これは忙しいレティシアに代わり、執事のロバートの力が大きい。
この病院名は『領立ルコント病院』とし、ルコントの領民は低料金で診察を受けることが出来るようにした。
ルコントの人達が診察を受けたい時に来てもらい、すぐに治療できるようにとレティシアが願ったからだ。
だが開業後、思わぬ事態になった。
他の領地から大勢の人が、この病院で受診しようと詰め掛けたのだ。
この世界の医療事情をすっかり忘れていたレティシアの失敗だ。
専門的な医師は貴族を診るもので、庶民は薬師の薬草を飲むか、自然治癒を待つのみだ。
それが、治療を受けられると聞いて待っていた他領地の庶民が、一斉にここルコントを目指しやってくるのは必然だ。
レティシアは診察開始時間を午前9時を予定していたので、現在午前7時の段階で長ーーい列が出来るなど、想像もしていなかった。
その時間は、優雅にリズに淹れてもらった紅茶を飲んで、ゆっくりと頭を覚醒させている最中だ。
そんな中、規律正しいロバートが、ダイニングのドアを蹴破って入って来たのかと勘違いするほど、勢い良く入ってきた。
「レティー様、開業前の病院前に長蛇の列です!! いかがしましょう?」
今日の開業に先立ち、一番気にしていたロバートが様子を見に行っていたのだが、その患者の多さにすぐに屋敷に戻って来たのだ。
「何故? まだ、この領地の者しか知らせていなかったのに、何故そんなにも多くの人が来院しているの?」
レティシアは油断していた。
SNSがなくても、この世界の情報の広がりは驚くほど早い事を。
「漏れた情報が広がり、この日をずっと待っていた庶民が一斉に来たようです」
こうしてはいられない。
重体の患者がいるかも知れないのに、外で待たしているわけには行かない。
「簡易ベッドとシーツを集めて病院に運んで来てちょうだい。私は先に病院に行っているから」
レティシアは飲みかけの紅茶を置いてロバートに指示する。
そして、リズに「私の格好を、きちんとした身だしなみに調えて欲しいの」と頼んだ。
急いでいる時に、何故身なりを気にするのか? とリズも護衛騎士のトラビスも不思議に思った。
いつものレティシアならば、適当な服に着替えて飛んでいくはずだ。
首を傾げながらも、リズは白のブラウスとリボンのタイを結び、黒いハイウエストのスカートを用意し、髪の毛はまとめた。
レティシアは鏡で確認して、「ありがとう、これで戦えるわ」と謎の言葉を残して屋敷を出た。
護衛騎士のトラビスが来てから、馬で行き来が出来て、とても移動が便利になった。
「レティー様、馬の用意は出来ていますよ」
すでにトラビスが、二人用の鞍を馬に装着して準備万端だ。
ずっと一緒にいると、レティシアの動きに合わせてすぐに準備をしてくれる頼もしい護衛兼タクシーである。
「ありがとう、トラビス」
「いえいえ、レティー様のちょこまか・・・軽快な動きについて回れるのは私ぐらいでしょうから」
(今、ちょこまかって言い掛けたわよね?
人をネズミのように言うなんて・・・。)
確かに二十日鼠のように動いているわ。自嘲気味に笑うレティシアだった。




