53 ルコントの女神(2)
昔、今のように頑丈な結界がコート山に掛けられなかった時代。
山から降りて来た魔獣と戦えるように築いた要塞。
それを先祖の一人が別荘に作り替えたのを、レティシアは病院にした。
凹を逆さにした建物の右半分を病院に、そしてもう半分は医療大学とその寮と、病院関係者の住まいに使用している。
少し小高い丘の上に立つ要塞は、現在並んでいる行列を、遠くからも確認できた。
しかし、行儀良く並んでいるのは庶民達で、多くの貴族は並ぶことなく入り口近くに詰め掛けている。
レティシアが病院に到着すると、一台の馬車から、両手の指に指輪をこれ見よがしに付けた40代の男が怒鳴りながら出てきた。
「一刻も早くこの平民どもを排除しろ。目障りだ!! そして、私を一番に診察しろ」
レティシアは念の為に一応その男の症状を尋ねた。
「貴方が患者ですか?」
「ああ、そうだ。私をすぐに診ろ」
あまりにも元気そうで、悪いところ等なさそうだ。しかし、隠れた病があるのかもしれない。
「貴方の症状を教えていただけますか?」
「私の手が異様に痒いんだ。この痒みのせいで、夜も眠れん」
素人が見ても分かる。
これは急患ではない。
レティシアは冷静に一言告げる。
「この症状は、急を用するものではございません。後ろの列にお並び下さい」
「はあ? 私に平民の列に並べと言うのか!!?」
貴族の男は目を剥いて怒っているが、レティシアは構わない。
「私を誰だと思っているのだ? トム・ビソンだぞ!!」
ああ、あの金の亡者のビソン伯爵か、と心の中で呟くが、顔は全く動かさず、同じ言葉を繰り返すのみだ。
「お名前を言われても、貴方の症状は変わりません。どうぞ列にお並び下さい」
そう言うと、レティシアは同じく入り口に詰め掛けている、他の貴族にも聞こえるように叫んだ。
「急患ならば、順番を変えて診察を早めに受診していただきますが、そうでない方は列に並んで頂きます」
レティシアの言葉に反応し、ざわざわする貴族達。
「この病院は領立ルコント病院です。ルコントの領民のために作られた病院です。ですから、貴族も平民も身分は関係なく並んで頂きます」
「領民は只の庶民だろう!! 貴族と一緒にするな」
ビソン伯爵以外の貴族が、どこからか叫ぶ。
面と向かって言えないなら、言うなと言いたいが、誰が言ったか分からないヤジにも、レティシアは丁寧に返答した。
「ルコントの領民は、只の庶民ではありません。我が家族です。いいですか。もう一度言います。この病院は身分関係なく、平等に診察を受けることの出来る病院という理念を元に作ったのです。ですから、この理念に従えない人は、立ち去って下さい」
凛として叫ぶレティシアを讃えるように、お日様が照らす。
そして、その姿を見たルコントの領民と、それ以外の領地から来ていた庶民が祈るように手を合わせてレティシアを仰ぎ見ていた。
「庶民の女神様・・」
誰かがポツリと呟く。
「・・・私達の、女神様だ・・」
跪く多くの人達に、焦るレティシア。
だがここでビソン伯爵が、その声を掻き消すように大声で怒鳴る。
「いい加減にしろ。この世界は貴族を優先されることが保障されているのだ。こうなったら強行突破だ」
ビソン伯爵が使用人を使って入り口をこじ開けさせようとした。
その時中から、真っ青な髪の毛の大柄な女性と、さらにその女性と同じ髪色の青年が彼らを風で吹き飛ばす。
「ルコント伯爵の言葉に従えない奴は、私達が吹き飛ばすよ!!」
「僕もいるけどねー」
ジョイス親子は名の知れた魔法士だ。
彼らに敵う魔法士はここにはいないだろう。
「も、もしかして・・・この病院の院長は・・?」
貴族の一人が顔をひきつらせながら、一歩下げる。
「そう、ディーネ・ジョイス。この私だ」
この名前は身分が大好きお貴族様には、かなりの効果があった。
彼女とその息子のマットは、平民ながら、その活躍によって、魔法士の中でも、魔法伯という称号を持っている。この称号、彼女とその息子の代限りではあるが、侯爵に匹敵する。
彼女が出て来た事で、貴族達はすごすごと列の後ろに並び直す。
「ジョイス様、ありがとうございます。助かりました」
きっと彼女がいなければ、貴族達は収まりが付かず、並ぶなんてしなかっただろう。
マットは本当に凄い人物を紹介してくれた、と感謝する。
何せマットの母の貫禄は、王様に匹敵するものがあるのだから、肝っ玉の小さい貴族など、吹けば飛ぶほどだ。
「いいのさ。身分を笠に着て何も出来ない貴族に嫌気が差して治療院を辞めてきたんだ。それに、やはりここに来た事は、間違いじゃなかったわ」
ディーネは上機嫌で、隣の娘程の領主を見る。
「だから言っただろう? 仕事をするならいい場所があるって」
マットが腰に手を当てて胸を張る。
そして、満足気に母を見た。
「そうだね。あんたの言う通りだね。さあ、診察時間には早いが、とっとと、始めるか。マット、あんたも手伝いなよ」
「ヘイヘイ、そのつもりで来たんです。今日、この病院が開業するって情報を流したの、僕だからきちんと責任取るねー」
この大騒ぎの原因を作ったマットがしれっと告白。
「マット・ジョイス様。今日は死ぬ気で働いて頂きますね」
半眼のレティシアが、マットに圧力をかけた。
「しまった、言うんじゃなかった」
マットが口を押さえたが、もう遅い。
この騒動で、医療学校の学生も全員、外に出て総出でそれぞれの科に振り分ける。
中には重病の患者もいたためにすぐに治療が始まった。
あれほど大騒ぎしていたビソン伯爵だったが、皮膚科の魔法治療医師の丁寧な治療と、薬師の薬を貰い帰って行く頃には、すっかりこの病院のシステムに傾倒していた。
そして、レティシアを見かけると、わざわざ側に寄ってきて、この病院は素晴らしいと絶賛してくれる。
「どうやら、金を触りすぎてアレルギーを起こしているそうだ。金勘定も程ほどにしないとダメだな。まあ、私が数えるのは紙で金貨ではないけどな」
金の亡者と噂されるビソン伯爵が言うと冗談にならない。
「アレルギーはその原因が身近にあると再発するので、控えたほうがいいですね」
レティシアは彼の面白くもない冗談に付き合う気はない。
ビソン伯爵から離れようと会釈をしたが、彼はまだ話を続ける。
「この手を何度見せても、治らなかった。そのうちどんどん広がって、藁をもすがる思いでここに来たのだ。そしたら、これは一回の治癒魔法では治らないから、薬草を塗り続ける必要があるらしい。だから、今から薬を貰うために、隣の薬師の部屋に処方箋をもって行くところだ」
「はあ、そうですか」
ビソン伯爵が、何をいいたいのか分からないので、レティシアは適当に相槌を打った。
「―・・えーと何が言いたいかと言うとだな・・この総合病院というシステムは素晴らしいと言う事だ。皮膚だけではなく、他にも病気が隠れているとすぐに隣の内科で見て貰える。ここに来ている人でどこに行っても治らず、祈るような気持ちで来た人達に、身分は関係ないのだと知った。えーとだな・・だから、・・その・・これから薬を貰いにあの列の後ろに並ぼうと思っている」
ビソン伯爵が、またしても長い列が出来ている薬局を指差した。
『ふんす』と威張っているが、言っていることはこの病院のあり方を肯定してくれている。
「私の病院の理念をご理解頂けたこと、感謝します」
レティシアが微笑むと、ビソンは一つ愚痴を漏らす。
「しかし、この混み具合はなんとか改善していただきたい」
確かに、この反響は予想外だったために混雑を避ける工夫は必要だ。
ビソン伯爵は、レティシアと別れると、使用人ではなく伯爵自ら大人しく薬局の列に並んでいた。




