44 手を取り合う領民(2)
レティシアはやっと・・やっと王子宮から戻ってきた。
王宮にいたのはたった一週間。
でもこれほど長く領地を離れたのは初めての事で、領地に戻った時は懐かしさを覚えたほどだ。
「おかえりなさいませ。レティー様」
「レテさまおかえりなさい」
「レティー様お待ちしていました」
侍女のリズが、彼女の子供達と一緒に出迎えてくれた。
コーリーもケイトも変わらず可愛い。
だが、執事のロバートは表情が妙に堅い。
何か領地の経営状態で、重大な問題が起こったのだろうか?と心配になるが、先ずは犬っころのような子供達を撫でて、愛でて癒しを堪能する。
「レテさま、レテさま、わたしね、とってもお水やりをがんばったから、おやさいのお花がいっぱいさいたの。みてみて」
ケイトが手を引いて畑に行こうとする。
レティシアも「それは楽しみだわ」と一緒に庭に行こうとしたが、リズが遮った。
「コーリー、ケイト、今から大切なお話があるから、ダメって言ったでしょ」
リズがメッと子供達を窘める。
「帰って来られたばかりで、お疲れのところ、誠に申し訳ございませんが、急を要しますので、ロバートの話をお聞き下さい」
いつもは穏やかなリズの顔が、こうも険しいのは珍しい。
レティシアが領地に居なかった事で、余程の事件が起きたのだろうか? と息を呑んだ。
ソファーに座ったレティシアの前に立ち、執事のロバートは座ることなく話を始めた。
「話は長くなりそうでしょ?」
レティシアが問うと、ロバートが頷いた。
「じゃあ、そちらに掛けて話してちょうだい」
レティシアがソファーを勧めると、いつもなら固辞するロバートがすぐに座る。
(あらあら?絶対に座らないロバートなのに・・、聞くのが恐ろしいわね)
覚悟を決めてロバートの顔を見ると、彼が頷き話を始めた。
「レティー様の叔父上のヤニク・ワトー男爵が、レティー様のルコントからの排除を計画しています」
「それって・・・」
ロバートが素直にレティシアの前に座った理由が分かった。
彼はレティシアの顔色を見ながら、言葉のさじ加減を選んでいるのだ。
怖がらせる言葉を用いては、レティシアを泣かせてしまうのではと・・。
(自分が驚かないようにと、配慮してはいるが、排除=暗殺では?)
ここで流石のレティシアも、不穏な言葉に胸が苦しくなる。
しかし、恐怖で泣き崩れたりすることはない。
寧ろ、怒りで頭がフル回転だ。
いくらお金が欲しいとはいえど、実の姪の暗殺を考えるなんて、思ってもみなかった。
しかも、お金には汚いというのは、小説でも散々書かれていたから知ってはいるが、殺しに手を染めるなんてなかったはず。
(並外れたクソ叔父だったのか!! 分かっていたならもっと早くに手を打っていたのに!!)
自分の甘い見通しが悔しかった。
レティシアがヒロインを虐めずに、生き残っていることは、本来の小説にはないことだ。この歪みをなくすストーリー補正のために、ここで殺されるようになったのだろうか?
そう考えるとレティシアは、この小説の世界がいつまで経っても自分を不幸へと導く事に腹が立ってきた。
拳を握り怒りを我慢しているレティシアの、予想と違う態度に困惑しつつも、ロバートは順を追って話す。
「ワトー男爵は領地で儲けたお金を湯水のように使っています。そしてお金に困り、目を付けたのがここルコントだと推測されます。ルコント領を我が物にせんと画策しているようなのです」
漸く軌道に乗り始めたこの領地を食い物にしようだなんて、絶対に許さない。
この領地で出来た多くの友人の顔を思い出し、自然とレティシアの顔が引き締まる。
絶対に負けないわ。私がこの領地と領民を守り抜くの。
そう決めると、闘志が燃える。
その顔にロバートは驚く。
大人でも狼狽える状況なのに、怯えもせず、決意を固めた様子に感服した。
「彼は自分の手を汚さぬように、この領地の人々から暗殺者を選びました」
「へ?」
決意した凛々しい顔が間抜けな顔になり、首を傾けた。
しかもロバートが告げた暗殺者のメンバーがメンバーだけに、レティシアの気も緩む。
しかしその緩みも一瞬だけだった。
それは、自分を守るために暗殺に志願したマイク達が、ヤニクの証拠も掴もうと、危険を犯しているのだと察したからである。
うーんと考えながら、ロバートに続きを促した。
だが、ここで彼が言い澱んで黙っている。
あまりにも落ち着いているレティシアに、ロバートも話を続けていたが、この次の話はロバートも口にするのを躊った。
「・・実はですね・・、ルコント領の人々だけでは不安になったワトー男爵が、何人か、ならず者を雇ったようなのです」
ロバートは言い終わるとすぐに、レティシアの顔色を窺う。
しかし、レティシアは飄々としている。なんなら、少し喜んでいた。
「あら、その者達を捕まえることが出来ればいい証人になるわね」
そして良い案が浮かんだレティシアは、嬉しそうに言葉を続けた。
「それでは、街の聖教会で餌の私が一人で入って行けば、いい囮になるわ。ならず者達がそこで私を襲ったところを全員で捕まえましょう」
ならず者と聞いても余裕で微笑み、さらには自分が囮になるというレティシアに、ロバートの顔が顰めっ面になった。
この度胸はどこから来るのだろうと。
昨日まで、暗殺を企てているヤニクの事を、レティシアに怖がらせないように、どう説明したら良いか頭を悩ませていたというのに。
きっと、恐怖で泣き出してしまうかも知れないと、時間を掛けて話をするつもりが、あっさりと報告が終わってしまったのだった。
そして、レティシアの計画は、ロバートとレティシアの護衛騎士のトラビス・ハイムに託されて、夜遅くまで綿密に打ち合わせた。
さらに次の日には、その計画がマイク達にも伝えられる。
そしてその日のうちにジョージが、ルコントにのうのうと滞在を続けているヤニクに、レティシアが帰ってきたことを告げる。
「ワトー男爵、レテ・・領主が帰ってきました」
「ああ。それくらいの情報は掴んでいる。他に目新しい情報はないのか?」
お金も支払わず滞納している癖に、相変わらず態度がでかいヤニクに対し、ジョージは顔を顰めてしまいそうになる。
「あります。さっき聞いた新鮮な情報ですよ」
「なんだ? それは」
「領主は週に一度聖教会を訪れるんです。その時にはあの護衛騎士はいないと聞きましたぜ」
「それは、本当か?!!」
「間違いございませんよ。護衛騎士は聖教会と反目しているアテレン教徒です。教会に足を踏み入れることはないでしょう」
聖教会が聖人トトノウを信仰しているのに反し、アテレン教とはその妻であったアテレンを深く信仰しているのだ。その昔一つだった二人が大喧嘩して別れたとかなんとか・・。
詳しいことはさておき、つまりこの二つの宗派は対立していることで有名なのだ。
「そうか、護衛騎士はアテレン教か。良くやった。これならば、お前達が教会の中で待機して、小娘が中に入って来たところを襲えばいいのだ」
計画は全てヤニクの思いどおりに運んでいる。
機嫌がいいヤニクが、お金をけちるために余計な事を言い出した。
「小娘一人なら、ルコント領のお前達だけで十分だろう。俺が雇ったならず者達は引き上げさせようかな?」
ジョージが慌てる。
そのならず者達を捕まえる為の計画なのに、引き上げさせてはこの計画は頓挫してしまうではないか。
「お金の事なら、俺たちがなんとかしますよ。俺たちはなんと言っても素人の集まりだ。失敗すれば相手は用心し、警備を固めるかも知れませんよ」
ジョージがならず者を撤退させぬように、ヤニクに失敗した時の不安を煽る。
「ふむ。それもそうだ。もし失敗したら・・・」
ヤニクの頭の中で、王宮のパスカルに責め立てられて牢屋に連れて行かれる自分が脳裏をよぎった。
「お前の言う通りだ。ここぞと言うところで金を惜しんで居る場合ではないな」
何度も頷くヤニクにジョージが、さらに不安を増長しようと、「領主の暗殺に失敗すれば男爵様も貴族と言えど、絞首刑なのでは?」と脅かしまくった。
だがその結果、ビビりすぎたヤニクが暗殺者まで雇い、連れてくる事になるなんて想像もつかなかったのだった。




