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ヒロインの座、奪われました。  作者: 荒川きな
3章 気勢と待望
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24.入学式前日 後半

 胡散臭い笑みを顔一面に貼り付けて、フェルナンは聖花をじっと見つめた。彼の笑顔からは、先程までの穏やかな(・・・・)雰囲気はこれといって感じない。

 辺りはすっかり静まり返っていて、息をすることすら躊躇われた。心なしか空気は重く、聖花は彼から視線を外すことが出来なかった。

 彼は、きっと分かっている。彼女の言葉の意味を理解した上で言っているのだ。


 言わば脅しだった。聞かなかった事にしてやるから今すぐに言葉を取り下げろ、と暗に言われている気がしてならなかった。


 もしも、聖花が言葉を撤回(・・)すれば、話そのものがなかったことになるだろう。彼もそれを望んでいる筈なのだ。



「そんなの、」


 暫しの沈黙を破り、聖花が重い口を開いた。彼に屈してしまえば、全てがフェルナンの思う壺になってしまうような気がして。

 それがどうしても嫌だったのだ。


 フェルナンが小首を傾げる。怖いくらいの笑みを張り付けたまま、聖花を射抜くような目で見つめていた。

 彼女が、彼の望み通りの回答をしてくれることを期待して。



「そんなの、先生が一番分かっている筈ではございませんか?」


「………ふぅん?」


 フェルナンの頬がピクリと動く。変わらずニコニコとした笑みを浮かべているが、彼の目は全くと言っていいほど笑ってはいなかった。



「確かに先生には感謝しています。僅か数ヵ月といった短い期間でしたが、先生には数多くのことを教えて頂いて……。

 ですが、それとこれとは別です。

 ――貴方が何度聞き返そうと、私が発言を訂正することはございません」


 言ってやったと言わんばかりに、聖花はフェルナンをじっと見つめた。明らかに目上の者に対しての態度ではない。

 が、こんなにも啖呵を切っておいて、ここで引き下がることなど出来ようか。



(彼がまだ恍けるのなら、それで良い。勝手に話を進めてしまえば良いもの)


 しかし、フェルナンは恐ろしいくらい静かだった。何を話すでもなくその場に佇み、ただただ押し黙っていた。斜め下(机の上)へと視線を向けていて、何を考えているかさえも分からない。

 先程までの胡散臭い彼とは大違いだ。


 聖花はそんな彼を見据えて、僅かに息を飲んだ。想像していた反応と違う、と。

 まるで魅せられたかのように、聖花の視線は彼の姿を掴んで離さなかった。じっと息を潜めて、ただ彼の言葉を待つことしかできなかった。



「………本当に、いいんだね?」


 地の底から声が響いた。物言えぬ圧がある、何処か凄みのある声色だ。

 

 聖花は目を丸くした。底知れぬ圧迫感に、底知れぬ警告音。先程とは段違いの息苦しさに、彼女は思わず顔を顰めた。



「と、その前に」


 不意に声色を和らげて、フェルナンはそう小さく呟いた。何かを思い出したように笑顔を浮かべ、視線を扉に移すも、その目は全く笑っていなかった。


 聖花が疑問に思うのも束の間、彼女の背後から音が聞こえた。不穏な空気を察知した見張りがノブに手を掛けていたのだ。

 だが、此方(部屋)側から扉の向こう(廊下)までは見えない筈である。特殊加工された窓は、中から見えない仕組みになっている。


 けれども彼は気配を瞬時に感じ取った。フェルナンはニコリと笑ったまま()に目を向けて、程なくして彼女に視線を向け直した。


 彼女からしてみると、何をしているのかまるで見当がつかない。まさか見張りに圧を掛けているなど、想像すらつかなかったのである。


 視線が、―――重なる。フェルナンの深海のような美しい瞳は、彼女の心を引き摺り込もうと深く渦巻いていた。

 が、聖花は動じない。逸らすことなく、フェルナンの瞳をじっと見つめていた。



「……僕が広めない保証はないんじゃないの?」


 偽善者の皮を剥ぎ取ったフェルナンは、訝しげな目をしてたおやかに微笑んだ。

 有無を言わせぬ台詞だ。何とも遠回しで、はっきりとした脅し。それはまるで教師がすることではなく、鬼畜といっても過言ではない所業である。

 心なしか、彼の薄ら笑いが意地の悪い笑みに感じてしまう。


 とうとう本性を現したか、と聖花は内心息を飲んだ。

 ずっと隠していた彼の裏の姿が、僅かに顔を覗かせた瞬間だった。任期初日に見せた、淫靡で危険な微笑み。

 もはや邪悪なナニカにしか思えない。


 単に面白がっているのか。それとも悪巧みをしているのか。今はそんなことはどうでも良い。問題なのは、聖花が踏んではいけないモノを踏んでしまったという事実だけだった。

 軽々しく取り消せと言うなど浅はか。彼の性質をある程度知っていて、お願いしたこと自体が間違いだったのだ。

 が、過ちに気付くには既に遅い。



(嗚呼、馬鹿だ。馬鹿だった。彼の人間性をすっかり忘れていた。……まともに話が通じる相手じゃないのに)


 心の中で自嘲する。一体何を期待していたのだろうか、と。いや、きっと心の何処かで何か(・・)を期待していたのだ。


 授業を受け始めてから幾日経ち、聖花はいつの間にか毒気をすっかり抜かれていた。気を抜いてしまっていた。

 それ程までにこれまでの授業が普通(・・)だったのだ。


 確かに、妖しさを見せる面も多々あった。がしかし、彼の授業は聖花の予測から大きくかけ離れたものだった。

 初日以降、彼は彼女の過去について深く触れなかった。全くと言っていいほど言葉にしなかったのだ。

 不穏な気配が流れたこともなく、どちらかというと安穏とした空気のなか彼は授業を進めていた。親身になって彼女の面倒をみてくれた。

 それは、敬意を払うに値する姿だった。


 だから、油断したのだろう。



(そうだった。彼は無関係なんだ。雇われて、伯爵家に来ただけ。いつ話しても、いつ広めても、彼に何ら痛手はない)


 ハッとした。脱獄にフェルナンが関わっていないということを、今さら聖花は思い知った。

 本当に今更のことだ。フェルナンが秘密(・・)を知ったのはただの偶然だということ。だが、その事実に辿り着くまでにどれほど時間が掛かったことか。


 いつから誤認していたのであろう。少し考えてみれば分かる話なのに、いつの間にか聖花は認識を見誤っていた。


―――広められる心配はない、と。


 心の何処かでそう思い込んでいた。だから、聖花の口から馬鹿げた発言が飛び出たのである。

 当然ながら、その希望は無惨にも砕け散ったが。


 結局、彼との間に"協力関係"など、生温いものはない。あるのは、見事なまでの上下関係だけだ。

 何もかもが天と地ほどの差。彼女の全てを晒してしまおうと思えば、いつでもそれが出来る人間。


 そして、彼の発言は本気だった。

 一見ただの脅し。だが、もし聖花が彼との約束(契約)を破るようなら、彼は本気でそれ(・・)をする。

 そう確信できる程の圧が彼にはあった。


 これまでの行動も十分愚かだったことは彼女自身で自覚している。だが、これは最早その比にならない無謀さだ。言ってみれば、始まる前から負けているようなものだろう。

 おまけに、防音で、密室。頼みの監視役(騎士)も使えないという状況で、彼女には逃げ場もない。

 流石に、明確な危害を加えたら監視役が止めに入るだろうが、どうにもそうは思えない。


 後悔したところで時すでに遅し。それだけは確かだった。それこそ、今になって発言を取り消せる訳がない。


 だから(・・・)、聖花は言葉を続けることにした。理解した上でまだ足掻こうとするなど、愚の骨頂にしかないことは彼女も分かり切っている。

 が、これまでの経験上、隙を見せることも下手に出ることもしてはならない。相手が調子に乗るからだ。


 『マリアンナ』だった頃の聖花は、何の抵抗も出来ず、只してやられるだけだった。誰だって同じことを繰り返したくはない。

 彼の言いなりになるくらいならば、もしも彼の奴隷(・・)になるくらいならば、いくら無謀であろうと抵抗してみても良いのかもしれない。嫌味を言うくらいしても良いのかもしれない。どの道、今の聖花にまともな道はないのだから。アーノルドも、ヴィンセントも、ひいては奏さえも出し抜かなければならないのだから。


 どうせ今、彼に手を出すことは出来ない。だから、フェルナンの思惑通り、これ以上の"弱さ"を曝け出す訳にはいかない。



「……遠回しに人を脅すなど、先生は意地悪(・・・)ですね。そうすれば私が折れるとでも、?」


 聖花は捲し立てるように言い放った。



「だとしたら見当違いです。私は、脅しで人を動かそうとする人の言いなりになんてなりません」


「………随分な物言いだね。まるで僕が屑みたいじゃないか」


 そう言いつつも、フェルナンは全く動じていない。それどころか、口元を僅かに緩ませているではないか。

 そんな風に見えるのは、きっと聖花の気の所為ではない。



(この人は、一体何を考えているの)


 頬が僅かに引くつく。屑みたい、というより、屑そのものだという突っ込みを心にしまいつつ、聖花は冷ややかな目をフェルナンに向けた。タチが悪いことに、無自覚に言っているようだった。

 教師としての評価までもが崩れ落ちそうだ。



「……まあ、いいや。折角面白いものを見せてもらったことだし、今日のところは引いてあげるよ。

 でもね、セイカ嬢が何と言おうと、僕は意見を曲げない。思い通りにならないことは嫌いなんだ。

 …………一層、僕のモノにしたくなったよ」


 聞き間違いだろうか。いや、きっと聞き間違いに違いない。そう聖花は自分に言い聞かせて、彼をそおっと見た。

 が、彼はやけに落ち着いていて、先程不審な台詞を呟いた人物には思えない。


 それを見て聖花は胸をなでおろした。

 …のも束の間、フェルナンは言葉を続けた。



「絶対に来て?………絶対に」


 力強く、爛々とした瞳だ。彼は、これまでにないほどに悍ましい空気を纏って、そう言い放った。


 聖花の中で、肌が粟立つような心地がした。

 彼は危険だと、警告音を鳴らしていた。これ以上は踏み入ってはいけないと。

 けれども逃れることは出来ない。明日、聖花は彼の元へと自ら行かなければならない。


 フェルナンに取った行動が、どれだけ危ういことだったのか聖花は分からないし、知りたくもない。が、明らかに道を踏み外したことだけは確かだった。

 発端となったのが彼女自身の発言なだけに、最大級の置き土産(爆弾)を仕掛けられて、最悪な気分である。


 正直、フェルナンがここまで危険な人物だと、これまで彼女は思っていなかった。感じてすらいなかった。

 が、あの視線に見覚えはある。フェルナンが最後に見せた、何かに囚われた視線。

 あれだけは、闇魔術に執着していた時のヴィンセントの目付きに似通っていた。


 聖花を置き去りして、フェルナンがその場から立ち去った。いつもと違って、終わりの挨拶はない。


 暫くして、白々しく見張り役(役立たず)の者が部屋へと入室してきた。が、今更護衛をして何になる、と聖花は騎士の制止も聞かずに、さっさと自室へと戻ることにした。


 現実逃避をするつもりで寝具(ベッド)に入り込んで、聖花は少しの間眠りにつく。今勉強しても集中出来そうにない。


 以降、聖花は部屋の中で残り僅かな一日を過ごした。夜食はしっかり摂ったし、言われるがままに風呂にも入った。


 しかし、最後の最後まで心のモヤを払拭することは出来なかったのである。

次回は、フェルナン視点です。

その次の話から、学園編に入ります。

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