18.誤解から始まる関係性
「お静かに、殿下。声が大きいです。
‥‥‥‥‥他の方はどうされたので?」
アーノルドが諫めるように尋ねる。本日の主役であるルードルフが抜け出すとは、貴族を蔑ろにしているも同然だと。
おまけに、肝心の王子がふたりとも会場にいない状態だ。皆、困惑しているに違いない。
アーノルドの台詞には棘があった。兄を嫌っているのだろうか。
「‥‥‥いや、君が突然出て行ったのが目に入ったから見に来たんだ。こんなこと初めてだしね」
「そんなことで追ってきたのですか?」
言い訳にさえなっていないルードルフの台詞。
どうせ自身の動向を伺いに来たのだろうとアーノルドは考えていた。だから、彼にはルードルフがはぐらかしたようにしか見えなかったのだ。
正直に言え、と言わんばかりに語気を強める。
けれどもルードルフは「ああ」と頷くだけで、彼自身に向けられた冷ややかな視線にはびくともしなかった。
それどころか、彼がアーノルドを追ってきたときは不安げな表情だったのに、今はすっかり安心しきった顔を浮かべている。
「‥‥‥‥話になりません。
私は単に人混みに疲れただけです」
「常日頃貴族と接している君が?」
そんな二人の会話を、聖花はただただ呆然と見守っていた。王族同士の会話。
今は割り込むべきではないし、割り込めない。そんな状況だった。
どうすることも出来ず、最早その場に突っ立つことしか選択肢のない聖花には、視線だけを動かして王子の様子を交互に見てる他なかった。
王族としての品格のようなものは似通っている。
が、容姿から性格まで全く異なる双子。いや、挑発的な部分は少し似ているのかもしれない。
けれども、ルードルフの言葉の端々は、あたかも弟のことを心配しているようで、決してアーノルドが考えているような人ではなさそうに聖花は見えた。
表面上だけかもしれないが、もしそうだとしたらアーノルドより一枚上手と言えるだろう。
そうしてルードルフをじっと見ていると、とうとう聖花とルードルフの視線が重なった。それほど見ていたら当然といえば当然であるが、無意識に彼の様子を観察していた聖花にとっては不意の出来事だった。
吸い込まれるような炎に見つめられ、聖花の意識がハッと引き戻される。慌てて視線を逸らすも、既に遅い。
アーノルドをそっちのけにして、暫くの間ぽかんと彼女を見るルードルフ。
弟にすっかり気を取られていた彼は、徐々に落ち着いてきたのか、その場にいる筈のない第三者の存在に漸く気がついたのだ。
それから、彼は考えるような仕草をして、アーノルドと聖花を交互に見た。会場から外れた、人気のないところに男女がふたりきり。
何の想像をしたのか、見る見るうちにルードルフの白く透き通った頬が真っ赤に染め上げられた。
アーノルドはというと、どうせ今言っても話がややこしくなるだけだと、薄暗い視線をルードルフに向けるばかりだ。
だが直ぐに、ルードルフはコホンと咳払いをした。
気を取り直して、今すべきことに意識を向ける。
「ところで、そちらのご令嬢は?
‥‥‥‥アーノルドが指定区域から外れることは良しとしても、彼女は駄目だ。それでは王宮の品位が疑われる。君もそれは分かっている筈だろう?」
アーノルドを叱咤するように、厳しい視線で彼を見た。その耳はまだまだ赤く、先程の余韻が未だに残っている。
一部誤解があるとはいえ、ルードルフの言い分には筋が通っていた。
要事で、指定区域以外の警備がいつもより手薄な王宮。例え何か重代な理由があろうと、そこに聖花が無断で抜け出したことは事実なのだから。
こんな日に、王族の婚約者ですらない令嬢を連れ出すような真似をした。ルードルフは少なくともそう思っているようだ。
事の顛末は、会場を抜け出した挙げ句に辺りを彷徨い始めた聖花を追っていたアーノルドが、そろそろ見過ごせなくなり、聖花に接近したに過ぎないが。
ビクリ、と聖花の肩が震える。
ルードルフの台詞はアーノルドに向けられている筈なのに、彼女自身が責め立てられている気分になったのだ。
事実アーノルドはここに置いて、ある種の被害者と言えよう。むしろ、怪しい行動を取った彼女を追跡していた彼は正しいと言える。
こればっかりは無闇に抜け出した聖花が悪い。
「も、申し訳ございませんっ!!」
黙り込んで二人の会話を静観していた聖花が漸く口を開いた。そんなことで許されるとは到底思えないが、自分の所為でアーノルドが責められるのは何故だか嫌だった。
それには、貸しを作りたくない気持ちも確かに存在している。が、きっと彼女と同じことをしたくなかったのではなかろうか。
罪を擦り付けて、聖花を絶望の淵へと追いやった彼女に。
突然の割り込みに面食らったのか、アーノルドが何かを言い出そうとするのを止めた。
ルードルフも同様だ。
ふたりの視線が聖花に集中する。何を言い出すのかと。
容姿が全く違えども、流石は血を分かち合った兄弟。動きが息ぴったりである。
けれども聖花としても、不意に口をついて出た謝罪。だから、その後に何を話すか具体的に考えていなかった。
「私が悪いのです。第二王子殿下には責めるべき点などございません。殿下は不審な行動を取っていた愚か者を叱責する為に、その者を追い掛けたのです」
その結果、飛び出したのがコレだ。謝罪というか、これではただアーノルドの擁護をしただけである。
ルードルフがちらりと彼を見た。そうなのか?と言いたげに。
が、アーノルドはその視線に気付かない。くつくつと面白おかしげに笑っているだけで反応を示さない。何やら楽しそうだ。
それを見た聖花は、我に返ってジト目で彼を見据えた。何がそんなに面白いのか、と。
彼女の念が伝わったのか、アーノルドが聖花に向き直って彼女を見た。依然としてルードルフは困惑した様子だ。
先の聖花と立場が逆転した。
「‥‥‥‥‥お前は、変わっているな」
一通り笑い終えたアーノルド。褒めているのか貶しているのか分からない彼の台詞に、聖花はどう返せば良いのかと悩んだ。
だから、嫌味の意味を込めて「ありがとうございます」と微笑み返すと、彼は満足げに口の端を上へと上げた。
「取り込み中、申し訳ないけれど―――
ご令嬢。一つだけ確認しても良いか?」
漸く、状況を整理したルードルフが声を上げる。聖花とアーノルドは話を止めて彼を見た。
聞かれることなど分かり切っている。聖花はゴクリと生唾を呑み込んだ。
それを合図と捉えたルードルフは、彼女に向かって言葉を続ける。
「つまり‥‥‥、貴女の独断で王宮の中を彷徨っていた、と言うことで間違いない?それも、無断で」
深刻な眼差し。聖花を突き刺すようなルードルフの視線に、彼女の背筋に冷たいものが走る。
けれども、それを何とか抑え込んだ聖花は、首を縦に動かそうとした。
が、その一歩前に、アーノルドが前へと進み出る。聖花を庇うように立った彼は、真っ直ぐな視線をルードルフへと向けた。
「いえ、私が彼女に指示しました」
「ふむ。意見が食い違っているようだけど、一体どういうこと?」
ルードルフは、スッと目を細めてふたりを見据えた。何となく、どちらが事実を言っているのか、大方見当がついているように見える。
それでも敢えて尋ねたのは、何かを試しているのか。それとも出方を伺っているのか、というところだ。
一瞬の沈黙の後、アーノルドは遂に彼をはっきりと睨み付けた。兄に負けず劣らずの鋭い視線。
「‥‥‥‥彼女は、私との約束を守っているのです。
それを聞くほど殿下も野暮ではないでしょう?」
「なるほど、ね。それで、この責任はどちらが負うのかな。アーノルド?それとも、そちらのご令嬢?」
"責任"。ルードルフの一言で、より一層空気に緊張感が走るのを聖花は感じ取った。ピリピリと張り詰めたような空気。
アーノルドの言葉に納得したのか、ルードルフがこれ以上仔細を尋ねることはなかった。が、これだけは免れないと言わんばかりの質問を浴びせる。
答えを静かに待つルードルフ。彼には、それを行使するだけの力があった。
どうやら、単に優しいだけの王子ではなかったようだ。きちんと区別することは分けて考えている。
圧力に気圧されつつも、自ら名乗り出ようと聖花が口を開く。けれど、それすらもアーノルドに制止させられてしまう。
片腕を彼女の前に出して動きを止めたアーノルドは、聖花が言い切る前にすかさず言い放った。「この件においては、全責任を私が負いましょう」と。
聖花は彼の背中を見つめた。自身の目的のためには罪人でさえ世に解き放つアーノルド。
そんな彼が、聖花を庇ったのだ。それも、何らかの負の感情をアーノルド自身が抱いているであろう人間に。
ここで彼女が口出しするのは無粋なことだろう。下手をすると、アーノルドの意志を踏み躙りかねない。
ふたりの様子をじっと見ていたルードルフは、真剣な顔つきを一変させて、困ったような表情を見せた。どうすべきかと考えているようだ。
次期王として、兄として。どちらの決断を取るか。
聖花を庇うように立つアーノルドを見て、ルードルフはふっと息を吐いた。どうするか決めたようだ。
「‥‥‥今日、私は何も見なかった。けれども、次に同じことがあれば容赦はしない。私は先に戻るけれど、すぐに戻ってくること。別々にね。‥‥‥‥‥いいね?
勿論、誰かに見られないように。では」
飛び出したのは皇太子としては非難されることだが、兄としては称賛されるべき言葉だった。
対するアーノルドは怪訝そうに彼を見ている。
踵を返して、ルードルフが慌ててパーティーホールへと戻って行った。やはり何とか抜け出していたようだ。
聖花の傍で、小さく舌打ちする音が聞こえてきた。
話すことには成功したのだが、アーノルドの思惑とは違ったのだろう。それどころか、聖花はルードルフに彼との接点を知られてしまった。
恐らく、望まぬことだったのではないか。
結果的に誤解から始まったルードルフとの関係。出だしは最悪だ。
今回は何故だか見逃してくれたけれども、きっとルードルフは聖花に良い印象を持っていないことだろう。そう二人は考えた。
今日だけで色々有り過ぎて、もはや何かの境地に達した聖花は、今更どうでも良いことを思い出していた。
(名乗るの忘れてた‥‥‥)
因みに、今のところアーノルドはどうして聖花を庇ったのか不思議に思っています。
カナデ含む主要人物との接触、別視点は今後増やしていく予定ですので楽しみにお待ちください(*^^*)




