11.懸念と鼓動
フィリーネが学園から帰宅して既に七日が経過しようとしている。
聖花にもヴェルディーレ家にも、これといった不足の事態が起こることもなく、比較的穏やかな日々が過ぎ去って行った。
何かを疑われているように感じていた聖花は、フィリーネとそれとなく距離を取り、出来るだけ接触しないようにしていた。
幸か不幸か、フィリーネからも積極的に声を掛けることはなかった。
しかし、今日は違った。
とうとうフィリーネがマリアンナに「本日二人きりでお茶をしませんか?」と誘ってきたのだ。
しかも、家族全員が揃っている朝食の場で。
マリアンナの両親は笑顔で賛同しており、結果的に断ることが出来なかった。
聖花には承諾する他に選択肢がなかったのである。
楽しみね、とフィリーネは微笑んでいたが、聖花は憂鬱な気持ちで、ぎこちなく苦笑いを浮かべるばかりだ。
が、それにも関わらず、空は曇ることなく澄みきっている。一面にアザーブルーの海が広がっているようだ。
(嗚呼、遂にこの日が来てしまった―――)
窓越しに空を見上げる。自らの心とは対象的に晴れきった天気を目にし、聖花は気持ちを更に沈めた。
いっそのこと雨が降ってはくれないか、と。
フィリーネのあの時の態度。これまでの視線。何かを考えていたに違いない。
小さく息を吐いた聖花は、重い足を引き摺るようにしてその場を後にした。
夜会のあの一件から、既に物語は大きくズレてしまっていた。
いや、イレギュラーな存在が混じった時から。
◆
ルアンナがダンドールに頼んで、お茶会用に改築してもらった温室。
元々は空き部屋として放置されていたが、すっかりそんな面影はなく、草花の香りが辺りにほんのりと優しく広がっている。
観葉植物がその約7割程を占める中で、ハイビスカスやバラ、洋蘭などの多種多様な花々が美しく咲き誇っていた。
そんな風光明媚な温室で、会話を交わす者がふたり。フィリーネとマリアンナだ。
「あら、マリアンナ。そんなに緊張しなくて宜しいのよ。私と貴女の仲ではないの」
二人が席に着いてから暫くして、フィリーネが漸く声を発した。
強張った様子の聖花を見て、何かを感じ取ったようだ。以前のような力強い口調ではなく、ふんわりとした優しい声色で、その場の緊張を解そうとしていた。
あの時とは明らかに違う態度。何か謎が解けたのだろうか。それとも、誤解が解けたのだろうか。
「貴女に尋ねたいことが、あるの」
漸く緊張の解れてきた聖花を見るなり、改めた様子のフィリーネが本題を切り出す。
聖花は思わず息を呑んだ。
――――遂に、知られてしまった。
そんな考えが聖花の頭の中を駆け巡る。
今日、この日この瞬間まで、彼女はずっとずっと考え続けていた。
誰かに知られてしまう恐怖。大切な人に非難される恐怖。
そして、家族に捨てられてしまう恐怖。一度味わったような虚しさ。
この感情が何処から来ているのかは、今の彼女には分からない。分かる筈もない。
けれども、いつの間にか顔を地に伏せていた。
もうこの生活も終わりか。と、聖花は思った。
同時に、認めてしまおう、とも決めていた。フィリーネたちが知っているマリアンナは自分ではないことを。
だから、フィリーネの言葉に間抜けな言葉が漏れたのだ。
「……マリアンナ、貴女、私のことを嫌ってしまわれましたの?」
「はい………………………………、、、えっ??」
「はい、??」
二人、一瞬揃ってフリーズした。
予想を大きく外れたフィリーネの一言。
肯定した後、不思議そうに顔を上げたマリアンナ。
真っ向から嫌い、と頷かれたフィリーネは暗い顔になっている。
少しの間、気まずい沈黙が流れた。
「あの、えと、嫌ってない、嫌ってないです
誤解です。ごめんなさい‥‥‥」
何故自分が謝っているのだろう。聖花はそう感じつつも、この後ろ暗い雰囲気を何とかしたくって、慌てた様子で言い直す。そこに貴族らしさなんて残っちゃいない。
が、フィリーネにも指摘する余裕などなかった。
安堵と共に、聖花の胸に何とも言えない申し訳なさが突き抜ける。これまで、勝手に疑って、勝手に怯えて、勝手に警戒して逃げ回った。
以前のことがあったとは言え、警戒心が強くなり過ぎていたようだ。フィリーネは関係ないのに。
他愛ないことであるが、今日ずっと「マリー」ではなく「マリアンナ」と呼んでいたのは、"マリアンナから嫌われている"と踏んだフィリーネが敢えてそう呼んだ結果だ。
それがより、誤解を招くことになるとは知らずに。
そもそもフィリーネは、陰湿なことを嫌う性分で、言うならば堂々と、ハッキリ物申すような女性だ。
本当に何かに気付いていたとしたら、とっくに皆の前でソレをぶつけていたことだろう。
逆に、確信が得られるまでは何もしてこない、と言える。
マリアンナの慌てふためく様子を見て、フィリーネは優しく微笑んだ。
「いつものようにフィー姉様とお呼びして頂けますか?」
家族にしか見せない慈愛に満ちた表情で、彼女はマリアンナを真っ直ぐに見つめた。
ただの『お姉ちゃん』としての姿。
「……はい。フィー姉様。」
聖花は困惑しつつも、フィリーネを笑顔で受け入れた。
心の底から溢れ出す笑顔で、マリアンナがいつも彼女に見せていた笑顔で、微笑みかける。
フィリーネは一瞬目をぱちくりとさせた。が、直ぐにふんわり緩やかに笑いかける。
「ふふふ。ありがとう、マリー。年が違うけれど、学園でも宜しくお願いしますわね」
先ほどまでの気配は少しも見せない。いつも通りの『フィリーネ』に戻り、手本のような笑みを浮かべて見せた。
二人はまた顔を見合せ、顔をくしゃりと崩して笑い合ったのだった。
聖花は、きっと上手くやっていけると思って。対するフィリーネは心の内に何かを抱えて。
学園でも目一杯話そう、と穏やかに会話する中、聖花はひとり思っていた。
学園の始まりがじわじわと迫って来ている。
入学希望の者は先ず入学試験と、魔術の属性検査を受けなければならない。
〟 〟
赤魔術を用いる【炎】
青魔術を用いる【水】
翠魔術を用いる【森】
白魔術を用いる【光】
黒魔術を用いる【闇】
“ “
それらの属性は魂に刻み込まれるものであると、人々には信じられている。
例え、入れ替わりが起ころうとも、それ自体変えることは出来やしない。
それこそ、いるかどうか定かでない創造神以外に。
聖花や彼女は、これからの学園生活に期待を膨らました。
彼女は今までの努力が実を結ぶことを見越して。
聖花は楽しい学園生活を思い描いて。
カラスが一羽、ヴェルディーレ家の上を通り過ぎた。何処か気味の悪い鳴き声を上げて。




