12.深まる疑惑
「ご理解頂けて何よりです。さて、それでこの地、気になるのは明ヶ池についてのことですよね? そちらの彼曰く恐らくは基本的な情報は既にご存知なのですよね?」
「この自然公園の設立事由にこれといって曰く、伝説や逸話、事故等の過去が池にないことは確認しています」
「相変わらずよく調べられているようで。それもまた例の部長さんの影響なのでしょうか? だしたら……、そうですね、ではこの池の名前の由来についてはご存知でしょうか」
「名前の由来?」
どんな話が飛び出してくるかなと思えば手堅い話題が。これは手掛かりになるのだろうか。
「ええ。この池は明ヶ池という名前が付けられています。そう呼ばれるのにも理由があるのですが、それは調べられましたか?」
「嵩原?」
「名前の由来までは。明ヶ池というのもそう変わった名称ではないし。でも、思い返せば由来なんてどこにも載ってなかったような……」
「そうでしょうね。池自体への関心よりも、公園が設立されたその理由や当時のこの地の情勢の方を市は重視しているようで。まぁ、紆余曲折してましたし。それに由来も在り来たりと言えば在り来たりなものですから、わざわざ掲示する必要もないと判断されたようですね。これならば辿り着けなくてもおかしくはないかと」
開けっ広げに語るなぁ。観光地、とまでは言わないが公園の名前にも使用されているならせめて由来くらいは解説しておくべきではないのか? まぁ、説明文が載っていたとしても読みはしないと思うが。
「明ヶ池、というのは読んで字の如くの意味しかありません。文献によりますと、この池は昔からよくよく周囲の木々や空を水面に映していたようで、特に夜間、よく晴れた日には綺麗な月夜を池の表面に浮かび上がらせていたそうです。まるで空に浮かぶ月が地上へと落ちてきたように明るく照る池、そこから明の池と呼ばれやがて明ヶ池と正式に定められたとありました」
へぇと知らず感嘆の声がこちらから漏れる。予想外に随分と詩的な理由での名付けなんだな。確かに池を覗き込んだ時も鏡みたいに顔が映り込んでいたっけ。
「なるほど。川と違って池は流動が少ない。その分水面が波立つこともないからそれで鏡のような反射が引き起こされるのか」
感心しながらも美樹本があっさりと原理を説明してくれるのでこちらも理解が及ぶ。凪いだ池だなぁと思ってはいたけどそんな作用があるのな。
「更に言えば周囲の木々も防風林的な働きをしている可能性もありそうだね。四方を木立に囲まれた中心に池はある。多分名前が付けられた当初はもっと木々も濃かっただろうし、ひょっとしたらこの池は無風に限りなく近い状態にあったのかも」
かと思えば嵩原まで注釈してきた。止めろ、俺以外で頭良さそうな会話をするんじゃない。
「仰る通りにまだ深い森であった頃には当時の鏡以上に物を綺麗に映すとも言われていたようです。それが転じてこの池に映る物は本物よりも良く映るなどと、近隣の村の若い衆の隠れた逢い引き場所になっていたとか」
「それは、また」
「人里からもちょっとだけ距離があって、雰囲気のある人目も避けられる場所ともなればそれはいいデートスポットにもなりそうだねぇ。水面に映った互いを見て盛り上がったりしたのかな?」
「ちょっと嵩原下世話過ぎない?」
つまりはなんだ、公園として整備される前にもうちょっとした秘密のスポット的な感じになっていたのが明ヶ池だと。こうして公園として整備されたのも当然の流れだったのかもしれないなぁ。
「明ヶ池の由来はこのようなものです。満足して頂けましたか?」
「あまり噂と関係な」
「はい。貴重なお話ありがとうございます。これで満足して帰路に着けそうです」
「それは良かったです」
男の問いに美樹本が笑顔で答えを返す。嵩原はガン無視だ。この後に及んでまだ文句垂れようとしたあいつが問題なんだから順当順当。
「聖」
「今日はもう帰るの! 嵩原も知らなかった話聞かせてもらえたでしょ? 実は隠れた逸話もあるかもしれないことがこれで証明されたじゃない。今後はそっちに主眼置いて調査するべきなんじゃないの?」
「うーん、言われてみるとその可能性もなきにしもあらず、かなぁ」
不満そうな嵩原へも上手いこと興味の対象を別に作り上げて見事治めてみせたわ。元より手詰まり気味であったしな。新たに方針が出て来たようで何より。
「あの、それでは僕たちこれで失礼します。気に掛けて頂き本当にありがとうございました」
「いいえ、お気になさらず。それもまた業務の内ですので。恐らくは暫くこの公園内も騒がしくなるでしょうから立ち寄る際には充分注意なさってください。出来れば全く立ち寄られないのが一番ですが」
「は、はい。出来る限り善処します」
「お約束は難しいですが、貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。今後の調査の参考にさせて頂きます」
「失礼します」
予想外な出会いであったがそう悪くない結果になったな。実際は素性もはっきりしない相手であるからそれなりに警戒もしていたけど、概ね好意的な態度だったと言う他にない。
聞かせてもらった話も噂の真相に近付けるかというとそうでもないが、それでも聞いていて中々面白い話だった。蘆屋先輩も興味の引きそうな話題であったし、あとで教えてあげると喜ばれるかも……。
あ、そう言えばまた出会した際には名前等を控えておいて欲しいとか先輩言ってなかったっけ? この流れで失礼ですけどお名前は?とか聞くべきか? 相手は公務員というなら身分を明かすのにもそう抵抗は持ちそうにないよなぁ。
そう思って口を開き掛けた、そこで反対に向こうから訊ねられた。
「ああ、そうそう。ちょっとした小話を耳に挟んだのですが、聞いてもらえませんか?」
小話? なんぞやと疑問を呈す前に嵩原の奴が食い付いた。
「へぇ? ここ最近に起こったお話ですか? でしたら是非とも聞かせて頂きたいですね」
「ちょっとだけお時間をお借りしますけどよろしいですか?」
「もちろんです。わざわざ口にされるということはそちらも気にされていることなんでしょうね」
「まぁ、そうなりますね。本日より一週間近く前に、この池に入り込んだ学生がいたらしいんです。日も沈み掛ける時間、制服姿でジャブジャブと堂々と池内に侵入して底を浚おうとしたと。目撃された方が注意されて、それでその学生は直ぐに謝って逃げ出したそうですが、どうにもその制服はあなた方の所の制服であったそうなんです。心当たりのある人物などいらっしゃいませんか?」
「え?」
池内に侵入? まぁ、残暑厳しい折だから行水、な訳はないか。お世辞にも綺麗と言える水質ではないし。
それより我が校の生徒がそんな訳の分からないことをやったと? 何があったらこんな公園の池なんかに突貫したりするのか。一週間ほど前って、まだ噂も出回ってない頃の話、だよなぁ。
唐突な話題振りに困惑して答えられずにいれば、男はちらりとこちらを見やってから更に続けた。
「なんでも侵入していたのは男子学生、短髪の黒髪で運動部所属なのか足も速かったとのことです。お知り合いにいませんか?」
挙げられた特徴にヒヤッと背筋が冷たくなる。凄く、身近に知っている奴と似通っている。いや、まさかそんなはず。
「あ、あの、それを聞いてどうされるんですか? お叱りを受けるんでしょうか?」
「いえ、勝手に池内に侵入することは危険なので注意はしますが、それも精々口頭に留まる程度ですね。ただ、ここ最近の噂が広まるその直前での奇行ですので、何か事情を知らないか訊ねたいということで探しているんですよ。なのでそう警戒されなくても悪い扱いはしませんよ」
「……」
安心させるように優しく言ってくるが、その話を聞いてますます疑惑が大きくなった。あいつ、俺たちに噂に関する何かを打ち明けようとしていなかったか? まさか……? 嫌な符合に表情に出ないよう必死に取り繕う。
「そう言えば、お一人いませんね。以前お見掛けした際には確かもう一人いらっしゃいましたよね……?」
「……!」
だが、こちらの内情の変化など男には簡単に見透かせられるものでしかなかったようだ。疑問調ではあるがほぼ確信を抱いたように探る目が向けられる。
どうする。どうやって誤魔化す。
「心当たりと言われましても、我が高校は県内でもかなりの在校生数を誇りますし、その中のたった一人を知っているかなんて聞かれても答えようがありませんよ。そちらの仰る特徴も三学年でどれほどいるか」
ぐるぐると思考を巡らせていると嵩原が一人前に出た。淀みない答えは真実それが正答であるかのようだ。鋭い嵩原が気付かないなんてことはないんだが。
「そうですか? 身近にはいらっしゃらないでしょうか」
「特にこれといって思い当たる人間もいません。何せ付き合いのある人間は無意味に公園の池に突撃するようなアグレッシブな気性はしてませんから。もちろん、在校生全てと面識がある訳でもないのでそちらの目撃が確かであるなら、ひょっとしたら該当する人間もいるかもしれませんけど」
「……」
堂々と言って退ける嵩原に男も無言を返す。と、男の目がこちらを向いた。
「お二人も心当たりはお有りでないですか?」
「え、あ、は、はい……」
「特には」
嵩原の流れに乗ってどうにか否定の方向で答える。じっと心の内を確かめるように見つめられるが、そう時間も掛けず男の視線は外された。
「そうですか。……もし、池に入ったなんて話を聞かれましたらその時でいいので教えてください。再度申し上げますが、何か罰則を与えるのが目的ではなくあくまで事情をお聞きするだけですのであしからず」
念を押して情報提供を呼び掛けてくる。事情を聞くだけだと念押ししてくるけど、本当にそうなのか? 何かしら現状の噂との関連性を疑ってたりするんじゃなかろうか。
互いに秘密があることを了承して約束にもならない口約束だけで一応矛を納めた。
「あの、ご連絡するとしてもどちらへ繋ぎを取ればいいのか……。あなたは市の職員、なんですよね?」
これで恙なく退散となったその時におずおずと美樹本が訊ねた。ああ、そうだ、また名前を聞くのを忘れていた。問われて男は眼鏡の奥でぱちぱちと目を瞬かせる。
「……ああ、これは失礼。すっかりと名乗るのを忘れていました。古戸萩市役所の総務部、市政情報課に勤めております、宮杜と申します。ご用の際には市役所にて、市政情報課の宮杜とお呼び頂ければ問題なく繫がるかと思います。こちら、一応名刺も渡しておきますね」
そう言って男、宮杜は慣れた手付きで一枚の名刺を差し出す。代表で美樹本が受け取った。
「それでは、私はまだ監視、いえ業務が残っておりますのでここで。後日の連絡をお待ちしております」
最後まで慇懃に見送られ俺たちはやっと公園をあとにすることが出来た。やれやれだ、一時はどうなるかと思ったけど、どうにか問題なくやり過ごせたな。
「……」
帰る道中、なんとも言えない沈黙が俺たちの間に横たわった。敢えてどうしたなんて聞かなくても分かる。三人共宮杜の問いについて考えているんだ。
噂が広まる直前に明ヶ池に侵入した男子学生。特徴は正直該当者を絞り込めるほどではない。足の速い短髪の男子なんざ同学年でも数十といる。その内の誰か、なんてどう特定すればいいのか。当然名前さえ知らない奴もいるからな。
でも、そんな不特定多数がある意味容疑者である中、たった一人よく見知った人物も該当する。
桧山だ。外見の特徴といい、足が速いってのといい、宮杜の言う探し人と条件は合致する。
それだけでなくあいつは今回の噂についても何か隠し事があるらしいことはもう判明していた。それは池に侵入したことか? それとも池に何かをしてしまったことか? あるいは、今回の噂の発端は桧山なのか?
疑えば切りがない。そして桧山は現在最も疑わしい立場になってしまった。様子のおかしい、何かを言い出したくても言い出せない様子を見せる桧山。まさか、なんて思いたくもないけど諸々の情報が全て桧山を浮き彫りにさせているように思えて仕方ない。
だから三人共黙るしかないんだ。下手に口を開けば桧山への疑惑が飛び出してしまうかもしれない。宮杜には心当たりはないなんて誤魔化してきたばかりで、そんな舌の根も乾かない内に実は、なんて切り出せるほどまだ確証も決心もない。
一度ゆっくり考えて頭の中を整理したい。いずれ話し合わなければいけないのだろうが、それでも時間が欲しいというのが飾り気のない今の心境だった。
ともあれ、鬼の噂の調査は思いがけなく進展を果たしたと言えるのかもしれない。決して望んだような形ではないが、それでも疑惑が芽生えてしまったことは無視出来ない。これから先どうすればいいんだろう。桧山に、腹を割って話せと迫る他にないのだろうか。
公園から市街地へと戻っていく。道中には沈み掛けの強い西日が俺たちと街を真っ黄色に照らしている。
そんな西日を隠すように徐々に空へと集まり出した灰色の雲は、まるでこちらの心情を表すように空を覆い隠そうとしていた。




