13.降霊
結局やることになった。先輩の機嫌を取ることが急務の美樹本に逆らうと言う三文字は存在しない。強制的に男子も女子トイレへ侵入となる。
「まさか女子トイレに入る日が来るとは思わなかったなー」
「強制だから。強制だから」
「これは先輩からのパワハラであって俺たちの意思じゃない」
「分かってるわよ。ちゃんと流れ毎理解してるから糾弾なんてしないって」
本当かマジで頼むぞ変態の謗りなんて受けたくもないぞ。
「やり方は簡単。七人で噂の奥の個室を明かりで照らし、そして『あそぼうよゑみ』の七文字を一人ずつ呟くだけ。電気は点けずに真っ暗な中でやるのがポイントかな?」
お浚いだと嵩原が降霊方法を説明する。本当に簡単だ。女子トイレへの侵入が一番の難題ってなくらいやることは簡素だ。
「あ、明かりってスマホのライトでもいいんでしょうか?」
「他にないし、駄目だったらその時はしょうがないってことにしよ?」
生真面目に自分のスマホを見下ろす朝日に対して能井さんは端から若干諦め気味。朝日への気遣いなのか、それとも能井さん自身早くここから移動したいのかちょっと判断に悩む。
「降霊かー。本当に幽霊出るのかな?」
「そこはやってみなくちゃ分からないね。この手の学校を舞台にした話は数あれど、自分が当事者として関与出来るなんて思いもしなかったよ」
「嵩原嬉しそうだな。女子トイレってそんな興味引かれんの?」
「怪談。いいか、亨。か・い・だ・ん。女子トイレで噂される怪談の検証に関われるのが興味深いってだけであって、場所そのものに思い入れがある訳じゃない。そこをごっちゃにしないでね、本当お願いね?」
わちゃわちゃと各々で覚悟を決めていざ、乗り込む。代表で二岡が先頭に立つ。ドアノブに手を掛け、ゆっくりと捻って扉を開ける。鈍い音と一緒にゆっくり回転していき、やがてバスンと暫く振りに開けられたように中の空気が押し出されてこちら側へと開いていった。
ギィと軋みながら開けていく扉、その向こうに真っ暗な内部が見える。懐中電灯の明かりが汚れたタイルの床、同じタイルの壁、こちらは木製らしき個室の仕切り壁をバラバラに照らしていく。
よく見れば上の方がうっすらと明るいが、これは多分側面に小さくあった排気口兼明かり取りの隙間だろう。とてもトイレ内の全てを照らすほどの光量などはなく、本当にただ薄く一部が明るくなっているだけで非常口案内のあれよりも頼りない。
「……埃臭い……」
「……カビ臭くもあるよ……」
扉が開けられたことにより滞留していた空気と匂いがこちらに運ばれる。水場らしく、冷えた空気と一緒に放置された建物特有の埃とカビの饐えた匂い、そこに濁った水らしきなんとも言えない湿った匂いまで加わって正直呼吸が辛い。トイレを臭いと評するのも女子を敵に回しそうだから控えるが、これは長居はしたくないな。
「……ね、ねえ、嵩原。ここ、過去に自殺があったって本当なの?」
怖じ気付いたように美樹本が問いを投げる。ただでさえ雰囲気がとんでもないのに、更にここで本当に人死にがあったのかと気になったのか。
返される答えは、意外にも曖昧なものだった。
「一応、それらしきものは見付かったけどここが現場だってことは明言されてなかったんだよね。自殺した女生徒の名前やらは出るんだけど、彼女がどこで、なんて詳細な話は出て来なかった」
「え? そうなの?」
「そうなの。まるで情報に制限が掛けられているようだよ。この七不思議に関しては不正確な部分が多過ぎる。だから、俺も非常に気になって仕方ないんだよね。何かを隠しているような気がしてさ」
好奇心のなせる技か、嵩原は強い眼差しでトイレ奥を見据えている。怪談を作り出すのは悲惨な事実とそれに対する好奇心。そう評した奴の言葉を思い出す様相だ。本来、自殺のあった場所なんていろんな意味で近付きたくなくなるものだろうに。
「奥の個室……よね。行くわよ」
いろんな意味で躊躇いが湧く中、二岡は勇ましく中に突っ込んだ。そのあとを恐る恐る女子二人が続く。そして更にそのあとを俺たち男子勢がキョドりながら着いていく。
扉は開けっ放しになるよう、掃除用具入れを漁って適当にバケツを噛ましておいた。これで逃走はし易く、空気も入れ換えがおき、そして僅かながらも光がトイレ内に差し込んでと一石三鳥だ。まぁ、問題の奥の個室まではさっぱり届いていないので無意味ではあるが。
トイレ内は外観通りに狭い。右に個室二つと掃除用具入れ、左には洗面台が二個ある。
鏡は曇り洗面台には水垢がこびり付いてはっきり言って汚い。入室した時から不思議に思っていたが、ここはいつから使われなくなっていたんだ? 掃除さえも碌すっぽされていない様子で、学校という施設ではちょっと考えられなくないか? まるでこのトイレ自体が使用禁止になっているかのような有様に、嫌な予感が急激に胸の内に沸き上がる。
「これ……」
「……う、うわわ」
そして個室。二つの四角く区切られた箱が並び、入り口手前である右側は普通に全開の扉から和式便所が覗いている。なんの変哲もない隣に対して、問題の個室はもう見た目からして大分アウトだった。
常時開かれているだろう扉はしっかりと閉められている。と言うのも扉は板でべたべたに塞がれていたのだ。細長い板が何枚も通せんぼするように横に貼り付けられていて、それぞれしっかりと釘が打たれている。扉の前面を塞ぐ板のその端っこを別の板で更に塞ぐといった念の入れようで、絶対にこの扉を開けてはいけない、そんな強固な意思を感じさせる出で立ちだった。あまりに異様な光景に全員息を飲んで見入ってしまう。
「『使用禁止』……。こんな張り紙なんかなくても使用出来ないって」
塞ぐ板の上に張られた張り紙を見て嵩原がそんな軽口を叩くが、誰も反応しない。思っていたよりも大分“ガチ”な封印のされように、吐き出せる言葉がなかったんだ。
「さて、ここで降霊を行うんだけど、皆覚悟はいい?」
問われてはっと我に返る。息を取り戻したように皆も互いを見回した。本当にやるのか。やってしまってもいいのか。きっと皆何かしらの不安を感じたと思う。それほどまでにいざ対面したこの個室はあまりに異常だった。本当に降霊など行ってもいいのか、そんな疑問は各自の胸にあるだろうが、しかし押し止めるだけの理由だって思い浮かばない。
「……やるしか、ないわよね?」
「う、ん。もう、ここまで来たし?」
自然と各自のライトが個室に向けられる。酷い姿となった個室が真っ暗な室内に白く浮かび上がった。
「順番は奥から、二岡さんが最初の『あ』、次に能井さんが『そ』といった感じに行こうか?」
「……その方が分かり易いか。朝日さん、僕、桧山、嵩原で最後は永野になるね。……皆、いい?」
パラパラと返事が上がる。真っ暗で匂いの所為で息苦しく、また狭い空間に大人数でいるからか熱気も籠もってきて少し暑い。個室を取り囲むため出来るだけ身を寄せ合っているのも影響していると思う。
こんな所からは早く出たい。その一心のために降霊へと臨んだ。
「『あ』」
二岡が口火を切る。暗く狭い空間に声が木霊した。
「『そ』」
次に能井さん。恐れているのが分かる震えた声だ。これから霊を呼び出すともなればそれは怖いだろう。本来こんな集まりなんてあまり参加もしたくないだろうに。無理が祟らなければいいが。
「『ぼ』」
朝日も声に元気がない。今にも消えそうなほど小さく、この一年にも無理をさせたな。なんだって先輩はこの三人を巻き込んだのか。まさか偶然なんてのはあるまい。
「『う』」
美樹本。震えてはいるがしっかりと声を張っている。降霊をやると決めた直後は顔が死んでたのに腹を括ったか。『あそぼうよ』なんて掛け声で霊を呼び寄せるなんて、そりゃ不穏だから嫌がるのも分かるが。
「『よ』!」
桧山はこんな時でも元気だな。こいつは一体怖がるとしたら何を恐れるんだろう。ドッキリ系は普通に驚くけど怖がるといったことはないしな。今回だって怪談聞いても平然としていたし。
「『ゑ』」
冷静だな、嵩原の奴。降霊方法が見付からなかったとちょっと悔しそうに言っていたし、こうして実行している今、興奮が声に滲むかと思ったけどそんなこともなかった。
さて、何故かトリを務めることとなったけど、ただ一言呟くだけだからそう力も入らない。さっさと済ませてここから出たい。ここは不気味過ぎる。閉じ込められでもしたら暗所恐怖症でもないのにパニック起こしそうだ。そう思うほど全体の雰囲気が居心地悪くて仕方ない。
すうと息を吸って声にして吐き出す。嵩原なんかは降霊に携われるとむしろ喜んでいたけどその気持ちは全く理解出来ないな。そう言えば敢えて降霊方法は秘匿したんじゃ、なんてことも言っていたっけ……。
危険な行為だからかと思い至り、それと同時にこの怪談の曰くも思い出した。確かこの怪談は恨みを持ったままこの世に留まる霊を、その恨みを蘇らせることで呼び出すと言っていた。
つまり今俺たちが行っているこの行動は自殺した当人の恨みを再燃させるもの。どんな意味があるのかは知らないが、でも、果たして恨みを思い出させられた当人が仮に現れたとして、穏やかな邂逅といった風になるだろうか。
むしろ、その抱えた恨みをぶつける相手として認識されたりしないだろうか?
まずいんじゃないか。漠然とした不安が胸の内に広がるがもう吐き出した声は戻せない。
「『み』」
最後の七文字目が口から溢れる。ギリギリで踏み止まろうとしたため不格好に擦れて小さい呟きとなったが、それでも確かに音にはなってしまった。降霊が成立する。ぶわっと背中に冷や汗が浮いた瞬間。
個室へと向けていた懐中電灯、それが華奢な両手で覆うように塞がれた。
視界が暗闇に呑まれると同時にバタン!と派手な音が鼓膜を打つ。なんだと驚きつつも多分扉が閉まったんだと冷静な部分が判断した。微かに届いていたはずの入り口からの明かりが途絶えている。光源の殆どを断たれ、鼻を抓まれても分からない真っ暗闇に悲鳴が木霊した。
「キャァッ! 何々!?」
「ライトが! それにさっきの音何!?」
ワーワー騒ぐ声と共に混乱が一気に広がる。カチカチとスイッチを押す音、どこかに何かをぶつける音、必死に呼び掛ける声などかなり騒々しい。
懐中電灯もスマホもうんともすんとも反応しない。降霊の成否も気になるが、ここは性急に明かりを確保すべきだ。
扉を開けるのが手っ取り早いかと反転した所でくっと体が後ろから引っ張られる。誰かに服の裾を抓まれているような感触だが、一体誰だ? 一番近いのは嵩原だが、あいつがやるとはとても思えない。
振り返っても視界は真っ暗で背後にいるだろう人物の顔は見えない。黒く塗り潰された闇が目の前にあって、その中に微かな息遣いを感じる。近距離にはいるはずだ。そう思って目を眇めると同時に耳障りな音が意識を揺さぶった。
ギイィと酷く軋みのある音。まるで錆び付いた金属を無理矢理擦り合わせたような神経を逆撫でる不快な音が反響する。それほど大きくもないのに、見つめる闇の中から確かに響いてくる。そちらに、こんな音を立てそうな物は一つしかない。
埃やカビや水気の臭気。水場であることによる冷えた空気。出入り口を開けたこと、また俺たちの熱気によって変わったはずの空気が急激に元に戻っていく。
前方から風のようにして酷い臭気と冷えた空気が流れ込んでくる。その勢いは凄まじい。まるで吹き込む隙間が出来たと言わんばかりに怒濤に、だけど静かにトイレ内を浸食していった。
目の前にいる誰かの気配が途端寒々しくなり、そして盛大な不快感が全身を襲う。
このままだとまずい、急に己の内で鳴り出した危機感に従い、叫ぼうと息苦しい空気を一気に吸い込んだ、その時。
バンッという音と風、そして次の瞬間には視界がパッと明るくなった。真っ暗闇から突如白く視界が切り替わって目がチカチカする。
思えばずっと懐中電灯の明かりを頼りにしていたために、これほどまでに明るい光と言うのも随分とご無沙汰だった。だから慣れるまでにも時間が掛かる。
「わっ、眩し!」
「こ、今度は何!?」
皆も突然の明るさに戸惑っている。目が開けられずにいるから状況把握も満足に出来ない。だが、あの音、そして何より新鮮な空気の流れを感じることから……。
「大丈夫かい? 皆」
結論を出すその前に聞き慣れた声が耳に届く。酷く落ち着いていて女性にしては低めのこの声はあの人しかいない。
まだ光に慣れない目を瞬かせ出入り口へ振り返る。ぼやけた視界の中、開け放たれた扉前で仁王立ちしているのは蘆屋先輩その人だった。




