祇園祭
「玉姉様とお祭りなのじゃー」
千代は嬉しそうに、はしゃいでいる。今日は巫女装束ではない。東山へ向かう街道には、多くの人が歩いていた。
「千代、無理しないでね」と玉は声をかける。
六月、牛頭天王を祭る祇園神社(現在の八坂神社)では、毎年「祇園御霊会」が行われる。京は疫病が頻繁に流行った都市であった。内陸の高温多湿の盆地、人口が集中したが、上下水道が完備されていないので、飢饉や戦の度に疫病が蔓延する。当時の人々は、疫病は、疫神や死者の怨霊の祟りであると考え、それを鎮めるための祭りを行った。それが祇園御霊会、現在の祇園祭である。
大勢の鉾衆が、華やかに飾られた山鉾を引いて市中を巡行する。その周りで、鼓打たちが踊りながら鼓を打つ。人々の笑顔と熱気の中、玉と千代は手をつなぎ、祭りを楽しんだ。警固の大友靖頼も同伴している。
「玉姉様、あっちに美味しそうな物が売っているのじゃ」
「千代、走ったら危ない」
玉たちは千代を追いかけた。千代は怪我が治ったばかりである。傷口が開かないかと、玉は心配した。
闘茶の後、千種忠顕が、伊賀兼光をはじめとする、多くの武士から奪ったものは、全て元の持ち主に返された。また忠顕の領地に関しては、玉は、私利私欲のために税を取らないという約束をして、忠顕に返還した。
彼の莫大な財産は忠顕の家族や家人、家臣が困らない程度に返し、ほとんどは京の疫病を鎮めるため、食料や医療、亡骸を弔うことに使った。そのお蔭で、疫病は、ほとんど沈静化していた。それに伴って犯罪も収まっている。
都の人は皆、玉を女神のように敬った。しかし忠顕だけは、玉を恐れるようになった。闘茶の後、
「千種様、今度、悪さをしたら、雷が落ちるのは、どこでしょう」
と、玉が鈴のような声で言うと、忠顕は「ひいい!」と頭を抱えて丸くなった。領地などは返還されたが、千種の身体は返されていないのである。怨霊を鎮めるのが国家事業となる時代、いくら婆娑羅であっても、人外の力は恐ろしかったらしい。
その後、忠顕は、玉だけでなく、美しい女性を見るたびに悲鳴を上げて逃げ、雷の音を聞くたびに部屋に閉じ籠り、布団の中で震えた。また、後醍醐天皇はこの話を聞き、「次は出家させる」と忠顕を叱りつけたと言う。
実際、一年半後、忠顕は出家させられる事になった。そして最後は、後醍醐天皇と敵対する勢力との戦で命を落とした。帝に対する忠誠は確かなものであったらしい。
「玉様は、神様のようですねぇ」
三条吉永は賀茂基久に言った。
「伊賀様はじめ、多くの方が玉様に感謝して、崇め奉りましたね」
「うむ、伊賀殿もこれで心置きなく、奥方の菩提を弔う事ができるじゃろうて」
「でも、まあ、雷を落として、千種の腰を抜かさせたのは、ホント傑作でしたよ」
「わしは、玉に雷が落ちなくて良かったと思っておる……」
基久の心には、鶴の見た、玉に雷が落ちる夢が引っかかっていた。基久は内裏で雷が落ちた音を聞いた時、生きた心地がしなかったのである。
「そりゃぁ、そうですね。はっはっはっ」
吉永は、「玉様に雷が落ちる訳ない」と笑った。
基久は、闘茶の前、玉と天気を占った。雷雨のある日時を仕合に指定した事は、他の者には黙ってある。
―― それは言わんでも良いじゃろ……
基久は、玉の名の由来をふと思い出した。
「玉の名は、玉依姫命から付けられたのじゃ……」
上賀茂神社の祭神、賀茂別雷命は、下鴨神社の祭神、玉依姫命の子である。
「それで、雷を落とせるんですかねぇ」
吉永は感心して言った。
頼光と呼ばれていた忠顕の護衛は、忠顕の許を去り、毎日、賀茂神社に来ている。吉永に「良い茶は、良い茶壺に容れておくべきだ」と誘われた。頼光は「それならば確かめさせてもらおう。お主ほどの武士を容れる壷が、どれほどの物か」と言った。警固衆には入っていないが、毎日、吉永と剣を交え、楽しんでいる。
「千種殿はとりあえず大人しくなったが、まだまだ問題は多い……。賄賂や無礼な狼藉などは禁止するべきだろうか」
足利尊氏は、佐々木高氏に言う。
「ま、程度によるでござろう」
「うむ、それに、賭博や贅沢な宴会も、なくなる気配はないが、天下万民のために、これも禁止………」
「あいや、足利殿、待ってくだされ。それがなくなると、拙者の愉しみが減ってしまう」
尊氏は、いたずらっ子のような目をして笑った。
「はははっ、それもそうでござるな」
「かっかっかっ、足利殿、脅かさないでくだされ。かっかっかっ」
二年後、建武三年十一月。尊氏は「建武式目」を定め、賭博や賄賂など上記の事柄を規制する方針を示した。清潔な政治を進めようとしたのである。しかし高氏も負けてはいない。彼は死ぬまで婆娑羅として自由奔放に生きた。
「玉姉様、美味しいのじゃー」
千代は酒素饅頭を、嬉しそうに頬張った。その元気な姿を見て、玉の目が潤む。
「大友様も、お一つどうぞ」
玉は靖頼の手に饅頭をのせた。
「あ、ありがとうございます、うっうっ……」大友靖頼は泣いた。
「大友は泣いてばかりじゃのぉ。饅頭いらないなら、わしが貰うぞ」
千代が言うと、靖頼は「だ、だめじゃぁ」と、饅頭を取られないように、頭の上へと揚げた。すると、そこへ烏がバサバサッと飛んで来た。烏は、靖頼の饅頭を咥えると、山鉾を一つ二つ越え、青い空の向こうへ飛んでいった。見物客や鉾衆はそれを目で追う。靖頼は涙を流し、「うおおおおお」と咆哮し、跪いた。
玉は「大友様、私のを差し上げます。私は、もう一つ買ってきますから」と露店に戻って行った。靖頼は「あ、ありぎゃとうございますぅ、申し訳ごじゃいません、うっうっ……」と言って、また泣いた。
千代は大友の頭を、やさしく撫でた。
鳥部山に、真新しい墓があった。木漏れ日を浴びた墓前には、野で摘まれた花と、短冊が供えられている。前に立つ親子は、北の方、賀茂神社に向って手を合わせる。そして墓を離れ、山を下りて行った。短冊には、こう歌が記されていた。
あき部屋に たえず涙の 蝉しぐれ 雲間にうかぶ 君のおもかげ
鼓の音が遠くから聞こえる。
読んでいただき、ありがとうございました。
史実では、この後、
八月に二条河原に落書が立つ
九月に万里小路藤房が、天皇が政治を改めない為、遁世する
そして西園寺公宗の天皇暗殺計画、北条時行が信濃で挙兵
と、続きます。足利尊氏と後醍醐天皇の関係は、どうなるのか。面白くなる所です。
でも本作は、とりあえず、ここで終わり。
念のため言っときますけど、本作は歴史的事実に基づいてはいますが、フィクションです。
話し言葉もファンタジーだと思ってご容赦ください。
本当は、楠木正成を登場させたり、他の出来事、お茶の事など、いろいろ盛り込みたかったけれど、
四万文字以下という制限がありましたから、今回出来ませんでした。残念。
ご感想、ご評価お待ちしております。
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