疫病の流行
「はっはっはっ、やはり、ちと頭が足りないのう。玉は、見た目だけで、中身は空っぽか」
千種忠顕は家臣からの報告を聞いた。
忠顕は玉に、闘茶をいつどこで行うか、双方が日時と場所を一つずつ決める事を提案した。すると、玉は日時を選んだ。それゆえ、忠顕が好きな場所を選べる事になった。
「うぬらの味方の多い、有利な場所を選べば良かっただろうに、まさか、日時を取るとは……。くっくっくっ、馬鹿な小娘よ……。日時など、いつやっても同じではないか…。もっとも、場所を選ばせるつもりもなかったがな、くっくっくっ……」
忠顕は、中原章有を呼んだ。忠顕が雑訴決断所にも配属されていた時の部下である。彼は現在もそこで働いている下級の公家であり、頻繁に忠顕の酒宴に訪れている。また彼のために、闘茶の審判として、これまでに何度も、いかさまを行っていた。忠顕は、彼と詳しく打ち合わせをするつもりである。
「勝負と言うのは、勝てる時に、勝つために行うものだ。負ける者は、努力をしないで、勝負を運に任せる、愚か者だ」
忠顕は楽しそうに笑った。
「本当に、あの日の未の刻で良かったのか」
基久が聞くと、玉は「はい」と答えた。
―― 玉には、わしに見えぬ何かが見えておるのじゃろう……
そう思わせる力が、玉にはあった。
先代、基久の父が玉を拾って十六年。基久は玉を、自分の娘のように、いや、ある意味、娘よりも大切に育ててきた。神からの贈り物だと心から思い、屋敷の奥に閉じ込めることはせず、多くの人と出会わせ、多くの経験を積ませてきた。玉の許に命をかける者が集まったのは、容姿が美しかったからだけではない。身につけた経験と、慈愛の心、そして先を見通す知性、それが多くの人を惹きつけたのだ。
―― 玉のする事に間違いはないじゃろう……
基久は不思議と、そう思った。
相手がいかさまでもしない限り、玉が闘茶で負けることはない。しかし、その相手は千種である。何をしてくるか分からない。また鶴の不吉な夢も気になっていた。
基久は、玉を必ず守ろうと固く思った。しかし、何をしても、漠然とした不安がなくなる事はなかった。玉が手紙を書いているのを見ると、ひょっとして遺書ではないかと心配になってしまった。
闘茶は千種の屋敷にて行われる。基久は、いつもなら、護衛をニ三人連れて行く所なのだが、その日は、二十人近くの警固衆を連れて行った。賀茂神社の警固衆は、全員、玉と一緒に行くと言い張った。が、さすがにそれはと、基久は人数を制限した。神社の警固を空にする訳にはいかない。
この頃、京では疫病が流行りはじめていた。政治が乱れると、多くの民が飢える。人々の身体の抵抗力が低下し、死者は増え、都市の衛生状態が悪くなる。そして疫病が蔓延する。多くの人が食べ物や金銭を求めた。犯罪が増え、京の治安が悪くなり、武装をせずに外出することは危険な時期であった。
―― 千種も何をするか分からぬ。わしの目の前で乱暴はしないだろうが……
基久は牛車に揺られ、千種の屋敷へ向かった。大内裏の前を通ったが、まだ工事は始まっておらず、静かである。屋敷に着くと、基久と玉、警固衆は千種の門を抜け、庭へと通された。
そこはだだっ広い庭だった。地面は剥き出しの土であり、流鏑馬や笠懸用の的がいくつかある。塀や屋敷の近くに申し訳程度に、木や石があった。その広い庭に面する、広い一室に、闘茶を行う席が設けられている。毛氈が敷かれており、その上に机が一つ、そして豪華な唐物の茶道具が並べられていた。奥には、金の屏風が飾られている。
庭には、千種の家臣はあまり多くいなかった。だが、玉が二十人ほどの警固衆を連れているのを知って、奥の方から武装した若侍が出て来る。それは次から次へと続き、百人を超えるほどになった。