玉の決心
「玉か、千代の様子はどうかの」
賀茂基久は玉に聞いた。玉は頭を下げて静かに座っている。
「はい、まだ熱があります……、食事も摂ることが出来ません…」
「そうか……、玉は、ちゃんと休んでおるか? 看病で寝てないのではないか?」
「はい、問題ございません。皆と力を合わせていますので」
玉はそう言ったが、基久は、玉が千代に一日中つきっきりであることを知っていた。離れるのは薬を煎じる時か、身を清める時くらいであった。他の下女たちもたくさんいるのだが、玉は、千代をまるで自分の子のように、寝る時も離れずに看ていた。
―― 無理してないと良いのじゃが……
基久は千代だけでなく、玉の身体のことも心配だった。玉は、いつもの涼やかな顔をしていたが、疲れているに違いない。
「何か、話がありそうだのぉ」
「はい……」
「言ってみぃ」
「はい。実は、以前から、千種様に茶寄合に顔を出すよう誘われておりまして、近いうちに、そちらへ参ろうかと思っております」
「な、何! い、今、何と申した!」」
基久は耳を疑った。伊賀兼光殿の奥方は千種忠顕の集まりに一人呼ばれ、悲惨に凌辱され自殺に追いやられたではないか。武家の奥方で、そうである。一介の巫女がどんな目に遭わされるか。千種は巫女と白拍子の区別をしていない。おそらく巫女を遊女と同じだと考えている。基久は想像するだけで恐ろしかった。
「ま、待て、何ゆえだ、なぜ行く必要がある」
「はい…、これ以上、千種様を赦してはおけません。ここで白黒はっきりとさせて来たいと思います」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。白黒とは何だ。はっきりさせるとは…」
千種が、言って分かるくらいの人間なら、基久も苦労はしない。今までも何度も抗議をしたが無駄だった。帝に上奏するにも、これはかなり政治的な問題である。現在は、北条の残党が各地で反乱を起こしており、今の朝廷に不満を持った武士が、それにどんどん加わっていると聞く。千種をどうにかすると言っても、千種は帝の手足の一つ。その手足をどうするのか。
―― まさか、刺し違えるという事はないだろうが……
「はい、千種様と闘い……」
「待て待て待て待て! 玉、ちょっと待て。オホン、ウンッ」
基久は玉の口から物騒な言葉を聞くとは思ってもみなかった。基久は咳をして姿勢を正す。
「じ、実はの、わしは万里小路藤房様に会うつもりじゃ。藤房様なら、帝に諫言し、きっと、帝もその言葉に耳を傾けてくれるじゃろう。千種を正してくれるに違いない。それまで、待っては…、くれんかのぉ」
玉は少しの間床を見ていたが、「はい、分かりました」と深く礼をすると、また千代の許へ戻って行った。基久は、ほっと胸を撫で下ろすのだった。
最近、雑訴決断所の再編が行われた。部署は、四番から八番の倍に増え、万里小路藤房は、畿内を担当する一番に配属された。その頭は従一位の右大臣、今出川兼季である。
基久は、里内裏において、藤房と話をした。彼は噂にたがわず高潔な人物で、役所の仕事、そして朝廷の問題点を的確に、こと細かく調べていた。
近々、帝に、不公平な恩賞の件、過剰な税や課役の件、守護の権威が失墜している件、御家人の称号を廃止した件、多くの民が苦しんでいる大内裏造営の件などを上奏すると言う。
「天下の民を忘れた政治は、国を亡ぼす大元である。紂王や董卓が如き贅沢三昧の理不尽な振る舞いは、許されざる事じゃ」
藤房は基久に協力を約束した。
しかし、待てど暮らせど、芳しい話は聞こえてこなかった。帝は藤房の諫言を聞き流した。藤房は一度や二度で諦めはしなかった。しかし藤房が何度上奏しても、帝は彼の意見を聞き入れようとはしなかった。
千種は相変わらず、たまに下鴨神社に訪れては、「玉を出せ」と乱暴狼藉を繰り返している。あれから伊賀兼光の他に、何人もの人が千種に財産を巻き上げられた。また、白拍子や女子供が凌辱されたと噂された。
一二週間経ち、千代の熱は下がった。が、まだ起き上がったり、寝返りをすることは出来ない。玉は千代に粥を少しづつ食べさせる。水や薬は口移しで飲ませていた。千代の顔は青白かったが、玉が口づけする度に、頬に赤みが戻った。また、それを見ていた下女たちの顔も赤く染まった。
そんな折、玉がまた基久に会いに来た。
「千種様の件、そろそろ宜しいでしょうか」
玉は、琴のように美しい声で、静かに力強く言った。




