Epilogue 老いた桜と若き竜
「やった……」
と、つぶやいたのは誰だったのか。
ひょっとしたらわし(桜塚猛)だったのかもしれない。
ロイド・クレメンスが叫ぶ。
「やったぞおおおおおおおっ!」
勝ち鬨。
そう呼ぶには単純すぎる叫びが、戦場へと響き渡った。
仲間たちはロイドの周りに次々に集まり、
魔王を失ったモンスターたちは統制を失って散らばりはじめる。
一部のモンスターは向かってきたが、神殺しの剣を持つロイドの敵ではなかった。
わしも援護したかったが、失った右腕からの出血が酷くて動けない。
「わたしに見せなさい、桜塚猛」
オスティルがわしの右腕をのぞく。
酷い有様だ。
肘から先がちぎれ、その跡はロイドのエクスプロージョンで半ば焼け付いている。
「ぐぬぬ……」
今になって痛みがぶり返してきた。
というより、戦いの最中は興奮していて気づかなかったのだろう。
最後の瞬間、わしは窮地に陥ったロイド・クレメンスと入れ替わった。
いや、元に戻ったというべきだろう。
右腕を失い、腹側に酷い火傷を負っていたロイドと入れ替わる。
考えてみればおそろしいことだが、その時はそんなことを考えている余裕はなかった。
ロイドはオスティルを救うために自爆のような形でエクスプロージョンを使った。
目と耳の問題が一時的なものだったのは幸運というべきだろう。
もっとも、目も耳もきかなかったとしても、わしは直前にナザレとロイドの位置関係を確認している。入れ替わったら、その方向に攻撃すればいいだけだ。
ナザレはわしが友人から貰った日本刀に何らかの力があることは気づいていた。が、ワンドにまでその力があるとは思っていなかったようだ。
コンジャンクションを元に戻した次の瞬間、ロイドは斬撃を放ち、わしは魔法を放った。
わしはともかく、ロイドはよくとっさに動くことができたものだ。もっとも、ミランダに仕込まれた斬撃の一の太刀を放った状態で、わしはオスティルにコンジャンクションの解除を依頼した。だから、元に戻ったロイドはそのまま二の太刀を振るってくれる可能性が高いとは思っていたのだが。
「これくらいなら、なんとかなるわね」
オスティルがつぶやく。
「ロイド! 喜ぶのもいいけど、桜塚猛の手を持ってきて!」
オスティルに言われ、ロイドがあわててわしの手を持ってくる。
「だ、大丈夫か、じいさん!」
「大丈夫か……ではないわ! おまえのやったことだろうに……」
ぶつくさ言うわしに構わず、オスティルが受け取った手をわしの腕につける。
接合部が、白い光に包まれた。
光が消えてみると、そこには元通りにつながったわしの腕があった。
「……ふぅ。助かった、オスティル」
「どういたしまして。でも、無理はしないで。失った血液まで戻ったわけではないから」
言われてみると、頭がふらつく。
貧血になっているのだろう。
失血死せずに済んだのは、ちぎれた部分が爆炎で半ば癒着していたおかげかもしれない。
わしはロイドをぎろりと睨む。
「人の身体を粗末に扱いおって」
「し、しかたねぇだろ! あの状況じゃ!」
「わかっておるわ。しかし一言詫びを入れるくらいはせんか」
「う……す、すまねぇ」
わしらが話している間に、戦場の後処理はあらかた済んでいた。
みな、精魂尽き果てたように地面にへたり込んでいる。
いや、ひとりだけ、立っている者がいた。
エルヴァの斥候だ。
彼は、この勝利を一刻も早く大老や街に知らせたいと言って駆け出した。
(マラトンのアテナイ軍の兵士のようだな)
たどり着くなり死んだりはしないでほしいものだ。
だが、わしも人の心配ができるほど元気なわけではない。
「葉子……やったぞ」
つぶやいて、わしは地面に大の字に寝そべった。
†
ロイド・クレメンスと大魔導師・桜塚猛が魔王ナザレを打倒した。
その報はエルヴァの斥候により辺境の街サヴォンへとすぐに届けられた。
前後して、ドロモット軍からも使者がやってきた。使者は困惑しきった様子で、サヴォンと戦う意思がないこと、自分たちがなぜこんな場所にいるかわからないことなどを述べたという。
ドロモット軍は、サヴォン側の求めに応じ、撤退を開始した。街を包囲した件については、後日、補償の話し合いが持たれるということだ。
街は、お祭り騒ぎになった。
街中に色とりどりの旗が掲げられ、貴族は秘蔵していた酒樽を引っ張り出し、惜しげもなく皆にただで振る舞った。
その日の夜には、英雄たちが帰還した。
いや、凱旋した、というべきだろう。
領主クラークの出した迎えの馬車に乗ったロイド・桜塚たちは、街に入るなり、集まった群衆から大歓声を浴びた。
調子のいいロイドは、馬車の上に立ち、腕を振って観衆を沸かせる。
くたびれきった桜塚も、最後のひと仕事として街頭に向かって杖を掲げてみせた。
宴は、三日三晩続いた。
さすがに日常に差し障ると、領主と冒険者ギルドが騒ぎの沈静化を図ったが、サヴォンには今しばらく浮ついた空気が流れていた。
そんな中で、ひとりの男が旅立ちの時を迎えようとしていた。
†
「本当に行っちまうのかよ」
俺(ロイド・クレメンス)は言った。
「ああ。本当だ」
桜塚のじいさんがうなずいた。
はっきりとした意思表示だ。
そこには、入れ替わった当初の気弱な老人の面影は微塵もない。
「じいさん……あんたほどの力があれば、こっちじゃいろんな国から引っ張りだこなんだぜ? 王侯貴族みたいな暮らしも夢じゃねえ。本当にいいのか?」
今俺たちがいるのは、すべてが始まった場所――例の遺跡の最奥だ。
俺と桜塚のじいさんの他に、ミランダ、アーサー、ジュリアーノ、オスティルがいる。
それ以外の面子との別れは既に済ませている。
ミランダが言った。
「宮仕えが嫌だってんなら、あたしらと一緒に冒険者をやらないか?」
「老い先短い年寄りをそんなことに誘うでない。大冒険は今回限りで十分だよ」
じいさんが苦笑する。
「それに……」
「何だ?」
言葉を切ったじいさんに、俺が聞く。
「この世界で死んでは、葉子に会えなくなるからな」
葉子というのは、桜塚のじいさんの、亡くなった奥さんの名前だったな。
あの世――なんてものがあるかどうかはわからない。
いや、じいさんだって、仏教の敬虔な信者ではなかったはずだ。
だから、これは感傷だ。
かつて自分の隣にいた女性の面影を忘れないでいるための。
そういう気持ちは、今の俺にはよくわかる。
俺の手を、いつのまにか隣にやってきていたオスティルが握る。
見ると、笑う。
オスティルは、ナザレとの戦いの時のダメージが原因で、神としての力をかなり失ってしまったらしい。それでも寿命としてはエルヴァより長く、持つ魔力は桜塚のじいさん級だというから十分すぎる。俺たちの新しいパーティメンバーとして一緒に冒険者をやることになっている。
桜塚のじいさんの表情を見て、ジュリアーノが口笛を吹き、アーサーが顎髭をこすり、ミランダが少し頬を赤くする。
ミランダが言う。
「あんたの嫁さんは幸せ者さね」
「おまえにも、よい相手がじきに見つかるよ」
「よ、余計なお世話だよ!」
ミランダが顔を赤くしてそう叫ぶ。
「さて……名残惜しいが、そろそろいいだろう」
桜塚のじいさんがオスティルを見る。
オスティルがうなずく。
「コンジャンクションの影響が強く残るここでなら、今のわたしの力でも、なんとか桜塚猛を元の世界に送り返すことができるわ。でも、二度目はないわよ。一度戻ったら、グレートワーデンに戻ってくる方法はない。本当に……いいのね?」
「ああ」
じいさんが短く答える。
決然としたその答えに、オスティルが前に出る。
かつて聖櫃のあった場所に、桜塚のじいさんとオスティルが向かい合わせに立つ。
「――行くわよ」
オスティルが力を集中する。
桜塚猛という偉大な魔導師の内部に入った経験によって、俺の魔法への感覚はかなり研ぎ澄まされている。
今この空間に人知を超えた特別な力が渦を巻いていることもなんとか察知することができた。
その渦が、速度を増しながら収束していく。
俺は思わず叫ぶ。
「じいさん! いや、桜塚猛! あんたは最高の賢者だったよ!」
桜塚猛がにやりと笑う。
「わしがそんな大層なものか。ロイド・クレメンス、おまえと入れ替わった日々は年寄りには刺激的すぎるものだったが、楽しくもあった。なにより――葉子へのいいみやげ話になった」
「おいおい、すぐに死ぬようなことを言うなよ。そんなタマじゃねえだろ、あんたは」
「ロイド、おまえには不思議な魅力がある。つい手を貸したくなるような、そんな魅力がな。それに、果断で誠実だ。悔いのない人生を送れ、若造」
渦が、じいさんの身体を覆っていく。
それは目に見えるほどの密度になる。
白い渦はじいさんを包み隠して発光し――
消えた。
その場に静寂が下りる。
「……ったく、最後まで説教臭いジジイだぜ」
思わずそうつぶやきながら――こみ上げてくる笑みを、俺は抑えきれないでいた。
『17⇔70 異世界転生? いいえ、人格の入れ替わりです。』、これにて完結となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえていればさいわいです。
遅くなってしまいましたが、先日この作品にレビューをいただいていました。
ありがとうございます。とても嬉しかったです。
最後に、他のシリーズのご紹介を。
■『NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚』
「疲れず、眠る必要がない」というチートのみを授かって異世界に転生するお話です。
書籍化もさせていただき、オーバーラップノベルスより3巻まで発売しています。
■『焔狼のエレオノラ』
こちらはなろうではなく、幻獣の使役士を育てる学院を舞台にしたライトノベルです。
講談社ラノベ文庫より。
■その他
他にもいくつかの作品を投稿しています。
詳しくは、著者マイページをご覧くださいませ。
最後までありがとうございました。
2017年1月31日
天宮暁




