九,rain blossom
「うわぁ!」
外に出た、というよりは外に閉め出された小百合は、つるつるの地面に足をとられ、大きく尻餅をついた。
ゴンと鈍い音が響き、目をつむる。
そぉっと目を開くと、傍らには女将が投げ出したと思われるコートや自分の身長ほどもある歪な形をした木片、その半分ほどの大きさのステッキのような金属棒、それから、きらびやかな見目の鞘に収まった短剣や、鞄などが散らばっている。
目前の河に今にも落ちてしまいそうな木片を手で何とか拾い上げほっと息をつく。
そしてぶつけたお尻を擦りながらのっそりと立ち上がる。
無理矢理押し出さなくても良いじゃないと呑気に閉められた扉を睨んでいたが、直後、正面に向き直った小百合は目に飛び込んできた想像を絶する光景に思わずを飲んだ。
というのも、小百合が想像していたのはアスファルトの地面に住宅街、遠くに見えるのは高層ビル。そんなごくありふれた日常の一面だったのだから。
一歩踏み出して小百合が辺りを見回して見えたのは、氷のような凍土の地面と住宅街。歩道のように設置された氷の小道の間には巨大な運河がどこまでも続いている。
穏やかに流れるその河の音色には思わず聞き入ってしまうものがある。
シャボン玉風の球体は外でも浮かんでいるが、屋内の時とは違い、空に舞う粉雪で雪化粧をしている。
雪はシンシンとただひたすら下に降りてゆき、地面に触れ、水に触れてははかなく消えていく。
遠くに見えるのは高層ビルではなく、ひとつ飛び抜けて立っている巨大な大樹。木はうねりながら天に向かって聳え立っている。
葉は青々と繁り、風がそよぐ度、ハラハラと舞散っていく。
「何これ……」
小百合が漏らした言葉は突如どこからともなく響く鈍い鐘の音に掻き消された。
鐘は幾度となく鳴り響き、散々鳴った後に疲れたかのように静かになった。
鐘の音が鳴りやんでから、思った。
小百合には思い当たる節があったのだ。
この目の前の浮世離れした景色に。
あのうねる大樹も、舞う雪も、シャボン状の球も、広大な運河も、氷の小道も、鐘の音も、よくよく考えれば、コスプレ少女の紹介で言っていたケットシーも全て。
小百合がプレイしているあのゲーム、
『rain blossom』上で確かに見たことがあったのだ。
「じゃあ、ここはゲームの中……?」
一人、澄みきった冷たい空気の中、白い息を吐く。
ゲームの中でも寒いと息は白いのねと感心しながら、あまりの寒さに身震いをする。
「うう、このままじゃ風邪引いちゃう。なにか温かいもの……。」
足元を見てもあるのはせいぜい地面に広がったコートぐらい。それも、ダッフルコートやダウンような防寒に適したものではなく、どことなく洒落たデザインの薄手のコートだった。
「なんなのよ!こんなんで寒さを凌げるわけないでしょ!」
むける当てもなく罵声を散らす。
無情にも声だけが氷上の町にこだまする。
観念したようで、他に着るものもないということもあり、苦い表情で服を拾い上げるとさっと袖に手を通した。
枯れ葉を彷彿とさせるその外套の色はこの冬景色の街並みから小百合を浮き立たせた。
変だよなと自分でも思い、小百合は改めて自分の服装を見ることにした。
純白の布が正面でクロスするようにウエスト辺りまで巻かれており、へそが見えるようになっている。
そして、腰から下は同色でチャイナドレスのような大きなスリットの入ったロングスカート。
お腹回りには何やらリングのようなもの二つもついている。
どうやって外すのか気になりながら、考えたところで仕方ないと結論付けた。
一通り爪の先まで見て、小百合ははっとしたように辺りを見渡した。
そして目の前の大河を覗き込むと、その顔は瞬く間に青ざめていった。
確かに、ここゲームの「rain blossom」の中だと気づいた頃から薄々予想はしていた。服装を見た時点で勘づいてはいた。
「うそ……。」
それでも、その事実は彼女が目を疑うほどに衝撃的だったのだ。
「この姿ってササ……よね。」
ササ、小百合の「rain blossom」でのプレイヤーキャラである。
水面に写る銀髪の少女の顔は河の流れでゆらゆらと歪んでいる。このまま全て幻で、次目を開けたら、自分本来の顔が映り込むのじゃないか。そんな期待も虚しく、五感は彼女がプレイヤーキャラのササであることを痛切に感じさせる。
振り返ってみれば、低い天井と分かっていながら屋根裏部屋で頭をぶつけたのも、自分より高い身長のせいで距離感が掴めなかったから。
水面には写らなくとも、二つに括られた銀の長髪は肩から垂れ、否が応でも視界に映る。
何より、コスプレ少女の言っていた「魚風情」。
彼女が言っていたのはこの事だったのかと耳に触れる。
そして小百合は確信した。
そうであるならば、やはりコルタのことはコスプレ少女ではなく、ケットシーと呼ばなくてはいけない。
受け入れがたいこの状況に放心する。
河の流れを見ながら、ああ、もとの世界では、こんな大河は見られなかったなあと物思いに更ける。
しかし、朝日に光る水面を眺めていると、暫くして何か思い付いたように空を見上げ、「そうだ!」と声をあげた。