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記憶と妄想の隙間

「……佐藤さん、佐藤さん」

ぼんやりとしていた思考がクリアになる。千夏ははっと覚醒し、先ほどから千夏を呼んでいた女性社員を見上げる。

「どうしたの?体調でも悪いの?」

千夏のデスクの隣に書類の束を持ったひとつ上の先輩である女性社員が千夏を心配そうに見つめている。


「いえ、大丈夫です。今日中にテスト終わらせますね」

千夏はパソコンに向かうと試験支援ツールを起動し、プログラムのテストを始める。バグを見つけては直し、いつも通りに仕事を終えうつらうつらと電車で居眠りをしながら、帰宅していく。


近くのコンビニで烏龍茶の2リットルを1本買い込み、住んでいるマンションの敷地に入る。

このマンションは庭が広く、街灯のあかりでこの時間でもそれなりに辺りがはっきりと見える。

「はぁっ!」

「てぃあっ!」

庭ではいつものように竹刀を握り締め、剣道の稽古にいそしむアルフォンスとセレナがいた。


アルフォンスはこのマンションのオーナーの息子で、セレナはこのマンションで一人暮らしをしている女子高校生だ。二人とも同じ高校に通っているようで、部活が終わった後もよく二人で稽古している姿を見る。


(部活やって、夜も遅くまで稽古って……。よくやるよなぁ)

無駄に元気がありあまっている。彼らは千夏に気が付くと、稽古をやめ「おかえり」と声をかけてくる。

千夏達が住む築10年になるマンションは下宿でも何でもないのだが、住民同士が仲がいい。晩御飯は大概千夏の住んでいる部屋に集まって全員で食べるのが習慣となっていた。


「ただいまー」

千夏はアルフォンスとセレナを連れ、マンションの階段を上がり2階の一番奥にある自分の部屋の扉を開き、玄関から声をかける。

「おかえりでしゅ!」

「クゥー!」

タマとコムギが居間からパタパタと足早に出迎えに出てくる。

玄関で千夏を出迎えると、千夏のカバンを受け取るためにタマは小さな手を差してくる。


「あ、おかえりなさい。ご飯いまから温めるね」

少し遅れてリルは居間から出てくると台所に向かい鍋を火にかけ、作りおいたおかずをレンジに入れる。可愛らしいひよこの図柄が描かれたエプロンがとても似合っている。


「今日のごはんは何?」

千夏はくんくんと匂いを嗅ぎながら靴を脱ぐ。

リルは同じマンションの住人で、タマが通っている保育園の保育士でもある。仕事の帰りが遅い千夏に代わりタマとコムギの面倒をみてくれて、なおかつ晩御飯まで作ってくれるとても親切な人だ。


「運ぶまで秘密。レオン、そろそろコタツの上を片づけてね」

台所から居間にいるレオンにリルが声をかける。

レオンは学校の宿題をコタツでしていたようで、ノートや教科書をまとめる。

「おかえり。今日寒かっただろう?」

「うん。寒かった」

千夏は自分の部屋に戻りコート脱いでベットの上に放置して、寒さで体を丸めながらコタツに入り込む。


「今日は寒かったからおでんにしたよ」

リルがアツアツの大きな鍋をミトンを使って運んでくる。

「うわぁいい匂いなの」

激しい運動ですっかりはらぺこなセレナが嬉しそうに鍋の中を覗き込む。


「御邪魔します」

玄関からエドの声が聞こえてくる。鍋を置いたリルが急いで玄関に向かい中にエドを招き入れる。

エドは両手にラップのかかった大皿を2つ抱えている。げそのから揚げと、ネギや鳥肉など串焼きが山盛りだった。エドはアルフォンスのハウスキーパーで何品かの料理を毎回作ってこの場所に料理を運んでくる。

いつからこんな大所帯で晩御飯を食べるようになったのか千夏は覚えていない。気が付いたら当たり前の状況になっていたのだ。


タマとコムギはテレビで流れるアニメを見ながら、お尻をふりふりと振りながら踊りだす。今一番子供に人気があるアニメで、通っている保育園ではやっているらしい。


(一人でご飯を食べてもつまらないからね)

千夏は取り皿を持ち、早速おでんの鍋に箸を伸ばす。

(ん?)

なんとなく微妙に違和感を覚える。パソコンの前でコンビニで買ったパンを齧りながら、ひとりでぽつりとネットゲームをしている姿が一瞬フラッシュバックのように脳裏に浮かぶ。


(何? 今のは……)

目の前をぼんやりとした赤い光を放つ蝶が飛んでいく。

『赤い光を目指すのじゃ』

不意に老婆の声が脳裏に響く。


はっと気が付いた時には、青白い光に包まれた空間に千夏は立っていた。

「くぅ……。思い出すならおでんを食べた後にして欲しかったっ!」

悔しそうに千夏は呟く。

千夏の元いた世界の記憶とこちらでの記憶が入り混じり不思議な世界に迷い込んだようだった。


目の前をぼんやりとした赤い光が通り過ぎていく。

千夏は渋々とその光について歩き始める。この空間には上下左右がないようで、上っているのか下がっているのかどちらに向かって進んでいるのか全然判らない。

くるくると鏡のようなものがときおり通り過ぎる。そこには千夏が体験してきた過去がキラキラと映し出されている。


この世界に来たばかりのときのホロホロ鳥のフードファイトの様子や、ミジクの海でリバースしている様子など。思い出したくもないものも映し出される。

千夏はげんなりと赤い光の後を追って歩き続ける。


『―――熟考の結果、私たちは別れたほうがいいと思う』

ふと横を見ると千夏が少しだけ自分より背が高い男の人に向かって、夕焼けの日を顔に受けながらはっきりと言っている姿が映っていた。


昔はよく鏡でみていたぽっちゃりとした自分がそこにいた。相手の顔は夕日の逆光でよく見えない。確かどこでもいそうな平凡そうな人だった記憶がある。相手の顔すら思い出せない自分は薄情なのだろうか。


よそ見をしていたせいで目の前にくるくると回りながら近づいてくる過去に千夏は気が付かなった。すっとその過去の中に千夏は入り込む。




「母様、おいしくない?」

不安気に自分を見上げながら傷ついた小さな竜の子供がよろよろと傷ついた翼を動かして寄ってくる。子供はまだ体長が30センチ程で、洞窟内のBランクの魔物と戦うときはいつも傷だらけだった。動けない私の代わりに懸命にボロボロになりながらも、食糧を調達に励む子供。

私は痛む体を少しだけ動かし、水の回復魔法を我が子にかける。


「母様、僕は大丈夫だから、力をつかっちゃダメだよ!」

必死に小さな竜の子供は体を横たえた私の胸にむかってすりすりと頭を摺り寄せる。

呪いを受けた私は力を使えば使った分だけ衰えていくだけ。通常は翌日に前日分使った分を取り戻せるが、呪いは気力及び魔力の回復を遮るものだった。


「母様、少しでも食べて。違う魔物がいいならもう一度僕が捕ってくるよ」

よたよたと子供が小さな翼を広げて先ほど狩ってきた魔物を口で私のほうへと押し付ける。

「ごめんね、坊や」

私は力弱くそう答えるだけで精いっぱいだった。

橙色の短い角が生えた小さな竜の子は不安そうにじっとこちらを見上げている。


(……レオン)

子供の名前を呼んだ瞬間に千夏は水竜との同調が切れ、ふっと意識が浮かんでいく。

どうやら、自分だけの記憶だけではなくドラゴンオーブで取り込んだ記憶もここには渦巻いているらしい。

相変わらず何度見てもこのせつない気持ちはとてもつらい。


一人ぼっちの洞窟を出て、タマ達と楽しそうにしているレオンの顔を千夏は思い出す。

(そうよ、早めに帰らなきゃ)

千夏は首を振り、ぼんやりと浮かぶ赤い光を追いかけ始めた。




朝から出かけている千夏が夕方になっても戻ってこない。

転写魔法を覚えるために時間がかかることは事前に聞いていたが、タマとコムギはそわそわと落ち着きがない様子で気もそぞろにご飯を食べている。

「あ。タマ、こぼれたよ」

「はいでしゅ」

シャロンに言われてタマはぽろりとフォークから落ちた人参のグラッセを手で掴んでそのまま口に入れる。


今日は侯爵一行とトンコツショウユメンバーはいつもの屋敷ではなく、城の2階にある大食堂で食事をとることにした。自動人形であるルナとその使い魔であるプチラビット達の作る食事に興味があったからだ。


本日のメニューは大豆ハンバーグと人参のグラッセ。ふかふかの白パンと木苺のジャムソースだった。

パンを作る小麦はこの村でとれたものだ。村で焼かれるパンは基本的に固い黒パンだったが、この城の台所には製粉用のマジックアイテムが置いてあり、きれいなさらさらの白い小麦粉が出来るのだ。


タータ達の新規入植者達はもちろんのこと村人達も集まり、おいしいおかずとふわふわの白パンを嬉しそうに口に頬張る。

城の2階の大ホールは地竜達が作り上げた石のテーブルとイスが所狭しと置かれている。村人全員が一度に食事をしてもまだ余裕があるくらいの席の数はあまっている。テーブルとテーブルの間をプチラビット達がお皿をかかえてくるくると踊るように給仕していく。


今はまだ選びようがないが、千夏の計画では食堂で定食を何種類か用意する方向で検討されている。普通の街の食堂とは違いこの食堂は村営の食堂だ。大量に同じものを作ればそれだけコストが安くなる。村の女性たちはご飯を作る労力が減り、その分畑の作業の手伝いもできる。地味なコスト削減と労働力の強化がこの村営食堂の狙いだった。


もちろんこの食堂を使わずに家でご飯を作って食べることも可能だ。食材は一括で一度この食堂に集められるので、家でご飯を食べたいものはルナに言って食材をわけてもらう方式となる。

今日は屋敷の住人は食堂でご飯を食べることにしたので、屋敷の料理人であるユシールもルナと一緒にこの食堂で腕を振るっている。


厨房の近くには時空魔法がかけられた大規模な貯蔵庫がある。朝に焼いたパンでもここに保管しておけば、出来立てのまま保存される。

再起動されてから一番最初に焼いたパンをルナは貯蔵庫に置いていた。一番に主人である千夏に食べてほしかったのだ。


「……これが放置プレイというものですかね」

ぼそりと無表情でルナは呟いた。

評価とご感想ありがとうございます。


どちらかというと作者とルナの妄想ですかね…?

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