久しぶりの街
カガーンの国境の砦に2000を越す魔物が襲撃をかけてきたのは、昼を少し回った時間だった。セラが長距離通信で大神官に魔物の襲来を伝えたわずか1時間ほどの後だった。むろん大神官はエッセルバッハの戯言と切って捨てたため、砦には警戒命令は出されていない。
カガーンの砦は木で作られた櫓を柵で覆った簡素な造りをしていた。気が付いたときには魔物の集団は目の前にあり、魔物の襲撃によりわずか30分という短い時間で砦は陥落する。
砦から魔物襲撃が伝わった聖都の入口の大門は閉ざされ、戦徒と呼ばれる数多くの神官達が聖都を後ろに魔物を待ち受けた。
セラから依頼を受けたカガーンのギルドメンバーたちに誘導され、エッセルバッハとハマールの商人達は持てるだけの荷物を持ちギルド前の広場に集合していた。集まった商人の数はおよそ20名程度。どちらかというと荷物が少ない行商人が殆どだった。支店を持つような大商人は国からの指示と言われても一日で撤退できる用意などできやしない。まずは身軽な行商人から移動させる手筈になっていた。
ちらほらと行商人が集まり始めた頃に、聖都に沢山ある教会の鐘が一斉に鳴りはじめた。
普段は時報として大聖堂の鐘が鳴るくらいだ。聖都は一瞬でパニック状態に陥った。
ギルドは先に集まった商人達を逃すことを決断する。
カガーンから逃げ出してきた商人達及びギルド職員から得られた情報はそれだけだった。
またエッセルバッハのギルドマスターから聖都に残ったギルド職員から聞き出した情報がセラへと届けられる。
カガーン軍は敗退し、魔物達が聖都の扉を壊し中へと侵入。聖都の中に入ってきた魔物はおよそ500程度。
先頭には3人の魔族が立ち、魔物達は一糸乱れることなく統率された動きで聖都の大通りを闊歩する。
殆どがBランクの魔物で、一割ほどAランクの魔物が目撃される。
魔物達は人を襲うことなく、大通りに並んだ露店から食べ物を接収しつつ大神殿へと向かったそうだ。
今現在は街のあちらこちらを魔物が徘徊し、人々は被害を恐れて家に籠っている。
またミジク襲撃の際に行われた転移魔法を阻害する防御壁を魔族が構築したようで、転移で逃げ出すことは出来ないそうだ。
『セラ、ここはチナツ達にもお願いすべきじゃないか?』
セラは遠話のイヤリングから聞こえてくるクロームの声に眉をひそめる。
「話は聞いていたの? 聖都に沢山の人質がいる状態じゃない。荒野だの砦での戦闘ならチナツ達を投入してもいいけど、街の中で竜達を暴れさせる気? 」
カガーンにいる人質達を気にせずに魔物達をただ倒すのであればいくらでもやりようがあるが、人道的にそれは難しい。
魔物達は安定した食糧の供給を手に入れ、カガーンで更に勢力を伸ばしていくだろう。
「とにかく、これ以上魔物達の勢力を広げさせられないわ。カガーンの最南端にある港から南国諸島へ乗り出していく可能性もある。まだ最南端の港町は魔物に抑えられていない。ここに防御陣を引きましょう」
セラはイライラしながら、世界地図の一点を指でコツコツと叩く。
これ以上後手に回るわけにはいかない。
『判った。至急船を用意して港町に兵を送る』
「現場指揮官としてマイヤーを派遣するわ。そっちの指揮官はくれぐれも頭の悪い人間を出さないで頂戴ね。現場が混乱するなんて真っ平御免よ」
セラが誰の事を言っているのかすぐにクロームは察し顔をしかめる。
『彼らは王都から離れたがらない。無難な人選を考慮するよ』
「そうして頂戴」
セラはクロームとの通信を切ると、しかめっ面で地図を眺める。
「カガーン南部にいる強い魔物を少しでも減らして、彼らの勢力を増やさないように努力する必要があるわね。ギルドに召集してもらったほうがいいかしら」
セラはそう呟くと席を立ちあがった。
翌朝千夏は朝食を食べると、ゼンの街まで移動した。
タマとコムギもついていきたそうな顔していたが、千夏の用事が終わるには時間がかかるし、せっかくシャロンが遊びに来ているのだ。
2匹には変なところには行かないのと約束をして、シャロンと遊ぶようにと言づけた。
「ちゃんと帰ってくるでしゅよ?」
少し心配そうなタマと指切りをし、コムギのふかふかな背中を撫でまくってようやく許可もらったのだ。
「なんか懐かしいな」
コムギの卵を買いに来た時はそのまますぐに、従魔屋に行って戻ってきたので大通りを歩くのは久しぶりだ。千夏はキョロキョロと露店を冷やかしながら大通りを歩く。
「チナツ! おい、久しぶりだなぁ」
後ろから声を掛けられ千夏は振り返る。少しだけ背が伸びたウォルが笑顔で人ごみをかき分け、こちらに向かって走ってくるのが見えた。
「ウォル!お久しぶり」
「相変わらず、眠そうな顔しているな。しばらく見なかったから魔物にもでやられちまったのかと心配してたんだぞ」
ウォルは元気よく千夏の肩を叩く。
そういえばアルフォンスのお供で王都を出ることを彼に話していなかったことを千夏は思い出す。
「あのちび竜は元気か?」
そうウォルにはタマの件でいろいろとお世話になった。彼が従魔屋に連れて行ってくれなかったら、タマと出会うことはなかっただろう。
「元気だよ。実は領主様に頼まれて王都まで護衛で出かけてたの。今はネバーランドっていう国に住んでいるだよ」
千夏は少しだけ申し訳なさそうにウォルに話し出す。
「ネバーランドって勇者が作った国だろう? 勇者ってどんな感じなんだ?」
ウォルは少しはしゃいだように千夏に質問する。彼くらいの年齢の少年少女たちは突如現れた勇者に強い関心を持っている。
どんなだ?と聞かれてもこんなだと答えるのは何となく間抜けな気がする。
「……普通の人かな?」
千夏は少し考えてお茶を濁すことにした。
「ウォル、何を油売ってるんだ?」
ウォルの兄セドリックが声を荒げて近寄ってくる。
「チナツじゃないか。久しぶりだな。ウォル、さっさとホロホロ鳥を卸しててこい!」
セドリックは千夏を見て目を丸くするが、すぐにウォルに仕事を続けるようにと怒鳴る。
「すまんな。最近「テリヤキチキン」ってのが王都で流行ってるらしくて、めちゃくちゃ忙しいんだ」
セドリックは申し訳なさそうに千夏に謝る。セラにあれを売りつけたのは千夏自身だ。
「商売繁盛でよかったじゃない。私も用事があるから、また今度来るね」
千夏はセドリックに手を振り大通りに戻っていった。
「ここも相変わらずよね……」
千夏はカウンターでうとうとと船をこぐ老婆を指で突く。軽く突いただけでは起きないので、アイテムボックスから手ごろな木の枝を取り出し、少し乱暴に老婆を突く。
「んあ、何するじゃぁ!」
老婆は杖で千夏が握っている木の枝を払いのけ、寝ぼけ眼で千夏を眺める。
「随分久しぶりに見る顔じゃな。何用じゃ?」
老婆はあくびをしながら千夏に尋ねる。
「んと、転写魔法を覚えたいの。魔法領域だっけ?それをお願い」
裕子のレベル上げをした後、千夏は最初彼女を普通に魔法屋に連れていこうと思っていた。だがよくよく考えると、千夏が転写魔法を覚えて転写したほうが安上がりであることに気が付いた。
以前氷雪地獄の魔法を思い出せなかったときにカトレアから聞いた転写魔法を覚える魔法だ。転写魔法さえ使えれば、「発酵」の魔法を村人達に転写することも可能だし、千夏の頭に埋もれている魔法も思い出すことができる。
「辺境で何やらしていたようじゃが、魔法屋でも開く気かい?」
ふんっと鼻を鳴らし老婆は千夏をじろりと見る。
老婆は独自のネットワークで千夏が勇者の一人であることを知っていた。
「まぁそんなもんかな。で、出来る?」
千夏のイメージでは転写魔法といえばマーサ婆ちゃんになる。王都の魔法屋で頼むこともできたが、わざわざ彼女に会いにここまで出向いてきたのだ。
「出来るにきまっとるじゃろ。だが値段は高いぞ。金貨200枚じゃ」
老婆はコンコンと杖で千夏の頭を叩く。
金貨200枚と聞けば高いような気もするが、これからずっと転写が出来るようになれば安いものだ。
千夏はアイテムボックスから金貨を取り出し、カウンターの上に並べる。
「時間がかかるからの、こっちに来い」
老婆は金貨を受け取ると千夏を連れて家の中へと進む。カウンターの裏は小さな台所と食事がとれるテーブルが置いてある部屋だった。
老婆は近くの椅子を杖でコンコンと叩く。どうやらここに座れと言っているようだ。
千夏は素直に木の丸椅子に座る。
「あのさ、痛くないようにして」
頭に老婆が手が置かれると、千夏は上目づかいに老婆を見上げる。この老婆は全種類の転写魔法を使える優秀な人物ではあるが、遠慮というものがない。いつも痛い目に遭わされている。
「魔法領域は転写魔法と違って痛みはないわい。ただ気を付けなければいけないことがある。今からお前は自分の頭の中を旅することになる。目的地は魔法記憶領域じゃ。そこに辿りつければ自在に自分の魔法記憶領域にアクセスできるようになり、更には人の魔法記憶領域に転写をすることができるようになる。
じゃが、そこまで行くまでの間にいろいろな思念が混ざり合った空間を彷徨うことになるじゃろう。記憶だったり、妄想だったり人によってはいろいろじゃ。迷わず魔法記憶領域に真っ直ぐつけるものもおれば何日も彷徨うものもおる。いいか、3日じゃ。3日経っても魔法記憶領域に辿りつかずに自力で目を覚まさなかったら、お主は転写魔法の素質はないと思え。わしが無理やりたたき起こす。いいな?」
珍しく真剣な表情で老婆が千夏に告げる。
最長で3日もかかるのか。すぐに終わると千夏は思っていた。
千夏は老婆に手を上げて術をかけるのを待ってもらう。タマ達に連絡しておかないと、また心配をかけてしまう。遠話のイヤリングを使い、事情をパーティメンバーに説明する。
『なるべく早く帰って来い。タマとコムギをまた泣かしたら承知しないぞ』
レオンがぶっきらぼうに答える。
『ちーちゃん、タマは待ってるでしゅよ。早く帰って欲しいでしゅ』
少し沈んだタマの声が聞こえてくる。
「うん、早めに帰れるように頑張るよ」
千夏は明るく答え、遠話のイヤリングのスイッチを切った。
「それでは始めるぞ。いいか、赤い光を目指すのじゃ」
老婆が千夏の頭に手を置き呪文を紡ぐ。
呪文が正常に発動すると、こてりと自然に千夏の頭は前に倒れる。
「失敗すると金貨200枚の大損じゃて。しっかり戻ってくるのじゃぞ」
老婆はコツンと杖で軽く千夏の頭を叩いた。
評価とご感想ありがとうございます。
久しぶりな人はマーサ婆ちゃんでした。
次回は千夏の妄想の世界のはず?




