パーティ準備は面倒
「ぎゃぁー!痛いぃぃぃ!無理、無理だからやめてぇぇぇ!」
千夏の絶叫が部屋の中で響く。双子達は千夏のあまりの痛がりように思わず手を離す。
タマとコムギがすかさず双子と千夏の間に入り、千夏を護るかのように手を広げる。
「ちーちゃん、いぢめちゃだめでしゅ!」
「クゥー!」
双子のメイド達は困ったようにタマとコムギを見つめる。別に彼女たちは千夏をいじめようとしたわけではないのだ。
「やっぱり、私にはコルセットは無理だよ。諦めてゆったりした服にしよう。タマ、コムギ。モニカとリサが私をいじめるわけないじゃない」
千夏はぽんぽんとタマとコムギの頭を軽く叩く。そう。さっきの叫びはコルセットの締め付けに千夏が我慢できずに発した悲鳴だった。
「分かりました。ゆったりとした服ですね」
モニカは頷くと沢山用意されているドレスの中から千夏の希望に合う服を選び始める。リサはタマ達の通せんぼが解除されたので、千夏の腰に巻いたコルセットを外し始める。
「どうしてみんなこんな痛い思いして腰が細い服を着るのかな」
「細い腰は女性の憧れだからですよ」
千夏のぼやきにリサはおっとりと答える。
フルール村から戻ってきた千夏とセレナはこれから簡単なマナー講座を受けることになっている。ダンスは無理して覚える必要がないと言われたことだけが救いだった。
「そんなに痛いの?」
まだ着替えていないセレナが怖々と千夏に尋ねる。セレナは少しだけ、腰の細いドレスに憧れていたのでそれを着ようと思っていたからだ。
「慣れれば大丈夫みたいですよ?オシャレには多少我慢が必要なんです。試してみます?」
千夏の代わりにリサが答える。
腰が細いドレスは腰の付け根あたりからふんわりと広がる形が多い。その形だとセレナの尻尾は外に出さずとも中にあってももっさりとした印象にはならない。
「セレナは私より我慢強いから大丈夫なんじゃない?」
千夏の一言でとりあえず、セレナはコルセットにチャレンジすることにした。
「んっ、んっ!」
コルセットの紐をリサが締める度にセレナから少し上擦った声が聞こえてくる。リサ一人ではうまく締められないので、千夏用のドレスを選んだモニカも一緒になってコルセットの紐を引っ張る。
「我慢できるけど、長時間はきついの」
「まぁまぁ、そう言わずにこれを着てみてください」
モニカがセレナに選んだモスグリーンのドレスを着つけていく。
「うん。お姫様みたいね。可愛いよ」
千夏はセレナのドレス姿を眺めてにっこりと微笑む。セレナもふんわりと広がるドレスの裾を持ち上げ、いそいそと鏡の前に向かう。黒いつぶらな瞳がキラキラと輝き、何度もポーズを取りながら鏡の中の自分を楽しそうにセレナは見つめている。きっとあのドレスの中で尻尾がぶんぶんと大きく揺れているのだろうなと千夏は想像する。見えなくてとても残念だ。
コンコンとドアがノックされる。どうやらマナーの先生が来たようだ。モニカとリサは慌ててドレスを片づけ始める。ドレスを全て隣室へと移動させたモニカは、呼吸を整えてからドアをゆっくりと開く。
「お待たせして申し訳ございません」
大きくドアを開き、モニカはドアの横に立つと相手に向かって深々とお辞儀する。
ドアの向こう側に立っているのは紺のメイド服をきっちりと着込んだ、少しやせ気味の初老の女性だった。彼女がこのエッセルバッハ王城の女官を取り仕切っている女官長だった。女官長の後ろにはリルも立っている。先に彼の部屋を訪ねたのだろう。
「お初にお目にかかります。私はナニーと申します」
女官長は一歩部屋に入ると、ソファに寛いでいた千夏に向かって深々と一礼をする。
「初めまして、佐藤千夏です」
「セレナなの」
「リルです。よろしくお願いします」
千夏とセレナは立ち上がって女官長に向かって軽く頭を下げる。リルも千夏達の横に並び頭を下げる。
「僭越ながら私からパーティでの簡単な振る舞いについて説明させていただきます。早速ですが、チナツ様は相手がこのエッセルバッハの王だとしても決して頭を下げないようにしてくださいませ。チナツ様は一国の主です。堂々とお胸を張ってください。リル様、セレナ様もお相手が王族の方以外は無闇に頭を下げないでください」
早速チェックが入り千夏は背筋を伸ばして頷く。つまり偉そうにしろという訳なのだが、千夏にはなかなか厳しい。リルもセレナも神妙そうに女官長の言葉を聞いている。
それからグラスの持ち方や、歩き方などを女官長に親切に教えてもらう。更に女官長からリサとモニカはドレスやタイの結び方など指導が入る。身分によって結び方が変わるそうだ。
女官長の講義は2時間程で終わる。今日の成果を明日また彼女が訪れて確認するそうだ。
「最後に私事ですが……。勇者様、魔族から我が国を助けて頂きありがとうございました。おかげで我が息子も無事生きて戻ることができました」
女官長は少しだけ表情を和らげ千夏達に感謝の言葉を述べる。
「色々ご不便でしょうが、何かありましたら私に申し付けてくださいませ」
「うん。えっと……はい。そのときはお願いします」
今日の教育結果としては残念な千夏の答えだったが、女官長は咎めるではなく代わりに微笑みを浮かべた。
「旦那様、奥様。シャロン様。お待ち申し上げていました」
ジャクブルグ侯爵家の王都別邸で主人を迎えた執事が深々と侯爵夫妻とシャロンに向かって頭を下げる。
明後日の三カ国同盟のパーティに出席するために、侯爵一家は王都入りをした。当日でも問題はなかったが、シャロンのお願いで早めに王都入りをしたのだ。
「やぁ、しばらくの間だけどよろしく頼む」
侯爵は執事を労い、妻子を連れて館の中へと入っていく。シャロンは胸に飾っている小さな水晶玉をくりくりと手で弄ぶ。水晶は健康を現すグリーンの輝きを放っている。これはシャロンの大事な友達の健康様態を示すものだ。
「タマちゃんも今日から王都入りなんでしょう?」
ご機嫌な息子に侯爵夫人はにっこりと微笑みかける。
「うん。王城にいるはずだよ」
「私もぜひタマちゃんの竜の姿を見てみたいわ」
何度も息子と夫にタマの竜の姿の話を聞かされていた。夫人だけが見たことがないので、仲間外れねと少しだけわざと彼女は拗ねた事がある。それを覚えていた侯爵は笑いながら、妻の肩に手を置く。
「王城で元に戻ったら大変だ。城に使いを出そう。今日都合がよければこちらに来てもらおうか」
「本当?」
父親に言葉にシャロンは嬉しそうに笑う。今回はパーティの後にタマが住むことになったネバーランドにも一緒に行くことになっている。シャロンは今日が楽しみで昨日の夜はなかなか寝付くことができなかった。
「シャロンがいい子にしていたからね」と少し目が赤い息子に向かって悪戯っぽく侯爵が微笑む。
タマと出会ってからシャロンは勉強をさらに熱心に行うようになった。特に各国の地理に意欲を注いだ。
タマが旅している場所を知りたかったからだ。一番新しい手紙にはノークまで出かけたと書いてあった。
なんでも転移石を使っての移動だったそうで、シャロンは魔術についても興味を持つようになった。
楽しそうに夕食の席で世界の国々の話をシャロンが語り、侯爵夫妻もそれは愉しそうに息子の話を聞く。
シシールは内陸の主要な貿易都市なので、陸路を使って外国から入ってくる品も多い。また豊かな田園地帯を持っているためノークへの小麦の輸出も行っている。シャロンがシシールの輸出入にも興味を持つようになったことを夫妻はことのほか喜んだ。
「タマちゃんが喜んでくれたらいいのだけど」
夫人は趣味で作り上げたアクセサリーが入った小箱を鞄から取り出す。
「大丈夫だよ。タマはキラキラしたものが好きだから」
ふふふと息子と一緒に夫人は楽しそうに笑う。二人ともタマが来るのが待ち遠しい。
侯爵は執事を呼ぶと急いで王城へ使いを出すように指示を出した。
マナー講座が終わったことにほっと息をついた千夏達はドレスから普段着に着替え、女官長が手配してくれた美味しそうなケーキに舌鼓をうっていた。はぐはぐと猫マークがついたお茶碗にコムギが頭を突っ込んで食べている。
「パーティの間、コムギは擬態が出来ると思う?」
千夏はケーキを頬張りながら、足元のコムギを眺める。擬態化出来なければ、この部屋でコムギはお留守番になってしまう。
「擬態化は少しずつ進んでいるようだから、気力を吸わせればなんとかいけるんじゃないかな」
リルは最後に自力で擬態化したコムギを思い浮かべる。あの時はタマとレオンの気の半分を吸って擬態化に成功した。毎日訓練を続けているので、多少気の量が少なくても出来そうな気もする。
コンコンとまたドアがノックされる。今日の予定はもう終わりのはずだった。
一緒にケーキを食べていたモニカが慌てて口を拭い、ドアを開けに行く。
「お手紙が届いております」
ドアを開けると紺の制服を着たメイドが立っていた。モニカは礼を言ってから手紙を受け取る。
「チナツ様、お手紙です」
「ん。ありがとう」
千夏は手紙を受け取りそのまま手で破く。ペーパーナイフをとりにいったリサが少し残念そうに、ナイフを元に戻しに行く。
「ジャクブルグ侯爵からだね。王都にさっき着いたみたい。よかったら遊びに来てくださいだって」
千夏の言葉を聞き、タマが嬉しそうに千夏を見上げる。
「暇だから行こうか。あ、リサとモニカは今日の夕飯までお休みにするね。王都を楽しんできて」
「いいんですか?」
モニカが少し嬉しそうに顔を上げるが、リサが千夏にお伺いを立てる。メイドは普通は主と一緒に出掛けるものだ。
「いいのいいの。あの屋敷にもメイドさんいるしね」
気軽な千夏の言葉にリサは苦笑する。単純に休みをもらえるのは嬉しいが、やはり千夏は砕け過ぎている。
「それでは侯爵のお屋敷に行く前にお花屋かケーキ屋までご一緒します。なにか手土産を持っていたほうがいいと思います」
「あ、そうか。そうだね」
リサの言葉に千夏は少し恥ずかしそうに頷く。今まで一回も手土産など持って行ったことがなかった。侯爵の気さくな性格にすっかり忘れていた。
ケーキを綺麗に片づけた後に、全員でモニカおすすめの王都のケーキ屋でケーキを選ぶ。食べたばかりだというのに、目の前のケーキ達はとても美味しそうだった。
評価とご感想ありがとうございます。
後半主役は誰だ?にちょっとなってしまった感が……
ジャクブルグ侯爵一家はほのぼのしていて書くのが楽しかったです。




