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変わらない借金地獄

 街灯のオレンジ色が石畳を照らしている。

 

 借金の証文を握りしめたまま、俺はため息を付いた。

 

「困ったな……転生初日で借金持ち。しかも財布の中身はゼロ。これでどうやって冒険者デビューするんだよ」

 

 女神に渡された買い物という能力も使い方がわからない。空間をタッチしたりスライドをさせても女神が触っていたようなパネルも出てこない。

 

 買い物という能力はどこまで買えるのだろうか。金額は日本円? それともこの世界での金額なのか。食べ物や飲み物は? もし借金が返せなかったらどうなる? わからないことはたくさんだ。

 

「何が楽しんだもん勝ちだ! なにが楽しんで来いだ! これじゃあ三日後の命もあるかわかない……」

 

 屋敷からそう遠くない路地裏の樽の上に腰を下ろし、これからのことを考えていた時だった。

 

「見ない顔だな。この路地裏の新入りか?」

 

 声と同時に背後の陰から現れたのは、薄汚れたマントに身を包んだ青年だった。

 

「ひゃっ――だ、だれでしあ⁉」

 

 噛んだ。盛大に。穴があったら入りたい。いっそ下でも噛んで記憶も消して新しい名前で生まれ変わろうか。

 

「あっはは! そんなに驚くなよ。金がないのか? ないよなぁ、財布を守ろうとする動きはなかったもんな」


 「なんですか一体……」

 

 青年の手には、俺の財布があった。中身を見るとわかっていたかのように笑う。


 「やっぱり、空っぽだな。金に困ってるんだろ?」

 

 図星を刺されて俺は何も言えなくなっていた。

 

 なんかいっそのこと開き直ってさっき近くの屋敷を壊して借金まで背負いましたとか言ってみようか。お金――いや、食べ物くらい恵んでくれないかな。

 

「はは……」

 

 笑えて来る。

 

 俺こんなことろで何やってんだろ。死ぬ前も借金、死んでも借金。どこに行っても借金、借金、借金。

 

「なんなんだよ……もう……」

 

「お、おい、泣いてるのか……?」

 

「俺子どものころから働いてたんだ。親がやばいところから借金してさ。毎日ドアは蹴られるし近所に聞こえるような声で叫ばれるし、親は俺を置いてお構いなく、借金に借金を重ねてギャンブル三昧。借金取りに同情されたこともある。でも子どもの頃ってさ、親しか目に入らないと言うか、借金取りは俺の心配をしてくれていたのに、親をバカにされたような気になってムカついて……絶対返してやる。そしたら親も目を覚まして俺を褒めてくれて幸せになれるって、信じてたんだ」

 

 なんで俺、見ず知らずのやつにこんな話をしてるんだろ。でも話し出すと止まらなくて、迷惑だろうに、相手も黙って聞いてくれている。今こんなことを思うのは場違いだけど、こいつ良い奴なのかな。

 

「頭を下げて働かせてもらったんだよ。それで一生懸命働いて、少しでもいい所で働いていけるように勉強も頑張って、十六くらいになったら楽だった。子どものころでは働けない場所が多いけど、十六歳くらいになったらいろんな職種が出来るようになって、たくさん掛け持ちをして働いた。借金返済と勉強。俺は学校には通えないからその分たくさん勉強して借金はある程度返せたんだ。ある程度……俺のことを心配してくれた所の借金。あの人最後まで心配してくれて、真っ当ではないかもしれないけど、うちの所で働かないかとかも言ってくれて、でも断った。親に胸を張りたかったから。その人には親なんか見捨ててしまえって言われたんだけど、その頃にはもう、親のことを言われてムカつくって感情は湧いてこなくて。ただ……ここで親を見捨ててしまったら今までの俺を否定することになりそうで、そしたら俺が犠牲にしてきたのは何だったんだって怖くなって……結局社会人になっても、親は借金をし続けた。反省なんてしなくて俺が返済するからって。その結果俺は働き過ぎで――」

 

 こんなことを思うのはよくないと思っている。それでもふと考えてしまう……親を見捨てていたら俺は報われたのだろうか。死なずにすんだのか。もしかすると、幸せになってかもしれない、好きな人が出来て、結婚して、子どもも出来て、子どもや愛する人に看取られながら死んでいける幸せが、俺にも訪れていたかもしれない。

 

「その……なんだ。俺は親も兄妹もいないからなんといえばいいかわからないが……」

 

 青年は頭をかきながら気まずそうに笑った。

 

「かっこいいと思う。流石の俺でもそんな親の為にそこまで出来ない。どんな理由であれ、俺はきっと逃げていただろう。でも、お前はここまで頑張ってきたんだろ。……バカみたいに真っ直ぐだな」


「バカってつける必要あった?」

 

「褒めてんだよ。褒め言葉としてのバカだ」

 

 俺は思わず笑いそうになったが、うまく笑えなかった。

 

 家族から逃げなかっただけで、俺自身からは逃げていたんだ。女神の言っていたこと、本当はわかっていた。体はとっくに限界を迎えていて、俺に助けてほしいってサインを送っていたのにまだ大丈夫、あと少しならって。

 

「ま、とりあえず泣き顔は拝んだし、金もねぇし、今夜はメシでも奢ってやるよ」

 

「……金ないんじゃないの?お前も」

 

「お前見た目ひ弱そうなのに失礼な奴だな。俺は日銭くらいはある。明日の朝飯までは一応心配いらねぇさ」

 

 そう言って青年は笑って腰の袋をポンと叩いてみせた。

 

「俺の名前はフェリクス。幸運のフェリクス様だ」

 

「ごめん、知り合いと思われたくないから離れてくれる?」

 

「捻り潰すぞ。コソ泥だのスリだの言われるけど、ちゃんと冒険者ギルドにも顔出してる立派なシーフ様だぞ」

 

「シーフ様って自分で言うやつ初めて見た。様ってつければ強いとか思ってるタイプ?」

 

「肩書きは自分で盛らねぇと誰も盛ってくれねぇんだよ」

 

 ふっと軽口を叩いたあと、フェリクスは真面目な目つきでこちらを見た。

 

「お前、どうせ借金返す当てがねぇんだろ? だったら仕事を教えてやる。危なくないやつからな」

 

「危なくない……? あやしいな」

 

「それ、俺の顔見て判断してるだろ。安心しろ、ちゃんと合法だ」

 

 どこまで信用していいものか分からない。けれど、この世界のことを何も知らない俺には頼る相手がいなかった。

 

「……分かった。教えてくれ」

 

 そう言うと、フェリクスはニッと笑い、まるで“ようこそ”とでも言いたげに右手を差し出した。

 

「歓迎するぜ、新入り」



 


 フェリクスに連れられてメインストリートを歩いていた。

 

 夜も更けてきていたが、まだ少しにぎわっているようで夜特有の寂しさは感じなかった。


 露店ではパンの匂いが漂い、荷馬車が軋む音が響く。さっきまでいた路地裏とは違い活気にあふれている。

 

「この通りは冒険者通りとも言われていて、武器屋、防具屋、道具屋に宿もあるんだ。新米はまずここで装備を整える」

 

「へぇ、思ったよりも文明してるんだね」

 

「バカにしてるのか? 王都から近いとはいえ離れている街だからな。こうでもしないと街を守れないんだよ」

 

 あたりを見渡す。こんなに笑い声が響いているこの場所も、いつ襲われるかわからない不安を抱えているってことだろうか。

 

 一見そういうのとは縁遠そうな街ではあるけど……。

 

「この街は王都からは守られていないんだ。でもこの街は王都よりも外側にあるだろ? つまり大抵のモンスターや盗賊はここをまず襲う。しかし王都の人間は兵を送ってくることはないから自分たちでどうにかするしかない。ならどうすればいいか? ここを冒険者たちに守ってもらうんだよ」

 

 フェリクスは肩をすくめて笑っていたけれど、どこかやるせなさをにじませていた。

 

 きっと笑っている街の人たちも不安なんだろう。荷車を引いていた老人は、立ち止まって夜空を見上げ、溜息をついてからまた荷を運び出した。

 

 この世界は星がよく見える。俺が落ちて来た時もそうだったけれど、俺がいた世界と違って車もないし明かりも灯っている程度だからこそ見えるのだとしたら少しはこの世界に来ても良かったと思える。

 

 明かりの灯る露店からはパンの甘い香りと、焼いた肉の匂いが混ざり合って漂ってくる。

 

「なるほど……美しく、賑やかな笑顔の絶えない夜市に見えても、実は守るため、守ってもらうために働いてるってことか」

 

「まぁ、街の人間は冒険者に依頼や武器に防具、道具に食事を提供し、冒険者はここで一人前になるまで育ててもらう。それもあって一人前の冒険者でもここを大事にしている奴は多いんだ。冒険者はスラム街出身が多いからな、安心感のある、いつでも帰ってこられる実家って感じだな」

 

 そういう俺もスラム出身だ、とフェリクスは言い、ひとつの建物を指差した。

 

「あそこが冒険者ギルド」

 

「……酒場?」

 

 指を差した方を見るとそこにはぱっと見——いや、普通に見てもただの酒場に見える。

 

 ……確かに、ゲームでも酒場で仲間集めとかあるし、異世界でもきっとそれが普通なんだろう。

 

 中に入ると案の定というか、色んな人間がどんちゃん騒ぎをしている。女性店員が、いらっしゃいませー! と元気に挨拶をしてくれた。俺がいた世界の居酒屋に近いかもしれない。

 

 ただ違うのは仕切りがなく、違う席の人とも楽しくお酒を交わしているところだ。肩が触れ合えば笑いあい、座って酒を飲んでいる者に立って飲む者、床に座り込んで飲んでいるものまで多種多様で、ごった煮の熱気だ。俺とは縁遠いなと心底思う。

 

「おー! フェリクス久しぶりじゃねえか」

 

 ガタイのいい髭面の強面が、酒の入ったジョッキを片手にフェリクスの肩に手をまわしている。

 

「おいおい酒くせぇなルーク! 相変わらず朝から飲んでるのか?」

 

「何言ってんだ! 朝は依頼中だっての、昼からだ、昼!」

 

「かわんねぇよ!」

 

 そんな軽口をたたきながらフェリクスは俺の方に振り返った。そして俺を指差して紹介をする。

 

「こいつは俺の後輩になる予定の後輩だ」

 

「後輩になる予定って……そんなの聞いてないんだけど」

 

「いいじゃねぇか、結局ここに出入りするってことはここにいる冒険者たちの後輩ってことなんだからよ」

 

 言われてみれば確かに、と納得した。

 

 こんなどんちゃん騒ぎしているとはいえ、ここで依頼をこなし、報告をする……つまり会社みたいなものだ。それに、これから俺は色んな人にアドバイスとかを貰っていくわけだから、先輩後輩はちゃんと覚えていた方がよさそうだな。

 

 こういうのはちゃんとしておかないと決まって面倒なんだよなぁ。下のものに下手に出ると馬鹿にされるし、上の者に馴れ馴れしいと怒られる。ここも――いや、ここだからこそ、そういうのはきっちりしているだろう。

 

「フェリクスさん、お久しぶりですね、元気にしていましたか」

 

 突然、カウンター奥の受付に立つ女性がフェリクスに声をかけてきて微笑んでいる。

 

「久しぶりだな、今日は新入りに仕事の紹介と仕事の受け方を教えてやりたくてな」

 

「新入りさん?」

 

 受付嬢は俺を見て、にこりと微笑んだ。

 

「新入りさんってことはギルド登録はまだですよね? それならこの簡易登録からどうぞ」

 

 渡された紙には、名前と職業、得意分野を書く欄があった。

 

 名前の欄には、普通に自分の名前を書いた。

 

「……お前、彼岸の国出身か?」

 

「ひが……は?」

 

「なんだ違うのか? そこのやつらお前みたいな文字の名前が多いからてっきりそうなのかと思ったんだが……で、なんて読むんだ?」

 

「そこの国出身ではないが、金無 焔硝“かねなし えんし”だ。そこら辺にいる普通の名前だよ」

 

 そう、普通の、どこにでもいる自分にピッタリな苗字だ。自虐? いやいや、そう思われるかもしれないが、実際考えてみて俺並みにピッタリな苗字のやつなんていないだろうし、俺にはしっくりくる。

 

 フェリクスはと言うと、何故か目をキラキラと輝かせている。そんな彼は放っておくとして書くとしたら次は職業だけど……。

 

「職業ねぇ…… “買い物”って書くのはさすがに変だよな……」

 

「え、何、お前職業“買い物”なのかよ」

 

「……うるさい」

 

 フェリクスが肩を震わせる。

 

 俺だってわかんないよなんだよ買い物って家族の為に安くて良いものを買うために奮闘してる主婦かよ。……昔のことを思い出し主婦に限らず安くて良いもの良いものだよなぁ、と主婦に交じって戦っていた過去の自分の記憶の感傷に浸っていた。

 

 過去は過去、今は今。それはそれとして、素直にサラリーマンとでも書こうか。でも俺は死んでいるわけで、死んでいると言うことは無職……になるよな。

 

 しかし無職と書くのもなんだか負けた気がする。散々働いていたのに死んだからと無職はないだろう。死んで、世界からいなくなったからって、今までの俺の人生がなくなるなんてそんなの認めてたまるか。

 

「それ、なんて書いてあるんだ?」

 

「社畜。しゃちくと言ってね。自分の感情を殺し、自分の意思を放棄して、上の言うことには笑顔ではいと答え、どんな無理難題にも笑顔でおまかせくださいと言う。どんな理不尽にもすみませんと頭を下げ、休みも休憩も、寝る時間さえも働くために使い、その貢献はすべて上のものに差し上げ、上のものの功績としなければならず。健康や生活を犠牲にする、そんなペットです。口癖はおしゃる通りです。すいません。今すぐに。です。休みたい。帰りたいなんて口癖にはならず、そんな時間があるなら仕事!」

 

 言ってやった。キリッとした顔で、フェリクスを見ると顔が引きつっていた。

 

「……お前、いや、俺は何も言わないさ。大丈夫、俺は味方だぜ」

 

 ウインクしながら親指を立てていたけれど、その指は震えていて、笑顔もなんだかぎこちない。

 

 へんなやつだな。と思いながら続きを書きすすめる。

 

 特技? 特技なんてなんの役に立つんだ? そのまま本当の特技を書くなら借金になるけど本当に借金でいいのか疑問ではある。

 

 未だにこにこしていて何とも掴めない受付の人に」これは何の役に立つのか聞いても教えてはくれなさそうだし、フェリクスも書いたことがあるだろうけどいまだに顔を青くして怯えているから何の役にも立たなさそうだ。そもそも冒険者には何も教えないと言う可能性もある。

 

 依頼主に紹介する紙になるとか。あるいはここに書いた特技によって俺に回ってくる依頼に違いがあるとか……。

 

 どっちでもいけそうで俺の印象がマイナスにならないこと、そして嘘ではないことを書こう。

 

「これでよしっと」

 

「はい、じゃあ確認しますね。名前が【金無焔硝】職業【社畜】特技が【働くこと】で間違いはないですか?」

 

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 

「こちらこそよろしくお願いしますね。では説明に移りますのでこちらへ」

 

 どこからか書類を取り出して一緒にまとめてトントン、と整えている。案内されたのは紙が大量に貼られた掲示板。そこには難易度や説明文に依頼分、どこに出現するのかなど細かく書かれていた。

 

「ここに貼られている依頼書は好きに受けてもらって構いません。しかしその場合、依頼に失敗しても当ギルドは責任は負いません」


 そのあと受付の方を指さした。

 

「あとは先程書いてもらった紙を基準に私たちから個人で依頼をする場合もございます。そしてその基準は先程書いてもらった紙以外にもフリー、主に掲示板に貼られている依頼を受ける、私たちの依頼をこなしていけば変わってきます。要するに知名度や信頼度みたいなものですね。知名度が上がれば上がるほど依頼は増えますし報酬も上がります。フリーと違って私たちの依頼を失敗した場合はかかった費用の半額をお返ししますよ」

 

「え⁉ は、半額も……?」

 

 そんな甘い話があるか? 騙してきそうな人もいてそうなものだけど大丈夫なのそれ……。

 

 いくらこの街が冒険者にとって大切な街とは言えみんながみんな良い奴ではないだろう。

 

「――と、思っていますね?」

 

「声に出てました……?」

 

「ふふ、たくさんの人を見てきていますし、大体の人の気持ちは顔を見ればわかるんですよ」

 

 掲示板の端を、笑顔のままコツ、コツと叩く。

 

「騙すのは結構ですが、損をするのは冒険者さんなんです。失敗すれば依頼のランクも下がってしまいますし、調査の結果虚偽と判明した場合はすべての冒険者ギルドに情報が周り依頼はほぼなくなるか、回ってきたとしても誰もやらないような依頼だけです・誰もやらないと言うことはそういうことですし、仮に一度だけのつもりで騙そうとしたとして多額の申請をしたとしたら支払いの前に調査が入ります。私たちはちゃんと今までの依頼などから判断しているのでこの人は大体このくらいだろうと言うのは判断したうえで依頼していますからね」

 

 冒険者さんにとってはマイナスにしかなりませんよ。と笑顔で言った彼女はすごく怖いと言うことは思い知った。

 

「よし、じゃあ最初は先輩の俺が依頼を選んでやるよ」

 

 真剣に掲示板を見ていたフェリクスは紙を一枚剝がして俺に手渡してくる。

 

 内容は【東の森で薬草を十束採取】と書かれている。確かにこれなら敵と戦うこともなさそうだし安全そうだ。

 

「これなら危険もすくねぇし報酬も悪くない。往復する時間と採取する時間を考えて半日で120リムだな。借金持ちにはちょうどいいだろう」

 

「お前、借金ネタ引っ張りすぎだろ」

 

「わかりやすいからいいだろ。“借金返済”と言うちゃんとした目標にもなる。」

 

 そう言ってフェリクスはからかうように笑った。けれど、その瞳のは真剣で、俺はさっきまで見たいに返事は出来なかった。

 

「冗談に聞こえるかもしれねぇが……この街じゃ、稼ぐことと生きることは同じ意味だ。冒険者と言うのは目標が大事なんだよ。目標がなければ命をぞんざいに扱ってしまう」

 

 先輩からの最初の助言だ、と笑っていたけれど、妙な説得力がある。彼の過去はわからないけど、きっとそう思うような、思ってしまうような出来事が過去にあったのだろう。

「わかった。それをやろう」

 

「よし、そうと決まれば早速行こうぜ。俺が森まで案内してやるよ。新入りの初仕事だな」

 

 フェリクスが嬉しそうに立ち上がると周囲の冒険者たちがからかい交じりの声を飛ばした。

 

「おいフェリクス、また弟子を増やしたのか?」

 

「今度は何日で逃げるかな」

 

「うるせぇ! 今度は逃げねぇよ」

 

 その言葉に場がどっと笑いに包まれた。そんな中俺だけが苦笑いを浮かべている。

 

 少し時間が経った頃、そろそろ行くか、と冒険者仲間らしい人たちとの会話を終えたフェリクスがの顔が、暇そうに待っていた俺の方へと向く。

 

 フェリクスは移動も込みで半日かかると言っていた。今から行くとなると帰ってくるのは朝方くらい……俺はいまだに何も食べていないこと、半日もかかるのに飲み物も弁当になる食料も持っていないことに気付いた。

 

 酒場から出てすぐの所にある店で水を買おうと店主に声をかけようとした瞬間、視界の端に半透明の文字が浮かんだ。

 

 (水袋:10リム 耐久:B- 購入可/分割可)

 

 瞬きをすると、さっきまで出ていた文字は消えていた。

 

「どうした?」

 

 紙袋パンパンに詰められたパンを持ったフェリクスが心配していたけれど、何でもない、と返答してしまった。

 

 さっきの出来事を言ったところで信じてもらえるかわからないし、俺自身も今のは本当に俺が見たものなのかもわからない。

 

 フェリクスが俺の肩を小突く。いつの間にか俺が買おうとしていた水袋を買っていて俺に渡してくれる。

 

「お前金ないのによく買おうと思ったな……」

 

 何も言い返せずにいると紙袋から温かいパンを突き付けてくる。

 

「まっ、まだ何も食ってないしこれから歩くから飯でも食いながら行こうぜ」

 

 死んで転生してもまた借金を背負ってしまったけれど、きっとこの借金を払い終わったら新しい人生になるはず。そしたら危険な依頼じゃなく今回みたいな依頼を稼いで平凡に暮らしていこう。

 

 そして前回のことは俺の前世の記憶だったってことにして、何もかも忘れてしまおう。

 

 今度こそ家族を持って、幸せだと思える人生で、死んでいこう。

 

 依頼書に書いてあった場所に着くころには空が明るくなり始めていた。まさかこんなに距離があるとは思わなかった。

 

 朝霧を抜けた先にある森は静かだった。鳥の鳴き声も風の音も、遠くでしか響かない。木々の枝が複雑に絡み合い、日差しは細い糸のように差し込んでいる。

 

「なんか、森に入った途端体が冷えるんだけど」

 

「朝は獣が水を飲みに来る時間だ。簡単な任務だから強敵はいないと思うが一応気配を消して歩け」

 

 フェリクスの声が低く響く。さっきまで陽気だった男が、森に入った途端真剣な眼差しになり、初心者向けの場所でも安全ではないのかもしれないと、不安になった。

 

 胸の奥がざわつく。俺は知らず知らず、何度も自分の呼吸を整えていた。一歩、また一歩と、次の一歩がなぜかやけに重たく感じる。

 

「薬草はこのあたりの影に多い。根は残せ、葉だけ摘むんだ」

 

 フェリクスは片膝をついて器用に摘み取りを見せる。俺も真似してしゃがみ込みゆっくりと、丁寧に葉だけを摘み取っていく。

 

「薬草ってこういう場所にあるんだね、もっと原っぱとかに生えてるのかと思ってたよ」

 

「そういう場所に無いわけでもないが、たくさん生えてるわけじゃないからな。こういう影が出来る森の方がタたくさん生えてるんだよ。でも森は誰にも安全ってわけじゃない。ここだって薬草を取りに来た人が年に数人、ケガ人もでるし、死ぬ奴もいる」

 

 淡々と、フェリクスは葉を積んでいく。俺が一本の草から葉を取るのを苦労している間に、持ってきていたかごにせっせと集めていっていた。

 

 依頼は10束で1束10枚だから——100枚。かごに溜まっていく葉を見て気が重くなった。これを数えて10枚で1束にまとめなくてはならない。

 

 俺の借金が5000万……リムとか言ったか。この依頼が120リムでさっき水を買おうとした時10リム、パンが15リムか。

 

 120リムで5000万リムをどうやって返済しろと……。こんな金額しか稼げないのなら返せないが、正直この金額でもありがたくはある。

 

 5000万リムなんて屋敷の修理って考えると金額が妥当ではありそうだけど、ここは俺の気持ちが大事だ。俺がやってしまったんだからどんなに大変でもそう、たとえ理不尽でも

 

「借金……返せるのかなって」


「そういやお前借金はいくらなんだ?」

 

「えっと……5000万リムって言われたよ」

 

「はぁ⁉ 50000万リム⁉ え、お前何したんだよ。もしかして……殺っちまったのか」


「勝手に人を人殺しにするなよ!」

 

 俺はフェリクスと出会う少し前のことを、女神と別れた所から説明した。気が付いたら屋敷の天井に穴を空けていたこと。そして怒られて修理費を借金することになったこと。

 

「まじか……お前、まじか……」

 

「悲しんでくれるのかい心の友よ」

 

 顔を隠して震えている。俺の為にここまで悲しんでくれているのを見るのは生まれてこの方初めてだ。感動してもらい泣きしそうになったのをグッとこらえた。

 

「あーはっはっは! お、お前……あの屋敷だろ? そりゃ、おま――」

 

 俺の顔を見て腹抱えて笑っている。さっきの俺の気持ちと感動を返せ。

 

「あー笑った笑った。お礼に良いこと教えといてやる。俺と会ったところの近くの屋敷だろ? あそこは元々ずっと前から老朽化で修繕しろと言われていた屋敷だ。元々古いからボロいし、お前ひとりでそんなに修繕費用もかからない。そりゃあお前騙されてるぜ」

 

 笑い過ぎで目からこぼれた涙を指ですくい、過呼吸になりそうになっていた呼吸を整えている。

 

 あのじじい……1リムずつ払ってやろうか。

 

「なるほどな、まぁお前が金の価値を知らないとは思ってないだろうが、お前がひ弱そうに見えて吹っ掛けてみたところお前が二つ返事で承諾したってところだな。承諾しちまったもんは仕方ない。頑張れよ」

 

 他人事のように親指を立ててくる。実際、他人事ではある。

 

 少しずつ返済していくしかないか。生きていた頃みたいに、少しずつ。今回は借金を脹らませる親はいないし、これ以上膨らむことはないだろう。


 大きなため息をついて、薬草とりを再開したその瞬間、急に森がうるさくなった。

 

「……フェリクス」

 

「下がれ」

 

 何かが頭上を掠めた。木の皮が裂け、破片が頬を掠めて飛ぶ。

 

 反射的に身を伏せた俺の目の前を黒い影が跳ねた。

 

 狼に似ている。だが俺の知っている狼とは違っていた。その毛並みは鉱石のように光を反射し、牙の先端が鉄のように鈍く光っている。

 

「“鉄喰ウルフ”か。ちょっと運が悪いな」

 

 ちょっとじゃないだろ、という言葉は喉から出なかった。

 

「動くなよ、静かにしていろ」

 

 フェリクスの手には区内のようなものがあり、手から投げられたクナイは、寸前の所で狼によけられ木の幹に突き刺さった。

 

 目を凝らすとクナイの持ち手部分の輪に細い糸が結ばれていて、フェリクスがそれを引っ張ると手の中へと導かれるように戻っていく。

 

 どうにかしないといけないと思った俺は立とうとした時、手で枝を割ってしまい音が鳴る。その音に気付いた狼は俺の方へと向き、怒号のような咆哮をあげ、突進してくる。

 

 地面が揺れる。反射的に横に避けたが勢いが強く、背中が木の根にぶつかる。息が詰まり、うまく呼吸が出来ない。眩暈もする。

 

「立て!」

 

「立ってる、よゆ、う……ない……っ」

 

「バカ! 死にたくなかったら動け!」

 

 フェリクスが動き出す。森の影に溶けて消えていく。音もなく。

 

 俺は、震える足で何とか立ち上がり、心臓を抑えながら急いで走る。

 

 呼吸すると肺が痛い。心臓もうるさく、全身が心臓のように脈打っている。

 

 痛い、死ぬ。これはゲームでもない、セーブなんてものはないし、やり直しもきかない。足がうまく動かなくて、転倒した。

 

 狼が飛び上がり、目を瞑って衝撃に備えていると、フェリクスの足が地面を蹴り宙を舞った。

 

 金属音。

 

 閃光。

 

 落ちる影。

 

 狼の首元に、ナイフが突き刺さり狼の身体が地面に叩きつけられる音が響いた。

 

 そのまましばらくは、世界が止まったように静かだった。

 

「俺……生きてる……?」

 

 全身が震えている。うまく思考が回らない。気持ち悪くて吐き気さえ感じてくる。

 

 フェリクスは倒れた狼の身体を足でおさえながら言った。

 

「ビビったか?」

 

「当たり前だろ……!」

 

「よく動けたじゃねぇか、これで次のステップだな」

 

「は……?」

 

「次は殺られる前に殴れ。それを繰り返していけばいつかは死ぬ。そしたら今度は弱点を見極めて一撃でとどめを刺すんだ」

 

 フェリクスがナイフを引き抜くと、赤黒い液体が弧を描いたその時、視界の端にまた文字が浮かんだ。今度は半透明ではなく、しっかりと光る文字が浮かぶ。

 

 (鉄喰ウルフの牙:売却価格=300リム 素材等級B 購入:可)

 

「……フェリクス」

 

「どうした?」

 

「今、目の前に数字と文字が……」

 

「は? どこにだよ」

 

「消えた……?」

 

 光は霧のように消えた。

 

 フェリクスは笑って、恐怖で幻覚でも見たんじゃないか、と言っていたがアレは幻覚なんかではない。

 

 もしかしてこれが女神の言っていた能力……?

 

 でも使い方がまだわからない。さっきの時も、今も、どういう理由で出ているのかわかれば……。

 

「大丈夫か?」

 

「……多分な」

 笑っていたフェリクスが心配したような顔で覗き込んできた。

 

 俺が黙っていたから本当に心配をしてくれたのだろう。

 

「なら所詮おめでとう。よく頑張ったな」

 

「俺は何もしてないよ。フェリクスが助けてくれたんだし、ありがとう」

 

「バッカお前なぁ、命拾いも実力の内なんだよ。運も実力の内っていうだろ。それに、お前の行動ひとつで俺はお前と此処にいなかった可能性もあるんだぜ。例えば俺が声をかけたあの時、俺のことを無視していたとかな。つまり、お前の行動で俺に助けられたからお前の勝ちなんだよ」

 

 笑いながら狼の牙を折って俺に渡す。

 

「ほら、記念にとっておけ。“死にかけ記念”だ」

 

「え……汚いし物騒だからいらない……」

 

 いいから、と無理矢理震えた手を取り握らされた。

 

 何回も断るのは失礼にも感じ、おとなしく受け取り残りの薬草取りを再開し、その間にフェリクスは狼の解体を始めた。

 

 一応皮も、肉も使い道はあるらしいから異世界はよくわからない。

 

 森を出るころには太陽が真上にあった。ずっと森にいたからすごく明るく感じる。それに、数日ぶりに外に出た気分だ。

 

「お前って律儀だよな。この依頼でそんな丁寧に数えている奴なんかいない。ましてやまとめてる奴なんかもってのほかだ」

 

 血抜きをしている間に、摘んだ薬草を1枚1枚数えて10枚にして1つにまとめているとフェリクスに驚かれた。あの時は何を言っているんだと思っていたけれど、ここではそういう丁寧な仕事はしないらしく、感心された。

 

 じゃあどうしているのかと聞いたら、適当にカゴに詰めて終わりだな。なんとなく、これくらいだろうなって感じで、と言われ俺はこれからまたこの依頼を受けるときは俺だけでもちゃんとやってやろうと思った。

 

 帰路を歩きながらフェリクスが口笛を吹いている。

 

「それにしてもお前あの時よく動けたよなぁ。スラム出身か?」

 

「……いや、家もあるし両親もいたよ。関心がなかっただけで」

 

「そうか。まぁ、生き方を知っているならいいんだよ。俺も家族なんていないけど、こうやって生きてるぜ。案外なんとかなるもんさ。“勝てるうちは笑っとけ”てな」

 

「なんだそれ」

 

 おかしくて笑ってしまった。こうやって笑えるのも俺が生きているからなんだよな。助けてくれたこいつがいるから。

 

 ポケットに入れた狼の牙を握りした。

 

 それはただの素材でも、戦利品でもなく――“ここで生きる”と決めた証のように思えた。

 

 ただ、本当にここで生きていくなら俺はもっと強くならないとすぐ死ぬだろうな。いつもフェリクスがいるわけじゃない。

 

 それでも、足取りはなんだか軽かった。そうだ、これは夢でも幻覚でもない、現実なんだ。覚めたくても覚めることはないし、元の世界に帰る方法も、今のところない。

 

 ならうじうじしていたって意味がないじゃないか。どうやって生きていくのかを考えよう。……まぁ、まずは借金返済だけど。



 



 街の門をくぐる頃には、お腹が鳴った。

 

 門番たちが手を振り、俺たちの帰還を喜んでくれ、通りには昨日の夜とは違い、子どもたちの笑い声が響いている。パンの香ばしい匂いが風に乗り、俺の腹の虫を刺激する。

 

 遠くでは鍛冶屋の鉄を叩く音が聞こえる。

 

 ギルドに戻ると、夜よりは静かではあるが、何人かは飲んでいた。二十四時間の居酒屋なんてあるのかと驚いた。昼は仕込みの時間とかで開いているのは珍しいと思った。

 

 なら仕込みはいつやっているのだろう。

 

 酔っぱらいの声や、依頼達成を報告する冒険者。後者に交じって俺たちも報告をした。

 

「おかえりなさい、フェリクスさん。焔硝さんもご無事のようで何よりです」

 

「ご無事ではないな」

 

「……と、言うと?」

 

「鉄喰ウルフが出た。こいつが動ける奴じゃなければ死んでたよ」

 

「この時期に出るなんて珍しいですね。繁殖期でもないですし」

 

 小さくため息をついたあと、何かを書き込んでいる。

 

「さすが“幸運の”フェリクスさんですね」

 

「おいおい、そりゃないぜ」

 

「どういうことですか?」

 

 受付の人とフェリクスのやり取りが気になって思わず中に入ってしまった。空気の読めない奴と思われただろうかと咄嗟に自分の口を手で隠した。

 

 受付の人は何も気にしていないように俺に説明をしてくれる。

 

「フェリクスさんは自分で幸運のなんて言っていますが、周りからは不幸のフェリクスと呼ばれているんです。昨夜今度のでした何日持つかなんて話をしていたの覚えていますか?」

 

 確かルークと呼ばれていた人だろうか。フェリクスが言っていたこと的に酒飲みの人って印象がある。

 

 俺は頷いた。

 

「この人不幸体質なのか、そのお弟子さんを何人もケガさせているんですよ。それも今回のように現れる事がないモンスターや、現れるのが珍しいモンスターとかが、この人がお弟子さんを連れて依頼を行くと大抵現れ、怪我をして帰ってくるんです。それでお弟子さんは辞めていくんです。それで自分で幸運なんて言っているんですよ」

 

「いやさ、そんなに俺の話をされると困るぜ」

 

 困るのは俺だよ! じゃああの狼もお前の特異体質のせいかよ! と心の中で突っ込むだけで辞めた。

 

 だって――

 

「でも今回は怪我しなかっただろ? お前には期待してるんだぜ」

 

 そう言って笑って俺の背中を叩くコイツの顔が寂しそうで、そしてほっとした嬉しそうな複雑な顔をしたから。

 

「では、確認させていただきますね」

 

 カゴを渡すと受付の彼女は止まった。

 

「これは……?」

 

「ああ、こいつ100枚をまとめてくれたみたいでよ。いいやつだろ」

 

「確かに、こちらでまとめる作業が減るため有難いです。でも本当に時間がある時だけで大丈夫ですよ、こういうのに時間を割くなら依頼を1つでもと言う方はたくさんいらっしゃいますから」

 

「その時はそうさせていただきます。あ、一応2回数えて確認はしていますが確認していただけるとありがたいです。それとこれも」

 

「まとめられていない薬草ですか?」

 

「数え間違いがあった時迷惑になるかなと思って少し多めにとってあるんです。足りない分はここからお願いします。足りていて余ってしまった分は他の冒険者さんに配るか、依頼主さんに多めに渡してあげてください。あ、もちろん契約違反じゃなければですが」

 

 フェリクスが大雑把に持っていくと言っていたから多少の前後は大丈夫だと思うけど。ダメって言われた場合は大人しくもう1回行くか。

 

「契約違反ではないので大丈夫ですよ。むしろ皆さん適当に取ってくるため少なかったり多かったり様々なので。それも換金いたしますか?」


「おう、頼むぜ」

 

「焔硝さんはどうされますか? その牙、換金しますか」

 

「俺は……いえ、これは大事に取っておきます」

 

「そうですか。では少しお待ちください」

 

 薬草と狼の残りの部位をもって奥へと引っ込んでいく。

 

 俺は椅子に座りながら牙をずっと眺めていた。牙と言うに鏡のようだ。曇ることなく、俺の顔を反射している。

 

「良かったのか? 売ったら少しは足しになっただろ」

 

「かもね。でも売らないよ」

 

 確かに、借金の足しにはしなくとも、ある程度生きていくうえで必要になるものを買うくらいにはなったかもしれない。でもなんだか売ろうという気にはならなかった。

 

 多分、本当に多分だけど、これ1本で借金が返済できると言われても、俺は売らなかったと思う。

 

 ……借金返済に疲れたら売るかもしれないけど。

 

「理由は聞いても大丈夫か?」

 

 気まずそうに聞いてくる。いつも深く聞いてこないのはフェリクスなりに気を使ってくれていたのかと思うとおかしくて笑いそうになる。

 

「これは……俺の“生きたい”って気持ちの証拠だ。死ぬかもしれないって思ったら怖かったんだ。でも、フェリクスが助けてくれたその時、生きたいって思った。今までは流れるように生きて、その場の雰囲気で生きて、何のために生きているのかと聞かれたら生きているから生きている、それ以外に生きる理由はあるのかと即答できる人生だったけど、俺のために、俺の生きたいように生きようって思えるきっかけになったから。それに――」

 

 牙を上にかかげる。

 

「これ、レアモンスターなんだろ? ならそう簡単に売るわけにはいかないな。フェリクスの元弟子たちに見せつけてやらないと。フェリクスのせいでけがをしたんじゃなく、お前たちが動けなかったからけがをしたんだ。責任転換してんじゃないぞって」

 

 フェリクスが顔を背け鼻を啜る。

 

「え、泣いてるの?」

 

「バッ……泣いてねぇよ!」

 

 顔を背けながら手だけを俺に差し出してくる。今さらなんだと思ったが、差し出された手と逆の手を出して握手した。

 

「ちげぇよ! 牙、貸してみろ」

 

 大人しく従い、牙を渡す。鼻と目を真っ赤にして、まだ鼻を啜っているフェリクスは、器用に牙に穴を開け、自分の腰のポーチから革ひもを取り出し穴に通し輪にして結ぶ。

 

 そして時間をかけて願いをかけるようにゆっくり磨いている。その手つきは驚くほど丁寧だった。

 

「よし、出来た」

 

 手に持っているのはネックレスになった牙。じっくり丁寧に磨かれた牙は手渡す前より輝いていて、鏡のように自分の姿を反射する。

 

 牙の根本は、血がしみ込んでいるのか金属光沢がわずかに赤く、グラデーションのようになっていた。

 

 フェリクスはその牙を、俺の首にかけた。さっきの震えとは違う震えが全身にめぐる。体の奥からじわじわと温かくなるような。

 

「似合ってるじゃねぇか“借金王子”」

 

「呼び方酷くない?」

 

 二人で笑った。心から笑えたのは久しぶりかもしれない。

 

 笑いながら涙を出したのは、初めてだったけれど。



 



 それから少し待つと、受付の人が戻って来た。

 

「お待たせしました。きっちり薬草はありましたよ。この余った薬草も、依頼主様にお渡ししておきますね。では、依頼報酬“薬草十束”分として120リムになります」

 

 手渡されたお金はたった120リム。それでも俺の胸は満たされていた。拳でお金を包み込むと、冷たい感触が心地良くて泣きそうになった。

 

「よし、今日は俺が奢ってやるよ新入り!」

 

 フェリクスが俺の方に手をまわしてくる。その言葉からご飯を食べていると次の冒険者に捕まり、俺が無傷なことと逃げていないこと、そして俺の初以来達成を祝した宴が昼から始まって夜になっても続いていた。


 もはや夜になるとなんの宴なのか訳が分からなくなっていけど。

 

 夜風に当たりたいと思っていたらフェリクスに呼ばれ、着いていくと酒場の屋根に案内される。

 

 滑って落ちるのではないかと思ったが、意外と滑らず、安定感もいい。

 

 酒場の声は小さく聞こえ、街の店の宣伝している声も聞こえるが静かで夜空も見れていい。

 

「ここでお別れだな。お前とは会って1日だけだが、なんかずっと前から親友だった気分だぜ」

 

 何の前触れもなく言ってくる。

 

 ずっと一緒にいるとは思っていなかったが、思っていたより早く、何て声をかけたらいいのかがわからない。

 

 フェリクスの手には、今ではもう見慣れてしまったマントと荷袋が持たれていた。

 

「悪いな。もっといろいろ教えてやりたいんだが、ギルドの仲間が呼んでいる。次の依頼が厄介らしくてな、ほっとくと死人が出るかもしれないんだ」

 

 そうか、フェリクスにはもう仲間がいて、帰るところがあるのか。仲間になってほしいって言いたかったけど、その言葉を聞いてぐっと堪えた。


「“幸運のフェリクス様”は忙しいんだな」

 

「当たり前だ。人気者は辛いのよ」

 

 軽口を叩きながらもどこか声に力がなかった。

 

 その顔に浮かぶ笑みが、月明かりに溶けていく。

 

「フェリクス……ありがとう。フェリクスがいなかったら俺……今頃どうなってたか」

 

「言うなってそんな湿っぽいこと」

 

 フェリクスは苦笑いをして指で俺の額を軽く弾く。乾いた音がした。

 

「借金まみれでも、泣いても、立ち上がり続けろ。それでもし立ち上がれなくなった時は初心を思い出せ。お前は今どうしたい」

 

「俺は——生きたい。自分の為に、自分の生きたいように生きる」

 

「そうだ、絶対に忘れるな。絶対に死ぬな。どんなくそみたいな借金でも、生きてるうちは返せる。死んだら元も子もねぇ」

 

 俺はうなずいた。けれど、胸の奥が締め付けられるように痛かった。

 

「フェリクスも……死ぬなよ」

 

「縁起でもねぇこと言うなよ! でももし俺が死んだら——」

 

「辞めろよ、そんな冗談」

 

「そうだな、冗談だ。でもこの世界は何が起こるか分からない。だからこれはもしもの話だ。俺が死んだら祈っとけ“また会えますように”ってな」

 

 最後の言葉は笑い交じりだった。でも、笑顔の奥にどこか影が見えた。

 

 これじゃあまるで別れの挨拶だ。

 

「まっ、俺は死なねぇよ。俺は運もいいししれに——」

 

 フェリクスは親指を立ててにやりと笑う。

 

「“借金返済完了”って報告、聞いてやんねぇと気が済まないだろ? それを聞かねぇと死ぬにも死にきれねぇさ」

 

「……その時は飯奢ってよ」

 

「へっ、その時は俺が奢ってもらう側だっつーの」

 

 二人の、俺たちの笑い声が夜風に消える。


 フェリクスはこぶしを挙げた。俺も無意識にこぶしをぶつける。

 

 満足そうに笑って、立ち上がり軽やかに屋根から飛び降りた。

 

「時々でいい、後ろを見ろ。そこにいる奴が、お前を守ってくれる」

 

「……そこにお前もいる?」

 

「ったりめぇだろ、俺が最前線だわ!」

 

 迷うことなく答えたその言葉が凄くうれしかったなんて、お前は知らないんだろうな。

 

「またな“焔硝”」

 

 フェリクスは片手を上げたまま歩き出す。

 

 月明かりが照らすその背中を、見えなくなるまで見送った。

 

 首元の牙を握りしめる。

 

「……ありがとう、フェリクス」

 

 また会う日まで。

 

「……さて、どうやって屋根からおりよう」

 

 どこかで、笑う声がした気がした。

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