第77話「門前の衝突」②
その瞬間、門前の空気が変わった。
ギルタルの体から放たれた魔力が、目に見えない重圧となって広がる。
風が止まる。
獣の群れが、低く唸った。
だがその唸りは、威嚇ではない。
本能が危険を感じ取った音だった。
「……っ」
テジナの背後にいた獣人たちが、わずかに身構える。
獣たちも一歩引きかけた。
しかし、テジナだけは動かなかった。
獅子の獣の背に立ったまま、ギルタルを見下ろしている。
だが、その目から先ほどまでの軽い余裕は消えていた。
「……あなた」
テジナが低く言う。
「爵位も持っていないのに魔力使用許可を持っているの?」
テジナの声は低かった。
怒りではない。
驚きでもない。
ただ、目の前の男を見る目が変わっていた。
ギルタルは表情を変えずに答える。
「ええ。皇太子殿下より、職務に必要な範囲で使用を許されています」
その言葉に、テジナの背後にいた獣人たちがざわめいた。
魔力。
それは帝国皇帝にのみ継承される力。
そして、現皇太子アルトだけが皇帝と共有している力。
他国の者にとっては、それだけで理解の外にある存在だった。
だが今、目の前の男は言った。
皇太子から許可されている、と。
「……つまり」
テジナは目を細める。
「あなたは、皇太子の力を借りているわけ?」
「借りている、というより預かっていると言うべきでしょう」
ギルタルは静かに言った。
「私はアルト殿下の右手として動く者です。必要な場で必要な力を使えなければ、役目を果たせませんから」
ギルタルはそう言って、わずかに手を下ろした。
放たれていた魔力が、さらに重くなる。
目に見えるわけではない。
だが、その場にいる者たちは全員、理解していた。
今、自分たちは“押さえつけられている”のだと。
獣の群れは、完全に動きを止めていた。
先頭の獅子の獣でさえ、喉の奥で低く唸るだけで前には出ない。
テジナはその様子を横目で見る。
そして、小さく笑った。
「……なるほどね」
その声には、先ほどまでの軽さが少しだけ消えていた。
「皇太子の力を預かった部下で、この圧。なら本人はどれほどなのかしら」
「殿下が想像されているより、遥かに上かと」
ギルタルは淡々と答えた。
テジナの目が細くなる。
「随分と自信があるのね」
「自信ではありません」
ギルタルは一歩も動かずに言う。
「事実です」
短い沈黙。
その言葉に、テジナは怒らなかった。
むしろ、楽しそうに口元を歪めた。
「いいわね。そういうの、嫌いじゃないわ」
「それは何よりです」
「でも、腹は立つ」
「よく言われます」
テジナは獅子の獣の首を軽く叩いた。
すると、獅子の獣は低く息を吐き、少しだけ姿勢を戻す。
だが、先ほどのような威圧はなかった。
ギルタルの魔力を前に、獣たちは本能で理解している。
ここで暴れれば、勝ち負け以前に“終わる”。
テジナも、それを理解していた。
「いいわ」
彼女は短く言った。
「検査を受ける」
門兵たちの間に、わずかな安堵が広がる。
だがギルタルは、すぐには魔力を収めなかった。
「ご理解いただき感謝します」
「勘違いしないで」
テジナは鋭く返す。
「あなたに屈したわけじゃない」
「では、なぜ?」
ギルタルが静かに問う。
テジナは帝都の奥を見る。
その先には皇城がある。
そして、その奥には皇太子アルトがいる。
「ここで終わるのが、つまらないからよ」
言い切った。
「私は皇太子妃選抜に来たの。門の前で失格になるなんて、退屈すぎるわ」
その答えを聞いて、ギルタルはようやく魔力を収めた。
張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。
風が戻る。
門兵の誰かが、気づかれないように小さく息を吐いた。
ギルタルは表情を変えずに言う。
「賢明な判断です」
「その言い方、本当に腹が立つわね」
「よく言われます」
「直す気は?」
「ありません」
テジナは一瞬だけ黙り、それから声を出して笑った。
「あなた、面白いわ」
「それは光栄です」
「嫌味よ」
「承知しております」
門兵長が慎重に前へ出る。
「では、検査を行います」
テジナは黙って頷いた。
荷の確認。
身分の照合。
従えている獣の確認。
門兵たちは必要最低限の距離を保ちながら、手早く作業を進めていく。
獣たちは大人しくしていた。
ただし、従順になったわけではない。
帝国の力を理解しただけだ。
テジナはその様子を腕を組んで眺めていたが、ふとギルタルへ視線を向けた。
「ねえ」
「はい」
「この選抜、ただの婚約者選びじゃないわね」
ギルタルはすぐには答えなかった。
数秒置いて、静かに返す。
「どうしてそう思われますか」
「門で分かったわ」
テジナは笑う。
「ここは、弱い者が入っていい場所じゃない」
ギルタルは、ほんのわずかに頷いた。
「その認識で間違いありません」
そして続ける。
「この選抜は、皇太子妃を決めるものです」
一拍。
「ですが同時に、帝国の中枢に立つ資格を持つ者を見極める場でもあります」
テジナの笑みが深くなった。
「つまり、戦いね」
「言葉を選ばなければ」
ギルタルは静かに言う。
「そうなります」
その時、門兵長が戻ってきた。
「検査、完了しました。問題ありません。通行を許可します」
「だそうです」
ギルタルが言う。
テジナは再び獅子の獣へ乗った。
そして、門をくぐる直前、もう一度だけギルタルを見下ろす。
「ギルタル」
「はい」
「次に会う時は、もっと面白い話をしましょう」
「必要があれば」
「あるわよ」
テジナは笑う。
「この選抜は戦いなんでしょう?」
ギルタルは答えなかった。
だが、その沈黙が肯定だった。
テジナは満足そうに前を向く。
巨大な獅子の獣が、一歩を踏み出した。
その後ろに、獣の群れが続く。
帝都の門を抜け、アジス獣王国第一王女テジナが帝都へ入る。
遠巻きに見ていた民も、門兵たちも、その場にいた者たちも理解した。
彼女は、選ばれに来たのではない。
勝ちに来た。
そして帝国は、それを拒まなかった。
ただし――帝国のルールの中で。
門前の衝突は終わった。
だが、その場に残った緊張は消えない。
皇太子妃選抜。
それは華やかな婚約話などではない。
各国と帝国貴族が、皇太子の隣に立つ資格を奪い合う戦いだった。




