第65話 晩餐会
次話は明日19時投稿予定です。
晩餐会当日――夜。
皇城の大広間は、静かな熱気に包まれていた。
天井から吊るされた燭台の光が、金の装飾や食器に反射し、柔らかく揺れている。壁に掲げられた帝国の紋章が、その光の中で静かに存在を主張していた。
侍女たちが足音を立てずに行き交う。
料理が運ばれ、酒が注がれる。
だが、この場にあるものは、豪華さだけではなかった。
視線。
沈黙。
探り合い。
それらすべてが、同時に存在している。
中央奥の席には皇帝。
その隣に、皇太子アルト。
年若いはずの少年は、場の空気に飲まれることもなく、ただ静かに座っていた。
視線を一度巡らせる。
それだけで、この場の温度を測るように。
向かい側には各国の代表たち。
ハイトス・タン王。
バイトル・ブリストル統領。
メキシマス・シドル大公。
メラノ・アジス獣王。
そして――エストル樹国の巫女、エリ。
誰もが一国を背負っている。
その事実だけで、この場の重さは十分だった。
やがて執事の合図とともに、宴が始まる。
料理が運ばれる。
会話が交わされる。
だが、それはあくまで“表”だった。
本当に交わされているのは、言葉ではない。
その奥にある意図。
視線。
沈黙。
最初に口を開いたのは、バイトルだった。
「素晴らしい宴ですな」
軽い調子。
だが、どこか試すような響きがある。
「帝国の力というものを、よく理解できる」
周囲が薄く笑う。
ハイトスは短く杯を掲げるだけだった。
だがメラノは違う。
彼は最初から、アルトを見ていた。
あの時の会話。
あの冷静さ。
忘れるはずがなかった。
やがて、皇帝が立ち上がる。
それだけで、空気が変わる。
「よく来た」
短い言葉。
だが、それで十分だった。
「今宵は争う場ではない」
「互いを知る場だ」
静かに座る。
その視線が、アルトへ向けられる。
アルトは立ち上がった。
ほんの一瞬の間。
それから、口を開く。
「来ていただいたことに感謝します」
飾りのない言葉。
だが、まっすぐだった。
「帝国は力を持っています」
「ですが、それは目的ではありません」
視線が一人一人に向く。
逃げ場のない視線。
「求めているのは秩序です」
「人が安心して生きられる環境」
「それを作ること」
静かな声のまま、続ける。
「そのために協力できるのであれば、それが最善です」
一瞬の沈黙。
そして。
「ただし」
空気がわずかに変わる。
「公然と敵対するのであれば」
「その時は、国家として対処します」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
ざわめきが広がる。
恐れではない。
測っている。
この国を。
この皇太子を。
その沈黙を破ったのは、ハイトスだった。
「良い言葉だ」
杯を軽く持ち上げる。
「王として理解できる」
バイトルは微笑む。
メキシマスは何も言わず頷く。
メラノは低く笑った。
「分かりやすい」
それだけだった。
エリは――ただ見ていた。
アルトを。
何かを測るように。
宴は続く。
だがその裏では、別の動きがあった。
ラインハルトは自然にブロドン側と話し始める。
アルノーは周囲を観察し続ける。
モンテリオは細かいところに目を配る。
デストは書類を準備していた。
やがて。
バイトルが再び口を開く。
「一つ、よろしいですかな」
場が静かになる。
「秩序というのは結構ですが」
「それをどう保証するのか」
視線がアルトに向く。
「特に海」
「商人にとっては命です」
完全に試している。
アルトは、少しも間を置かなかった。
「既に動いています」
即答だった。
「デスト公爵が、港の再編を進めています」
デストが立ち上がる。
書類を広げる。
航路。
港。
管理体制。
全て具体的だった。
バイトルの目が変わる。
「……なるほど」
わずかに笑う。
「話が早い」
メラノが笑った。
「悪くない」
「力だけじゃないらしいな」
空気が、ほんの少しだけ変わる。
疑いが、興味に変わる。
その時だった。
扉が開く。
一人の使者が入ってきた。
緊張した顔。
「陛下」
場が凍る。
「外縁部で、小規模な軍の動きが確認されました」
一瞬の静寂。
皇帝は動じない。
「精査しろ」
それだけ。
そして。
「この場は続ける」
アルトが立ち上がる。
全員の視線が集まる。
「今夜、我々は選択肢を示しました」
静かな声。
「どう選ぶかは、各国次第です」
「ですが」
わずかに間を置く。
「秩序を乱す存在が現れた場合」
「帝国は動きます」
誰も言葉を発さない。
だが。
全員が理解した。
この国は、言葉だけでは終わらない。
宴はそのまま終わりへ向かう。
誰も騒がない。
だが、それぞれが考えている。
何を選ぶか。
どう動くか。
夜は静かに終わった。
皇城の外。
帝都の灯りが広がっている。
そして。
アルトは最後に一度だけ振り返った。
その視線の先。
エリが、こちらを見ていた。
わずかに。
本当にわずかに。
その瞳が揺れていた。




