第1話 迷い込んだ世界は
満員電車に揺られていると時々『邪悪な考え』に囚われることがある。
(半分ぐらい死ねばいいのに……)
そうしたら電車も空いて快適になるだろう。
(消滅の呪文!)
もし自分に魔力があったら多分やっちゃうだろう。下らない妄想だと自分でも思う。けどそういうのがないと学校への道のりは乗り切れない。決定的に足りないのはモチベーション。何かひとつでも学校に行く理由があれば随分と違うはずなんだけど。
電車を降りてもテンションは上がらない。それでも通学路へ続く人の流れに身を任せていれば学校までは自動的に運んでくれる。まるで薄汚れた川が落ち葉を押し流すように。
通学路をダラダラ進むと大抵、大通りの信号に引っかかる。そこでいつものように立ち止まると必ずその脇をダッシュしていく連中が居る。青信号は『こっち来んな!』と点滅してるのに、そこに突っ込む奴らはどうかしてる。朝から張り切り過ぎている奴らはきっと朝飯に妙なものを食べたんだろう。
(ああ……なんか面白いことねぇかな)
今日何回目かでそう思った矢先だった。
得体の知れない眩しさと同時に強烈な『立ちくらみ』が襲ってきた。
(やべ……これは倒れる!)
そう直感した。一瞬、前後左右が分からなくなる。まるで真っ暗な箱に放り込まれて箱ごとブン回されてるみたいだ。
(ていうか重力反対じゃね?)
なんだこの感覚? 頭の上に向かって引っ張られる。これって落ちてんのか?
頭から落ちているのは何とか把握した。
(どうなってんだ俺?)
思い切って目を開く。けど完全に手遅れだった。
(ぶ、ぶつかる!)
眼の前に広がるのは白っぽい地面。それが有り得ないスピードで迫ってくる。
(痛っ!)
目から火が出るというのは本当だ。おまけに鼻がスパークした。てか、多分潰れた。
(……モロに顔から落ちた)
鼻血の予感。顔面が『激熱』だ。おまけに視界は赤と白の点滅に占拠されている。
(酷い目にあったな……けど何が起こったんだろ?)
落ちた感覚はあったが原因が不明。まったく身に覚えが無い。
やれやれと思って起き上がろうとした時、上の方から「だいじょうミュ?」と、声を掛けられた。
「いや。それが結構、痛くて……」と、言いながら声のした方向に顔を向ける。
と、その拍子に声の主と目が合ってしまった。そして固まる。
(……何だそりゃ?)
てっきりポスターだと思った。
(何でこんな所に萌えキャラ?)
目の前に漫画に出てくるような美少女が描かれている。マシュマロみたいなでっかい帽子にお姫様みたいな過剰なフリフリ、傘のように広がったスカートのキャラクターだ。だが、次の瞬間に腰を抜かしそうになった。なぜなら……絵が動いたのだ!
「頭から落ちるなんて危ないミョ」
確かに絵の口元が動いたように見える。
(あ、危ないミョ!? 『ミョ』って何だよ?)
美少女の絵は確かに動いたように見えた。これは……アニメか?
(そっか。アニメなんだ。そっか。なるほど)
そう自分に言い聞かせながら改めて少女の周りを見る。恐らく背後にでっかいモニターがあるものと思われ…。
(あれ? 無い。無いぞ? だったらどうやって動かしてるんだ?)
視界がクリアになるにつれて疑問が湧いてきた。これは絵なのか映像なのか?
(白っ!)
やたらと周囲が眩しいとは感じていたが視界がやけに白っぽい。というより背景に色が足りないのだ。遠近感もまるで無い。これは目がイカれてしまったのかもしれない…。
途方に暮れかけたその時、またしても女の子の声。
「珍しいミョ。ダンが失敗するなんてネ!」
またさっきの声だ!
(これは何ていうゲームなんだろう? けど夢じゃないよな。夢でこの思考は有り得ねえし……)
普通、夢なら何の疑問も持たずに話は進行していくはず。だけど今の自分は目の前の事象と現実とのギャップについて考えを巡らせている。
思わず目をゴシゴシこすった。そして何度も瞬きした。しかし、白っぽい視界はちっとも回復しなかったし、目の前の美少女キャラは小首を傾げてこちらを見つめている。
自然と言葉が漏れる。
「ここは……どこだ?」
すると「ミョ!?」と、驚いた美少女の目から小さな星がひとつ『ぴょこん』と、飛び出した。
(漫画かよ……)
つくづく呆れる。そのリアクションはまるっきり漫画かアニメだろう…。
とその時、にゅっと彼女の手がこちらに向かって伸びてきた。
(3Dアニメか?)
そう思いながら反射的に身を引く。が、額に何かが触れる。
「ミョミョ? あたま打ったからかなぁ?」
確かにこの絵は動いている。まるで二次元キャラを無理やり着ぐるみにしたみたいだ。ただ周りに何ひとつリアルな物体が無いので不思議と違和感は無い。
恐る恐るこちらも手を伸ばしてみた。彼女の『ほっぺた』に手を添える。友達の部屋ではじめてフィギュアに触れた時みたいに照れ臭い。けど、手の平には塩化ビニルのようなのっぺりした感触…。
(もうちょっと柔らかければいいのにな……)
そう思った瞬間だった。手の平の感触が明らかに変わった。つるんとして無機質に感じられたそれが急に温かみのある肌の感触に変化した。そこで試しに指で彼女の頬肉を摘まんでみた。すると『むにゅっ』という擬音がどこからともなく発生した。
(『むにゅ』? なんだこの音?)
ますます漫画っぽい。というか現実的に有り得ない音だろう。
(それにしても柔らけえなあ……)
感心していると美少女が「フギ~」と、妙な反応を示した。そして怒り出す。
「もう! 心配して損したミョ~」
ふくれっ面でプンプン怒り出す彼女のこめかみには怒りを示す例のマークが浮かぶ。
「やっぱり漫画だ……」
そこまでのやり取りで確信した。やっぱりこれは『漫画の世界に入り込んだ夢』なんだと。だったら別に悩む必要は無い。物語の流れに身を任せていれば良いだけの話。所詮、目が覚めるまでの『お遊び』だ。そう考えると気が楽になった。元々、二次元キャラは嫌いではないし…。
(そういえばこの子、自分のことを変な名前で呼んでいたな)
そこで正直に尋ねてみる。
「……俺の名前って何だっけ?」
「フギー! やっぱり変だミョ。ダンが故障しちゃったミョ!」
「ダン。それが俺の名前? ださ……」
ちょっとがっかりだ。
「ねえダン! ホントに何も覚えてないミョ? まさかミーユのことも覚えてないミョ?」
そう訴える女の子の絵は涙目だ。そんな彼女の上目遣いに少し胸がときめいた。
(やべ、可愛いじゃねえか! けどこの絵。どっかで見たことあるような……)
漫画、アニメ、ゲーム、などなど。この17年間の人生で巡り合った少女達の記憶を辿る。
そしてハタと閃いた。
(もしかして……)
そこで思い出したのが愛読している漫画週刊誌だ。その中に人気が微妙なのでいつも後ろの方に掲載されている冒険物があった。だけどタイトルが思い出せない。
(何だっけ? 読み飛ばしてたから覚えてねえや)
そこまで出掛かっている答えが出てこない。
(まあ、いいか。そのうち思い出すだろ。でもどうせなら好きな漫画の夢をみたかったなぁ)
少し冷静になって周りの様子を確かめる。するとあんなに色あせた光景だったのがそれなりに着色されている。木々が枝を広げたところには緑が、ゴツゴツした岩場に見える箇所は茶色く、遠方の山間には空の青が、それぞれ収まっている。
(無理やり脳内補完したような感じだけどな……)
そのくせミーユとかいった美少女の服は実にいい加減だった。さっきは白地にピンクだったような気がする。しかし、今はベージュに赤が基調になっている。
(着替えた? そんな訳ないか)
多分、夢の中だから色合いなどは適当なんだろう。
しげしげと景色を眺めているとミーユが袖を引っ張る。
「何、ぽーっとしてるミュ? 頭はだいじょうぶミョ?」
「ああ。何とか」
そう言って額を拭った。顔の痛みは引いていた。が、自分の手の平を見て驚いた。
(ツルツルじゃねぇか! 何だこれ?)
指紋どころかシワ一本すらない。これはこれでかなり気持ち悪い。次いで恐る恐る顔を撫でてみる。
(なんだこれ……)
凹凸が無い。触感もスベスベだ。逆に鼻は高く、頬と顎の境目は角ばっている。
(マスクでも被ってるみたいだな)
自分自身の変化に戸惑っているとミーユが急に大きな声をあげた。
「ダン! 早く剣を拾うミョ!」
「は? 剣だって?」
ミーユの指差す方向に目をやると確かに大剣のようなものが地面に突き刺さっている。
「ああ。あれか。けど、なんかデカ過ぎね?」
確かこの漫画、登場人物がみんな大剣を振り回してたような気がする。そんなことを思い出しながらテクテク歩いて剣を回収しに行く。だけど剣を目の前にして唖然とした。予想以上に大きい。というよりバカだ。
(自分の身長より長いとか有り得ないだろ)
刃の幅は10センチほどだがその長さが酷い。切っ先が地面にめり込んでいるにもかかわらず柄の部分が首より上にきている。
「やれやれ。こんな物でどうやって斬り合えっていうんだよ」
半ば呆れながら剣を地面から抜こうとした。当然、柄を顔より高い位置まで引き上げないとならない。
(重っ! なんだこりゃ?)
切っ先が地面から抜け切るより前に剣がこれ以上、持ち上がらない。
モタモタしてると背後でミーユが催促する。
「早く早く! ドルイマが戻ってきたミュ!」
「んなこと言われたってこんなに重くちゃ話に……ん? 今、なんつった?」
「ドルイマが襲ってくるミュー!」
(なんだ? ダルイナだかドナルドだか知らないけど襲ってくるとか意味不明……)
ミーユが空を見上げてソワソワしているので仕方無くその方向に注目する。すると上空から一直線にこちらに向かってくる物体が目に入った。
「鳥? ゲ! 超デカくね!?」
その姿はまさに巨大な鳥だった。プテラノドンかと見まがうような形状。ただ、頭が尖っていない。というか丸い。
ミーユが頭を抱えてしゃがみ込む。
「さっきの攻撃で完全に怒ってるミュ!」
周りを見回すが隠れられそうな所は無い。つまり戦えということだ。
(けど肝心の剣が抜けないことには話にならないんだけど……)
剣を思い切り引っ張るがどうにも引っこ抜けない。
そうこうしてるうちに急に暗くなった。と同時に突風が押し寄せてきて後方に放り出されてしまう。
(なんだなんだ!?)
訳が分からない。すると『ザクッ!』と、また漫画みたいな擬音がして、すぐ目の前の地面に三本の筋が深く抉られた。そして風は猛スピードで去っていく。見上げると紫色の羽を広げた怪鳥がさっそうと上昇していくところだった。
(ああビビった! 危ねえなあ)
そう思ってミーユの方を確認する。一応、無事なようだ。しかし、このままでは何だかやられてしまいそうな雰囲気だ。いくら夢の中とはいえ、このままやられっぱなしというのもシャクに触る。
「よし! 一丁、やったるか!」と、勢い良く立ち上がったものの…。
はて困った。どうやってこの大剣を使おうか? 漫画ならもっとこう軽々と大剣を振り回してズバッと切り捨てるとこなんだけどな。
(畜生。この剣が重くなければいいんだけどなあ)
そこでちょっと楽観的な想像をしてみた。この青っぽい大剣は恐らく何かの金属なんだろうが見た目よりもうんと軽い物質で出来ていたとしたらどうだろう。
(そうすれば楽に……)
もう一度チャレンジしてみた。すると嘘のように剣がスルリと地面から抜け出た。
(嘘だろ? さっきはあんなに……)
あまりにあっさりと剣が抜けたので拍子抜けしてしまった。しかし今は感心している場合ではない。もう一度上空を見上げるとさっきの怪鳥が悠々と旋回しているではないか。まるで地上にいる自分達に狙いを定めているようだ。
(次、降りて来たらぶった斬る!)
そう心に決めて剣を持つ右手の手首を返す。剣先は自分の頭よりずっと高い位置まで伸びる。青白くスラリと伸びた刃は日本刀のように少し反っていてなかなか格好良い。もっともこれだけ剣が長いと敵に当てるのは難しそうだけど。
(一発で仕留められるかな……でも夢だしな。まあ何とかなるだろ)
気楽に行こう。どうせリスクの無い戦闘なんだからゲームと一緒だ。多分イメージした通りになるはず。何の根拠もないけど。
怪鳥が狙いを定めたらしい。奴はまた急降下してくる。
やっぱり異様にデカい。けど負けていられない。
(カウンターで反撃だ!)
敵の進路に合わせて大きくジャンプする。身体がブワッと浮き上がり、風を切って加速する。ところが飛び上がったはいいが、切るのか突くのかを決めてないことに気付いた。
(やべ……どっちにしようか)
敵とぶつかる! と、思った瞬間、反射的に目を閉じてしまった。それと同時に右斜め上から左下に向かって剣を振り切った……という感覚はあった。
(手応え……有り?)
剣を介して振動は両手に伝わった。『ズバッ!』という擬音もしたように思う。
(凄いリアルな夢だなぁ)
半ば呆れながら目を開ける。が、周りに何も無いのに気付いた。で、下を見る。
「うあっ! 高っ!」
足元に広がるのは地上との圧倒的な落差だけだ。
(まさかここまでジャンプしたとか? 30メートルぐらい跳んでないか?)
振り返ると怪鳥の残骸と思われる物体が二手に分かれて落下するところだった。それを見て自分もそろそろ落ちるなと思いきや、そんな気配はさっぱり無い。
(あれ止まってる? けど、これどうすんだよ?)
今は空中に浮かんだ状態。だけど下りるにしてもこの高さは異常だ。絶対、死ぬ。
(でもどうせ夢なんだから、このまま空飛べるかも?)
ちょっと期待してみたが肝心の飛び方が分からない。前に体重をかけてみたり身体をよじってみたりしたけど何も起こらない。そうこうしてる内に身体が下降していく感覚に気付いた。
(遅っ!)
落下にしてはスピードが遅すぎる。まるで特大のパラシュートをつけているみたいだ。
結局、地面に降り立つまでに3分ぐらいかかった気がする。その間に周りの様子を眺める余裕があったのでじっくりと観察してみた。どうやらここは山に近い森のようだ。特に建造物は見当たらず、道らしい道も無い。ただ、木や岩や自然物のどれもが絵に描いたように質感が無い。というか、どれも存在感が『軽い』ように思える。
手にしていた剣を見て思いついた。
(そうだ。俺の顔!)
刀身をかざして自分の顔を映してみた。てっきり自分の似顔絵を極端に美化したものを想像してた。しかし思ってたのと全然違う。
(これは……カッコイイのか?)
微妙だ。けど二次元キャラとしてはこんなものかもしれない。
複雑な気分で地表に降り立つ。
(ふう。やっと下りられたか)
足裏で地面の感触を確かめながら、ほっとした時だった。
『ボコッ!』という音と同時に目の前が真っ暗になった。
(痛!)
マジで気を失うかと思った。始めは頭に受けた衝撃で首が身体にめり込むかと思った。続いて只事ではない頭痛が襲ってきた。まるで頭のてっぺんから背中まで電撃が走ったみたいだ。
(痛い! 頭が割れる! 何で夢の中でこんな痛い思いをしなきゃなんないんだ? 普通、目が覚めるだろ?)
振り返るとミーユがこっちを睨んでいる。そしてその手にはバカみたいにデカいハンマーが…。まるで祭の時に使う和太鼓みたいなヘッド。見た目100キロ以上はある。そんなものどこから出してきたんだ?
「ひどいミュ! 死ぬかと思ったミュ!」
「……ちょっと待て。何を怒っているのか知らんが、もしかしてそれで俺を殴ったのか?」
そう尋ねるとミーユは『コクリ』という擬音と共に頷いた。
「怪鳥の下敷きになるとこだったミュ」
「そ、それは俺のせいじゃないだろう!」
「なんですぐに下りてこなかったミュ?」
「それは……」
そう言いかけた時、目眩がした。まだ頭が痛い。
(これはマジでやばいな……寝てるところに何か当たったんかな? 待てよ! そういえば何で目が覚めないんだ?)
理由が分からない。そこで試しにいったん強く目を閉じて深呼吸。そして目をカッと開く。
(……何も変わらん)
目の前の光景は何ひとつ変わらなかったし自分をぶん殴ったミーユとかいう女の子も消えてない。
(おかしいな……ここで目を開ければ夢から覚めるはずなのに)
段々自信が無くなってきた。しぶとい夢だなと思う反面、得体の知れない不安感が湧き上がってきた。
(確かに夢にしては感触がリアルすぎる。てか、これで目が覚めないとか俺の身体は大丈夫か? 意識不明の重体とかなんじゃね? 目を覚ましたくてもそれが出来ない状態にあるとか?)
そんな考えが浮かんできてぞっとした。
「どうしたミュ? 師匠のとこに帰るミョ」
のん気にそんなことを言う女の子の顔を眺めながら自分の顔が引きつるのが分かった。
(ふざけんな。さっさと場面、変われ! これが本当に夢ならもっと頻繁に場面が切り替わるはず……)
そこまで考えてある考えが閃いた。
(まさかこれって……夢じゃないのか?)




