その十二 もういちど、こたえをおしえて
ふたりが息を吐いたのは、しゃがむとすっぽり隠れる薄野の群れだった。私は苦しくて、両手をついてしゃがみこんだ。ぜいぜい喉が鳴っていた。貴史もごろんと横になった。
夕暮れ色が消えないうちに帰ったほうがいい。原っぱの向こうからは、コンクリートの道が見えた。その道をまっすぐ歩いてゆけば、迷わず家に着く。真っ暗になってしまったら、電灯の明りしか頼るものがなくなり、ややこしい道に入り込んでしまうかもしれなかった。この辺ではないけれど一度、私たちくらいの小学生を狙った『神隠し』事件が起こり街全体が騒然となったことがあった。
私は息を整えて貴史の顔を見た。寝ているかと思った。目がぱっちりと開いていた。横を向いて顔をそらしていた。
「貴史、起きなよ」
「……」
「寝ちゃだめだよ」
「……ここじゃねしょんべんしても平気だろ」
風は冷たかった。息が上がっているせいか、身体はぽかぽかしていた。私も寒くなかった。貴史の手は黒く、冷たかった。頬も片方だけ赤かった。私は片手を貴史の頬につけてみた。痛んでいる側だった。いてえとうめいて貴史は起き上がった。
「病人にひでえことすんなよ」
「そうしないと起きそうにないんだもん」
「……ほれ、痛いだろ」
さっき貴史が突き飛ばした腕の部分をぎゅっとつかまれた。ぱっかり腕が割れるかと思った。痛すぎる。
「痛い痛い痛い! 貴史の人殺し!」
「でも、泣かねえだろ」
「泣くもんか」
私は黙った。
貴史も私をじっと見つめながら手をゆるめた。またお下げの先をつまんだ。ひっぱりはしなかった。
「なんで泣いちまったんだよ。美里」
「……なんていえばいいかわかんなかったんだもん」
素直になれた。言うこと言えた。
「全部言えばよかっただろ。角田に何されたかとか、言いたいこと、たくさんあっただろ」
「そんなこと言ったら、原因が何かまで、全部話さなくちゃいけないよ。私だって、言いたくないこと、あるんだから」
「図工の時間にやっちまったことか。気にしてたのかよ」
「それに……」
貴史がいち早くバケツの水をかけてごまかしてくれたこと。そこまで口にできなかった。
好きと、と言わない限り、仲良くできなくなる時がだんだん私と貴史に迫ってきているのかもしれなかった。
その時、私は貴史に、『好き』という言葉を言えるだろうか。
想像もつかなかった。あの時、かすかにふれた唇。初めてのくちづけ、そうだったのかもしれなかった。漫画に出てくるような味も匂いも感じられなかった。厚みをもった互いの唇に触れた時、何かが私の中で止まり、うごめいた。唇を通して貴史も動けなくなっているのを感じた。
凍りついた、というのだろうか。
何を意味しているのか私にはわからなかった。
残ったのは、汗の乾いた匂いだけだった。
言葉を濁して私は貴史を見返した。貴史は口を軽く、手の甲でぬぐっていた。視線に気付いたのか、慌ててすすきの穂で手をこすった。
「あ、やっちまった」
「手を切ったの?」
「まあいいや」
照れ隠しだろうか、貴史は明るい調子で尋ねてきた。
「美里、あのまま誰もこなかったら、どうなってたと思う」
「キスだけで終わらなかったら?」
「だから一緒に来るなって、言っただろ」
「でも、私が誰か来たのを発見したから、あの場所から逃げ出せたんでしょ。感謝しなさいよ」
「ばか、あいつら、本見てただろ。妙な格好させられたりしたどうするんだ。全く、美里の発想って理解できねえよ。普通の女子だったら、すぐ言われたとおり逃げるくせにさ」
「どういうことよ。裸になってポーズとらされたりしたかもってこと?」
「あとは自分で想像しろ!」
目が引きつり私はつぶやいた。
「冗談じゃないわよ。あいつら、変態じゃない! でも貴史、どうしてそんなことまで想像できたの?まさか狙って……」
「殴るぞ。ばか」
「まさかよね。冗談冗談」
答えず、貴史はあたりを見渡した。
「美里、ちょっと黙れ。誰か来た」
「あの連中?」
「違う。どっちにしろ、二人でいるのを見られるのは、ちょっとばかしまずい」
貴史の言うとおり、私は薄の陰に身を潜めた。
かさかさかさと、薄のすれる音。
一本だけ手折って、私は貴史の側にぴったりくっついていた。
何度か貴史が、見えないように様子をうかがい、つぶやいているのを聞いていた。
「あ、貴史、今何ていった」
「うるせえ、黙ってろって、言っただろ」
「誰がいるのかだけでも教えて」
「小さい声でもわかるだろ」
ひょいっとしゃがみこむと、貴史はささやき声で答えた。
「窓のばけもの、いただろ。あいつら、木村と藤野だ」
「木村と、詩子ちゃん? なんで、なんで」
教室で一戦交えた後、なにかがあったのか。想像がつかなかった。
「ちょっとな、タイミングが悪かったよなあ。美里が絡むとろくでもないことになっちまう」
ぼそっとつぶやき、
「実はな、今日、あの場所で、木村の奴、藤野を呼び出したんだ」
「どういうこと?」
「そりゃ、言いたいこと、あったんだろ。誰もいないいい場所ないか、って聞かれたから、あの停留所を教えてやったんだけど」
「……もしかして、詩子ちゃんに、とうとう告白しようとしたとか」
「当たり。しかしまあ、よりにもよってってとこだな」
意味がわからず私は戸惑った。
「ちょっと頭の中を整理させて。つまり、木村は詩子ちゃんを、あそこに呼び出して告白しようとしたってわけね」
「その通り」
「でも、私たちがとんでもないことになっていたと。木村はそのこと、知らなかったんでしょ」
「もちろん。知るかよ」
「じゃあ質問。どうして貴史、あの場所に行ったの?二人の邪魔するため?」
貴史は困りきった表情で薄をもう一本、折った。
遠くでふたりぶんの、気配がする。
「六年の奴らから、いろいろなことの落とし前をつけろといわれたから、俺も仕方ないってことで場所を指定したんだ。学校で騒ぐわけいかないだろ」
「おとしまえって、まさか、私のために」
「ばか、そんなわけねえだろ。俺も六年との間ではいろいろあるんだ」
確かに上級生との間でけんかしたことがあるというのは聞いていたけれど。
「それって、角田さんとか、代山さんたちに言われたから?」
「違う。あれ以来、代山は最初から外だ。計画したのは、角田たち女子五人だ」
「いったい、なぜ」
そこが引っかかり、私は首をかしげた。声を潜めたまま貴史も答えた。
「あの女子たちと六年の男子どもとは、どういうわけかわからんけど、つながりがあったんだろうな。俺も知らなかった。てっきり男同士の一戦かと思ってたから」
それは違う、と私は首を振った。
「私に帰れって言ったのは、そういう理由だったのね」
「関係ねえよ」
だんだん状況が飲み込めてきた。
貴史が私をかばったことに、すべての発端があるのだということ。
あの時、私に水をかけてごまかしてくれた貴史を、一部の女子五人は何かの色眼鏡で見つめたのだろう。
「清坂さんがおもらししてたの見たでしょう」などと声をかけたというのは、その辺にも理由があるのかもしれない。
なぜ代山さんは関わらなかったのだろうか。
裏で糸を引いていてもおかしくないのに。
もし、私が図工の時間、ぎりぎりでトイレに駆け込んとしたら、絶対に代山さんのせっまつまった気持なんて感じられなかっただろう。
貴史たちがトイレの清掃札をかけ違えて困らせた時、角田さんもきっと代山さんの気持をちょこっと味わったのかもしれない。代山さんと私とが違っていたのは、側に貴史のような存在がいたかどうか、それだけだった。男子と気兼ねなく馬鹿話できることが、うらやましかったのだろう。
私が貴史の前で大失敗したところを見られても、すぐにかばってもらえたこと。
詩子ちゃんが話していたように代山さんは木村に片思いしていたらしい。
片思いしていた男子の前でトイレに立てなかった。
しかも、大好きな相手からは「しょんべんたれ!」とからかわれる羽目になる。もちろん木村の方も文句はいっぱいあるのだろう。けど、どんなに恥ずかしいことだったか、私にも想像はつく。
一番辛いのは、代山さんだと沢口先生は言った。
私は、自分で始末できないくせにとあきれて見ていた。
でも、自分が同じことになってみて、初めて、代山さんの痛みが伝わってきた。貴史の前で、やらかしてしまいたくない、そればっかり考えていた五時間目の長い時を、私は忘れられない。
代山さんに向かって、
「どうして五年生のくせにトイレにいけないの!」
と責め立てる私に、もうなれない。
自分だけが正しい、こともあるけど、正しくないことも、確かにあった。
貴史は私の考えていることを無視したまま、
「でもな、美里。俺が思うに、代山は角田たちに利用されているだけだと思うぞ」
「おしっこもらしちゃったことを?」
「前から美里が気に食わないと思っていた、ちょうどいいタイミングで、代山のちびりが起こったわけだよな。『人間失格』になりそうになった美里をここでたたかないわけいかないって」
「ああ、言ってたよ。前から私の『正しいことを正しいっていう態度』が気に入らないって」
「代山も、角田たちに同じようなこと思っていたんじゃないか。自分のためにしてやってます、って顔して、実は自分の気に入らない女子をけりいれようとしているだけだって。だから、代山は藤野にあのことを話したんじゃないか」
「え?」
「つまり、藤野しか、本当のことを話せなかったんじゃないか。代山は。藤野はなんだかんだ言って美里べったりだしさ。美里が本当はどういう気持で木村たちに言い返したのか、それを藤野は教えてやろうとしたんだろうし、だから代山も本心を、藤野にしゃべったんだろうし」
あの時言った。詩子ちゃんは「代山さんから聞いた」と。
「ということは、詩子ちゃん、私が木村に文句言った時の本心を、代山さんに伝えてくれたってこと?」
「直接話をしたってことだから、それしか考えられないだろ」
「そんなあ、私知らなかったよ」
「だから、美里」
貴史は両方お下げの端をひっぱった。そのままの髪の毛は風にかき混ぜられからまっていた。顔と顔をまじかに、肌の匂いを感じない距離で。
じっと瞳を重ねた。
「美里が全部しゃべってしまったほうが、けりついていいんじゃないか。そりゃ、まあ、教室でちびってしまったとかで恥ずかしいっていうのは、俺もわかる。でも、お前のことだもん。言い返せるだろ。かなわねえよ。不死身の女だし」
「でも、勝ち目ないよ。あの沢口先生だよ。角田さんの味方じゃない」
「人間失格、にもこだわってるのかよ」
「そう。私、何もできない、トイレに行きたいって言うこともできない、立つこともできない、馬鹿女って言われるのが関の山よ。そんなことになったら、私」
切り出せなかった。一番怖い。貴史にも、言えない。
「沢口の顔におびえてる奴まで味方にしたいのかよ。みんながみんなお前の味方になるとは思わないけどな。でも、まあ、みんながみんな敵になることだけはないだろ」
「……貴史、あのね」
私は最後の不安を切り出した。
「そのこと話したら、絶対言われるよ。清坂さんって、赤ちゃんですねって。あんなとき、立てるわけないのに。誰だって、がまんできなくなったら仕方ないのに。わかんないくせに」
おさげをまたひっぱり、今度は交互に遊ぶ貴史。
「本当はそれだけじゃないだろ」
「どうして?」
「俺だったら、誰が残ってくれるか、それだけを心配するだろうな」
あっと、言葉に詰まった。私は何も言えずにうつむいた。寒くなった。
貴史の視線が痛かった。見つめられて私も唇をかんだ。
寒いけど、言うともっと寒くなりそうでいやだった。
「さっき、お前が盗もうとした手紙、誰からきたのか当ててみな」
手がお下げから離れた。さっきと同じだった。膝と膝を突き合わせ、いつのまにか正座していた。無理やりじゃない。そうしたくなっただけ。
少し考え、指を折った。
「……詩子ちゃん。そうでしょ」
詩子ちゃんはずっと貴史のことを思っていた。見抜いたつもりでいた。
詩子ちゃんが書いたラブレターかもしれなかった。
男子をガキっぽいと言った詩子ちゃん。
初めて好きになった男子が貴史だったなんて信じられなかった。
波だった心を隠せなかった。
「木村、かわいそうだね。ずっと詩子ちゃん好きだったのに、別の奴が好きだって言われちゃうんだろうなあ。貴史、あんた詩子ちゃんにどう答えるの」
「お前、勘違いしてるだろ。だから美里に説明するの嫌だったんだ」
「だって、それ、貴史あてだよね」
「俺あてならみんなラブレターなのかよ」
はああ、と貴史はため息をついた。
「まあ、木村は言うだけのことは言ってるだろ。大丈夫かって聞きたくなるくらい藤野のこと考えてるみたいでさ。大抵だったら俺もからかうけど、あそこまで真剣だったら、協力したくもなるぞ」
「告白するようけしかけたのは貴史だったのね。でもどうするの。ミイラがミイラ取りになっちゃったら」
「だから、何度も言っているだろ。藤野は俺なんかに気なんてねえよ。藤野が一番気にしてるのは」
じゃあ、なんだったんだろう?貴史になんであんなにくってかかったんだろう?わけがわからなかった。
一生懸命考えた。
貴史になぜ、靴箱に手紙を置く必要があったのか。
貴史はなぜ、私に見せたくないと必死に奪い返そうとしたのか。
「破り捨てるような内容だったのね」
あのかさかさ丸まった紙くずの転がる姿が思い浮かんだ。あんなに貴史が怒ったから、一行も読まないでしまった。
詩子ちゃんが貴史に宛てたラブレターでないとするならば、ああ、なんだろう?
「一度しか、俺、言わねえからな」
貴史はそっと、耳にかかるお下げ髪を持ち上げて、ささやいた。
「美里をひとりじめするのは、おねがいだからやめて」
暗く乾いた空気が、遠くの景色を幻にした。
ぽつりぽつりと明りが灯り始めた。私は虫に刺された手足をかきむしりながら、薄野を出た。
すでに詩子ちゃんと木村の姿はなかった。せっかくだったら告白のゆくえがどうなったかも知りたかったのだけど。明日、ゆっくり聞き出してみよう。
「けど、なに勘違いしてるんだろうな。俺と美里、そんなにくっついているように見えるのかなあ」
「ぜんぜん思わないけど」
「だよな」
あす、私はことのおこりをすべてを話そうと決めた。。
角田さんたちにされたことはもちろんだけれど、なぜ私が代山さんに向かってそういうことを言ったのか、その理由もきちんと、人の前で話そうと思った。
決して、代山さんを馬鹿にすることなく、ただ、私の本心でもって。
「でもね、貴史、あのことは言わないよ」
暗闇の中でよかった。顔が勝手に火照ってきた。
「あのことってなんだよ。俺、全部忘れた。カメラで証拠取られたわけでもないだろ」
貴史の表情も見えなかった。私は一本の横髪のお下げを自分でつまみ、振ってみた。
「あ、あいつら、まだいるぞ。木村たちだ」
私の頭を力いっぱい押さえて貴史は再び叢にしゃがみこんだ。私も平べったく伏せた。
かなり動き激しく走っている。さすが木村、サッカー部のフォーワードだ。
「こんな時間までいるってことは、うまくいったんだろうなあ」
「いや、もしかしたら俺たちを探しているとか」
「やだよ、見つかったら何言われるかわかんないじゃない」
「じゃあ、だまって隠れてろ」
詩子ちゃんと木村ははあはあと息をつぎながら、私たちのいる場所の一メートル先に立ち止まった。
「さっき、清坂の声が聞こえたって言ってたよな」
「そう、今もこの辺でなんとなく。空耳かしら」
「俺もさっき、羽飛らしき姿を見たような」
「あの二人、やっぱりいつも一緒なのね。頭に来るな。羽飛のことしか信じてないって感じでしょ。美里って。だから私もたまに頭に来るんだよね」
「あのさあ、藤野」
「え?」
「結局、あの、藤野は、清坂以外、関心ないのか」
「まさか、そんなことないけど」
「俺は同じくらい、藤野のことが関心あるけど」
「え、よくわかんない」
「羽飛と清坂みたいな、ああいう感じに、俺もなれないかなって」
しばらく呆然とした。
貴史をつつき、声をださずにお互い指を立て合った。
「あいつら、こんなところで言うなよな」
「なあにが、羽飛と私みたいに、よ!」
「どうする、どうやって抜け出す?」
「気付かれないようになんて絶対、無理よ」
「かくなる上は、開き直るしかない!」
瞬時に貴史の考えが読めた。
「オッケー、わかった、つきあうよ」
目で合図をして、「せーのーで!」と掛け声をかけた。
ぎょっと振り向く二人。
「ごめん、全部聞かせていただきました!」
立ち上がり、ふたり同時に頭を下げた。
「盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどね」
「お前ら、もっと早く結論だせよ。時間たっぷりあっただろ」
「では、お先に失礼します!」
口をあんぐりあけて、何かを言おうとしている木村。私は両手を合わせて、「ごめん」と一礼したのち、背を向けて走ろうとした。いきなり後ろに抱きつかれた。
「美里、美里ってば、どうしていっつも羽飛ばかりにくっついてるのよ!どうして私に何も言ってくれないのよ! 私、停留所でひどいことされてる美里見て、泣いちゃいそうだったんだから」
「詩子ちゃん……」
「木村と一緒に美里たちがどこにいるか、必死になって探してたのに、どうして隠れてたのよ。しかも、ずっと羽飛と!」
「ごめん、詩子ちゃん。私は詩子ちゃん信じるからね」
詩子ちゃんの目からは溢れんばかりに涙が膨れ上がっていった。大泣きするのも時間の問題だった。なだめてもむだみたい。
「本当よ、もう、羽飛にだけなんてこと、絶対言わないでね!」
涙ぼろぼろと崩れる詩子ちゃんを支えた。私は貴史と木村の顔を交互に眺め、答えを求める視線を送った。どうしようどうしよう。
「俺たちを探す暇あったら、木村。どうして言っちまわなかったんだよ」
「だから、清坂。さっきまでずっと、清坂以外の話題でてこなかったんだよ」
木村は明らかにがっくりきた表情で一言、そえた。
「ということで、最初から、仕切りなおしだ。清坂、お前がもう少し隠れてれば……!」
「私のせいじゃないわよ! 何が、貴史と私みたいによ! もう、好きなら好きってはっきり言いなさいよ。情けない」
詩子ちゃんは聞こえているのか、いないのかわからないまま。美里の肩にもたれかけ、泣きつづけていた。
「わかった。木村。今度は美里のいないところで、再アタックだ」
貴史はにやにやしながら木村の顔を眺め、ぽんぽんと肩をたたいた。
あすもなんとかなるだろう。
お互い泣きじゃくった後には涙の貯蔵庫に水がたまるのと同じように。
頬の涙の後を指でこすった。貴史に手を振った。腫れた頬をさすって貴史も笑っていた。
たがいを思い会った傷跡はまだ、私と貴史のほおに残っていた。
ふたりの時間は、まだおわらない。
終