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「すげえ……」


 おもわず、そんな感想が漏れてしまった。よくテレビにでてくるお金持ちの邸宅を絵に描いたような家であった。庭は広く、レンガ造りの西洋風の住宅は三階建て。俺の語彙力では説明しきれないところがあるがそれはまさしく大きな家であった。しかし、この家だけが特別といった様子はなく、むしろこの大きさが普通といった感じであった。まさしく、この界隈は高額納税者が住まう高級住宅街というやつだった。

 俺は建築の類に興味はあまりないので普段ならば家の一つや二つを見ただけで歩みを止めることはないのだが、今回ばかりは事情が違った。インターホンの側に取り付けられた表札――そこには『SHIRAKAWA』と記されていた。そう、ここは紛うことなき白河ゆなさんの住む家であった。

 なぜ、彼女の家を訪ねたのか、ということを述べる前にまずはどうやって彼女の家の場所を知ったのかということを述べなくてはならないだろう。といってもそれは単純な話で、彼女の家をどのようにして知ろうかと思案していた際に美術部の一年の後輩(といっても俺が彼のことを後輩と言っていいのかは分からないが)がいわゆる富裕層に位置する家の出身であることを知り、ダメもとで聞いてみたらビンゴ、という具合である。彼女が富裕層の家の娘であることはなんとなく予想していたのである意味、簡単なことではあった。いやらしい話であるが両親ともに法曹の家がお金持ちでないはずがない。しかも調べてみるとなんと、彼女のご両親は有名な法律事務所を経営しているというではないか。確定である、彼女のおうちはお金持ちだ!


 インターホンを押す。ピンポーンという静かな音が鼓膜を刺激する。変な汗が額からぷつぷつと湧き上がっていることに気づいた。それが緊張によるものであることは自覚していた。ただでさえ初めて誰かの家に行くという行為に緊張する気質なのにそれが女であるのならなおさらである。無論、女の子の家に遊びに行った経験は一度もなかったので心臓は張り裂けそうなほどに強く鼓動を打っていた。しばらくして「はい」という短い声が聞こえる。幸い、それは白河さんのものであるのは間違いようのないことであった。それくらいに緊張感のもった凛とした声なのだ。この家の存在を知ったせいかその声には今までには特に意識しなかった気品のようなものが感じられた。


「俺だけど」と短く返事をする。


「様子を見に来た」


 要件を短く伝える。


「……帰って」


 しかし、帰って来た返答は冷たいものであった。その静かな言い方に思わずドキリとしてしまう。彼女の話し方は時に何かを見透かすような雰囲気を出すので話し手としてはやや委縮してしまう。しかし、俺は引きさがらない。図々しいと分かっていても俺はしっかりと声に出す。


「開けてくれ」


「なぜ?」


「話したいことがあるんだ、いや、聞きたいことがあるんだ」


「なら今ここで言って」


 どうやら彼女は俺と顔を合わせたくないらしかった。いや、彼女サイドからは俺の表情が見えているのだろうけど。


「頼むよ、後生だ。直接会って話したいし聞きたいんだ」


「私はあなたに話すことなんて一つもないし、あなたが聞きたいことも答える気なんて一つもない。そんな義理もない」


 彼女の言っていることは正しいのかもしれない。俺の言っていることはただの自分勝手な我が儘なのかもしれない。俺の要件は今ここで言ってもいいことなのも確かだ。しかし、だ。それでも俺は直接彼女に話したかった。彼女の目の前で彼女の目を見て話をしたかった。彼女の声を聞きたかった。


「そこで何をしているんですか?」


 ふいに、後ろから誰かに話しかけられる。その声にはわずかに聞き覚えがあった。一言二言聞いただけであるがなんとなくそれが誰の声であるかは分かった。振り返るとそこにいたのはこんな暑い夏にも関わらずぴっちりとスーツを着た男――白河ゆなの父親であった。


「偶然、家に資料を取りに来たらうちの前で何やらもめていらっしゃるようでしたから……うちの娘に何か御用でも?」


 その目はたしかに俺を静かに見透かそうとするものであった。下手な嘘だとおそらく確実にバレるだろう。それはまさしく彼女の見透かしの上位互換といえた。法曹界の最前線を行く実力は本物なのだと確信できた。この男に嘘はつけない、それは純粋な恐怖でもあった。


「事によっては警察に連絡してもいいんですよ。さあ、お話しください」


 少し彼の口元が笑顔になるのが怖かった。まるで白を黒に、黒を白にもできるのだぞと言われているような気分になる。相手よりも絶対的に優位な立ち位置にいようとしている感じだ。どれもこれも――はっきり言って気にくわなかった。


「いえ、違うんです。俺はただ彼女と話をしたかっただけで……。いえでも! 決して彼女のストーカーといったものでもなくてですね。なんというか、その……」


 上手く言葉が出てこない。あまり弁がたつ方ではないのでより怪しい人物になっていっているのを止めることもできない。そうでなくとも、弁護士に弁で勝利するなど無理な話なのだが。


「ふむ、なんだか君の姿には見覚えがあるような気がします。おお、そうだ。あの時ぶつかった子だね、歩き読書をしていた。とすると君は娘と同じ大陽高校に通う生徒ですか?」


「は、はい! そうです」


「となると考えられるのは部活の子か補習の学生ということになるけど、口調的に君は娘と同じ三年生のようだからおそらく娘と同じ補習の生徒であると推測しますが……何か相違していることはありますか?」


「いえ……まったくもってそのとおりです。ちなみに、白河さ……ゆなさんとは現代文の補習で同じでして」


「急に補習に来なくなった娘を心配してわざわざ来てくれた、と。こんなところなんでしょうね。まったく、あの子も隅に置けない……青春とはこのことですね」


 彼は微笑んで言った。そう言われるとなんだか恥ずかしかった。こういうのを人は青春と呼ぶものなのだろうか――なるほど、青春というものは案外、当人は気づかないものであるらしい。


「ですがやはりもめてらしたのは間違いないご様子。どうです? この後時間があるなら中でお茶でも」


 それは願ったり叶ったりだ。断る理由を探す方が難しい。この男と二人でお茶というのははっきり言って嫌であるがこの家に入れるというのは好都合だ。「それがあなたの望みなんでしょう?」とでも言いたげな彼の表情はあまりいただけないが。


 豪奢な外観ではあったが中は比較的、普通であった。普通というのはこの場合、高そう壺が置いてあったり絵画が壁にかけてあったりしているわけではないということである。少し驚いてしまったがよく考えると壺や絵画に興味のない富裕層が存在してもおかしくないのだ。なるほど、お金持ちのイメージをテレビ番組に植えつけられているのかもしれない。メディアに踊らされるのが一般人の世の常である。

 やがて、オシャレなティーカップに淹れられた紅茶と綺麗に盛り付けられたクッキーが運ばれてきた。家政婦さん的な人物はいない。紅茶を淹れたのもクッキーを盛り付けたのも全て白河さんの親父さんだ。彼の紅茶を飲む姿はとても絵になっていた。なんとなく、そう思ってしまった。

 さて、何を話したものか。白河さんの部屋を聞き出したいがそんな直接的に聞いて教えてもらえるはずはないだろう。いや、彼にそんなごまかしは通用しないだろうからむしろ直接聞いた方が効果的なのかもしれないが。


「ゆなさんはお部屋なんですかねー」


 自分でもなぜ、そう言ったのかは分からないがそれについての詮索は控えるとしよう。何はどうあれ結果が全てだ。掘り下げたところで俺がそう言った事実は変わらない。

 彼は少し笑って言った。


「そんなに娘に会いたいですか?」


 顔が少し暑くなる。彼女の父親にそんなことを聞かれるとなんだか気恥ずかしい気分になった。


「いえ、そういうわけでは……いや、そうなのかもしれませんけど」


「でも今日はもともとあの子に会いに来たんですよね?」


 どこまでも核心を突いてくる。いや、俺が見え透いた行動をしてしまっているだけなのだが。すぐに墓穴を掘ってしまうのは俺のコミュニケーション能力の低さの表れなのかもしれない。

「……はい」とおとなしく観念する。今日、俺は何度彼に白旗を上げているのだろうと考えると悲しくなってきた。


「正直に言ってしまうと私は少し嬉しいんですよ。昔から友達とかあまりできない子でしたから親としては心配になってしまうものでして」


 彼女自身はまったく気にしていない様子に見えたがやはり親は違うらしい。当たり前だ、自分の子供が独りなのを喜ぶ親がいるはずがない。少なくとも、俺はそう考えることが親の義務であるとすら思っている。


「せめて、何か共通の話題を見つけてほしくて本や漫画を読ませたら……これがまた変に拍車がかかってしまったらしく、気が付いたら本が友達のような人間になっていました。こんなことになるなら本なんて勧めなければよかったとなんと思ったことか……」


 白河父が力なく嘆息する。自分の行動が娘をさらに孤立させる原因になったなんて親としてさぞいたたまれなかったことだろう。彼とぶつかってしまった時に俺の本を見て複雑な表情を見せたのはそのためだったのか、と納得する。第三者の視点からいうと別に彼が責任を感じる必要はないようにも思えるが。それはともかくとして、である。


「俺……読書好きの視点から言わせてもらうと本のせいで白河さんがああなってしまったとはあまり言ってほしくないです。少なくとも、彼女自身は本というすばらしいものに出会わせてくれたあなたを感謝しているはずです」


「そうかもしれません。いや、きっとそうだ。……でも私はそれでも本という物を好きにはなれないんですよ。あれがあの子をあんなふうにしてしまったのは否定のしようもないことですからね」


 なんて頭の固い親父なんだ!

 思わずそう叫びそうになった。こんな頑固な父親だから娘がああなるんじゃないかと言ってやりたいくらいだった。

 白河さんがああなる――それはきっと彼女に友達がいなかったり、急に話や感情の向きや意図が変わったりする冷静系情緒不安定のことを言っているのだろう。極めつけはテストの全教科白紙提出という愚行だ。しかも、そのせいで補習になったあげく、その補習にも来ないというなんとも救いがたいことまでした。しかし、その全てを本のせいにするのは許せない。それこそ愚行というものだ。


「だから……だから彼女の将来まで干渉するんですか?」


 俺は言ってやった。彼の眉がピクリと反応するのが見えた――どうやらビンゴらしい。


「それはどういうことかな?」


「とぼけないでください。彼女の進路希望調査。あの字は彼女のものじゃあない!」


「どこでそんなものを見たんだい?」


 マズい、と思ったが俺は彼だけには公明正大に言い訳ができることに気づいた。


「このまえぶつかった時にちらりと見えたんですよ。こちとら彼女の字は補習で何度も見ているんだ。俺の指摘は間違いではないはずだ!」


 白河父が苦しそうな表情を見せる。実際に優勢な立場にあるのは俺の方であるらしかった。その証拠に仕事柄で自然にそうなるのであろう彼の敬語が失われてしまっている。口調の変化は心の動揺と同調しているのである。根拠は特にない。


「はあ……」


 白河父が頭をかかえる。そしてすべてを洗いざらい話し始めた。


「たしかに、そのとおりです。あれは私が記入しました。あの子もそれを知っています。私に対して反発もしました。そもそもテストを白紙で提出したのも補習を受けているのもそれを勝手にサボるようになったのも全部、私に対しての反抗だったのでしょう。そして、あの子は今も私に対して反抗し続けている。……ここ最近は口もきいてくれません」


「じゃあなんで……」


 彼ほどの人物が、いや、親ならば自分のやったことがどれだけ子供の心を傷つけたのかなんてことくらい分かるはずだ。

 なのに。なのに、どうして。

 彼はそんなにも平然としているのだろう。どうして罪悪感を抱かずにいれるのだろう。


「これはあの子のためでもあるんですよ」


 押し寄せる怒りの波に飲み込まれそうあった。これが彼女の父親でなかったら殴りかかっていたかもしれない。


「ふざけるな……! あんたのやったこと娘の人生を自分勝手に決めつける行為だ」


「決めつけ結構。子供に嫌われるのも親の役目というものだ」


「あんたはそれでいいのかよ」


「ああ、まったくもって問題ない。反抗期など誰にでもあることだ。たとえそれが私のせいであってもそれは全てあの子のことを思ってのことだ。いずれあの子は私に感謝するだろう」


「ああそうかもな。最終的にはそうなるのかもしれない」


 子供はどんな親でも好きになるし、嫌いにもなる。それらを全て含めて親に感謝の意を示すのが子の役目というものなのかもしれない。


「……けどよ」


「まだ何か?」


「長い目で子の幸せを見るだけじゃなくその日その時の喜びや幸せを考えてやるのも親の役目なんじゃないですか」


 彼は押し黙った。しかし、すぐに言葉を見つけたように口を開いた。


「……そうかもしれない。たしかにそういうものなのかもしれない。だけど、だ。私はあの子には……ゆなには幸せになってもらいたい。それだけが望みなんだ。彼女が幸せになる未来を君は否定するのかい?」


「違う! 俺はそんな仕組まれた、作られた幸せを自分の今の本当の幸せを押し込めてまで生きるのは違うんじゃないか、ということを言っているんだ!」


「仕組まれた、絶対に幸せになる未来の何が悪い! 人生、誰だってどこか譲歩したり本当の気持ちを押し込めなくてはいけないときがある」


「本当の気持ちを押し込める、それを親が教えてどうするんだよ! たとえそうであっても本当の気持ちと向き合うことを教えてやるのが親ってやつじゃねえのかよ!」


「君の言っていることはまだ自立もしていない子供の意見だ。それはただの君自身の勝手な主張ではないか!」


「主張結構! 自分勝手もおおいに結構! たしかに俺は自分の親ともまともに向き合えていないガキだよ! あんたの目には俺は自分勝手に駄々をこねるガキにしか映らないんだろうよ。そんなこと分かっているんだよ! けどよ、そんなガキな俺の目でもあんたは自分勝手に娘の人生を左右するクソ親父にしか見えないぜ!」


 ハアハア、と息が切れる。それはあちらも同じのようだった。思えば俺はとんでもないことをしているのではないか。人の家庭の事情に勝手に文句をつけて、教育方針や考え方にまでケチをつけるなんて失礼千万この上ない。


「……君はあの子がなりたいと思っている姿を知っているのか?」


「知らねえよ。でも、少なくともあんたみたいな弁護士とかそういった類のものではないだろうな」


 この男が本当はどんな人物なのか。そんなことは特に知りたいとも思わないがどうやらそこまで法曹にこだわっているわけではないらしい。彼はそう言いたいがためにそんなことを聞いてきたのだろう。


「画家だよ」


 彼は短くそう言った。


「今年の春にそれを聞いたときは驚いたよ。絵なんか趣味で描いているだけかと思っていたしね。それに特に才能があるとも思えなかった」


 彼は軽く深呼吸した。息が荒いでいるから一呼吸おかないと話すのが辛いのかもしれない。


「画家なんて才能がものをいう世界だ。そんな世界にあの子が飛び込んでどうする。画家で生計がたてられる人は一握りもない。そんな不確かな世界に身を投じようとするのは親として見過ごすわけにはいかんのだよ」


 彼の言っていることは間違いではない。

夢破れることの方が多い世界であの子がやっていけるはずがない、そう思ってしまうのも仕方のないほどの世界だと思う。


「彼女と話をさせてください」


 俺はただそう言った。

 何か心に変化があったのか、そもそも最初から止めるつもりはなかったのか――彼は無言のままそれを止めなかった。




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