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 電話がかかってきたのは白河さんが補習に来なくなって二度目の補習からの帰宅中だった。電話の相手は花山だった。


『もしもし、僕だが』


「ああ、ひさしぶり。元気か」


 そんな何気ない挨拶を交わす。


『ああ、おかげさまで一応、な。でもなかなかに忙しいのも事実だ。おもに予備校とか』


「間違いない」


 俺の場合は補習であるが、勉強という意味ではどちらも大差ない。圧倒的に違うのは目的くらいのものである。


「おまえから電話をかけてくるなんて珍しいじゃあないか。いや、初めてのことかもしれん」


 冗談などではなく、わりと本気で。花山は俺とは違い、用があればたとえ学校であってもクラスの国境線をまたいで直接言いにくる。他クラスの教室に入るのに勇気を必要としているのは俺だけじゃないはずだ、たぶん。まあ、花山はそれこそ俺とは違い、たとえ他クラスに入ったとしても嫌な目で見られることは皆無といってもいいほどないのだが。むしろ、そんな視線を浴びることになるのは話し相手の俺の方なのである。しかし、そんなのはいつものことなので別に気にもとめない。花山祐樹と飯田奏斗が釣り合わないのは自他共に認める事実だし(花山は除く)、そんな視線にさらされるのも慣れっこだ。


『そうかもしれないな。僕が用を話すときはいつも君が近くにいてくれたからな。夏休みだろうがしょっちゅう会っていたし。そう思うとあれだな。仕方のないこととはいえ、君にこの夏一度も会えていない受験生としての年を恨んでしまうな』


 そこまで言われると照れてしまう。

 俺も会いたいよ、と言いたかったがその言葉はすんでのところで飲み込んだ。彼に限っていらぬ勘違いはしないだろうが、そこまでダイレクトに気持ちを伝えるのはなんだか恥ずかしかった。花山のようにもっと気持ちを表現できていればもう少し生きやすかったかもしれない。


「で、何の用なんだい?」


 本題に入れるように促す。


『用がないと話しかけ……』


「おっと、それは誤解だ。そんなはずないだろう? 俺だっておまえが電話をかけてきてくれたというのはそれだけで嬉しいことなんだぜ? それを拒むことなんてまさに悪の所業、絶対にそんなことしないさ」


 花山が「なんだよ、照れるじゃないか」と言って笑う。俺も言っていて少し恥ずかしくなってきたので笑ってごまかした。


『ふむ、君はいささか補習という窮地に立たされたことで人間としてなんだか柔らかくなったとみえる』


「そうなのか?」


 自覚はない。けれど補習になってからいくらかの人々と出会い、様々なことを知る機会が増えたのもまた事実だ。大切な友達も二人ほどできた。


「花山、俺はある意味恵まれているのかもしれない」


 あの時、ひょんなことから友達になった葉渡唯音という人物を思い出す。

 あの時、ひょんなことから友達になった新子八雲という人物を思い出す。

 そして――補習に来なくなった彼女のことを思い出した。


『何をいまさら』


 花山が小さくため息をし、つづける。


『君が誰と比較してそんなことを言っているのかは知れないけど、あまり人に対してそう悲観的になるものじゃあない。僕はね、思うんだよ。誰だって、たとえ恵まれていないと人に思われるような人でも実はどこかで恵まれているって』


 俺はしばらく考える。

 俺は今まで自分のことを恵まれていない人間だと思っていた。しかし、今はそれほど不幸でもないと感じている。数々の出会いに伴い、数々のことを知っていったからなのか。やはりそんな人たちと出会い、自分はまだマシだと安堵したためなのか。後者の方は比べられた側からすると失礼極まりないだろう。しかし、それもまた事実だ。俺は自分はそこまで不幸ではないと安堵していた。それは浅はかなエゴではないだろうか。



 葉渡唯音は不幸者だ。

 かつては友達がたくさんいたのに父親の転勤で引っ越したとたんにそれらをすべて失った。高校に入学し、嫌われ者の巣窟と言われる図書委員にも入る羽目にもなった。彼女にとってはまさに踏んだり蹴ったりであっただろう。しかし、そんな彼女も嫌われ者になる元凶となった家族には恵まれているのかもしれない。それは俺の知る由のないことだ。しかし、彼女を不幸だと決めつけるには、俺は彼女を知らなさすぎる。


 新子八雲は不幸者だ。

 彼に至っては体質のせいで学校という場所にすらまともに通えていた時期がない。高校も中退、この世の中で中卒というのはさぞかし苦労も多いことだろう。友人もおらず、半強制的に昼夜逆転という生活を強いられている。しかし、彼は(彼を本物の新子八雲だとするならば)いまや知らない人などいないほどの超人気作家である。人生を変えてくれたという店にも、物語にも出会った。それらは本当に不幸なことなのか――それを知るにも、俺は彼を知らなさすぎる。



「そうだな、そうかもしれない。いや、きっとそうなんだ」


 俺は口を開いた。


『長い間があったと思ったら随分と曖昧な返答だな』


「まだ俺にはそれくらいの返答しかできないってことだよ」


『そうか』


「やっぱりおまえはさすがだよ」


『そうでもない。僕も知ったかぶりしているだけなのかもしれない』


 またまたご謙遜を、と言おうとしたがそんなこと、俺には知る由もないことなので黙っておく。


『親友が成長していくっていうのは特に理由もなく嬉しいものだな。そして同時に僕もがんばらないとな、なんてことを思ってしまう』


「俺はおまえにいつも学びっぱなしだよ」


『僕もだ。君が思っている以上に僕は君を信用している。その信用につけこむつもりはないのだが、その信用ついでに一つ、頼みがあるんだ』


「頼み?」


『そう。この場合は本題というべきなのかもしれない。僕としたことが用事を伝えることなくうっかり電話を切ってしまうところだった』


「それは危なかったな。で、なんだ?」


 花山が一呼吸おいてから話し始める。


『実は三日後に僕の妹の誕生日があるんだ』


「愛乃ちゃんか、それはめでたいな。たしか次は十五歳だったよな」


『ああ、よく覚えていてくれたな』


「親友の妹君の誕生日を忘れるはずないじゃないか」


『……確か君、二月前の僕の十八歳の誕生日を忘れていたよな』


 少し、彼の声のトーンが低くなるのを感じた。怒ってはいないのだろうが、まだ根に思っていたのか――あれほど謝ったじゃあないか。


「そ、それはもう水に流そうじゃあないか。とにかくめでたい! 盛大に祝ってやらねば、だな!」


『うむ、そう言っていただけると一人の兄として君という親友をもったことを誇りに思うぞ』


 花山が満足そうに言う。どうやら機嫌をなおしてくれたらしい。


『で、そのことで妹の誕生日会をひらくこととなったんだが……今日になって急にその主役が君をご指名なんだ』


「つまり、あれか。俺はいま唯音ちゃんに自身のお誕生日会に招待されているというわけだね?」


『理解が早くて助かる。で、どうする。別に無理に強要するつもりはない。僕も含め、君だってそれと同じくらいに忙しいのは僕が一番よく分かっているつもりだ』


「そりゃあどうも」


『だが一人の兄としてはそんな特別な日くらいはその願いを叶えてあげたいと思ってしまうのもまた事実なんだ……』


「そりゃあ、そうだ。もちろん、行かせてもらうよ」


『!』


 花山が驚いている様子なのが電話越しでも伝わって来た。たったひとりの妹のために忙しいと分かっている親友に対してもここまで丁寧にお願いしてくる人を、粗末に扱うことなどできるはずがない。


『ありがとう、僕も妹も幸せ者だ。感慨無量、喜びを禁じ得ないぞ』


「そりゃあどうも」


『して、その日時なんだが、日は先程もいったとおり三日後だ。時間はそうだな、君も補習があるといけないから夜、七時くらいにしようかと考えている』


「その配慮はひどく助かる。実はお察しのとおりその三日後は俺も補習があってな。ちょうど、どうしたものかと考えていたところだったんだよ」


 よかった、と安堵の息を漏らしてしまう。補習に来なくとも、きっと余裕で追試をクリアしてしまう白河さんと違い、絶賛ピンチの部類に入っている俺にとって補習の時間はかなり重要だった。屈辱的ではあるが、俺はどうやらかなりの危険域にいるらしかった。奥村曰く、「最後の最後でつまずく人間はたいがいこうなる」とのことだった。


『杞憂でなくてよかった。では、夜からということでよろしいか?』


「ああ」


 よろしいどころか願ったり叶ったりというやつである。


『で、だ。いわゆる誕生日プレゼントのことなんだが……』


 花山が申し訳なさそうに話してきた。


「皆まで言うな。それくらいもちろん分かっている。俺だってそこまでケチじゃあない。もちろん持っていくさ」


 誕生日プレゼントというのはきっと一生忘れられない大切な思い出になる。俺自身、中学生のときに花山からもらったキーホルダーはいまだに机の引き出しに大切に保管してある。「使えば?」などとよく言われたりするが滅相もないことである。使うのがもったいない、そういう気持ちを大切にするのが誕生日プレゼントの一つの形ではなかろうか。


『い、いやいや! いい、別に問題ない。君が来てくれるという事実だけで僕や妹にとって最大のプレゼントになっている』


「いやいや、その気持ちは本当にありがたいけど、正直そういうわけにもいかないだろう。おまえが思っている以上に誕生日プレゼントを他人様に送れるなんてことは案外、名誉なことなんだぜ?」


 一人っ子であり友人も少ない俺にとっては誰かに誕生日プレゼントを送ること自体が珍しい。そういえば、両親、親戚、花山以外にそれを送るのは初めての経験かもしれない。


『……本当に僕と妹は幸せ者だと思うよ』


 花山は心底、感謝しているらしかった。親友冥利に尽きる。

 ふと、そういえば、と思う。


「あのさ、一つ折り入って頼みがあるんだけど」


『? どうした、何か不都合でもあったか』


「いや、そうじゃないよ。単純にちょっとだけ面白いことを思いついただけさ」


 花山は『ふむ……』と思案し始めた。


『君のその面白いこととはなんだろうか、と考えてみたが残念ながら答えがでなかったよ。答え合わせを願う』


「いや、それは当日になったらのお楽しみ、ということで。当然、悪いことはしない。むしろ、愛乃ちゃんなら喜んでくれるんじゃないかな」


 再び、花山が思案する。


『まあ、別にそれならばかまわないが……』


「じゃあ、決まりだ。楽しみにしていてくれ。きっと面白いことになる。しかし一応、それが不可能になることも頭に入れておいてくれ」


『一体、何を考えているのやら……』


 花山がため息をつく。答えは思いついた時から決まっている、面白いことだ。



「じゃあ、当日に」といった言葉を残して電話を切る。

 花山や愛乃の驚く声が目に浮かぶようだった。そうなると善は急げだ、と思う。

 俺はスマートフォンを操作し、その思いつきを実現するための手はずを整える。そして、それから個人的に愛乃に送る誕生日プレゼントについて思案した。具体的にいえば『女の子が喜ぶプレゼントランキング』とグーグル検索するのであった。




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