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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第七章「運命 Das Schicksal」――九月二十二日
41/62

5.

 目の前で起こった爆発の規模から察するに、姉さんの攻性魔法はそれほど破壊力の込められたものではなさそうだった。それでもまともに食らったら無事では済まないところだったろう。

 私を救ったのは、堅固な防御障壁だった。眼前に展開されたその障壁は、私と術者自身の体を覆って十分な面積を持っていた。

 それを成した張本人は背後に滞空していた。

「……どうしてあなたが?」

「さっき恵真(えま)ちゃんがものすごい精神感応(テレパシー)波出したでしょ? 何か起こったのかと思って」

 そう返事をよこしたのは、空中に浮かぶ夏用制服姿の高校生――一条伽那(かな)だった。

「具合はもういいんですか?」

「さっきも言ったでしょ。もう熱はないし、大事をとってただけだって。後でユキさんに怒られるだろうけど」

「……何はともあれ、助かりました」

 標的であるはずの一条に救われたことは屈辱的だが、今はどうでもいい。優先すべきは姉さんだ。そちらに目を向けると、姉さんとの距離はいつの間にかずいぶん開いていた。東に向かっている。

 追うべきか――いや、追うべきなのはわかっている。

 でも、姉さんの先ほどの攻性魔法に、姉さんから生まれて初めてぶつけられた拒絶の意志に、私は尻込みしてしまっていた。今の姉さんと対峙するのが怖かった。

 そんな私を、一条が叱咤した。

梓乃(しの)ちゃんを追うよ!」

 そう宣言し、先に立って追跡を開始する。

 見ちゃいられない飛び方だ。彼女たちは飛行の魔法を習得していないのだ。ならば一条がなぜ飛べるのかと言うと、念動力(テレキネーゼ)で自分の体を浮かせているからだった。魔力のロスが大きく、彼女のように潤沢な〈(ゲフェース)〉の容量に恵まれていないと、到底実用に供さないやり方である。

 そんな追い方をするよりも、一条にはやってもらいたいことがあった。

「一条、この距離で念動力を作用させられますか? 姉さんを足止めできますか?」

 差し伸べられたその手を振り払わなかったのはなぜだろう。どうしたことかこの時の私は、彼女が力になってくれることを微塵も疑わなかったのだ。

「うん、やってみる」

 一条はその場に静止して両手を前に向け、その強大な力を行使した。

 私はその傍らを抜け、追跡を再開した。

 百メートルほどの距離まで、三十秒で詰め寄ることができた。一条の念動力はしっかり作用していた。姉さんはその力場を破り、前に進んではまた新たな力場に捕らえられていた。

 これまでの戦いでよくわかっている。一条の念動力は単純だが厄介だ。

「姉さん!」

 さらに接近を試みながら、声をかける。姉さんはこちらをちらりと振り向いた。

「ぐぎ、ぎぎ……」

「姉さん……?」

 ぎょっとした。この距離からでも把握できた。私を捕捉するその瞳から、知性の光が喪失していた。

 パジャマ姿のその背中が、何の前触れもなく爆ぜた。

 むき出しになった肩甲骨の辺りが盛り上がり、肉と皮膚を突き破るようにして生え出たもの――それは、一対の黒い巨大な翼だった。

 猛禽類のような、あるいは色にさえ目をつぶれば宗教画の中の天使のような形状の翼。血と粘液に塗れたそれが広がりきり、まとわりついたものを振り払うように大きくはためいた。黒い羽毛が舞った。

 こんな魔法知らない。

 これは魔法ではない。

 その証拠に、姉さんの〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉は先ほどまでの何倍もの大きさになっていた。開放率が、ではない。〈モナドの窓〉そのものの大きさが変化したのだ。

 姉さんは今度は一条の念動力を苦もなく振り解くと、障害など一切感じさせることなく、一路東山目指して飛んだ。

 私は考えをまとめることのできぬまま惰性でその背を追った。

 あの翼……見覚えがある。あれと同じものを、私はどこかで……。

 変貌を遂げた姉さんはこちらよりはるかに優速だった。徐々に引き離されながら、私はぼんやりと記憶の奥底に想起の糸を垂らしていた。

 脳内にフラッシュバックする光景は、城主様(へリン))拾われる前のもの。拾われる直前の最後の記憶。

 視界の隅を覆ったあの翼……。



 ※※

「これはどういうことですか、閣下?」

 指定の時刻を大胆に無視して会議室に足を運んだ彼女は、スクリーンに映写された光景に驚き、詰問した。

 翼を広げたノエシスと、それを追うノエマ。よりにもよってなぜこの二人の様子が窃視されているのか。

 盟主もさすがに後ろめたいのか、肩をすくめて視線を逸らした。

「念のためと思って君の弟子たちにも東京支部経由で黄紫水晶を送っておいたんだ。昨日の彼が失敗したし、今回の会期中にはもう無理かな、と思っていたんだけど、さっき東京支部の方から連絡があった。京舞原市内で凄まじい精神感応波を観測、とね」

 そして映じられたのがこの光景だったとのことである。

 そのノエシスの姿に、彼女は唇を噛んだ。彼女の十年来の、できれば的外れであって欲しいと思っていた予感が当たっていた。

 テーブルの下で、そっと手を伸ばす。盟主の握る黄紫水晶を奪い取ろうとしたが、ガードされた。

 その瞬間の魔法の攻防にも、その後に交わされた精神感応にも、他に気づいた者はいなかった。

『おっと。お叱りは後で受けるよ』

『……本気で怒りますよ』

『これでも感謝して欲しいのだけどな。近隣の魔術師をかき集めて隠蔽と結界張りに当たってもらうことにしている。今のあの子たちの様子じゃ、そこまで気が回らないだろう? それから、必要以上の接近は無用と命じてもらっているから安心してくれていいよ』

 彼女は反論できずに俯いた。

 いずれにせよ、この場で彼女がしてやれることはない。できることと言えば、二人がこの試練を乗り越えてくれるよう祈ることだけだ。

「正魔術師ともあろうものが、〈夜の種〉に体を乗っ取られるとは」

 フランス大法官が吐き捨てるように呟き、師たる彼女の方に抗議がましい視線を向けてきた。

 たしかに、〈夜の種〉の中には人間の身体に憑依し、意のままに操る者もいる。その際に肉体的変化を起こさしめる者もいる。

 だが彼女の方はと言えば、そういう解釈もあるのか、と逆に驚いていた。

「……だそうだが、何か言い分はあるかい?」

 盟主は一転して悪戯っぽい笑みを彼女に向けた。彼も気づいているのだ。

 ――言い分はある。だが、それをこの場で口にするわけにはいかない。

「いいえ、閣下。何もありません」

 映像の中のノエシスはどことも知れぬ山中に突入していった。



 ※

 おそらくは一分ほど姉さんに遅れ、私は東山の山頂近くに降り立った。

 自らの速度を制御できずに斜面に衝突したものと見え、姉さんの着地点の周囲では何本もの木々が薙ぎ払われていた。

 本来であればすぐにでも駆け寄るべきであったのだろうが、私の脚は凍りついたように動かなかった。私の眼前で、うずくまる姉さんがさらなる変容を始めていた。

 黄褐色の組織が汗腺から滲み出るように増殖して体表を覆い、それが何層にも重なって巨大化していく。着込んでいたパジャマは瞬く間に裂け、さらに数秒の後には姉さんの体は完全にその肉によって包み込まれて、さらに膨れ上がる。辺りに何かが腐ったような臭いが漂い出した。

 その光景を呆然と眺めながら、私はひとつの結論にたどり着いていた。

 ――もう疑うことはできない。

 遅れてやって来た一条が私の傍に着地した時には、目の前の形姿のどこにも姉さんの面影を見出せなくなっていた。



 ※

 携帯電話に伽那からの着信があったとき、詩都香(しずか)魅咲(みさき)と共に下田市を散策していた。

 宗瑞伊勢新九郎盛時――すなわち後の北条早雲――の軍勢から逃れた最後の堀越公方、足利茶々丸が、ここ下田市の深根城に籠もって抵抗したという逸話がある。郷土史研の一行はそれを口実にやって来たわけだが、市街地から離れた深根城は後回しにすることとし、午前中はひとまず近場を巡る自由行動となった。午後に備えてか、珍しくご機嫌な様子の佐緒里がどこからかまた実測道具を取り出して点検しているのを見て、詩都香は冷や汗をかいたものである。

「昨日は酷い目に遭ったよ。半日立ちっぱで測量のお手伝いだもん」

 隣を歩く魅咲が口を尖らせた。

「そりゃ災難ね。ま、貴重な体験ができたんじゃない?」

「そだね。郷土史研にだけは入るまいと改めて決意できた」

 そんな風にしてひとしきり魅咲の恨み言の相手をしている内に、二人の間にふと沈黙が降りた。

 詩都香はさっきまで一緒にいた由佳理のことを思った。

 仲直りした詩都香と魅咲に気を遣ってか、由佳里は今日は上級生たちと回るとのことだった。詩都香としては、それを嬉しく思うとともに、羨ましくもあり、悔しい気もする。勝手に人見知り仲間と思っていた由佳理が、新しい人間関係にひらりと飛び込んでいけるだけの強さを持っていたからだ。

「よかったじゃない、詩都香」

「何が?」

 にわかにかけられた言葉の意味を判じかね、問い返す。

「ん、由佳理が入ってくれて、さ。部長にならずに済みそうじゃん。あの子ならきっとあんたよりもずっと上手く部をまとめてくれるでしょ」

 つき合いが長いだけあって、魅咲は詩都香のひねくれた心理をよく理解していた。少々面白くない。

「ふん、だ。どうせわたしはダメな女ですよ。でも二人じゃいずれにしろ副部長職は回避できないなぁ。魅咲、やっぱり入らない?」

「だからヤだってば。あたしは気楽な帰宅部生活を満喫するの」

 取りつく島もないとはこのことである。

 本人の言うとおり、詩都香の交友関係の中で、魅咲だけが部活動に参加していなかった。

 伽那はなぜか文芸部に所属している。もっとも、不活発この上ない部員で、死霊だか生霊だかわからないが。

 楽なイメージがあるのか、文芸部には田中も所属している。伽那の話では、割り当てられた本棚をライトノベルで埋め尽くして女子部員の顰蹙を買っているそうだ。その田中は漫画研究部をも兼部しており、そこには吉田と大原もいる。

 そして驚くべきことに、誠介までもが入学後二ヶ月にして文芸部に入ったことで、魅咲はクラスでただ一人の帰宅部員となったのである。こちらも伽那とどっこいどっこいの幽霊ぶりだが、一応原稿はちゃんと出しているとか。伽那狙いに切り換える気だろうか、と当時の詩都香は疑ったものだが、当の本人は「楽そうだから入った」としか言わなかった。

 魅咲なら誠介の魂胆を知っているかもしれない――そう考えた詩都香は、いい機会であるし尋ねてみることにした。

「ねえ、魅咲――」そしてすんでのところで思いとどまった。「……ここでも温泉入るの?」

 昨日の今日で誠介のことを話題にするのは、やはり気まずかった。

「そりゃあ、下田温泉には入んなきゃね。温泉レポート書くって部長さんに言っちゃったし。あんたもつき合いなよ?」

「ええ? 着替え、宿に置いてきちゃったよ」

 一度脱いだ下着を洗濯せずにもう一度身に着けるのには、どうにも抵抗がある詩都香だった。

「買えばいいじゃん。そろそろ店開くでしょ。あんたに合うサイズがあるかわかんないけど」

 魅咲は事も無げに言う。しかも一言多かった。

「もう。魅咲がそういうこと言うから、うちのアホが図に乗るのよ」

「なになに? 『お姉ちゃん、相変わらずちっちぇーなぁ』なんて言って触ってくるとか? 琉斗(りゅうと)も思春期だな~」

「下品なこと言うな!」

 そんな真似をしてきたら平手打ちでは済まさないつもりである。

 二人はちょうどそこでペリー・ロードにさしかかった。連休だけあって、そこそこの人出があった。

「なまこ壁って、なんかちょっと気持ち悪い名前だよね」

「そう? コリコリして美味しそうじゃない。魅咲ん家のお店でも出してんじゃないの?」

「あんたはまず食い気かい。それにあれは干してあるしさ。ほらこの形、うろこ壁とかでもいいじゃん」

「なまこ壁をうろこ壁って呼ぶこともあるみたいだけど、別にあるのよ、もっとうろこっぽいのが。神戸のうろこの家とか」

 などとなまこ・うろこ談義をしていると、スカートのポケットに入れていた携帯が「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲」を奏でた。

「あらら、伽那だ」

 やっぱり一人ぼっちで寂しいのかな、とのんきに構えて通話ボタンを押す。「桃缶に文句があるなら天城越えのCDにするよ」などと告げるつもりだった。

 しかし、電波が伝えてよこしたのは雑音交じりの涙声だった。

『詩都香! 詩都香! 助けて!』

 伽那らしからぬ緊迫した声にただならぬ気配を察した詩都香は、魅咲を伴って路地裏に駆け込んだ。

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