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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第七章「運命 Das Schicksal」――九月二十二日
42/62

6.

 ※

 私は呆然とその巨体を見上げていた。

“姉さん”は、私の目の前で体をひと揺すりすると、天に向かって大口を開けて吼えた。

「ぐぅるおおおおおおぉぉおおおぉぉぉぉおおーーーーッ!」

 慌てて耳を塞ぐ。その音の波は辺りの木々を震撼させ、落ちるにはまだ早い緑の葉を舞わせた。

 姉さんは四足獣に変容していた。といっても、現生のいかなる動物とも似ても似つかない。

 胴体は一般的な民家を超える大きさ。鉤爪を具えた五本の指はその重量によって大地に食い込み、脚の太さは大人が手を巡らせてもまだ足りないほどだ。

 体毛は一本もなく、代わりに血管のようなものがそこかしこで体表を貫き、半透明の膿のような液体をぬらぬらと分泌している。

 形態自体には漸新世の雑食哺乳類を思わせる所もあるが、その巨大さは次元を異にするものである。それに加えて、尾部からはペットボトルくらいの太さの尾が数十本単位で生えている。

 こんな生物はどの時代に遡っても存在しない。魔術師の中には変身の魔法を得意とする者もいるが、こんな変化はありえない。

 私たちが物心つく前に持っていたという強力な異能、両親から捨てられた理由――全ての断片が、パズルのピースのように整序されていく。最後に、一条邸で会ったあのメイドの姿が浮かんだ。

 結論はひとつだ。

「――〈夜の種(ナハトザーメ)〉」

 私は力なく呟いた。

 姉さんは〈夜の種〉なのだ。双子である私も、たぶん。

 かぱっ、と “姉さん”がもう一度口を開いた。白濁した唾液が上下の顎の間で糸を引く。自然界の獣には見られない乱杭歯が互い違いに生えていた。口腔内は体表と同じ黄褐色。その奥から覗く咽は黒々とした深淵だった。

 その口内に、にわかにオレンジ色の光が宿った。

 攻性魔法だ。それも、私がこれまで見たこともない規模の。

 標的は――疑いようもなく私。

 諦めが私から気力を奪っていく。

 仕方ないのかも、と思ってしまった。

 これは罰だ。魔術師のくせに、否、〈夜の種〉のくせに色恋沙汰にうつつを抜かしていた私と姉さんへの。私たちの想いは揃って破れ、姉さんは正体を失い、私はその魔法で消滅する。

 諸手を挙げてその運命を受け入れようと思った。防御障壁を張ろうという気さえ起こらなかった。

恵真(えま)ちゃん! 早くこっちに!」

 上空で誰かが声を張り上げた。

 私はうすぼんやりとしたまま声の主に目を向けた。言わずと知れた一条伽那(かな)だった。私に退避を勧めている。

 ――いいんですよ、もう。

 私は力なく首を振った。

 姉さんが〈夜の種〉であれば、〈連盟(リーガ)〉は討滅のために魔術師を送り込むだろう。何しろ近代以降でここまで巨大な〈夜の種〉は珍しい。しかもこんな人口密集地で、だ。

 そして最も手近で最も高位の魔術師がその指揮を執ることになる。

 ……誰あろう、私だ。そんな任には耐えられない。

“姉さんが”口内から魔法を解放しようとしたその瞬間、

「こんのおおおぉぉぉぉッ!」

 猛々しい雄叫びとともに、一抱え以上もある大岩が“姉さん”の横面を捉えた。

 その衝撃で照準のズレた攻性魔法は、私の右ほんのニ十メートルほどの斜面に着弾。

「きゃあっ!」

 死すら覚悟していたはずなのに、無様な悲鳴が漏れた。灼熱の光条は地面を容易く融かし、溶岩の飛沫を周囲に飛び散らせた。その熱と衝撃波を受けて、私は木の葉のように吹き飛んだ。

「はぶっ!」

 私の体は柔らかいものに受け止められ、背後からは押しつぶされたような呻き声が上がった。

 上も下もわからぬまま地面に叩きつけられようとしていた私を救ってくれたのは、今度も一条だった。私を受け止めた際に打ったのだろう、鼻の頭が少し赤い。

「大丈夫、恵真ちゃん?」

 抱きすくめられた姿勢のままだった私は慌てて離れようとして、そこが空中であることに気づく。飛行の魔法を行使し、やっと一条の手から逃れた。

 下を見れば、“姉さん”の攻性魔法の凄まじさが目に飛び込んできた。着弾点を中心に数本の樹木が倒れ、炎上している。洞窟のように穿たれた直径一メートルほどの穴は、赤々とした溶岩を滾々と垂れ流していた。

 惨事はそれだけに留まらない。山肌に開いた穴の延長線に沿うように、白い煙が上がり出した。

 土中を貫通していった魔法の熱が、その上に根を張っていた木々を容赦なく発火させつつあるのだ。煙の帯は遥か南東の相模湾の際まで続いている。あの破壊光線は三キロあまりの砂礫を溶融させて海に出たらしい。

「大変……!」

 普段はぼーっとしたところのある一条が、にわかに血相を変えた。そして制服のポケットから携帯電話を取り出し、方々に電話をかけ始めた。

 ――必死なその姿を見ている内に、段々と忸怩たる想いがこみ上げてきた。

 どうして諦めようとしたんだろう。しかもそのせいでまた一条に助けられた。

 私は自分の頬を両手でぱちん、と叩いた。そうやって気持ちを切り替えてから、〈(ゲフェース)〉に働きかけ、大量の魔力を引き出した。

 今の“姉さん”なら、この街を三十分足らずで灰に変えてしまうだろう。私たちが〈夜の種〉だって関係ないじゃないか。街にはたくさんの知己がいる。もう十分にこの地に愛着を感じている。守らなければならない。それができるのは、魔術師である私だけだ。

“姉さん”の変身だって、不可逆のものとは限らない。決定的な被害を出す前に止めてあげられば、あるいはまだ救いようがあるかもしれない。〈連盟〉の魔術師が派遣されてくるまで、姉さんを元に戻せば……。

 当の“姉さん”はと見遣れば、両の目を瞑ってぶんぶんと頭を振っている。どうも、自分の攻性魔法の威力を測ることもできなかったようだ。まともに爆光を直視して一時的に視力を失っているものと思われた。

「可哀想な姉さん……」

 その姿からは、普段の利発さは微塵も窺えなかった。

 一条は通話口に向かって何やらわめいている。その姿を視界の隅に捉えながら、私は腹を決めた。

 姉さんを救うためなら、何だって利用してやる。たとえ標的だってかまうものか。

 まずは――

「〈極冷波ティーフキュールヴェレ〉!」

 最大級の氷雪系魔法を、“姉さん”の穿った洞穴の入り口に向かって両手から放つ。十数ケルビンの冷気の波は、流出した溶岩を凝結させ、さらに穴の内部で荒れ狂う。急激に冷やされた岩石が崩れ落ちて開口部を塞ぎ、奥から流れ出てきた溶岩を巻き込んで固まった。これで数時間はもつだろう。後は、〈連盟〉から派遣されてくる魔術師たちに任せればいい。

 そして私はそれまでに、姉さんを元に戻さねばならない。

 ようやくのことで視力を回復しつつある“姉さん”の視線が、ねめつけるように私たちに向けられた。



 ※

 電話の向こうの伽那は、しゃくり上げるようにして訴えてきた。

『すぐ帰ってきてよ。あんなのと戦えないよぉ』

「ちょっとちょっとっ、全然状況がわかんないわよ。どうしたの? 魔術師?」

『ううん、〈夜の種(ナイトシード)〉。すごく大きい。十五メートルくらいありそう』

 怪獣か! と詩都香(しずか)は思わず心の中で叫んだ。それほど巨大な〈夜の種〉など、聞いたこともない。

「そんなに大ごとなら、〈リーガ〉の連中が動くんじゃない?」

『間に合わないよぉ。向こうの魔術師が出てくるまで待ってたら、街がめちゃくちゃになっちゃう。さっきユキさんに電話して聞いたら、〈モナドの窓〉を開いた魔術師が大勢いるけど、こっちに向かう様子は無いって。詩都香ぁ、どうしよぉ……』

 たしかに、〈リーガ〉が〈夜の種〉を排除する時の動きはまちまちだ。巨大組織の宿痾と言うべきか。

 だが、それ程大規模な事態であれば、もうとっくに動いてもいいはずだ。どうして今回に限ってこんなに遅いのか。近場に魔術師がいないのだろうか。それとも、討滅に向かって既にやられたのだろうか。

「……そうだ、ノエシスとノエマがいるじゃない。こういう時くらい役に立ってもらわないと」

『それが……』伽那はしばし言いよどんだ。『恵真ちゃんは一緒にいるんだけど、梓乃(しの)ちゃんの方はどこにもいないの。こっちに飛んできたはずなんだけど。わたし、それも心配で……』

 詩都香も思わず最悪の想像をしてしまい、それから、いや待て、あいつらは敵なんだし別に最悪ってわけじゃ、と合理的に自分を戒め、でもやっぱり年下の女の子が〈夜の種〉に殺害されちゃうなんてのは最悪だろう、と思い直し……とにかく自分の感情に振り回されて惑乱した。

 しかしやはり電話では状況がよくわからない。

「で、あんたは今どこにいんのよ?」

『東山。いつも梓乃ちゃんたちと戦ってる工業団地の近く』

「その〈夜の種〉は街に向かいそう?」

『わかんない。……なんか、こっち見てる――わわっ!』

 いきなりの大声に、詩都香は思わず電話機を耳から遠ざけた。ザリザリと不快な雑音がそれでも伝わってきた。

「どうしたの? 大丈夫?」

『なんとか。わたしの方を狙ってまた口から変なの吐いてきた』

「ゲ……原子熱線砲、とか?」

 伽那の表現があまりにもあれなので淑女にあるまじき汚い連想をしてしまったが、危ういところで口に出すのを踏みとどまり、誤魔化した。誤魔化すために最初に出てきた名詞がなぜロリシカ共和国の新兵器だったのかは、彼女自身にも謎である。

『よくわかんないけど、なんかそんな感じの光線。――また来た!』

 再び雑音が混じる。強烈なビームで電波がかき乱されているようだ。

「伽那を狙ってるの?」

『わかんないよぉ。詩都香ぁ、助けてぇ』

 伽那はもう半泣きだ。

「泣かないの! 得意の念動力(テレキネシス)でそいつを足止めできる?」

『ダメ。フルパワーでやっても五秒ともたなかった』

 今の伽那では打つ手なしか。

「……ねえ、今のあんたの手には余る相手なのよね?」

『無理だよぉ。でも、わたしと恵真ちゃんで何とかしないとぉ……』

 そうだ、伽那だって魔術師の端くれだ――詩都香は決断した。

「伽那、よく聞いてね。わたしは今下田にいる。今すぐそっちに向かうけど、どう頑張っても一時間半はかかる距離。でも必ず行く。だから足止めをお願い。空中に留まって、相手の射線が俯角をとらないようにしなさい。それから、できれば東山の稜線の向こうに誘導して。街から見えないように」

『そんなの無――』

「あれをやりなさい」

 無理とは言わせない。

『でもぉ……』

 なおもぐずる伽那に、詩都香はもう一度発破をかける。

「あんたも魔術師でしょう? やりなさい。でも、絶対に無理しないでね。魅咲に代わるから」

 詩都香は魅咲に携帯を差し出した。

「話はわかったけど、やらせたくないなぁ」

 魅咲はそうぼやきながらも携帯を受け取った。

「あ、もしもし。うん、あたし。……はぁ、ま、しょうがないな。伽那、やっちゃいなさい」

『……わかった。わたし、やる』

 その言葉を最後に通話が切れた。

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