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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第五章「彼女たちの行動を静かに語らいつ Ruhend von ihren Taten」――九月二十日
25/62

2.

 郷土史研究部の面々とその友人一同は、一度部室に集まり、教師陣の車に分乗して西伊豆に向けて出発した。

 詩都香(しずか)は担任の綾乃の車に割り当てられた。その他の同乗者は四人。同居する親から綾乃が借りてきたという八人乗りの大型バンなので、座席の余裕はある。詩都香と魅咲(みさき)と由佳里は、後部座席の後列に乗り込んでいた。

「にしても、伽那(かな)は残念だったね」

 と、右隣りの魅咲。

「まったく。一番張り切ってたのにね」

 幼少のみぎりの病弱さを克服した伽那だから、風邪を引くなんて近頃では珍しい。

「何かお土産買っていきましょう」

 左隣の由佳里もそんな殊勝なことを言う。先日は妙な対抗心を剥き出しにしていたが、カラオケパーティの成果か、魅咲とも伽那とも打ち解けていた。

「伽那って何喜ぶのかな。前にあたしが宮城の温泉で買ってきた提灯は不評だったけど」

「鳴子温泉だっけ? 提灯ってふた昔前の定番ね。ていうか、鳴子なのにこけしじゃないんだ」

「母方のじいちゃんが観光地の提灯集めてたからさぁ。んで、何にする?」

「天城越えのCDとかどうでしょう?」

 あまりにもズレた由佳理の提案に、詩都香と魅咲は顔を見合わせてしまった。冗談なのか本気なのか判別できない。

 こほん、と咳払いを入れてから、詩都香が仕切りなおす。

「風邪引いてるんだから、桃缶でいいんじゃない?」

「高原さん、それはひどいです。せめてもっと伊豆っぽいものを」

「じゃあ、わさび缶?」

 そんな伊豆名物があるかは、詩都香も寡聞にして知らないが。

「缶入りの粉わさびがあるじゃん。缶詰から離れなよ。伊豆名物っていったらさあ……ええと、お魚とか?」

「ユキさんなら美味しく料理してくれそうだけど、お土産っぽくないなぁ。地元にも漁港あるしね」

「詩都香が食べるんじゃないでしょうが」

「一条ってのは食いしん坊キャラなのか?」

 前列の席から奈緒が尋ねてきた。奈緒は助手席に座ろうとしたのだが、慣れない車だから万が一のことを考えて生徒たちは後部座席に座って欲しい、という綾乃の主張を容れて、詩都香から見て左斜め前の席に収まっている。

「……どうでしょう? むしろ食べてから後悔して恨み言を吐くタイプかも」

 魅咲が答えようとしないので、詩都香が応答する。雰囲気が悪くなるから、そういう硬い物腰はやめてもらいたいところだった。

「食べはするのか」魅咲の態度には頓着せず、奈緒は声を上げて笑った。

「――まあ、名物なんてのは今どきどこでも買える。むしろ、実際に足を運ばなければ買えなかったであろうもの……たとえそれがいわゆる名産品じゃなくても、そういうのがいいんじゃないかな」

「郷土史研の精神にも通じるものがありますね」

 由佳里がうんうんと首を縦に振った。

「松本さん、わかってきたじゃないか。その通りだ。全国区のメジャーな品よりもローカルな逸品を。まさに郷土史研の根本精神だよ」

「で、部長さんのおすすめは?」

 魅咲がようやく口を開いた。

「……さあ? 何せ私も西伊豆に行くのは初めてだからな。北山先生、どうだろう?」

「どうかなぁ。西伊豆になんて行くの、中学校以来だもん」

 ハンドルを握る綾乃が振り返ることなく答えた。

「佐緒理は?」

 後部座席の前列右側、車外の風景を眺めている副部長に話が振られた。

「わたしも初めて。意外と行く機会なくて」

 初瀬(はつせ)佐緒理は車窓から視線を逸らさなかった。この副部長は口数が少ない。

「まったく、近くて遠い隣県だな」

 奈緒が肩をすくめる。

「でも詩都香は夏に伊豆行ってきたんじゃなかったっけ? ほら、隣の都県全部制覇したって言ってたじゃん」

「そうなんですか、高原さん?」

 由佳里が身を乗り出してきた。

「うん、まぁ……」

 その勢いに、詩都香は思わず反対側の魅咲の方に体を寄せながら答えた。

「自転車でね」

 せっかく濁そうとしたのに、魅咲が余計なことを言う。

「自転車!?」

「そ。こいつは結構いい自転車に乗っててね。たまに思いついたように百キロくらいどこかに行っちゃうの」

「へ~っ。高原さんって、インドア派かと思っていたら案外アクティブなんですね~」

「お前は相変わらず趣味に生きているなぁ」

 由佳里が感嘆の声を上げ、奈緒はくっくっと笑いを噛み殺した。

「せ、制覇っていっても、県境超えることで満足してたし、伊豆は長岡までなんですよ。箱根がキツくて心が折れちゃって、帰りは輪行でした」

 詩都香はつい言い訳がましくなる。

 ちなみに詩都香が乗っているのは、高校の入学祝に買ってもらった女性向けクロスバイクである。お祝いに何か買ってやろうと言う父に自転車をねだると、ひどく意外そうな顔をされた。

「ということは、結局のところ現地に着いてのお楽しみってところだな。私の琴線に触れるものがあることを祈ろう」

 六人を乗せた車は九郎ヶ岳丘陵地帯を貫通するトンネルに入った。

 詩都香はそっと目を瞑り、手を合わせた。

 放課後のドライブはまだ始まったばかりだった。



 ※

「まいったまいった。いつまでもあっついわー」

 姉さんがブラウスの襟元をつまんで風を入れた。制服の夏用上着は学校を出た途端に脱いでいる。

 たしかにアルプスの北では、九月も半ばを過ぎると朝夕の気温がぐっと下がる。年によっては寒いと言っていい日さえある。

「まったく、熱帯かっての」

 そうぼやいて犬のように舌を出す姉さんを、すれ違った男子高校生のグループがちらちらと振り向くのが見えた。

 ……姉さんと一緒だと周囲から注目される気がする。

 無理もないか。冗談みたいによく似た二人が連れだって歩いているのだ。服装だって二人とも同じ学校の制服だし、見分けづらいにもほどがある。

 あるいは単純に、流暢な日本語を話す金髪の娘が珍しいのかもしれない。

恵真(えま)、次はどこにしよっか?」

 ――放課後。私は姉さんの買い物に付き合わされていた。水着を買いに行くという話だったはずなのに、だいぶ歩き回らされている。そのくせ、目的のものはまだ買っていない。

 そろそろ陽が落ちそうだった。

 姉さんはともかく、私はこの街のショッピングスポットにあまり詳しくはない。それに、特に欲しいものもなかった。

「駅裏のモールにしませんか?」

 あそこなら私も退屈せずに済むかもしれないと思って提案すると、姉さんはしばし考えてから同意した。。

「……そだね。行ってみようか」

 ショッピングモールへの道すがら、私は今日聞いた話を姉さんに報告した。

「どうも今日から高原たち三人は旅行に行くみたいです。三泊四日で伊豆巡り、帰ってくるのは月曜だとか」

「ふ~ん、伊豆ねぇ。どんなとこなんだろう。……あ、ということは、シスコンの弟の方は寂しい週末を過ごしてるってわけだ」

 姉さんが意地悪そうな表情を浮かべた。

 私の方はその点に考えが及んでいなかった。

「言われてみればそうですね。料理とか洗濯とか掃除とか、全部姉に任せてるみたいですし、苦労するかもしれません。今日だって珍しくコンビニのおにぎりでしたし」

 ニヤリ、とした姉さんが、

「ご飯でも作りに行ってあげたら?」

 とんでもないことをのたまう。

「な、ななな、何言ってるんですか、姉さん! 私と高原くんは、まだ全然そんなんじゃ!」

 頬に赤みが差すのが自分でもわかった。

「“まだ”って何かな、えーまちゃん?」

 片手を口に当て、くふ、と笑う姉さん。顔面がますます熱くなってしまった。

「へ、変な勘繰りしないでください!」

 姉さんは冷やかし半分の笑顔のまま、「それじゃ、明日の恵真の勝負服を買いに行こうか」などと悪ノリしながら私を先導し始めた。



 ※

 途中で夕食を兼ねた休憩を挟み、出発から三時間余り。九時過ぎになって、水鏡(みかがみ)女子大学附属高校郷土史研究部の部員とその友人一行は西伊豆の宿舎に着いた。海のそばまで山が迫る地形で、宿舎は山を少し上った所にあった。裏手は暗い山であるが、宿舎から漏れる灯に照らされて、遊歩道の案内看板が出ているのがわかった。

「へー、悪くないじゃん」

 魅咲の感嘆の通り、宿舎は予想以上に綺麗だった。大学生らしき若者や社会人のグループも宿泊していた。どうやらセミナーハウスとしての機能も具えているようだ。

 順当にと言うべきか、部屋割りの結果詩都香と魅咲と由佳里が同室となった。三階の南向きの部屋で、明日窓から首を伸ばせば海が望めることだろう。

 今日はもう自由時間である。

 案内された部屋に入ると、イメージ通りの旅館の一室といった具合だった。緑茶のティーパックに湯呑、お茶請け、電気ポットといった定番の品も置いてある。

「“イノシシきんつば”だって。これ伽那のお土産にどうかな」

「いいんじゃない? あ、美味し」

 魅咲に倣い、詩都香もお菓子をパクついた。郷土史研の根本精神なるものはどこに行ったのやら、わりとポピュラーなおみやげ品である。

「高原さん、相川さん、どうぞ」

 由佳里が甲斐甲斐しくも人数分のお茶を淹れてくれた。「ありがとう」と応じて、気の利かない二人は湯呑みを受け取った。

「さて、と」

 お茶をひと啜りした詩都香は、さっそくリュックの中から本を取り出す。『堀越公方と鎌倉』、『伊豆豪族考』、『文士たちの修善寺』……。

「修善寺で大吐血でもすればわたしも文豪になれるかなぁ」

 などと彼女が漱石を気取っていると、

「こ~ら。こんな所に来てまで、まーたあんたは」

 お茶が冷めるのを待っていた魅咲に本を取り上げられた。

「あっ、も~う!」

「まぁまぁ。高原さん、本を読むのもいいですけど、せめて浴衣に着替えません? それから……」

「そうそう、せっかく来たんだから温泉入んなきゃ」

 魅咲が詩都香から取り上げた本を自分の脇の座布団の上に放り出した。詩都香は溜息を吐いて二人に従うことにした。入浴は十一時までに済ませて寝るようにとのお達しなので、たしかにあまりのんびりしてはいられないのだった。

 お茶を飲み干してから浴衣に着替え、お風呂セットを携えて部屋を出る。オートロックのキーは一番几帳面そうな由佳里に預けた。階段で一階まで降り、フロントの前を横切ってしばらく行くと、目指す大浴場があった。

(がーんだな)

 脱衣場で浴衣を脱ぎながらちらちらと横目で窺い、詩都香は落胆した。

 魅咲は無論のこと、由佳里も普段のイメージから逸脱した、なかなかに自己主張の激しい体だった。

 考えてみれば、魅咲や伽那以外の同級生と一緒に入浴するのは、中学三年の修学旅行以来である。

 思わず自分の体に視線を落とす。その頃から何か変わっただろうか。

(……どうなってんだ。もう高校生なんだぞ。もう少し、こう、発育の兆しくらいあってもいいじゃないか)

「詩都香って、幼児体型ってわけじゃないんだ」

 だしぬけに背後から声をかけられ、詩都香は跳び上がりかけた。

「ちゃんとセーチョーが見られるってことかな。腰のくびれとか、艶めかしいですな」

 両腕で要所を隠しながら振り返ると、当然の如く魅咲である。

「ちょっ、じろじろと見るな! オヤジか!」

「高原さん、ほっそりしてて綺麗ですね」

「やめてよ!」

 脇から由佳里にまで言われ、詩都香はどこに体を向けていいのかわからなくなった。

「ダメダメ、由佳里。こいつったら、人の褒め言葉を絶対素直に受け取らない奴なんだから」

「え? だって本当に綺麗ですよ?」

「う~~~……」

 顔の紅潮を抑えられない詩都香は浴室に逃げ込むのだった。



 ※

 買い物を終えて、私と姉さんは家に戻ってきた。姉さんは薄水色のワンピース型の水着を選び、ついでとばかりに私にも色違いのを無理矢理買わせた。これから先、泳ぎに行く予定なんてないのだが。

 姉さんの勧める“勝負服”とやらは固辞させてもらった。明日は制服で出かけるつもりだ。

 その代わり、地下のスーパーマーケットで色々買い込んできた。

 ――そして。

「うんうん、どれもまあまあいけるじゃない」

 姉さんが私に向かって指でOKサインを出した。その前には私の作った料理が並んでいる。ヴィーナー・シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)と麻婆豆腐、シーザーサラダにお味噌汁、唐揚げ、サーモンマリネ、水餃子にキノコの炊き込みご飯……見事なまでの和洋中の混交っぷりだ。どれがリクエストされてもある程度応えるためである。

「これならどこに嫁に出しても恥ずかしくないな。いつ料理なんて覚えたの?」

「私は姉さんと違って、昔から城の厨房で手伝わせてもらっていましたから」

 基本くらいはこなせる。覚えたての和食に関してはまだあまり自信ないが。

「あまり褒められたことじゃないけどなぁ。雇われた料理人がやりづらいじゃん」

 貴族みたいなことを言う。ゼーレンブルン家はたしかに元貴族の家柄だけど。

「それに、少し時間がかかりすぎだね」

 これだけバラエティ豊かなメニューを作るのは並大抵の手間ではなかった。姉さんの評する通り、まだまだ不慣れな私は三時間はキッチンに立って格闘していただろうか。

 その間、姉さんは「お腹空いたー、まだー?」などとぶーぶー言いながら、これも今日買ってきたロールケーキを食べていた。

「……姉さん、作った私が言うのもなんですけど、食べすぎじゃないですか?」

 味を見て欲しかっただけなので量は控えめだが、それにしても普通の食事の三人前はあるだろう。

「たしかにそうなんだけどさ。うーん、なんかこのところみょーにお腹が空くのよね」

 姉さんは箸とフォークとれんげを忙しなく持ち替えながら料理を口に運ぶ。

 実際、最近の姉さんの食欲はいやに旺盛だ。学校帰りに買い食いもしているようだし、家に帰ってからも夕食までの間に何か食べている。

 今日も私と並んで歩きながらクレープを食べていた。昨日など、私が家に戻ったら、怖ろしいことにラーメンの出前をとっていた。その上でカレー(レトルト)四杯である。

 私と同じサイズの体の、いったいどこに入っているのだろう。そして、その栄養はどこに行っているのだろう。

「太りますよ? せっかく買った水着が、デコンストリュクシオン・シー行きまでに着られなくなっているかもしれません」

「それが一番心配」

 そう言ってけらけら笑いながらも、姉さんは箸を止めない。それどころか炊き込みご飯のお代わりだ。私は呆れながらお茶碗を受け取って席を立った。

 ――そうだ、あいつにメールしておかないと。

 少し後ろめたい私は、これを機に、姉さんの目を盗むようにしてキッチンカウンターの向こうでメールを打ち始めた。『明日――』

「恵真ー、まだー?」

 テーブルから姉さんが催促してきた。

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